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凹レンズ(旧館) RSSフィード Twitter

December 09(Sun), 2012

ブログを引っ越しました

いつもブログを読んでいただいてありがとうございます。この度、ブログを引っ越しました。↓新ブログです。

凹レンズ ―まとまりのないブログ―

これまでとは形は違ってしまいますが、今後も更新を続けていきたいと思います。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

November 23(Fri), 2012

しあわせな結婚の1つの形

男女関係はいつの世の中でも難しいものです。それこそ、相手の心を一生つかんで思い通りに操る7つの方法・・・なんてあれば良いのかもしれませんが、そんあものは存在し得ないのです。

ただ、こういう関係の持ち方が自分の感覚にフィットするという形を考えていくことはできます。よい瞬間に出会ったり、よい関係を持つことができている人に出会ったり、知ることはできるのです。本エントリーでは、D・カーネギーの「人を動かす」の中で紹介されている話を引用します。


ディズレーリ夫婦のかたち(以下引用)

「わたしは一生のうちにばかなことも大いにやるかも知れないが、恋愛結婚だけはしないつもりだ」。

これは、ディズレーリのことばである。

彼は、それを実行した。35歳まで独身をつづけ、ある金持ちの未亡人に求婚した。十五も年上の婦人で、50年の歳月を経た頭髪には霜を置いていた。むろん、恋愛ではない。彼が金を目当てに求婚しているのだということを、彼女はよく知っていた。そこで彼女は、条件をひとつ持ち出した。彼の性格を知るために、一年間待ってくれというのだ。そして期限がくると、彼女は承知した。

いかにも散文的で、勘定高い話だが、その結果は非常な成功で、このふたりほど幸福な結婚生活を楽しんだ夫婦はめずらしい。

ディズレーリの選んだ金持ちの未亡人は、若くもなければ美人でもなく、また、頭がいいわけでもなかった。文学や歴史の知識もなく、吹き出したくなるようなまちがいを平気で口にした。たとえば、ギリシア時代とローマ時代とは、どちらが先だかわからない。服装や家具調度のこのみにも、まるでセンスがない。だが、結婚生活におけるもっとも重要なものを持っていた。――すなわち、男性操縦の術を心得ていたのだ。

彼女には、夫の知能に対抗するなどという考えは少しもなかった。才女たち相手の機知の応酬に疲れて帰ってきたディズレーリにとって、妻のとりとめもないおしゃべりは、このうえないなぐさめとなった。やさしい妻のおもいやりにつつまれた家庭は、彼にとって何ものにもかえがたい心の休息所だった。彼が人生の幸福を感じたのは、妻とともにすごしているときだった。彼女は彼のよき協力者であり、心の友であり、また助言者でもあった。その日の出来事を早く彼女に話したいばかりに、彼は、いつも会議が終わるとすぐ家に飛んで帰った。彼女は(これが重要なことだが)、夫の仕事に対して絶対の信頼を寄せていた。

彼女は30年間、ディズレーリのためのみに生きた。彼女の富も、彼のために費やすからこそ、値打ちがあると考えた。そのかわり、彼女はディズレーリにとって、かけがえのない女性となった。死後、ディズレーリは伯爵になった。だが、それ以前に、自分が平民だったころ、彼はヴィクトリア女王に妻を貴族の列に加えるように具申し、1868年に彼女は貴族の列に加えられた。

彼女が人前でどんなへまをしでかしても、彼は決して彼女を責めたり、とがめたりしなかった。もし、だれかが彼女をからかったりしようものなら、彼は、むきになって彼女をかばった。

(引用以上)


自分たちにできること

僕たちにできることは、これだけやっておけば大丈夫という恋愛の法則を見つけて、それだけを順守することではないし、必ずうまくいく相手を絶対失敗しないように選ぶこととも違う。一般的な答えよりも、ただ一人の伴侶のことを知っていくことのほうが関係を変える可能性があります。

ディズレーリ夫婦のように、もしかしたら出会いの形や、細かな条件は、すべてを決定する絶対的な物ではないのかもしれません。ベストな相手でなかったとしても、二人のよりベターな瞬間瞬間に出会うためにできることは必ずある。

目の前の人間の話を本当の意味でしっかりと聞くことができるか、率直に自分の気持ちを伝えることができるかという、当たり前の難しいことを何度も何度も積み重ねていくことなのでしょう。平穏な凪だけの海なんてありえない、何度も押し寄せてくる波に揺さぶられながら、それでも前進して、人生の中で出会うものを一緒に楽しんでいければ、きっと豊かな時間だと思うのです。


November 18(Sun), 2012

日本の行政・立法・司法機関とはてブまとめ

私は、日本人でありながら、行政機関やら立法機関のホームページへアクセスすることが少なかったです。ちょうどはてなのサービスを利用しているので、それぞれのブックマーク数と一緒に備忘録的に本エントリーでまとめておきます(2012/11/18時点)。


以下の2つのHPを参考にしました。

日本の国家機関 - Wikipedia

国の政策(政策情報ポータル) | 首相官邸ホームページ


行政機関

首相官邸HP(参考HP)の各府省へのリンクを参考にしました。


立法機関

ウィキペディアを参考にリンクをまとめたのですが、国立国会図書館が含まれているのはなぜ?


司法機関

地方・家庭・簡易裁判所は省略


その他


日本全図 1000ピース


まとめてみると、各機関のブックマーク数を比べられて興味深かったです。また、一回も訪れたことのないホームページがたくさんあって、少し考えさせられました。自分の国のことにもっと関心をもっていかないといけないですね。

November 09(Fri), 2012

生活を効率化する「断捨離」とはどういうものか

インターネット広告で、こんな写真をよく見かけませんか?

f:id:adgt:20121109001623j:image


これは、やましたひでこが考案した断捨離という新しい片づけ方法の紹介です。パッとみ、「怪しい」とか「何それ美味しいの?」というよく分からないものですが、今回のエントリーでまとめます。



端的に言ってしまえば、断捨離というのは「捨てること・手放すこと に焦点をあてた片付け法」です。言葉にすれば、シンプルですが実践すると生活へ大きく影響を与える方法です。


断捨離の理念

では、まず理念について説明します。

  断捨離は、部屋の整理整頓と共に生活に調和をもたらそうとする…生活術。…

  ヨガの「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」という考え方を応用して、人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え。単なる片づけとは一線を引くという。

=入ってくる要らない物を断つ

=家にずっとある要らない物を捨てる

=物への執着から離れる

断捨離 - Wikipedia

要は、まず1.余計な物を買ったり貰ったりしないようにする(断)、そして2.不必要なものを手放しながら自分の持ち物を厳選する(捨)。1.と2.を繰り返すことによって、3.物へ執着する気持ちを少なくする(離)ことを目指すという考え方です。

僕が最初に実践したときには、「不必要なものをバンバン捨ててく」くらいの理解で、服を古着屋に売ったり、使っていない家具や本、文具をリサイクルショップに売る、処分するなどしていました。


理念を実現するための、ポイント

そんでもって、理念だけではそれを実践することは難しいので、実際に行動するための基準や方法も考えられています。


片付けのプロセスの3分類と、順番

  「片づけ」「整理・整頓」「掃除(掃く・拭く・磨く)」の3つに分けています。そして、取り掛かるべきは、 嵎夘佞院廖必要なモノの絞込み作業。…行動としては、とにかく捨てること。

  繰り返し行っていくうち、ようやくモノが適量に。適量の度合いは生活スタイルや職業にもよるので、一概に表現するのは難しいのですが、要するに「自分でコントロールできる」量。そう自分が感じられる量です。存在するモノの在処をすべて把握でき、使いこなせるかどうか。ここではじめて家が「物置」から「住まい」と呼べるように。収納術にとりかかるのは、この段階からです。


選択基準の主語を「モノ」から「自分」にする

断捨離が実用的なのは、捨て方の基準が考えられているところです。その基準は、「そのモノが使えるか使えないか」から「自分がそれを今使うかどうか」に変えていくことを推奨しています。『「使用可能」ではなく「私が使う」か否か』という基準で、モノを捨てていきます。

  主役はモノではなく私。私が使うかどうか。「もったいない→取っておく」というのはモノが主役の発想。そして整理・収納術が「いかにモノを保管するか」に主眼を置いているところ、断捨離は常に代謝していくことが前提。…保存・分類のために仕切りのついた収納グッズを新たに買ったり、まして作ったりすることもありません。むしろ最初に収納用品を捨ててしまってもいいくらい、モノは減ります。

  ついつい「もったいない」、「まだ使える」と思って、服やモノを溜め込んじゃいますが、完全に使えないものって意外と少ないものです。

  今の自分にとって必要ないと認めて手放すこと…。いくら高価であっても、レアであっても、自分に必要かどうかのものさしで測れる人でありたいもの。そういう執着の外し方ができたことで、自信がもてます。

  確かに最初は、覚悟と勇気が必要。それでも手放すことができたら、引き換えに「なんとかなるさ」という明るい未来と展望が持てるように。断遮離では、モノを使った「覚悟と勇気と行動力のある楽天家」になるためのトレーニングとも言えますね。


断捨離の副産物

断捨離をやましたひでこは「片付け術」というより「生活術」として位置づけています。それは、なぜかというと断捨離を進めて行くことで「行動」や「生活習慣」を変えていくことができるからです。

エネルギーが節約できる

  ガラクタをひとまとめに表現すると「後ろめたさの集積」、あるいは「不安の集積」なんですね。断遮離では、常に時間軸は「今」とお伝えしていますが、後ろめたさや不安は、過去や未来に軸がずれた状態とも言えます。…「使わなきゃ、使わなきゃ・・・」と思いつつもそれが実行できないまま時が過ぎる。

  今度は「ダメだな、ダメだな・・・」と自分を責めだす状態。でもまた「いつか使うかもしれない…」と言い訳のようにそのまま放置。これにすごいエネルギーを使う。なぜなら自分で自分を責めて、言い訳をして、の繰り返しですから。

この部分は非常におもしろかったです。僕らは良く「考えたくないとき」「ちょっと置いといてゆっくりしたいとき」に見ないフリをしますが、見ないフリをすることで問題が悶々と残っていって思い悩んでしまったり、逆に疲労してしまうということはあるんでしょうね。だって、モノがあることくらいは自分では分かっているんだし。物を捨てることで、開放された気持ちになるというのもおもしろい体験です。


モノを選ぶ力が磨かれる

  断遮離の副産物はいろいろありますが「選ぶ力」が磨かれるというのもその1つ。断遮離とは、選び抜いて選び抜いて選び抜いて…決断、の連続。…選ぶ力をトレーニングすることで、生活や仕事などあらゆる局面で「自分が何がしたいのか」という主体性を強化することにもなりますね。

自分の価値観を知ること

  モノに向かい合うことは、自分に向かい合うこと。ココロが行動を変えるのではなく、行動がココロに変化をもたらす。行動すればココロがついてくる。いわば断捨離は「動禅」。

このポイントが断捨離が広まり、多くの人に効果を実践させたポイントだと思います。物を捨てると、自分の生活が変化する。こういう風に自分のとったアクションと、その結果がとてもわかりやすいのです。成果が目に見えて自覚される。やましたひでこが片付けに目をつけたというところが、ラッキーだと思うんですよね(その効果が大きいところが、彼女をなんか変な教祖的な所まで、のし上げてると思うんですが)。

断捨離で(手放すことを中心に)片づけをしていると、だんだん自分の価値観が「わかってくる」。価値観を新たに構築したり、すごいハッピーに変わるわけじゃないです。「あー、俺こういうのが好きだったんだな」とか「こういうものは大切にしていきたい」ってコトに、どちらかというと後から気づく感じです。埋もれて分からなくなっていた自分の好みや考え方と、再会する感じです。

日常生活では、決断を回避することを自分もついついよくやってしまっています。「ま、いいじゃん」が口癖になって。断捨離は、そんな風に避けてしまいがちな決断を繰り返しする良い機会になる、リスクを負って物事を決めるということの練習になるのです。当然、迷ったり不快な気持ちになることもありますが、そういう不快感を進んで受け入れていくことが、自分というものをはっきりさせてくれるモノだとわかりました。


個人的に役立った考え方。

僕が断捨離をやっていくなかで、とても役立ったのは以下のような考え方です。

  あれば便利だし使うけれど、無ければ無いで困らない。それは自分にとって本当に必要なものとは言えません。…

  断遮離は基本的に“その都度主義”。必要になった時に用意すればいいんです。存在を忘れていた品はもちろん、漫然と残してあるだけのモノもいまのあなたにとっては不用品…

  便利だからと、他で代用できるモノをむやみに買わない。「出番も少なく、無くてもすむアイデアグッズは買わない。

見てわかる、「断捨離」 (マガジンハウスムック)

けっこう便利な文具とか、かゆいところに手が届くようなアプリを買いあさっていたんですよね。なんか、それを持っていないと自分が損しちゃったような気になってしまって。けれど、無いなら無いでその時に考えりゃいいや、ちょっとくらいメンドーでも他のものを使えばいいや、むしろ良く使うものを厳選して良いものを買おう、という転換は自分にとって大きかったですし、お財布にもやさしかったです。


バランスとまとめ

最後に僕の断捨離への取り組みは、あくまで「片づけ術」として考えています。そこでの行動変化や価値観の変化は、副産物であったり自分の行動のおかげという部分もありますし、全てを「断捨離さまさま」と考えたくはない気持ちがあります。

(これは彼女をとりまく人間にも大きな責任があると思うのですが)やましたひでこ氏の祀り上げられ方はハンパじゃないです。着想がヨガなのでしょうがないのですが、彼女のスピリチュアル的な主張や、「無意識がかわる」「気の流れ」などには賛同する気にはなりませんし、読んでいませんが最近は「うつ」なんかにも言及しだしてて、正直「そこは精神医学にまかせましょうよ」って思います。ある程度ドライに、「断捨離を盲信」するんじゃなくて、それこそ「僕が」断捨離を使うって形で実践しています。かなりオドロキのある片付け術なので、興味のある方はぜひ試してみてください。


October 20(Sat), 2012

人の感情を動かす方法

D・カーネギーの「人を動かす」。言わずと知れた名著です。本エントリーでは、この「人を動かす」をまとめるとともに、感情へ訴えかける方法について考えます。


人を動かす 新装版


まず、この本には、ひとつの根底に流れる思想があります。それは、人間の非論理性です。

およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動するということをよく心得ておかねばならない。


カーネギーの人間観

「人を動かす」は、"How to Win Friends and Influence People"の訳であって、内容も非常に暖かくポジティブな示唆に富んでいますが、その根底には人間の論理性に対する深い絶望があります。それは、自身をふり返っても耳が痛い話で、論理的な人物の皮をかぶっていても結局は自己保身にやっきになっている小さな人間であることを思い知らされます。

わたしは、残念ながら40歳近くになってやっと、人間はたとえ自分がどんなにまちがっていても決して自分が悪いとは思いたがらないものだということが、わかりかけてきた。

他人のあら探しは、なんの役にも立たない。相手は、すぐさま防衛体制をしいて、なんとか自分を正当化しようとするだろう。それに、自尊心を傷つけられた相手は、結局、反抗心をおこすことになり、誠に危険である。

犯罪者は、たいてい、自分の悪事にもっともらしい理屈をつけて正当化し、刑務所に入れられているのは不当だと思い込んでいるものなのである。極悪人たちでさえも、自分が正しいと思い込んでいるとすれば、彼らほどの悪人でない一般の人間は自分のことを、いったいどう思っているのだろうか。

このあたりは、まず最初の章のタイトルが「盗人にも五分の理を認める」であることからも、どれだけ痛切に考えているかが伺えます。

最初に頭をもたげる自己防衛本能に押し流されてはならない――不快な状況に直面したとき、まずあらわれてくるのは、自分の立場を守ろうとする本能だ。気をつけねばならない。冷静にかまえ、最初の反応を警戒する必要がある。あなたの最悪の人柄が突出し、最善の人柄がかくれてしまうかも知れないのだ。…さからったり、自己弁護したり、論争したりすれば、相手との障壁は高まるばかりだ。

そもそも、相手のまちがいを、なんのために指摘するのだ――相手の同意を得るために?とんでもない!相手は、自分の知能、判断、誇り、自尊心に平手打ちをくらわされているのだ。当然、打ち返してくる。考えを変えようなどと思うわけがない。どれだけプラトンカントの論理を問いて聞かせても相手の意見は変わらない――傷つけられたのは、論理ではなく、感情なのだから。

このあたりは、ネットのコメントや中傷、ブコメでもたくさん見かけますね。ネガコメで相手の考えを改めさせようとする人、「そんなことも知らないのか」と知識をひけらかす人、彼らは博識かもしれないけれど、人間の非論理性についての理解は薄いと言わざるを得ない。(というか、ツイッターやらネットで他人の意見を変えることができると信じているピュアさが素晴らしいとは思うのですが。ピース。)


自己の重要性を満たす〜承認欲求

カーネギーの人を動かす方法は、「人間の承認欲求を満たしてやること」に他ならない。

  ウィリアム・ジェームズは、「人間の持つ性情のうちでもっとも強いのものは、他人に認められることを渇望する気持ちである」という。ここで、ジェームズが、希望とか要望とか待望とかいう、なまぬるいことばを使わず、あえて「渇望する」といっていることに注意されたい。

  これこそ人間の心をたえずゆさぶっている焼け付くような渇きである。他人のこのような心の渇きを正しく満たしてやれる人はきわめてまれだが、それができる人にしてはじめて他人の心を自己の手中におさめることができるのである。葬儀屋といえども、そういう人が死ねば心から悲しむだろう。

  このやっかいな男は、過酷搾取から公民権を防衛する意思をもって辞任したに違いない。だが本当は、自己の重要感を欲していたのである。自己の重要感を得るために、彼は、苦情を申し立てた。局員によって重要感が満たされると、彼の妄想がつくりあげた不平は、たちまちにして消えうせたのである。

自分の気持ちを満たしたいと思って“一見理論的な”攻撃をする人は、気持ちがおさまれば攻撃を止める。気持ちを抑える前に、自己防衛に拍車がかかってしまうと、意見を変えられなくなってしまうという気持ちの動きを非常に良く捉えています。

  われわれは、あまりたいした抵抗を感じないで自分の考え方を変える場合がよくある。ところが、人から誤りを指摘されると、腹を立てて、意地をはる。われわれは実にいい加減な動機から、いろいろな信念を持つようになる。だが、その信念をだれかが変えさせようとすると、われわれは、がむしゃらに反対する。この場合、われわれが重視しているのは、明らかに、信念そのものではなく、危機に瀕した自尊心なのである…。

  この監査官は、人間のもっとも普遍的な弱点をさらけ出してみせたのである。彼は重要感を欲したのだ。…権威をふりまわすことによって重要感を得ていた。ところが、自分の重要性が認められて議論が終り、自我の拡大がおこなわれると、たちまちにして彼は、思いやりのある親切な人間に変わったのだ。


人を動かす方法

本書の素晴らしい点は、具体的な対応例がいくつも載っていることです。その中でも、使えそうなものをいくつか紹介します。

口論や悪感情を消滅させ、相手に善意を持たせて、あなたのいうことを、おとなしく聞かせる魔法の文句を披露しよう――

「あなたがそう思うのは、もっともです。もしわたしがあなただったら、やはり、そう思うでしょう」。こういって話をはじめるのだ。

どんな意地悪な人間でも、こういうふうに答えられると、おとなしくなるものだ。

あの通知をいただいたときには、ちょっと驚きました。しかし、あなたを責めるつもりはありません。わたしも、あなたの立場にいたら、たぶんあれと同じ手紙を書いたことでしょう。ホテルの支配人としては、できるかぎり収益を上げるのがつとめです。それができないような支配人なら当然クビでしょう。


失敗をした時には、その人の心をつかむチャンスでもある。

「これはいけないよ。しかし、まあ、わたしが今までにやった失敗に比べると、これくらいは物の数ではないさ。はじめはまちがうのがあたりまえだよ。経験を積んではじめて間違いもなくなるのだ。…どうだろう――こんな風にしてみては・・・」

飛行機の整備ミスを犯した整備士にパイロットがかけた言葉として、

君は、二度とこんなことをくりかえさない。わたしは確信している。確信している証拠に、明日、わたしのF-51の整備を君にたのもう。

こんなことを言われたら、燃えないわけにはいかないですね。相手の立場に立つ、笑顔で接する、褒めるなど、一般的に推奨される方法がくり返し強調されます。

人を非難するかわりに、相手を理解するように勤めようではないか。どういうわけで、相手がそんなことをしでかすに至ったか、よく考えてみようではないか。そのほうがよほど得策でもあり、また、おもしろくもある。


それでも、最近のビジネス書と、ちょっと違う所が「うわべの賞賛」や「お世辞」を明確に否定しているところです。

心にもない笑顔――そんなものには、だれもだまされない。そんな機械的なものには、むしろ腹が立つ。わたしは真の微笑について語っているのである。心あたたまる微笑、心のそこから出てくる笑顔、千金の値のある笑顔について語っているのだ。

お世辞と感嘆のことばとは、どうちがうか?後者は真実であり、前者は真実ではない。

お世辞の定義を「相手の自己評価にぴったり合うことを言ってやること」としており、他人の真価を認めようと努めることが重要だと主張します。もう少し具体的に考えると、「あいても自分自身ですら気付いていない、優れている才能」を見つけて伝えられれば、効果は抜群です。


話も、ただ聞けば良いという訳ではないです。

聞くことだけは、たしかに一心になって聞いた。心からおもしろいと思って聞いていた。それが、相手にわかったのだ。したがって、相手はうれしくなったのである。こういう聞き方は、わたしたちがだれにでも与えることのできる最高の賛辞なのである。

ひとつ、この男がわたしに好意を持つようにやってみよう。そのためには、私のことではなく、彼のことで、何かやさしいことをいわねばならない。彼についてわたしがほんとうに感心できるものは、いったい、何だろう?


カーネギーの方法をまとめて、他人の感情を動かすためには、まず自分の感情から逃げずに、飼いならし、本当に相手を変えられることばを発することが必要なのだと感じました。それは、自分の自尊心を一度危険にさらして、不快な思いをしつつ、それを飲み下したあとで、相手をみつめる、自分の感情に操られないというプロセスが必要なのだと思います。

自分の仕事を成し得るために、積極的・自発的に人を巻き込んでいけるか?部下に「仕事に熱がこもる」モチベーションをどうやって与えるか?自分も他者も全力で頑張るために、自分がどう変われるか、という点で、非常に示唆の多い一冊でした。

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