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銀河孤児亭

2017-08-22

MCエロ作品のストーリー性について徒然 −操心術3とJKハルのXPJbox氏の作品群を中心に

どうもお久しぶりですあでのいです。

ムーンライトノベルス(なろうの姉妹サイト。女性向け18禁)の「JKハルは異世界で娼婦になった」がちょっとここ数日話題になったじゃないですか。定期的にムーンライト漁る習慣のある私としては「あ〜アレね〜。面白かったわ〜。数ヶ月前に読んでたわ〜」みたいにミサワムーブしてたんですが、興味本位で作者様のツイッターアカウント覗いてみたらですよ、10代後半から20代前半にかなりお世話になったMCエロ小説家様だった訳じゃないですか。驚愕ですよ驚愕。



しかも「絶対同一人物だろこれ」と思ってたお三方がやっぱり同一人物だったという答え合わせまで付きで。なんだよその人生の伏線。もうちょい分かりやすく張っといてくれよ。

でまあ、書きかけてたエロゲの感想もあったので、ちょっとここらで氏のMC小説も絡めて、MCモノについていっちょ語っとこうかなと思った次第です。以下はタイトルに書いた作品群のネタバレが多分に含まれますので、嫌な方は回避お願いします。

JKハルでXPJbox氏に興味持ってこの記事開いた人は一気に記事後半まで読み飛ばしても良いと思うよ)



「MCもの」とは

まずMCとはエロ作品の1ジャンルのことであり、Mind Controlの略称だ。要は洗脳とか催眠とかその辺を主軸に置いたポルノ作品群のことを言う。MCの方法についてはかなりリアル寄りの催眠術から何でもありのチート能力まで作品によって多岐に渡るので、全部同じジャンルかと言うと難しい所あるのだが、「人の精神を操る」という点で基本的に共通してる。

当然作品の中には「都合の良いエロシチュのための装置」であるだけのMCも多いが、もう少し厳密(?)にMCファンの幅を狭くとると、「心が操られている状況」そのものに興奮するのがその道の性癖と言える。極論言えば性描写や裸体すら無くても催眠シーンだけで勃起できるのがMCファンだ。
なので、MCジャンルは心理描写を延々書ける小説という媒体形式とかなり親和性が高く、オタク向けエロジャンルの中でも特に小説が媒体として強いジャンルの1つだと思う。(エロ漫画の場合もかなりモノローグが多用される)

そのwebにおける総本山みたいなのがE=mC^2というサイトで(pixivとノクタに書き手読み手の相当数を持ってかれただろうに未だに毎月数作は更新があるのが凄い)、JKハルのXPJbox氏も10年ほど前からここに投稿しておられた。

E=mC^2 http://zaxon.80code.com/tmp/index.html

とりあえずここまでが前置き。こっからが本題。

ここ数年は私自身MCモノから離れてたのだが、操心術の一件(*)があってからこっち、昔の読み返したり最近の読んだりしていた。

*操心術の一件
10年以上前にプレイしたエロゲの続編をGWにプレイしたら最高の物語が待っていた件について - Togetterまとめ

MCというジャンルはこれでなかなか厄介な所があって、ある程度ストーリー性の深いものを描くとすると、どうしても必然「人にとって本当の心とは何ぞや」という話が混じってくるし「人の心を操れる者にとっての他者とは、人生とは何ぞや」という話も混じってくる。これはなかなか避けられない。
これは「そういう話になる」というよりか「そういう視点がどうしても混じる」という感じ。別に正面からテーマとして扱わなくても、ストーリーを進める上で「人の心とは」「心を操るという行為とは」という視点がどうしても求められてしまう。

作品によってはその所為でエロさが削がれる場合もあるし、逆にそれが1つの魅力として昇華されてる節もある。個人的にその1つの成功例として挙げておきたいのが件の操心術の3だ。


操心術3について

操心術3 [スタジオ邪恋][サークルひとり おくとぱす 金松由花] | DLsite Pro - 成人向け
http://www.dlsite.com/pro/work/=/product_id/VJ004471.html 

操心術3は男女のダブル主人公制をとっており、この2人がひょんな事から手に入れた万能洗脳能力を使って学園の支配者争いをするというのが作品の大まかな物語だ。この2人の主人公をプレイヤーは交互に操作し(まあ操作という程の自由度は無いが)、2人のどちらが勝つかの行く末を見ることになる。

この設定の時点で既に相当面白いんだけど、面白いのはこの2人の人間性の違いと、それに起因する最後の決着だ。
男主人公である所の霧生貴樹は割と典型的なエロゲーの「普通の男子高校生」といった趣で、自分のMC能力を欲望のために自由気ままに使用しウハウハでエロエロな学園生活を送るために使う。
一方で女主人公の剣崎沙織里は、アホエロ少年の貴樹と違い、優秀で用心深く狡猾な人間だ。彼女は表面上こそ社交的で明るいJKを演じているが、その実内心では他者のほとんどを見下している。彼女が唯一心を許すのは親友である立花伊吹という少女だけだ。
彼女はMC能力でエロエロした楽しい日常を送ろうとする貴樹とは異なり、他人を支配することそのものに魅入られる。他人の心を思うままに操り自身の奴隷とすることに強い快感と欲望を抱き、MC能力を使って学園の人間全てを、ひいては自身の住む街の全てをすら自分の支配下にしようと企てる。

そして沙織里のその目的は、学園内で自分以外に唯一MC能力を持つ貴樹を洗脳し奴隷とすることで一時的に成功する。ゲーム自体もそこで一旦はエンディングテロップが流れるのだが、面白いのはその後だ。

目的を達成し学園の支配者となった沙織里だが、その姿はちっとも楽しそうじゃない。戯れに恋人同士を引き裂いてみたり、逆に嫌い合ってる者同士をセックスさせて楽しんでいるが、刹那的享楽の後に彼女はまた満たされない感情に支配される。
彼女のたった一人の友人であった立花伊吹はとある理由で姿を消してしまっている。学園の支配者となった彼女はしかし、本質的にたった1人なのだ。彼女は他者の心を操り他者を支配すればするほど、その孤独を深めていく。欲望を満たすためのはずの行為が満たされない思いを余計に膨らませる。

その孤独と苛立ちが彼女視点で延々と描かれるのをプレイヤーは見せられる。その姿は、ゲーム前半で洗脳したヒロイン達と楽しくイチャエロして過ごす貴樹とはひどく対照的だ。
そして何より沙織里は、洗脳されて喜んで自分の奴隷になった貴樹に対してこそ最も強くイライラする。
「お前に勝って学園の支配に成功した私より、私に負けて惨めな奴隷をしてるお前の方がなんで幸せそうなんだ」と。
貴樹を能天気で従順な奴隷に仕立て上げたのは沙織里自身であるのに、だ。

沙織里の学園支配は、貴樹が洗脳前に仕掛けた罠の発動により貴樹側の逆転勝利で終わりを告げる。その逆転の最中の沙織里の描写が実に興味深い。

貴樹は沙織里に再洗脳を施し、自分が沙織里にそうされたように、自分に奉仕することに喜びを感じる都合の良い性奴隷へと心を操る。
このシーンでは沙織里の精神が歪められ、貴樹に自身の全てを捧げたいという欲望に支配されていく様がネットリと描かれるのだが、彼女の孤独と苛立ちを延々と見せられてきたプレイヤーには、それと同時に彼女はようやく不幸から解放されたのだと分かる。

もちろん貴樹自身はそんな沙織里の内面はちっとも知らない。2人の視点を行き来していたプレイヤーだけが唯一、敗北して貴樹の奴隷となることで沙織里が初めて幸福になれたことを知る。
優秀で狡猾で他者への支配欲を人一倍抱えていた沙織里が、その実他者から支配されることでしか幸福を得られない人間であり、あんまり深く考えずにバカやるアホエロ男子高校生の貴樹の方が幸せに支配者をやれる人間だった訳だ。

他人全てを内心で見下し、その心を思うままに支配して悦に浸っていた沙織里が、男にかしずく従順な性奴隷へと変えられる姿に、多くのプレイヤーはサディスティックな支配欲を満たされ、大いに性欲を刺激されたことだろう。
しかしそれと同時に、孤独を抱えて自分の支配圏の維持と拡大にイライラカリカリし続けた沙織里と、全ての重荷から解き放たれて一心にご主人様を愛する奴隷となった沙織里の姿とのギャップを見て、沙織里に対して不思議な羨望の念を抱いたプレイヤーも少なからずいたのではないだろうか。

このストーリーラインには確実に「他人の心を操るとは」「他人に心を操られる事とは」という視点そのものが1つのテーマとして昇華されている。その上でそのテーマ性の結実がそのまま抜けるエロにも直結してるのだからやっぱり操心術3は傑作なのである。

話は少し逸れるが、ここでちょっと先日の灰鉄蝸 @Kaigoat 氏のツイートを引用。



灰鉄蝸氏の想定とはズレるかも知れんが、ストーリー性の高いMCモノの中にはどこか「人間性の向こう側の純愛」みたいなものにリーチしてる作品が時折ある。操心術はまたちょっと違うのだが。

閑話休題

で、次に例として挙げたいのが、最初に宣言した通り「JKハルは異世界で娼婦になった」の作者であるXPJbox氏の作品群。


XPJbox氏の作品群について

折角なので最初に「JKハル」に絡めて話すと、私が読後にXPJbox氏がE=mC^2のnakami氏でありプッシーアイランド氏でありおちんちん大百科氏である事を知って真っ先に思い出したのは初期作の1つである「魔術師ダリと雌鶏たち」だ。

魔術師ダリと雌鶏たち
http://zaxon.80code.com/tmp/novels/dari.htm

魔術師ダリと雌鶏たち」はどんな女でも見るだけで発情し欲情して男を求めずにいられなくなる不思議な動画のお話だ。動画は人づてやネットを介して色んな人々の下へと拡散される。いろんな男がその動画を使って女を抱く。動画に洗脳された女達が男達に良いようにされる。
女達が男に狂うのは動画の中で出てくる「歌」のせいだ。物語終盤、歌の正体が、日本人の血に作用して子作りを促す、古来の祝詞であることが明かされる。そしてその動画が世間に広まったのは、動画を所有する義父により人生をメチャクチャにされた女の、世界に対する復讐であることも同時に書かれる。
以下は小説内からの抜粋。

1年後になるのか1ヶ月後になるのかは知らない。その頃には私はもうこの世にいないかもしれない。
しかし一度こういう形で流れてしまえば、いずれこの悪魔のビデオは日本中に広まっていくだろう。
そしてあちこちで事件を起こし、いろんな人間を巻き添えにして、この国はパニックになるのだろう。
想像するだけで笑えてくる。
男たちの醜い本性と汚い欲望がこの国を滅ぼすんだ。どんな偉そうにしてるやつだって、ダリの魔力に勝てるはずない。
義父はこれを「女を狂わせるビデオ」だと言った。でもそれは間違ってる。

女は欲情するだけだ。
狂うのは男のほうだよ。

(ここで私の脳内でJKハルの「脳みそがチンポになってるとしか思えない。チンポに夢中なのは、女じゃなくて男だと思うよ。」につながった訳です。はい)
(「JKハル」読んでここに繋げた人間、日本でほぼ自分だけなんじゃないか疑惑)

MCというジャンルはこれでなかなか厄介な所があって、ある程度ストーリー性の深いものを描くとすると、どうしても必然「人にとって本当の心とは何ぞや」という話が混じってくるし「人の心を操れる者にとっての他者とは、人生とは何ぞや」という話も混じってくる。これはなかなか避けられない。
と上でも述べたが、XPJbox氏の作品は特に後者に焦点が当てられてたものが比較的多い。
氏のMC小説は、コミカルな作風のものからシリアス寄りの作品まで色々あったが、その多くの作品において、主役(主人公や語り手という意味ではなく)を張っていたのは、操られるヒロイン達ではなくヒロイン達の心を操る男主人公の方だったと思う。

その証拠、という訳でも無いのだが、氏の小説のほとんどはMC能力を持った男性視点の一人称で描かれ、女性視点ベースの作品はもちろんのこと、作中で女性視点に切り替わることもあまり無い。氏の小説では操られる女性の精神より、操る側の男性の心の動きの方にこそ重点が置かれている。

そして、彼らのほとんどはどこか「心」が弱い。
「亜種王」のアシュオウは操られるままに自分に傅く精霊達の美しさに心を奪われるし、「不思議なカメラと悩めるぼくら」のコタロウはマキちゃん先生を奴隷に落とす代わりに教師としての悩みを解消してやることでアリバイを作る。
MC最新作(こちらはノクターン作品)の「人妻人形日記」では何度も何度も心の中で言い訳をし、自己嫌悪にまみれ、ギリギリの所で止まろうとしつつも、最終的には他人の人妻になった初恋の人を催眠術で自分の物にする。

亜種王 http://zaxon.80code.com/tmp/novels/ashuoh01.htm
(↑これ、個人的に「JKハル」でXPJbox氏の過去作に興味を持った人に一番読んでみて欲しいと思う作品)
不思議なカメラと悩めるぼくら http://zaxon.80code.com/tmp/novels/wondercamera01.htm
人妻人形日記 http://novel18.syosetu.com/n6437dz/

彼らは降って湧いたMC能力の前に、毅然と自分を持って他者を辱めるようなことを慎むような克己心は持たないし、逆に欲望の赴くままに女を犯す非道の陵辱者にもなりきれない。小市民的な心の弱さを常に抱えている。
皆みんな、MC能力でもって女性の心を弄んでいるようで、どこか常に「実際の所、本当の意味で能力に弄ばれてるのはどちらなのか?」という視点が孕まされている。
そしてXPJbox氏はそんな男達の心の弱さ、情けなさを断罪する形で描くのでなく、どこか優しく、愛おしく描く。

氏の作品には常に不思議な優しい視線がある。MC能力に、そして様々な欲望に振り回される愚かで情けなく心の弱い男達の姿を、時にコミカルに時に残酷に、不思議な優しさで描く。

そしてそれはここ数日で話題となった「JKハルは異世界で娼婦になる」についても同じ話だ。あの小説の主役はハル達ではない。性欲に振り回され愚かで情けない姿を晒す男達こそがあの小説の本当の主役なのだ。と個人的には思う(日和った)。

以下は私がまだXPJbox氏の正体(?)を知る前の2ツイートである。





TLには作者が普段はノクターン(男性向けエロ)作家であることに驚いている人も少なからずいたが、私は正直「女性に千葉をあんなに愛おしく描けるはずがない」と思ったので驚きは無かった。まあ実際の性別は本人に聞かない限り定かでないのだが。
(というかそれよりも、ここまで書いておいて氏のツイッターアカウントを見るまでnakami氏に思い至らなかった自分の不明に落ち込む)

話をMC作品の方に戻すが、氏の作品の中でも最も「人の心を操れる者にとっての他者とは、人生とは何ぞや」というテーマが直接的に表に出ているのが「霧と太陽のジュネス」だ。

霧と太陽のジュネス http://zaxon.80code.com/tmp/novels/junes01.htm

「霧と太陽のジュネス」は、生まれつき他人の心を自由に操れる能力を持った少年キリヤと、その能力が世界でただ1人通じない少年タイヨウの友情の物語だ。
キリヤとタイヨウはキリヤの能力によって酒池肉林の日々を楽しむが、どれだけの美女達、美少女達とセックスしても、2人にとっては互いこそが最も重要であり、タイヨウにとってはキリヤが、キリヤにとってはタイヨウだけが、この世で唯一取り替えの効かない存在なのだ。
この2人の過ごした青春と、その顛末とについては実作品を読んでもらいたいが、私は氏の作品の中でもこの作品が一番好きだ。
(連載時にBL脳フル回転で「良いじゃんかもうお前ら2人でイチャイチャしてろよー!キスしちゃえよー!」って思ってたのは内緒だ)


さて、これ以上はただの作品紹介の羅列になりかねないので、この辺りで筆を置く。
結局何が言いたかったんだという話ではあるが、あまりMCモノをストーリー面で語っている文章を見かけなかったので一度ちゃんと自分で書いておきたかった、というのが本文章の動機である。
そこに昨日の「JKハルの作者が実は10年来のファンのweb小説作家だった」事件とが重なって、GWから書きかけだった操心術の感想文をつなげて一本の記事にした、というのがことの顛末。
また加えて言うなら、「JKハル」を読んだ人たちを少しでもXPJbox氏の過去作に誘導したいという願望もあった。

とにもかくにもこの文章を読んでMCというジャンルに興味を持った人は、是非とも操心術シリーズとnakami氏らの小説とに触れてみることをお勧めする。ついでに(と言ってはなんだが)、「JKハル」を読んでXPJbox氏の過去作に興味を持った人にも。

という訳で、以上。久々のブログ更新がまさかのMC語りになるとは思ってもみなかったあでのいでした。
ここまで読んでくれた方々に感謝を。
(いやマジで書くにしてもTSより先にMCについてガッツリ書くことになるとは全く思っていませんでしたね。はい)