Hatena::ブログ(Diary)

銀河孤児亭

2015-06-08

「ドラゴンボールはフリーザ編で終わってたら名作だった」とかのたまう輩に鉄槌を下しブウ編がいかに最終章として素晴らしいかを力説するための覚え書き

コメ欄等の指摘で「アダルトチルドレン」という単語について完全な勘違いの元に盛大に誤用していたことを教えて頂いたので訂正しました)

どうも。ブログでは久方ぶりのあでのいです。ドラゴンボールで何編が一番好きか聞かれたらノータイムでブウ編と即答するあでのいです。

そうブウ編なんですよ。最終章ですよ。ブウ編も好き、ではありません。ブウ編「が」一番好きです。
「○○編で終わってれば名作だった」と言われがちなジャンプ長期連載漫画で最終章を一番好きになってしまうとなかなか肩身が狭い思いをするものですが、ドラゴンボールなんてのはその最たる例の1つでしょう。

日々そんな肩身の狭い思いをしている私ですが、先日こんなニュース記事を見かけましてね。

ついにトリシマ編集長が認めた!「ドラゴンボールはフリーザ編で終わるべきだった」

何たることかと。怒髪天を衝くとはこのことかと。
件の番組そのものに関しては実際に見た訳ではないのでマシリトさんの発言のニュアンスが実際のところどうだったのか分かりませんし、そもそも漫画編集者としての立場からの意見ですから一読者とはまた別の視点があるわけです。ですのでそこについては良いとしてもですよ、何ですかその「ついに認めた!」っていうのは。「ドラゴンボールフリーザ編で終わっておけば良かった」ってのはそんなに世間ではひろく認められた言説なんですかね?
ふざけるなよ、と。
てめえらそこに直れ、と。
俺が魔人ブウ編がどんだけ名作か夜通し語ってやるぞ、と。

という訳で今日はドラゴンボール魔人ブウ編がいかに素晴らしく、ドラゴンボールという漫画の中で無くてはならない存在なのかっていうのをちょっと語ってみたいと思います。



ドラゴンボールの歪みとブウ編の異色さ】

 まず簡単に私個人の意見を言わせて貰うと、ドラゴンボールに関しては
ピッコロ編より後は全て蛇足」か「ブウ編まで含めて完成」
のどちらかしかありえない、という立場をとっている。
 おそらく前者の立場は非常に理解されやすい。ピッコロ編の最後のページ、左下の亀仙人のじっちゃんのコマさえ無ければどれだけ奇麗に終わっていたか。それについて私がわざわざ改めて語る必要も無いだろう。
 問題は後者の方だ。
 ドラゴンボールサイヤ人編以降は明らかに無理な引き延ばしが行われていたのは周知の事実だ。その結果として、設定の矛盾や世界観の破綻などの様々な歪みが漫画内にて発生した。この点については上記の記事中でも

今となってはセルやブウの登場しない『ドラゴンボール』は想像できないが、ファンからもよく批判される「戦闘力のインフレ」や「ボール探求という目的の形骸化」、「死の意味の希薄化」といった傾向が著しくなったのは、その間の出来事である。

と評されている。
 そうした歪み–負債と言っても良い–は連載の長期化にあわせて雪だるま式に増大していったのは紛れも無い事実である。であれば勢い「○○編で終わっていれば良かったのに」と言われるのも仕方の無いことではあるのかも知れない。
 しかし私はそうは思わない。ドラゴンボールはブウ編をもって初めて完成するのであり、それ以前の(サイヤ人編以降の)どこで終わったのだとしても、ドラゴンボールは未完成の失敗作にしかなり得ない(というのは言い過ぎ)。サイヤ人編まででもフリーザ編まででもセル編まででも駄目なのだ。ブウ編まででなくては、ドラゴンボールは完成しない。

 一体なぜか? それは、ブウ編がドラゴンボールが連載長期化の中で背負わされた、様々な負債の清算を一手に引き受けているからだ。

 ブウ編はドラゴンボールの中でもかなり異色な作風だと言える。
 パワーインフレ等の問題もあり全体では整合性のとれない部分の多いドラゴンボールだが、実は少なくともある単一の○○編の中だけであれば、伏線も効果的に処理されており矛盾も少なく、非常にスッキリとまとまったお話になっていたりする。ブウ編を除けば。
 ブウ編は他のエピソードとは異なり、全体としてどこかまとまりに欠ける。地に足がついていないと言っても良い。
 開始当初は完全に悟飯を主人公に置き、ペンギン村よろしくギャグ物回帰として始まった感があった。にも関わらず、早々とシリアスバトル物へと無理矢理引き戻され、それにともない結局主人公の立場も悟空へと戻される。
 バトル展開に関しても、ゴテンクスから覚醒悟飯への流れや魔人ブウの形態変化は結局誰がどの程度強かったのかハッキリせず、ドラゴンボールお家芸のはずのパワーエスカレーション展開がどこかぎこちない。ブウ編以外ではこんな事はあり得なかった。ドラゴンボールでは必ず後から出てくるキャラクターなり形態なりが、必ずそれ以前より圧倒的に強い存在として描かれる。そうした明確なパワーエスカレーションの先に、最強の存在同士が雌雄を決する王道展開が待っているのがドラゴンボールだ。その王道展開こそが読者にシンプルな快感を与えていたはずなのだ。

 とかくブウ編ではどうにも話が迷走しており、無駄で盛り上がりに欠ける展開が何度も挿入される。その理由を鳥山明モチベーションの低下や編集部との軋轢、テコ入れなどに求めるのは簡単ではある。正直に言えば、実際のところそうなのだろうと私も思う。が、ことの真実は一旦無視して私の意見だけを言わせて貰うなら、そうした「ぎこちなさ」こそが、ブウ編がドラゴンボールが抱えていた「負債」の清算に敢然と立ち向かったことの証しなのだ。

ベジータの寝返り。あるいはバトル漫画におけるライバルの憂鬱】

 ブウ編を「負債の清算」という観点から読む上で、それを象徴しているのがベジータの存在だ。ブウ編の途中でベジータは衝撃的な「寝返り」を見せる。敵の親玉たるバビディの洗脳に自らかかり、その上で悟空達と敵対する。しかしながら実際にその展開が物語を盛り上げているかと言うと、実はかなり怪しい。そもそもベジータは元々悟空悟飯よりも「弱い」事が既に確定しているキャラクターのはずなのだ。そんなベジータが今更このタイミングで敵に寝返った所で、「絶対絶命」や「最悪の展開」にはなり得ない。バトル漫画として見るのであれば、ベジータの寝返りは物語の本筋に対しての無駄な茶々入れにしかなっていないのだ。
 では何故ベジータ悟空達を裏切り敵側に寝返ったのか? それはベジータの口から直接語られている。

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 話を一旦ドラゴンボールから離れて、少年向けバトル漫画全般について少し述べておく。バトル漫画において「一度負けたが生き残った敵キャラ」が辿る道は端的に言ってほとんど2種類に絞られる。即ち「主人公達の仲間になる」か「新たな敵キャラに対するかませ犬になる」かのどちらかだ。いや、と言うよりその両方を兼ねるパターンが一番多い。
 これはバトル漫画の構造上仕方の無いことでもある。バトル漫画、特に「悪の存在から世界を守る」類の漫画では、「宿命のライバル」というキャラクターを延々とそのキャラクターのままで存在させることが非常に難しい。
 スポーツ漫画であれば大舞台での決勝戦までライバルとの戦いは引き延ばすことができるが、バトル漫画の場合、いずれ決着をつけるべき相手といつまでたっても戦わないでいる理由が成立しづらい。「主人公がもっと成長して実力が拮抗するまで」や「他に何らかの目的があって後回しになっている」という理由でライバルキャラとのラストバトルを引き延ばす手法が多くの漫画で見られるが、余り長期連載で延々と使える手法ではないことを、それらの漫画自身が証明してしまっている事例が多い。
 逆に一度「決着」がついてしまうと、すなわち主人公が勝利してしまうと、主人公との格付けは済んでしまったことになるので、今度は新たな敵キャラと主人公との戦いの中に割って入る事自体ができなくなる。
 一度負けたキャラ、主人公との格付けが済んでしまったキャラクターにはもはや「ライバル」としての役割は邪魔でしかない。もしそれでもなお漫画の中に登場させるのであれば、「あの強敵と共闘!」という盛り上げ方で主人公の仲間として扱うか、「あの強敵よりさらに強い敵が!」という新敵の強さを演出するための噛ませ犬として扱うか、その2択以外にほとんど選択肢はないのである。
ドラゴンボール以降、そうした敵キャラの扱い方のパターンに抵抗してか、作中最強キャラが常に変更しない、敵組織を複数配置など、いくつかの試みがいくつかの長期連載漫画で行われているが、正直あまり上手くいっているものはないように思う)
 ドラゴンボールも例に漏れずそうした典型パターンに則ってお話は進むのだが、どこかそうしたキャラの扱い方、物語の進め方に対して、鳥山明自身は後ろめたさを感じていた節があるように思う。

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 閑話休題ベジータの話に戻ろう。
 ドラゴンボール屈指の人気キャラクターであるベジータだが、その実物語内ではかなり割を食った扱い方をされている。
 フリーザ編以降のベジータは、何かと理由をつけて悟空達に加勢するが、悟空に先んじてパワーアップを果たしては調子に乗って敵キャラに挑み、その結果ボロボロに惨敗するという、典型的な「いつの間にか仲間」「新キャラの強さ演出の為の噛ませ犬」の役割を押し付けられ続けて来た。ブウ編において、もはやベジータのキャラクターからは「宿命のライバル」というファクターはほぼ完全に剥ぎ取られてしまっているのだ。

(まあむしろそうした割の食わされ方がゆえに高いネタ人気を誇っている面もあるのだが)
(なお、近い事はピッコロにも言えるのだが、ピッコロの場合は「悟飯との絆」を通した説得力がキチンとある。ベジータにもブルマとの結婚やトランクスの存在などはあるのだが、ベジータの場合はむしろまず物語の都合が先行してあって、それに合わせるような形で血縁を付与された印象すらある。露悪的な言い方をすると「あてがわれた」とでも言うような)

 上述のベジータの叫びは、漫画の都合で押し付けられた「仲間」「噛ませ犬」という自らの要素に対して真っ向から反抗しているのだ。

 俺は「仲間」でも「噛ませ犬」でもない! 敵だ! ライバルなのだ!

 と。

 そうして「漫画の都合」に逆らってみせたベジータは、念願の悟空との戦い(これがマジで「バトル」としてはちっとも盛り上がらねえんだ)の最中に、自分の行為が自分自身にとっても最悪の結果を招いてしまったことに気付く。いや、漫画内の描写では、最悪の事態が発生したことに気付いた悟空に対し、ベジータの方は話を逸らすなとイラ立つという構図なのだが、後のベジータの行動から逆算して考えると、この時点でベジータ自身も状況のマズさに気付いていたと見るべきだろう。
 復活した魔人ブウの危険に気付いたベジータは、悟空を気絶させた上でブウの元へと向かう。そのツケをたった一人で払う事を決意して。そしてベジータは、息子であるトランクスに対しひどく不器用な別れを告げて、様々なことに懺悔しながら自分の命と引き換えに魔人ブウを倒す。

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 ことここに至ってベジータは、もはや完全にこの物語の主人公となっている。
 死んでもあの世へ魂が飛ばされるだけで、その気になればドラゴンボールで生き返ることもできるのがドラゴンボールの世界観だ。読者からも度々命の軽さが指摘されるが、ここでのベジータ自爆はあの世からもこの世からも完全に姿を消すことを意味する。彼の死が作中でも極めて異例の設定が与えられたのも、その死に格別の意味性を付与するためであったのだろう。

 漫画の都合に振り回されて道化をやらされ続けて来たベジータは、ブウ編において漫画の都合に真っ向から反抗し、その先で紛れも無く「主人公」となったのだ。
(まあ結局その直後に魔人ブウはあっさりと復活し、ベジータ自身もしばらく後にサクッと生き返ってしまい、このシーンの感動も結局「漫画の都合」とやらによって帳消しになってしまう訳だが)

ピーターパンとしての悟空ベジータ

 さて、ベジータのこの「漫画の都合」に対する反抗とその後に続く自爆劇は、視点を変えると「青春期の思いを抱えたまま、大人になりきれずに父親になった男が、最後の最後に初めて父の仕事を果たす話」という構図として見ることもできる。
 いずれ決着をつけなくてはならない存在として(一方的に)悟空をライバル視するベジータだが、当の悟空自身はとっくに勝った負けたの世界からは一歩身を引いて、あの世で隠居生活を満喫中だ。ベジータにしてみれば悟空の姿は典型的な勝ち逃げヤローという訳だ。そして、そんな悟空に対し延々と「おまえを倒すのはこの俺だ」と突っ掛かるベジータは、青春時代の未練を解消できぬまま歳を重ね、いつまで経ってもちっとも本当の大人になりきれない「駄目な大人」そのものだ。
 だからこそベジータバビディの魔力を見て『今こそが「青春期の未練」を清算するチャンスだ!』と考えたのだが、その結果引き起こされた事態を目の当たりにし、ベジータはようやく「父親としての自分」の責任を突きつけられた訳だ。

 元来ドラゴンボールは「子供の世界」だった。海では亀やイルカが喋り、山奥の農村では村人が牛魔王に恐れをなす。世界的犯罪組織のメンバーに超能力者はいるし、聖地の高い高い塔のてっぺんにはネコの仙人様がいる。そうしたファンタジーな設定が極々自然に受け入れられた、大らかな世界観がドラゴンボールの世界だった。
 それがサイヤ人編以降、世界観は急速に変調を来していった。悟空の尻尾やピッコロ大魔王という存在も、気がつけば宇宙人というSF設定へとすり替わり、悪魔や獣人、超能力者や武道の達人といった、おとぎ話的なキャラクター達が世界からドンドン閉め出されてゆく。「子供の世界」だったはずのドラゴンボールの世界は、突如として大人の視線で埋め尽くされてゆく。
 しかしそんな中でも、悟空とその周辺の数人だけはいつまで経っても子供のままだった。自身一児の父となり他のキャラクターも結婚したりだなんだと年を食っていったにも関わらず、悟空はずっとずっと戦い好きの無垢で純粋な少年のままの姿を堅持し続けていた。
 言うなれば、ドラゴンボールとはピーターパン達の物語なのだ。空を自由に飛び回り、悪のフック船長をやっつけるピーターパンの物語。
 変わりゆく世界観と変わらない悟空達。その齟齬は連載が進むにつれてドンドンと物語の歪みとして蓄積されてゆく。いつまで経っても子供のままの悟空だが、その無邪気さが無責任さと表裏一体である危うさが漫画内でも表出し始める。
 無職どうこうとネットでネタ的に言われる悟空だが、そうしたネタ扱いは、そもそも連載後期におけるドラゴンボールの世界観自体が「無職で修行ばかりしてるバトルジャンキー」を許さない空気を放っていたからに他ならない。

 そうした視点に立って見ると、ベジータ自爆劇はある意味ではドラゴンボールという漫画全体がため込んできたツケの支払いの象徴であるという見方もできるのではないかと思う。
 そしてそのツケの支払い、負債の清算は、ベジータに限らず悟空に対しても課せられる。
(実は悟空の方はブウ編に先駆けて一度「父親」をやろうとしており、そしてその事にまんまと失敗してしまう、というのがセル編の内容だったりするのだが、そこら辺の論考はtyokorataさんが非常に良い記事を書いてたので興味ある方は参照したし → 我が子を道具としか思ってない、孫悟空と碇ゲンドウの共通点 - ビルケなう!
 ブウ編において悟空は度々失策を重ねては右往左往する。主人公という立場を降りて次世代への世代交代を試みるが、そのせいで「ここでこうしていれば勝っていたのに」というチャンスをみすみす自ら潰してしまう。そうして世界の未来を悟天やトランクス悟飯に託すが、彼らも彼らで失敗続きだ。結局その尻拭いのために悟空はアタフタと主人公をやり直す。一児の父となり随分と良い年になっても、未だに無邪気な少年のままバトル漫画の「主人公」をやり続けて来たツケを、悟空はここに来て一気に支払わされているのだ。
 その姿はなんと言うか、肉体のピークもとうに過ぎてオジサンになった父親が、父親としても上手くやれないながらもヘトヘトになりながら子供達の失敗のフォローのために頑張る。そんな「お父さん」の姿に見えてこないだろうか。
(ここで言う「ピーク」とは戦闘力とか気の大きさとか超サイヤ人3とか、そういう話ではない。悟空の少年向けバトル漫画主人公としてのピークは、やはりどう見たところでフリーザ編で終わってしまっているのだ)

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 いろんな人達の助けを借りて、ヘトヘトになりながらブウを倒した悟空が最後に見せた改心の笑みの表情。その顔にどこか「老い」を感じさせられるのは、私の気のせいだろうか。

【大人の象徴としてのミスターサタン

 「大人の世界と少年のままの悟空達」という文脈で語る上で、ミスターサタンの存在について言及しないという訳にはいかない。ミスターサタンこそはドラゴンボール世界における「大人」を象徴するキャラクターだ。
 ミスターサタンはごくごく「現実的」な人間だ。空も飛べなければエネルギー波も放てず、悟空達はおろか拳銃や爆弾にすら手も足も出ない。そんな彼が作中では格闘技世界チャンピオンなのだ。ある程度の達人クラスであれば、素手で鉄骨を両断し石の壁を粉砕するのが当たり前だったはずのドラゴンボール世界は、気がつけば数十枚の瓦割り程度で世界一の格闘家と名乗れるような世界になってしまった。ミスターサタンドラゴンボール世界が「子供の世界」から「大人の世界」へと変容したことを如実に示す、その象徴なのである。
 ゆえにサタンは作中では悟空達が形成する「子供の世界」を理解できず、勢いトリックだ夢だと馬鹿にする。彼はあくまで「無理解な大人」として振る舞う。セルを倒した功績を悟空達がいない間にちゃっかり自分のものとして横取りする所などはズルい大人の典型だ。悟空達がピーターパンであるのなら、ミスターサタンこそがドラゴンボールにおけるフック船長なのだ。

 そして、そんな「無理解な大人」を代表するミスターサタンこそが、ブウ編で最後の最後、世界を救う本当のヒーローとなる。
 繰り返すが、ドラゴンボール少年漫画、バトル漫画である。だからこそ世界の命運は超人同士の一対一での戦いによって決着がつくし、そこに疑問は挟まれない。しかし悟空をはじめとするゼット戦士達がバトル漫画のキャラクターらしく戦うその中で、ただ一人ミスターサタンだけが「敵との交渉と懐柔」「大衆に向けた演説と煽動」という大人の手段を行使する。

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 そしてそのサタンの「大人の手段」だけが、大人になることを拒否して子供の論理で戦い続けてきた悟空達の失敗の穴埋めに成功する。ずっとずっと少年向けバトル漫画の正しいルールに基づいて戦い続けてきたドラゴンボールが、ブウ編の最後の最後で初めて「大人の世界」の論理と手を結ぶ。

 変わりゆく大人の世界と、子供のまま変わらない主人公達。その矛盾と軋轢が、ミスターサタンという存在を通してようやく解消される。ブウに向かって最終手段の元気玉をぶつける直前、悟空はサタンに告げる。

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宇宙や世界の、ではない。ミスターサタンは紛れもなく、漫画「ドラゴンボール」にとっての救世主だったのだ。

悟空が戦う意味。もしくはドラゴンボールにおける「正しさ」】

 ブウ編について最後にもう一点だけ述べておく。
 非常に好きなシーンがある。悟空とブウが戦うのをベジータが遠巻きに眺めながら一人語るシーンだ。

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 多分、ドラゴンボール読者の間でも名シーンの1つとして上がることが多いのではないだろうか。ベジータがちっぽけなプライドと劣等感を捨てて素直に悟空の強さを認める、という意味でも非常に感動的なシーンだが、私はその「悟空の強さの理由」を語る部分にこそ注目したい。このシーンはドラゴンボールの中ではほぼ唯一と言っても過言では無い「思想性が台詞の形で明示的に述べられる」というシーンだ。

 またもや一旦少しだけドラゴンボールそのものからは離れて話を進める。ドラゴンボール連載終盤に差し掛かった丁度90年代半ば辺り以降から、少年向けバトル漫画において主人公の戦う理由がかなりシビアに問われるようになっていった印象がある。細かい個別論は避けるが、ジャンプ漫画に絞っていくつかタイトルを列記すると、

るろうに剣心 ダイの大冒険 HUNTER×HUNTER ONE PIECE NARUTO BLEACH 銀魂(これも一応カウントしておいて良いだろう)

となる。「何故戦うのか?」の問いに対する答えに関しては作品によって千差万別ではあるが、概して言えば「誰かを守るため」というのが正しい「戦う理由」として認められる傾向にあると言える。
 その点で興味深いのが上記のベジータの台詞で、ここで明らかにドラゴンボールという漫画は「敵を倒すための戦い」と「誰かを守るための戦い」との間に線を引くことを拒否していることが分かる。

 ドラゴンボールの1つの特色として個人的に言及しておきたいのだが、元々ドラゴンボールは感情や戦う理由やらで戦闘力が変化することはほとんど無い。基本的にはイレギュラーが無い限り強い奴が弱い奴に勝つ、という厳然とした戦いのルールが、いくつかの例外を除いて貫かれている。(その数少ない例外が超サイヤ人なのだが、超サイヤ人の印象が強すぎるせいでこの「感情値にバトルの結果がほとんど左右されない」というドラゴンボールの特色は、ほとんど語られることが無い)
 このドラゴンボールの特殊性は、そのまま「正しさ」の提示を回避する態度であると言える。
 あるバトル漫画において、もしキャラクターが戦いの最中に何らかの感情を理由にパワーアップして、その結果敵を倒してしまったとする。その場合、その時の主人公の感情(思想と言っても良い)は漫画内では「正しい」ものとして提示されてしまう。これは作者の思想信条とは無関係に、そのような演出として読者の多くは受け取ってしまう、という話なのだが、実際多くのバトル漫画ではそうした形で作中内での正義や正しい価値観を意図的に演出していると言って良い。
 しかし多くのバトル漫画の定石に反して、ドラゴンボールの場合バトルを通じての「正しさ」の提示に関しては、極めて慎重に避けながら描かれている。そんなだから、「敵を倒すために戦う」ことと「誰かを守るために戦う」こととの間にも、ドラゴンボール作中ではどちらが正しいかの優劣はつけようとしない。
 では「守る」ことと「倒す」ことの間に線を引かないドラゴンボールは、一体どこに線を引いているのか? それはベジータの台詞の中でハッキリと述べられている。

「勝つために闘うんじゃない。ぜったいに負けないために、限界を極め続け闘うんだ…!」

 話は大きく過去へと遡る。
 悟空ブルマらと一緒に初めてのドラゴンボール集めを終えた後、彼は亀仙人のじっちゃんの下に弟子入りする。基礎トレーニングや勉強だけでなく拳法を教えて欲しいと頼む悟空クリリンに対し、亀仙人は諭して言う。

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 そしてもうワンシーン。これはさらにもう少しだけ時間を遡り、悟空クリリンが初めて亀仙流の修行を開始する際のシーンだ。

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 悟空は何のために戦うのか。悪の敵を倒すためではない。仲間や市民を守るためでもない。悟空は戦うことを通してより良い人生を送るために、人生をより良いものとするためにこそ戦うのだ。「不当な力で自分もしくは正しい人々をおびやかそうとする敵」に「ズゴーンと一発かます」のは、あくまでそのついでに過ぎない。
 ベジータが言う「だから、相手の命を断つことにこだわりはしない」とはそういうことだ。
 それこそが亀仙人のくれた教えであり、ドラゴンボールという漫画における数少ない「正しさ」だ。

 だからこそ悟空ピッコロ編のラストバトルにて、一度は友の仇や世界の命運を背負って殺し合いを演じたピッコロ大魔王との再戦を、あくまで「天下一武闘会の決勝戦」という楽しみ事、お祭り事として最後までやり切ろうと頑なになった。悪の大魔王との決着が「場外負け」という大会ルールによって決するオチの美しさと心地よさは、悟空が最後までドラゴンボールの「正しさ」に殉じたからこそ生まれたものだ。
 楽しく生きてる奴が一番強い。楽しく闘ってる奴が一番偉い。それこそがドラゴンボールの「正しさ」だ。

 しかしその後のサイヤ人編以降、悟空はちっとも楽しい戦いができていない。世界観の急速な変容が、悟空達に楽しく戦うことを許してくれないのだ。地球の存亡、世界の未来を賭けた殺し合いは、とても楽しく戦っている場合などではない。悟空自身はシリアスな状況を強いられる中でも、一人楽しく戦おう楽しく戦おうと孤軍奮闘するが、変容した大人の世界なドラゴンボールの中では、そんな悟空の姿勢は「良い歳して子供のままでいようとする駄目な大人」として、もしくは「サイコパス気味なバトルジャンキー」として浮き上がってしまう。セル編にいたっては敵のセルはおろか、楽しく戦うことを悟飯に一方的に求めたことで、実の息子との間にまで深刻なすれ違いを生んでしまう。
 「楽しく戦ってる奴が一番偉い」というドラゴンボールの「正しさ」は、連載が続けば続くほど無惨に瓦解していったのだ。

 だからこそ最終章であるブウ編のラストバトルにおいて、ベジータの独白を通じて漫画「ドラゴンボール」は(鳥山明は、とは言わない)もう一度この世界における「正しさ」を提示しなおそうと試みる。ベジータの台詞をバックに繰り広げられる悟空とブウとのラストバトルは、緊張感と盛り上がりに欠ける反面、何故だか妙に楽しそうに見えてくる。

 結局悟空は上で述べた通り、このラストバトルをミスターサタンの「大人の力」を借りることで勝利するが、トドメの一押しをする直前、悟空はブウに言う。

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 もう一度生まれ変わって、今度こそ本当の本当に「楽しい戦い」をしよう、と。かつて何年も昔(悟空にとっても読者にとっても)に、ピッコロ大魔王を殺したあとで、生まれ変わったマジュニアと戦ったように。
 その悟空の望みはウーブという形で可能性だけが示される。その可能性が示されたところでブウ編は、そしてドラゴンボールはとうとう完結する。



 ブウ編は、ドラゴンボールが長期連載を続ける中で発生していった様々な負債に対し、キャラクター達が様々な方法でその清算を試みるお話だ。ベジータは漫画の都合で剥奪されたライバルキャラとしての立場を取り戻そうともがき、悟空は父親としての立場と責任から逃げ続けたツケを、子供達の尻拭いという形で支払おうと必死になる。そしてその最後の最後で、ドラゴンボールという漫画は、自身が一番最初に提示したはずの、皆が皆忘れかけていた「正しさ」を取り戻してみせた。それこそがブウ編の功績だ。
 故にドラゴンボールはブウ編をもってしてようやく完結する。サイヤ人編でもフリーザ編でもセル編でも駄目なのだ。ブウ編がなければ、ドラゴンボールドラゴンボールとしての「正しさ」を喪失したまま終わっていたはずなのだ。
(その「正しさ」そのものに対する賛否はまた別の話であることは、一応補足しておく)


 だからなあ、ドラゴンボールを「フリーザ編で終わっていれば名作だった」なんて言ってる奴がいたら俺の所に連れて来い。全巻片手に夜通し説教したる。ドラゴンボールはブウ編で完結なのだ。そうでなくてはいけないのだ。以上。俺に言えるのはそんだけだ。


願わくば、この記事を通して少しでも多くの人間がブウ編の存在意義に気付いてくれますように。


(まあその上で「でもそうは言ってもセル編もブウ編もつまんないじゃん」とか言われちゃったらどうしようもないけどな。そん時は俺の負け。素直に白旗を上げる。大体この記事自体が「俺にはこう読めたんだ文句あっか!」な内容だしな。GTに関してはまた別の誰かが語ってくれや)
(あと最後に白状するんだけど、この記事の内容多分かなりの部分が10年程前に青木摩周氏(https://twitter.com/stj http://d.hatena.ne.jp/stj/)が書いた記事と重複してるんじゃないかと思う。一応自分の考えで書いたつもりなのだけど、なにぶん昔の話すぎて、どこまでが青木摩周氏の記事内容で、どこまでが自分自身のオリジナルの論考なのか、自分の記憶がよく分からん。なんかこの論に見覚えあるなと思った人は青木摩周氏の記事がオリジナルだと思っておいてくれ)


ちょっとした追記











泣いた。

パイクーハンパイクーハン 2015/06/09 02:08 物凄く感動しました!
自称ドラゴンボール好きを語っていましたが何と無く違和感と言うかそんな物を感じていたのが一気になくなりました!!
ただ、説教は受けてみたいです笑

nmnm 2015/06/09 02:29 面白かったです。
ひとつ惜しいのは、アダルトチルドレンという言葉の誤用。
ググって真実を知っていただきたい。

wawa 2015/06/09 07:05 「ピッコロ編」ってのは天下一武道会の「マジュニア編」の事ですか?

私は「ピッコロ編」を片手かめはめ波ジャンプのアレを指すのだと思います。

※ 誤解を減らす書き方として、アレを「ピッコロ大魔王編」と大魔王付きで書く場合がありますが、
天下一武道会の方をピッコロ編と書く事は無さそうです。

adenoi_todayadenoi_today 2015/06/09 07:25 >パイクーハンさん
お読み頂きありがとうございます。説教は、文中では偉そうに書きましたが、この記事であらかた自分の言いたい事は書き切ってしまったのでこれ以上は特にはありませんよ笑

>nm
あああああ。ご指摘ありがとうございます。知ったかぶってちゃんと知りもしない横文字使ってお恥ずかしいかぎりです。

>wa
そうですか? あまり大魔王編とマジュニア編とで分ける必然性の方が少ないように思いますが...
ちなみにWikipediaでも特に分けられてはいませんね。

ぅわんぅわん 2015/06/09 08:03 トリシマ氏の発言、そんな風に曲解されてたのね。
引き延ばしをやってなかったら、次のヒット作を作れたのかも、って結局「たられば」の話だったのに。
とはいえ、途中で終わってたら今の人気もあったんだろうか?って疑問もあるし難しいな。

wawa 2015/06/09 08:56 ご返事ありがとうございます。

編を分ける必然性は幾つかあったと思いますが、年代跳躍と、
(アニメ版の話題になってしまいますが) 声が違うのでピッコロ大魔王とピッコロさんは別人と解釈できる事が理由として
ぱっと思いつきます。

ちなみに、私は大魔王が卵を吐かずにエンディング、
という終わり方でも良かったのではないかと思いますので、
可能であれば編を分けたいと考えております。

e-takeuchie-takeuchi 2015/06/09 09:10 著作権は?

江戸川江戸川 2015/06/09 09:16 素晴らしい考察です。自分自身なぜブウ編が好き…というか、なくてはならないものだと感じていたのかハッキリしました。
ブウ編があらゆる部分の清算という側面は感じていましたが、ここで亀仙人のセリフに立ち返って悟空がそれを一貫しようとしていたのに気付かされたのは本当に感動ものです。

adenoi_todayadenoi_today 2015/06/09 12:10 >ぅわんさん
そのようですね。本文冒頭にも書きましたが、Drマシリトの発言自体は別に良いんですよ。それに乗っかってフリーザ編から先は蛇足だみたいな記事を書いた記者に腹が立ちます。

>waさん
そうですか。本文を読むとお分かり頂けると思いますが、私はピッコロ編は大魔王編とマジュニア編とが一体でなくてはならないと思ってますので記事に訂正を入れるつもりはありません。ググってみましたが、世間一般でも分ける方が普通という訳でもないようですし。

>e-takeuchiさん
知らんだろうけど世の中には「引用」という概念があってな

>江戸川さん
ありがとうございます。私自身数年前に一巻から読み返した時に「これ最終巻のベジータの台詞じゃん!」と感動したものです。その感動を他の人にも広めようというのがこの記事の目的の1つだったので、そう言って頂けると嬉しいです。

山田さん山田さん 2015/06/09 14:13 引用の要件満たすためには「引用元の明示」が必要なのではなかったかな

ホームズホームズ 2015/06/09 15:05 すごく納得しました。
以前に何処かでセル編は悟飯編、ブウ編はベジータ編なんだという言葉を見た覚えがありますが、
フリーザ編で終わっていたらこの二人の存在は宙ぶらりんで終わっていたようにも感じます。
GTについては賛否ありますが、ベジータが悟空にブルマの助けを得てではありますが、最後の最後で追いつけたのが嬉しかったですね。
最終回で悟空とベジータの子孫が天下一武道会の決勝を戦っていますが、その会場にはサタンと悟空の巨大な像が向かい合って建設されています。
大人のヒーローと子どものヒーロー、その両方が肯定されているとも取れますね。

らっせるらっせる 2015/06/09 15:23 個人的な意見で否定するつもりはないのですが、こんなに熱心にドラゴンボールを語ってる姿を見て僕の想いを伝えたくなりました。


ドラゴンボールはドラゴンボールGTでこそ完結だと思っています。

理由としては今までずっとドラゴンボールに勝てなかったベジータが超一星龍と戦うにあたり、ブルマの力を借りてサイヤ人4になり悟空とフュージョンしたからです。

悟空とフュージョンするということは=悟空と同じ戦闘力になった、つまりドラゴンボールGTで悟空がベジータに追いついたということです。そんなベジータ夫妻の努力とベジータに感動しました。

宇賀神宇賀神 2015/06/09 17:13 こんにちは。
とても興味深く拝読しましたが、ひとつお聞きしたいです。「ボール探求という目的の形骸化」についてはどうお考えでしょうか?

個人的には、セル編以降はボール争奪戦ではないという線引きをして、フリーザ編完結の立場をとっています。セル編ブウ編も大好きなのですが、どうしても番外編的な印象が拭えません。

NFDNFD 2015/06/09 18:46 とても読みごたえのある考察楽しませてもらいました。
ブウ編、人気ないんですかね。私はブウ編も大好きなのですが、その理由は地球が完全に滅亡するからです。
星が消える、太陽系が消えるみたいな規模の闘いは既にやってましたが、描写としてどうしてもいつもの仲間vs敵の域を外れなかったように思います。
ブウ編はショー化された武道会をベジータが吹っ飛ばし、ブウが全世界に周知されながら地球を破壊し尽くし、おなじみの仲間を含めて地球人を一人残らず(サタンは残ったが)殺し尽くす。ピッコロもセルも出来なかった大量破壊をやってのけるのがいい。これこそ「世界」の危機ですし、記事中でいう「子供の世界」が「大人の世界」を堂々踏み潰すのが面白いと思うのです。
この魅力は語っても理解されないとは思うのですが……w

個人的にDB探しが物語の核にあるとは思わない派です。あれはいつでも手段でしかない。

ans2012ans2012 2015/06/09 20:35 ドラゴンボールがここまで深い話しだったとはビックリしました。
「これは、クリリンの分だ!」という台詞が原作ではでてきていない理由もよくわかりました。

orenooreno 2015/06/09 21:18 ドラゴンボールという作品の魅力が頭の中に蘇ってくる、そんな素晴らしい記事でした。
この記事を読んで、鳥山明先生の関わった最近の映画2作やGTについても色々新たに思わされる所がありました。
「神と神」において結局ビルスが悟空に敗北しなかったのは、破壊を本分としながらも最後までドラゴンボールとしての「正しさ」からブレなかった初めての敵だからなのかなと思いました。
そして、この「正しさ」だけでドラゴンボールにおけるシリアスの象徴ともいえるフリーザに挑んだ結果、試合で勝ちながらも痛い目に遭わされてしまい、油断は駄目だぞと戒めたのが「復活の「F」」だったのではないかとも。
そしてGTは、ブウ編という原作における物語の清算を終えてもなお読者の中に残ってしまった負債について、ある程度共通したものを第三者が清算した一つの例な気がしました。
以上、部外者の妄想による※欄汚しすいません。
記事ではああ述べられていますが、adenoi_todayさんのGT等についての考察が見れるのを密かに期待しております。

J+でブウ編読み中J+でブウ編読み中 2015/06/10 00:38 物語として魔人ブウ編は蛇足かもだけど、蛇に足がついてドラゴンですしね。

↑ 2015/06/10 02:53 なるほど、これが蛇足ってやつですね。

adenoi_todayadenoi_today 2015/06/10 07:53 >ホームズさん、ラッセルさん、orenoさん
実はGTはリアルタイムでは飛ばし飛ばし(家族の誰かと裏番組争いしてた気がします)で、それから先も見る機会無く今まで放置してしまってます。という訳で誰かGT必要論でも書いて頂けると今度は私が鉄槌を下される立場に立たされます(笑)
「復活のF」は未見なのですが、「神と神」は良かったですよね。映画2本については、いつかまた補稿でも書けたら良いなと思ってます。

>宇賀神さん
ボール集めが話の中心に来ているか否か? という観点からドラゴンボールの物語を腑分けすると確かにフリーザ編までが「ドラゴンボール」と言えるというのはあると思います。
ただ、ピッコロ編以前を振り返ってみても、
ボール集め→天下一武闘会→ボール集め(RR軍編)→天下一武闘会→ピッコロ編
なので、実はボール集めが主軸になっているエピソードの方が少ないんですよね。
そういう意味ではそこまで「ボール集めが話の中心に来ているか否か?」に拘る必要も無いかなとは思っています。
ただし、ドラゴンボールという存在がセル編とブウ編で都合良くかなり雑に扱われるようになってしまった点についてはこれまた歪な状況ではあったと思います。ブウ編の最後をドラゴンボールで決着をつけたのは鳥山明の意地ではあったのだろうと思いますし、爺さんの方の界王神様がドラゴンボールの使用を渋ったのは、作者の葛藤そのものだろうなと思います。

>NFDさん
ちょっと分かる部分はあります。ブウ編は「人命の扱いが軽い」と批判されたりしますが、モブが死ぬ場面が他のエピソードに比べてやたらと直接的に何度も何度も描かれるんですよね。そこら辺が気持ちの悪さもあるんですが、どっか謎のカタルシスみたいなものも感じられる。

higasi-kurumedahigasi-kurumeda 2015/06/10 09:17 大変面白かったです。有難うございます。

通りすがり通りすがり 2015/06/10 10:45 面白く読ませて頂きました。
ブウ編については色々思うところもありますが、10歳の子供がブウ編に夢中になっているのを見ると、それで充分だよなあと思います。
あと、ただ一点、マシリトの発言は「あそこで終わっておけば、鳥山明を真っ白にさせることなく、彼のヒット作がもう一本見られたかもしれない」という視点での台詞ということだけ添えておきます。
非難したいのではなく、本文でも「編集者の視点として〜」と書かれているので、その補足です。

ただの通りすがりただの通りすがり 2015/06/10 17:37 本当に感動しました。
自分もしっかり作品作りをしようと思いました。

boeqboeq 2015/06/10 21:37 素直にその通りだよなあと思いました。
ブゥ編はミスターサタンが子犬と世界を救って悠々自適の老後を手に入れるからいいんじゃないかってね。

ACAC 2015/06/11 00:44 ドラゴンボールはギャグマンガのまま連載を終えるべきだったと思っているし、
すくなくとも悟空の身長が伸びて以後はつまらないと思っている私にとって、だからこそ同意できる話でした。

ff 2015/06/11 01:30 ほぼすべてのマンガに言えることだけど、
○○編がある作品はどこがピークだったかという振り返りがなされるもんだ
そしてDBはフリーザ倒すとこ。続いたからってもっといいものは見れなかった。
完結させるためにあくまでここに書いてある理屈が必要ならフリーザ編に盛り込んで終わりが最高でいい。

四次元ポケ人四次元ポケ人 2015/06/11 12:43 面白かった!大変腑に落ちる考察でした。
やはりドラゴンボールは全編通して名作ですね。
(北斗の拳なんかもラオウ以後蛇足と言われがちなので同じような考察でスッキリできそうな気がしました。)

ちなみに、他の方も書かれていますが、
トリシマ氏の発言はブウ編を不要と斬るものではなく、「無理に継続して疲弊させてしまった感はある。フリーザ編あたりで辞めさせておけば、もう一本ヒット作(長期連載の)が出せたんじゃないかなと思う。」ということでした。私が見ての感想です。

ありがとうございました。

adenoi_todayadenoi_today 2015/06/12 18:10 一人一人個別には返せませんが、お読み頂き本当にありがとうございます。

トリシマ氏の発言についてはご指摘ありがとうございます。
上にもありますが、私がカッとなったのはトリシマ氏の発言というより、その尻馬に乗るような形で書かれた記事の方でした。

龍珠龍珠 2015/06/13 00:16 この記事を読めてよかったです
ドラゴンボールの何がいいのか思い出せた気がする

てまりずしてまりずし 2015/06/13 17:57 ベジータが噛ませかどうかに関してはそこそこ議論の余地がある気がします
たまにこの辺が議論の的になってるのを見かけますし

本題と余り関係ない場所になって申し訳ないのですが、「感情がバトルに左右されないところが魅力」の部分、心から共感します。
某個人サイトがドラゴンボールを「根性論で勝つ漫画」という偏見のもとにいい加減な批判をしているのを見た時はいろいろと腹が立ちました。おまけにそのサイト、コメント欄もトラックバックも無くて反論の余地すら与えてくれないのですよ…

とげとげ 2015/06/14 17:29  とてもいい記事を読ませていただきました。
僕も初めて見たのは魔人ブウ編でした。
当時はワクワクしながら見ましたし、そこから漫画、劇場版とドンドンはまっていったを覚えています。なので、好きになったきっかけであるブウ編が駄目といわれてしまうとどうにも腑に落ちなかったのですが、この記事でストンと納得できた気がします。

確かにピークとしてはフリーザ編が一番なのかもしれません。それは仕方のないことだとも思っています。
でもピークだからと言って、それは終わるべき理由にはならないと思います。

 人生においても2、30代がピークといわれることがあります。でも40代になったからと言って、死ぬ必要も仕事をやめる必要もないように、ピークの終わりが人生の終わりであるわけではないのだと思います。

 60代を越えてから人生の清算を始める人がいるように、ドラゴンボールも悟空たちもピークを過ぎてからも決して終わらず、今まで歩いてきた道のりをブウ編という形で清算を試みたんだなぁと、「悟空たちの」人生を代弁して頂けたみたいで、非常に共感しました。
長文になってすいません、ありがとうございました。

KEIJIROKEIJIRO 2015/06/15 02:25 初めから難解な作品ならともかく、シンプルな作品ほど単純な面白さを求められがちで、
作品の理解まではなかなかいかないのかなあとも思います。
面白さの質が違うが故に多数派からは受け入れられにくいのは仕方ないけど、
それもまた漫画の面白さなんだけどなあ・・・勿体ない。

hellohello 2015/06/16 18:31 大変すばらしい考察でした。
パワーのインフレで解決できなかった問題(ブウ)をサタンの活躍により倒すことで
やみくもなパワーアップへのアンチテーゼ、いわばドラゴンボールを続けることそのものへの拒否とも読み取れるのがブウ編だったのだと思っています。
面白さはともかくとしてこのエピソードの味わい深さは別格だと思っていましたが
それを見事に言語化されており感激しました。

KKKK 2015/06/16 23:34 私もピッコロ大魔王とマジュニアは別人で行動の動機も違う(ピッコロ編は快楽殺人VS復讐、マジュニア編は復讐VSバトルマニア)のでピッコロ大魔王編とマジュニア編で分けるタイプ。
ピッコロ大魔王を殺して神龍が死んだままで亀仙人もクリリンもキングキャッスル城下町の住人も死んだままってストーリーでも良かったと思ってます。

ムニ・タゥムニ・タゥ 2015/06/17 03:10 大変興味深い考察、楽しく読ませていただきました。
 大人の世界へと変貌していった流れの一つに、
強さの数値化が大きくかかわっているのではないか?と読んでいて思いました。
それまでは、どちらが強いのかわからない中、互いが全力で修業し、
お互いのベストを尽くして勝敗を決していました。
そこではお互いが、今の全力を工夫を凝らして発揮し、実力を試し、
楽しむという側面があったと思っています。
 それに対し、戦闘力という概念が提示されてからは、
いかに相手より高い数値を実現するか、といった点に焦点が当てられた気がします。
(たとえば界王拳x倍であったり、宇宙船内での悟空の自爆→超回復であったり…)
敵の強さが数字で分かってしまう分、それを超える強化が必要になってしまう。
そのためには、これまでより明確な理由づけが要求される。
「ただ戦いを楽しむだけでは駄目な大人の世界」への移行の原因は、
こういった息苦しさにもあるのかなと思います。

 ブウ編の最後の悟空とブウの1vs1は純粋に戦いを楽しんでいそうですよね。
(ブウが回復せずにウネウネと遊んでいたり、互いに噛みつき合っていたり…)
 もし戦闘力という概念が作中で残っていたら…
 もしブウが単純にパワーアップをし続ける存在であったなら…
もしそうであれば最後の戦いでも互いの強弱は明示されてしまい、
弱い方が舐めた挙動をしようものなら「遊んでないで危機感を持て!」
と読者をイラつかせてしまったでしょう。
 互いの力関係があやふやだったからこそ、上のような一見舐めている様な攻防も、
互いの実力の拮抗具合の描写として成立していますし、なにより双方が戦いを楽しむというドラゴンボールワールドを再び描くことができたのではないかと思いました。
やっぱり互いに笑いながら力比べをするのはドラゴンボールらしいですし!
(オラワクワクしてきたぞ!)

以上、長文失礼しました!

TorafuguTorafugu 2015/06/17 15:00 長文でしたが読ませて頂きました。とても深い解釈ですね、すごいです。
当時はドラゴンボールの中でのブウ編の価値なんて考えたこともなかったです。
読んでる当時はサタンやるじゃないか、ベジータ人間的に成長したな、悟空は変わらないな程度でしたが・・・とても興味深い記事でした。

くぁwせdrftgyふじこlpくぁwせdrftgyふじこlp 2015/06/18 08:30 ブウ編を見るたびに、本当はマジュニア編で終わらせたかったことの意志表示なのかなという気がする。
ピッコロ大魔王→魔人ブウ(魔族繋がり)
マジュニア→ウーブ(生まれ変わり繋がり)
チチとどこかへ飛ぶ→ウーブとどこかへ飛ぶ(飛ぶ繋がり)

これでもかというくらい無印のオマージュされている。
最近出てきたビルスとウイスも、無印の神様とミスターポポを意識しているんじゃないかな。
両方とも実力は(当時は)チートだし、そこで修行するという共通点もあるし。

ヤムチャスキーヤムチャスキー 2015/06/18 17:31 『ドラゴンボール』を愛読していた同士として、なかなか興味深く読ませていただきました。
最後に筆者自身が書かれているように、これは一読者の意見であり批評なので、
それに対して、さらに私的なコメントをするのは野暮であり無粋なのでやめておきます。
「筆者がいかに『ドラゴンボール』を愛しているか」が伝わってきた、とだけ申し上げておきます。

セル編終了派セル編終了派 2015/06/21 04:08 主張されてる事って、全部セル編でやってて(そっちの方が綺麗に纏めている)悪く言えば焼き直しなんですよねぇ

・ベジータの変遷、成長
(悟空に自分が勝てない事を認める→父性に目覚める(トランクスの死亡で激怒)それが返ってピンチを招く→はじめて人のために戦う(悟飯を助けるために攻撃)→それがキーとなってセル撃破に繋がる)

・悟空というキャラのピリオド
セルゲームでは最初から勝ち負け度外視で戦っていたため、天下一武道会時代の様にただ純粋にセルの力試しと力比べに終始
父性の欠落をピッコロに指摘され、そこで初めて純粋な父性として目覚め悟飯を庇護するために戦おうとする
ピークを過ぎた事の象徴である悟飯への世代交代、そして永遠にピーターパンとしてあの世で自由気ままに大好きな戦いと修行に明け暮れましたとさ

・亀仙人の台詞
16号が悟飯に同様の事を諭す。「正しい事のために戦うのは悪ではない、大好きだった自然を守ってくれ」
それがきっかけで悟飯が覚醒、セル撃破へ繋がる

・ミスターサタンというキャラ
最初は人間としてのダメな部分が強調されていたが、佳境で人間としての誇りや慈愛に目覚め
16号を悟飯のところへ導く、それが上記に繋がってやはり悟飯の覚醒に繋がる
強くなくても世界を救うヒーローになる事はできるという描写

という事で、おっしゃられる主張に乗っ取るのであれば
むしろ「セル編で終わるのがスマート」という結論になると思います
ブウ編は、これらをもう一度やり直したにすぎません

いっつも思うんだけどいっつも思うんだけど 2015/06/21 07:43 サタンが救世主だった、という部分は正しいと思うんスけど
別に意図して「大人の手段」を行使したわけではなく、サタンは場の流れに乗っただけですよねコレ
(「あ、けっこう!けっこうなんですよ!!たのしいんでしたら!!!」ってたぶん交渉の台詞じゃあないでしょう)
しかも交渉だのなんだの言いつつ直前にやってたことは「友好のあかしとして渡す食べ物や遊び道具に爆弾を仕掛けておく」という中東テロリストも真っ青の外道行為ですし。
そういう世渡りや容赦ない残忍なところも含めての「大人」なんだよって話ならわかるんですが、
一方で彼もまた自分は世界最強のチャンピオンなのだという立場にすがり「あれは夢、これは夢!」と逃避してた人でもあるんで
ブウ編サタンについての巷の語りは、それはそれで美化されすぎじゃない?と感じるというか。

ドラゴンボールの「楽しい戦い」が「天下一武闘会」に帰っていくところはやっぱり大事なところなのでしょうね。
最初に教えを説いた亀仙人も、バトルジャンキーな主人公の悟空も、そしてアンチファンタジー人間であるサタンですらも
みんな「天下一武闘会の(歴代)チャンピオン」なんだということには変わりない美しさ。

nanashingnanashing 2015/06/22 20:05 拝読させて頂きました。
何をもって完結とするとか、どこで完結すべきだったか、というよりは
「魔人ブウ編は、これまでドラゴンボールを読んできた人たちに対するケジメであった」という解釈をすることで合点がいきます。マンガでもアニメでも、無印からでもZからでも構いませんが、当時わくわくしながら読んでいた少年たちはブウ篇ではもう良い歳でした、人によってはマンガもアニメも卒業だなんて言い出してもおかしくない。
そんな人たちに対するケジメであったんだと私は理解しています、
ピッコロ大魔王を倒した後の話は”物語としては”蛇足であったと私は感じています

そしてその蛇足がはじまってからというもの、作品の目処を失っていました
例えば各章がそのままブツっと終わってしまったと考えると・・・
人造人間・セル編で終わってしまっては「”あの”悟空が死んで終わり」
フリーザ編で終わってしまっては「悟空はいったいどこへ・・・」
サイヤ人編で終わってしまっては「いつかの再戦のために生かしたベジータとの決着は?」
マジュニア編で終わっていてもサイヤ人編と似たようなものでしょうね

そうして積み上げていったものへのケジメがブウ編でなされたのだと思います
まるでブウ篇以前の各ストーリーをなぞっていくようにも感じました、再び悪となることを望むベジータ
変身、合体、吸収とフリーザ編人造人間・セル編で長々と続いたバトル要素の統合、第二世代以降の覚醒と活躍、どれも過去のストーリーのなかにあったものばかりです、それらをまとめて無印の頃の亀仙人の言葉へと回帰するという素晴らしい精算の仕方であったと思います。

FFFF 2015/06/25 11:11 そうなんだよなー
フリーザ編で終わればいいとかブウ編は蛇足とかって
ただの物語の「盛り上がり」だけで見た斜め読みしてるだけのニワカファンの意見だよな

一番盛り上がったとこでそのまま退場するのは一見美しいように見えるけど
色々なことを清算しないまま盛り上がったとこで終わるってなんか無責任だ
そういうことをきちんと全部清算して終わらせたDBはやっぱり少年漫画一番の名作だよ

ずっと変わらない悟空がシリアスも経験して最後に原点回帰するっていいよね

たまたま 2015/06/30 03:15 まさに長文駄文、お疲れさまです。
ブウ編は蛇足。以上

さるさる 2015/07/04 01:59 ブウ編必要を証明する上でどうでもいいというか無関係な余計な文章が多く
長すぎて散漫で、反論を拒絶してるだけの自論のゴリ押しにしか見えません。
言いたいことだけを簡潔に述べた方が良いと思います。

紙児宅内紙児宅内 2015/07/08 07:35 面白かったです、ありがとうございました!

通りすがり通りすがり 2015/07/18 14:02 面白かったです!
『さっさと協力すればすぐに済むのにベジータが反抗して状況が悪化する』『ミスターサタンが普通の人の感覚で的外れな説教したり邪魔をする』といったドラゴンボールのお約束というか物語を盛り上げるための都合がブウ編で初めて、単なるご都合主義や単なるギャグ描写ではなく本当に必要なことだったと理解するカタルシス!

ブウ編は必要って意見は僕も同じだったのですが
まさか物語を通して貫かれてきた「誰にも負けないために戦う、誰かのためじゃなく自分がしたいからする」っていう悟空の信念が亀仙人の修行時代に提示されていたとは…!
やはり鳥山先生は天才だと改めて思いました

名無し名無し 2015/07/19 09:00 よくもここまでくだらない文章かけるな。

名無し名無し 2015/07/19 09:00 よくもここまでくだらない文章かけるな。

名無し名無し 2015/07/19 09:00 よくもここまでくだらない文章かけるな。

てまりずしてまりずし 2015/07/24 22:49 具体的な理由も書かずに反論だけ記してる人達は論外。↑7の人とか。
自分が反論されないよう立ち回りつつ自分の意見が正しいかのように思わせるやり方はセコいとしか言いようがないし、ましてや本文をろくすっぽ読んでない可能性がある

クリリンの事クリリンの事 2015/07/28 10:12 オレはフリーザ編で終わり主義だけど、
どこで終わった方が良かったとか自分で線を引いちゃうと作品全体を楽しめなくなるし、
そもそも解釈、講義は作者側で行われ完結して作品として世に出たわけで、
読者が消化した解釈、講義なんてクソに等しいわけで、
だからこそ読者の対立は結局のところ、クソの擦り付け合いなわけで。

何がいいたいかっていうと、どんな人のどんな読み方でも読んだら感想は出るので、
うんうん、それもまた ドラゴンボールだね。
って懐深く思えてれば充分だね。

ああああああああ 2015/09/13 17:22 ドラゴンボールはそんなに深い話じゃないと思いますね。
私はフリーザ編が一番好きですがスーパーサイヤ人になったあとの活躍もみたかったし続けてくれて良かったと思います。ブウ編で終わりっていうのは単に鳥山氏がネタ的にも限界だっただけで深い意味はないかと思います。

ああああああああ 2015/09/13 17:22 ドラゴンボールはそんなに深い話じゃないと思いますね。
私はフリーザ編が一番好きですがスーパーサイヤ人になったあとの活躍もみたかったし続けてくれて良かったと思います。ブウ編で終わりっていうのは単に鳥山氏がネタ的にも限界だっただけで深い意味はないかと思います。

オデッセアの未来オデッセアの未来 2015/10/18 19:22 少年漫画の主人公の戦う理由のシビア化にハガレンを追加

 2015/10/19 17:44 ブウ編をリアルタイムで読んでいた人なら失笑ものですねこの記事

孫悟空大好き孫悟空大好き 2015/11/29 23:05 ピッコロさんが好きでした。でも一番好きなのは孫悟空です。
なぜか。その理由がようやくわかりました。ありがとうございます。
この考察大好きです。

孫悟空大好き孫悟空大好き 2015/11/29 23:05 ピッコロさんが好きでした。でも一番好きなのは孫悟空です。
なぜか。その理由がようやくわかりました。ありがとうございます。
この考察大好きです。

かたたたきかたたたき 2015/12/25 03:49 興味深く拝読させていただきました。
もともと娯楽作品として「ドラゴンボール」を楽しんでいた自分にとって、この考察はとても新鮮で刺激的でした。
鳥山先生にここまでのお考えがあってブウ編を描かれたのか、あでのいさんの深読みなのかは私には判断できませんが、「こういう角度から見ればブウ編も面白いよ」という提案と捉えるだけでも、この記事を読めた事で大好きな「ドラゴンボール」をさらに好きになれました。ありがとうございます。

あおぴーあおぴー 2016/01/15 22:38 記事はとても面白かったです。
私もドラゴンボールの中では魔人ブウ編が1番好きです。
(このブログ主さんほど深い理由はないのですが(⌒-⌒; ))
「フリーザ編で終わっとけば良かった」とか「フリーザ編以降は蛇足」とか言われるのは非常に悲しいです。
しかし、この記事で少しでもブウ編の意義について力説して頂き非常に嬉しかったです。
また、好きだったブウ編やドラゴンボールがもっと大好きになれました。とても深い記事をありがとうございます。

ともきゃっとともきゃっと 2016/01/21 00:53 今まで読んだドラゴンボールの考察モノで一番面白かったです。ここで書かれていることはまさにその通りだなーと思います。と同時にやはり「セル編とブウ編はつまらない」という思いもやはりあって。感情論として。
ただなんでつまらないと感じるのかの答えが、この記事に書かれていることと実はつながってるんだと思いました。
フリーザ編が終わり宇宙からの帰還を果たしたはずの地球が、ファンタジー要素満載のドラゴンボールの世界ではなくなってしまっていた、ということに尽きるのではないかと思います。記事の中では「ピーターパン」に例えられている部分に通じますが、遠い知らない風景での闘いを終えてようやく帰り着いた場所が、もう決してかつてのそれではなかった時の自分だけが取り残されてしまった孤絶感。これを読者はフリーザ編終了からセル編開始くらいの間にかなり痛烈に感じていたんだと思います。それが後の話の「コレじゃない感」につながっているのかなと。
私もそうですが、ジャンプなりアニメなりでリアルタイムで初期のドラゴンボールから見ていた世代というのは、思春期を経て大人へと至る過程のどこかで、そのフリーザ編を境にした世界の変容のタイミングを経験していて、無邪気で何のシガラミもなかった少年時代のあの頃と、フリーザ編以前の地球とを無意識に重ねているから、より強くそう感じるのかもしれません。

ちゃんはまちゃんはま 2016/02/19 19:04 漠然と、『セル編・ブウ編は“ドラゴンボール”と違うけど、“ドラゴンボール”だ。』と思っていましたがこの記事を読んですっきりしました。
多くのドラゴンボールファンに読んで欲しいですね。

Z戦死Z戦死 2016/02/25 10:27 >いっつも思うんだけど氏

>そういう世渡りや容赦ない残忍なところも含めての「大人」なんだよって話ならわかるんですが、
>一方で彼もまた自分は世界最強のチャンピオンなのだという立場にすがり「あれは夢、これは夢!」と逃避してた人でもあるんで
>ブウ編サタンについての巷の語りは、それはそれで美化されすぎじゃない?と感じるというか。

自分としてはチャンプの立場にすがり続けたいじましさは、決してサタンの大人らしさの減点材料ではないと思います。ただまあ仰りたい事は分かる。美化云々については時として自分も思うところです。巷の評者に勢い大人論を強調せずにおれない「最近やっと多少は大人の格好のついてきた元・大人になり切れない子供」の人達が多いんでしょ。そこはしゃあないんでは。

Z戦士Z戦士 2016/02/25 10:39 少し追記しておくと、大人というのはいざというときにケツを持てりゃいい思うんですよ。それ以外の部分でどんなにブレていようが愚かであろうがだらしなかろうが。で、行きがかり上でも何でもサタンはそれをちゃんとやってみせた。だから彼は、Z戦士達と比べて相対的に大人の役割を担えた人でしょうし、その一点でこのブログ主氏の論じるように本作全体の総括に関わる重要なエピソードを紡げたキャラなんだと思います。

Dr.RAVE@まなみんPDr.RAVE@まなみんP 2016/02/26 21:26 読んで感動しました!
いわゆる「リアル事情で」ちょうどブウ編あたりでチェックを辞めてしまった俺ですが、
ブウ編をしっかりチェックしとかないとな、って思いました。

後半の「正しさ」の考察と解説がすごくわかりやすくて興味深かったです。
悟空の決め台詞も強敵を前にしての「オラワクワクしてきたぞ!」でしたけど、
結局悟空は守るべきもののために負けられない厳しい戦いばかりしていたように思えます。
ワクワクという感情を満たしている余裕などなかったのではないでしょうか?いま振り返るとそう思います。

こういった悟空の原点を改めて理解すると、悟空の立ち位置は「ストリートファイター」シリーズのリュウと被るのかな、と思います。
でも悟空はストーリーが1本しかない漫画の主人公ゆえに立場を縛られてる気がしたのです。

ストリートファイターにはベガという最大の悪役(シリーズごとに別のボスもいるのですが、存在感は圧倒的なものがあると思います)がいるのですが、
リュウはストーリー上あまりベガに絡まないのです(このため海外展開に置いては主人公扱いされないことも多いです)。
ベガと対する役目は友の仇を討とうとするガイルや、父の意志を継ぎベガを逮捕しようと16歳でインターポールの捜査官に就任した春麗といったキャラが担当します。
実写映画になったときも最初の主人公がガイル、2作目が春麗でしたし。
リュウはむしろ「最強」を純粋に追い求め、自らの流派の「殺意の波動」という負の側面を持つ豪鬼とのライバル関係の方が重要になって来ています。
豪鬼は多くの作品に隠しボスとして登場しますが、彼自身は世界に関わる悪事や陰謀に関わっている様子はほとんどありません。

こんな感じでリュウは(主にベガから狙われるというきっかけで)ベガの悪事に憤り、戦うこともあるものの、ベガを裁くことについてはガイルや春麗などに任せ、
自らは同門のライバルのケンや先述の豪鬼との関係に集中出来ている気がします。
(元々格闘ゲームなので全体的にストーリー性が薄いこともあります)

で、ここで悟空に話が戻りますが、悟空は本来リュウみたいに自分の人生のために戦いたかったのではないかと思ってみたりしました。
しかし悟空にはガイルや春麗みたいに正義に対して責任を持つ同僚に恵まれず、
(仲間はいるのですが悟空と同じような格闘家タイプのキャラばかりで、社会責任というものを持つ「大人」はサタンの登場を待たなければなりませんでした)
ほぼ全部そういうものも一手に背負うことになってしまったのが彼の不幸ではないのかと思いました。

拙い考察と感想で申し訳ありませんが…そんなことを思ってみたので。

riotahriotah 2016/03/18 06:20 ブウ編はドラゴンボールという物語自体の救済だと思います。主人公はミスター・サタンです。

aa 2016/03/23 18:27 死ねよブログ主
ブウ右辺擁護とかしね糞は糞だ死ね信者

aa 2016/03/23 18:27 死ねよブログ主
ブウ右辺擁護とかしね糞は糞だ死ね信者

天さん天さん 2016/05/06 14:12 色んな要素がブウ編で清算されたからブウ編は必要
これいうやつちょいちょいコメントにもいるけど意味分からん
なんでセル編で終わってると投げっぱみたいな認識になるのか
仮にセル編で終わらせるならセル編内にその清算部分を入れるに決まってるだろ
セル編で終わるならまた展開変えて別の終わり方にするに決まってるのに
セル編で終了=現存する魔人ブウ編をまんまとっぱらって終了みたいな解釈してる馬鹿が多過ぎ
あ、ブログ主さんのことではないです

というか、フリーザ編→悟空、セル編→悟飯、フリーザ編→悟天(一人じゃ荷が重いのでトランクス)で綺麗に絞めれば良かったのに、長々と修行した悟飯、ゴテンクスが油断してあっさり吸収されるわ、舐めプした挙句、仲間全員やられてそれでも舐めプに走ってやられるわ、何をしたかったのかよくわからない
結局悟空が持っていくならもうちょい展開を端折れよとしか言えないわ
悟空が現世に戻って有限な時間で息子に修行つけて、ベジータがトランクスに良い父親としての顔を見せて、ここまでは良かったのに当の子供2人が舐めプで敗北とかむしろ死体蹴りだわ

サタンは本当に良かった、サタンがブウに見せた優しさのおかげで、嘘から真実のヒーローになったくだりはよかった

アンディアンディ 2016/05/16 08:38 凄いの一言
ただ漠然とブウ編が一番好きだったのが、これを読み更に深い物になりました

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