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March 31(Thu), 2011

伊集院光の「自分のことばでしゃべる」ということ

「自分のことばでしゃべる」


誰でも出来そうですが意外と難しいことです。私も、ついついどこかで聞いたような借り物の言葉を使ってしまいます。何を恐れているんでしょう?何故自分のことばで喋れないんでしょう?今日は、伊集院光のラジオトークを引用しながらそのことについて考えてみようと思います。


深夜の馬鹿力 ポッドキャスト2011年3月21日

地震に際して全国に配信される回の伊集院光のオープニングトークを引用します。

  この番組は、基本的にはくだらないことで今日はいこうと思ってる。だから、ちょっと今、くだらないことは欲してません、くだらないことは受け止められる状況じゃありませんって人は、いつもの自虐的なギャグとかじゃなくて、NHKラジオ深夜便を聞いてほしい。ほんとに同業者が言うのもなんだけど、(ラジオ深夜便は)とても穏やかに、ある意味有意義で、すごくモラルのある放送をやっているから。それが今の自分に合うって人は、そっちを聞いてもらったり、僕の放送を聞いてもらわなくてもいいし。当然、お前に言われなくても聞かねえよっていう話なんだけど。

  基本その、くだらないことを今聞きたいんですっていう人がいてくれたらと思ってやってる。ずっと、大きな地震がおきてから、みんな「少しでも被害にあわれた方に笑顔がもどるなら」とか「喜ぶなら」みたいなことを、お笑いでも歌い手の人でも言うけど。俺はちょっと、もうちょっと違ってて。そう信じてないとおれやってらんないんだよねってトコにあるんだよね。

  少しでも喋らせてもらえませんか。今喋っていいかどうかは、逆に言うと、ソッチが必要としてくれるかどうかの問題だと思うんだよね。結局、似たようなことを理屈こねて思ってるのかもしれないけど、笑いを与えるなんて思ってない。そういうことじゃない。

  喋らせてほしい。くだらないことを言わせてほしい。で、その俺のこの くだらないことを必要だって思ってくれてる人がいると信じないと、その無力感でどうしょうもなくなっちゃう。とりあえず、くだらないことをいうラジオです。この くだらないことが聞いてられないよってなっちゃう人は、申し訳ないけどもチャンネルを変えてください。

  変えてくださったとある程度信じたところで、どのくらいくだらないかって言うと、金玉デコって内ももチクチクぐらいのトーンです。

JUNK伊集院光深夜の馬鹿力|TBSラジオAM954+FM90.5?聞けば、見えてくる?


いま、被災地のことを「自分が同じ状況に立たされたら」と想像しただけで、本当に大変だと思います。けれども、どこのメディアでどんな番組でも、紋切り口調で「ココロヨリ オ悔ヤミ申シアゲマス」ということが本当に意味があるのでしょうか?

批判を回避するというだけの目的であれば意味はあるのでしょう。けれども、本当の意味で被災地の方々に「ココロヨリ」何かを伝えたいのであるのならば、それは違うだろうと思います。また、被災者の方に何が伝わっているのでしょうか?

このポッドキャストは、まさに伊集院光の「自分のことば」です。一般的なスタンスとは若干違いますし、小さな部分に注目すれば激しい批判にさらされてもおかしくない内容だと思います。けれども、私には他の多くの「オ悔ヤミ申シアゲマス」ということばより、ずっと響いてくるものがあります。


伊集院の「覚悟」と「手に入れたいモノ」

自分のことばで語ることにはリスクがあります。自分のことばで喋ることは、結果として一般的・通例的なモノからは、外れることを意味します。そういった一般のレールから外れた物事というものは、誰かから良く思われなかったり、傷つけてしまう可能性をはらんでいるのです。

おそらく伊集院は、常識的な範囲から批判されること、他人から攻撃される覚悟をしています。覚悟をするということは、「気にならない」とか「傷つかない」ということではありません。どんな心持ちであったとしても、痛みは感じるし、苦しむんです。覚悟とは、苦しむこと傷つくことすらを受け入れて行動することなのです。それらを、自分の歩みの中に取り込むことです。


なぜ、そんなことをするのでしょう?


それは、恐らく「偽善的なこと」を言わない、「聞こえが良いだけのこと」を言わないということの方が彼にとっては、攻撃や痛みよりも重要なのです。いつだったか、彼は「俺はダメな人間のためにラジオをやっている」と語っていました。どうしょうも無いような、惨めさや悶えるような気分、被害妄想や他人には理解されない理屈、煩悩、人間らしさ、そういったものを媒体としてごくごく小さなギリギリのラインでラジオというツールを使って彼は他者と繋がっているのだと思います。痛みを感じても、手に入れないといけないモノがあるのです。

自分のことばで喋るということは、「肉を切らせて骨を断つことなのです」。痛みを受け入れる覚悟と、痛みを感じても尚、手にしたいもの(伝えたいと思う想い、感覚、感情)を心にもつこと。それが、自分の口から発せられる言葉を自由にして、本当に自分が表したいことを人に表現するチャンスを与えてくれるのです。


のはなしのはなしにのはなしさん


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追記2011.4.8 深夜の馬鹿力、その日のエンディング

これは彼の声で聞いてください

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