Hatena::ブログ(Diary)

凹レンズ(旧館) RSSフィード Twitter

March 14(Sun), 2010

明石家さんまと伊集院光、それぞれが見つけた魔法のカギ

明石家さんまは「楽しいということ」について、伊集院光は「リアリティと分かりやすさの共存」について、非常に興味深い発想の転換を経験しています。タイプは若干異なるのですが、そのパラダイムの転換が非常に力強く、心を打たれる部分があったので紹介します。


明石家さんまの「楽しさ」のカギ

これは、「ほぼ日刊イトイ新聞」睡眠論で連載されていた糸井重里と明石家さんまの対談です。もはや、ページは消滅しています。ただし、魚拓は読むことができます。

第17回 師匠 

http://s04.megalodon.jp/2008-0214-2253-32/www.1101.com/suimin/samma/2008-02-12.html

さんま  昔ね、うちの師匠(笑福亭松之助)から言われて、これは助かったなということがありまして。我々の弟子稼業というのは、掃除をさせられるじゃないですか。で、掃除をしていると師匠が、「それ、楽しいか」って言うんです。「いいえ」って答えると「そやろ」って。「そういうのが楽しいわけがない」と、おっしゃるんですね。

糸井  うん、うん。

さんま  そのときに、師匠に、「掃除はどうしたら楽しいか考えろ」って言われたんですけど、そこでしたねぇ。あの、掃除なんて、楽しくなるわけがないんですよ。ところが、「楽しくなることを考えてることは楽しい」。っていうところにね、18歳のときに気づかせていただいたのが非常に助かりましたね。(中略)ふつうの人は、「掃除は楽しくない」というところでやめてしまう人が多いんじゃないかと思うんですけど、楽しくないものをどうすれば楽しいか、ということを考えていくと楽しいんです。

糸井  それを考えてるときは、もう、楽しいんですよね。(中略)それは、ハズレくじを引くどころか、ハズレくじを引いて、それをどう笑うかを考えてるわけですよね。

さんま  そうそうそう。そこにたどり着くことが、さっきの夢と現実の話じゃないけど、「入れ換える」ことなんですよ。


TVで見る明石家さんまとは、全く異なる印象でした。ここまで深く物事を考えているのかという驚きを感じました。



伊集院の「リアリティと分かりやすさ」のカギ

これは、伊集院光がポッドキャストでの放送の中でエロカセットについて語っているのもです。

http://www.tbs.co.jp/radio/format/ijuin.html (2007年5月22日)

まず、エロカセットには二つの種類があることが説明されます。1つはラジオドラマ形式(明らかに台本を誰かが書いてそれに向けて演じてるモノ)、もう1つは盗聴形式(Hの音を録音し、盗聴のように見せかけたもの)である。さらに、2つの中間の盗聴という設定ではあるけど実は台本があるモノが亜種としてあります。

 おれが中学校のときに好きだったエロカセットってのは、盗聴物とされてて、アヘ声の手前にすごく不愉快なギシギシと金属と金属がこすれあう音が入ってる。それは、どうやら安物の金属製のパイプがきしんでる音なわけ。ベッドの下にカセットテープがある。その感じがすごくリアルなわけ。(中略)

 やらせ盗聴テープは、盗聴って言ってるにもかかわらず、手練の者が台本かいてるらしくて、「ピンクのフリルのついてるパンティーが綺麗ですね奥さん」って。説明してんじゃんお前っ、かなり情景描写してるじゃんお前って。最初はそれが嬉しいんだけど。やっぱり本物っぽいってのが、中1くらいのおれには凄いわけ。

 要は本物のテープは、僕みたいな大好きな人は聴けるけど、実際には軋むベッドの音なんかがして音のクオリティはすごく低くなるわけじゃないですか。サービス悪くなるっていうか、聞き所が少なくなるわけです。それがドキュメンタリならドキュメンタリなほど、聞きにくくなるわけです。逆に情景描写をすればするほど、ウソが多くなって冷めるわけです。

伊集院は、彼のラジオの師匠スジの人から聞かせてもらったSMテープの話を始めます。

 おれの中では、なるほどこれがラジオの秘伝だって分かったのは、そのカセットは、SM嬢のエロカセットでエロくないの。恐くて。おれ痛いの嫌だから。(中略)まず、そのエロカセットの中身は、女王様がいて、「白豚白豚」って呼ばれている白豚さんがいらっしゃるわけです。(中略)

 そのテープはね、本当の過激なSMプレイを取ってるんだけどね。「白豚、マイクに向かってあなたが今どういう風にされているかキチンと説明しなさい」って始まるわけ。

 で、その白豚が、(中略) 「えぇぇ、いま、僕は、ち○ち○を女王様の下さった・・・あのチクチクの・・・チクチクのあれで・・・うあああぁあぁあぁあぁ」 「チクチクのあれじゃ分からないでしょうッ!!!」 「・・・えぇ・・・ヘアブラシの・・・あの、ブラシの部分の・・・うああぁぁぁ!!!」 「ちゃんと言わないとテープを買ってくださったお客さんに分からないでしょうッ!!!白豚ッ!!!」 「それ(ヘアブラシのブラシ部分)が全部針になってるもので・・・オチ○・・・チ○を・・・・・・叩かれていますっ!!!」 って言うの。

 要は実況することも含めてプレイの一部になってるから、ウソじゃないの。おれはそれが凄いと思ったの。最初すごく恐いんだけど、絵は浮かぶし。冷静に言うわけにはいかないんだけど、女王様に冷静に言えって絶対的に命令されて、それが上手くいえないことが、逆に今物凄いことをされているリアリティにつながるっていう。(中略)

 ラジオってさ、そういうところあってさ。ラジオでおれが凄い企画をやらされているときに、TVなら勝手に周りで映してもらえばいいけど、ラジオはおれが実況しなきゃダメなの。物凄い酷い目にあってるにもかかわらず、実況しなきゃ伝わらないじゃない。そうすると、そこに「実況をそこでしなければならない」っていう最初のルールを課しておけば、その実況をさせられていることも含めて企画のルールだし、その実況が中々上手くいかないこともリアリティだし。みたいな絶妙なところにそのエロテープはあるのよ。

これは、ポッドキャスティングでぜひとも聞いてもらいたいです。正に伊集院光の秘蔵の話です。


二人の見つけたカギ

明石家さんまと伊集院光、2人の上記の発想の転換は、全く同一のモノではないです。しかし、大きな類似点が存在しています。彼等の発見は、まるで錬金術や魔法のようです。それは、プロセスそのものを、ゴールへと正に「錬成」するのです。

本来、プロセス(過程)は、ゴール(結果)を達成するために存在しています。上記の場合は、「楽しいこと」「リアリティがあること」というゴールがあします。しかし、そのゴールをいつも達成することは困難であったり(掃除をしなくてはいけない場面)、一見共存し得ないようなプロセス(伝える必要性)が存在することがしばしばあります。しかし、そのような場面、競合するプロセスが存在していている場面でもゴールを達成することは可能なのです。

かれらの発見というのは、一見同時には存在し得ないゴールとプロセスの関係性そのものを大きくシフトさせることなのです。つまり、あるプロセスを辿っていくとあるゴールにたどり着くという一方向の関係性ではなくて、“プロセスを辿っている行為そのものをゴールにしてしまった”のです。

もしプロセスそのものが、ゴールとして成立するのであれば、ネタを練って練って結果としてオモシロイ作品を作るという方法以外で笑いを提供できるのです。トークの中、そのプロセスの中で、彼らは常にエンターテイメントを提供できるのです。そこまできてしまうと、ここで大事になるのは、何をするか(What)、どうなすか(How)ではなくなってくるのです。では何が大切になってくるのでしょうか?それは、「ライブである(be)」ということです。常に、ゴールを提供できるなら、第一線にいること、ナマモノを扱い続ける、それが人よりも抜きん出た物を提供することになるのです。

この2人の偉大な芸人さんが、TV、ラジオで第一線に立ち続けているコトが腑に落ちたような気がします。




関連エントリー