Hatena::ブログ(Diary)

凹レンズ(旧館) RSSフィード Twitter

December 18(Sun), 2011

ヤマアラシを抱きしめる準備はできたか?

一昔前にはやった言葉にヤマアラシのジレンマってものがあった

『ヤマアラシのジレンマ』とは「自己の自立」と「相手との一体感」という2つの欲求によるジレンマ。寒空にいる2匹のヤマアラシがお互いに身を寄せ合って暖め合いたいが、針が刺さるので近づけないという、ドイツ哲学者ショーペンハウアーの寓話による。

ヤマアラシ - Wikipedia

要は、「寂しいから近づきたい、けど、相手を傷つけてしまうし自分も傷ついてしまう、だから近づけない」という理屈。エヴァンゲリヲンの中でも、登場していた。当時、思春期から青年期くらいの自分にとってはすごく都合のいい言葉だった。努力してもどうしようもない部分が人間関係にはあって、自分は努力しているんだけど、どうにもならないんだって。


f:id:adgt:20111218221518j:image



血を流しながら抱擁を

確かにこの言葉は、ある意味で人間関係をうまくあらわしている。人類皆兄弟、だれでも分かり合える、なんてことは、20世紀には誰もが幻想でしかないと気付いてしまった。どんなに知っていっても相手を完全に理解できないし、傷つけあうことは変わりない。お互い適切な距離をとって、曖昧さを受け入れながら生きよう・・・とね、したり顔で考えていたわけです。僕は。


でもね。ちょっと考え方は変わってきました。それは、30代がソロソロせまったきた自分と、出会って関わってくれた人たちによるところが大きい。今になって僕が「もう一度、会いたい」と思う人は、僕の中に様々な傷を残していっている。痕が残っていたり、未だに消化できていないものもある。恨みや憎さで気持ちが一杯になったこと。会わなければならない、というだけで動悸がして、手に汗をかき、部屋の中を歩き回った経験のある人もいる。


結局「いいひとですね」は、「どうでもいいひとですね」となってしまうことが多い。人付き合いも恋愛とそれほど変わらない。


「出来ていないこと」の大半は「やっていないこと」であるし、眺めているのをやめて手を触れただけで世界は変化する可能性を秘めているということがやっとこさ分かってきた。


相手がヤマアラシだからなんだっていうんだ?別に羊やハムスターじゃなくたっていい。そこにいるのがトゲを持つヤマアラシだって知りながらでも、抱きしめることはできる。腕にトゲが刺さって皮膚が破れて、鋭い痛みと共に血が流れ出しても、同時に相手を友達と呼ぶことは出来る。痛みを感じた先に見えるモノは確かにある。人が変わる瞬間に立ち会えたときには、本当に心が揺さぶられる。


特別にベタベタすることや、見境なしにケンカをすることじゃない。きちんと向き合うこと、がっぷり四つに組むということは、やらずに想像するよりもずっとたくさんの予想外のものを含んでいる。


刺さってる棘なんて屁とも思わず、目の前のあなたと一緒に居れる時間をめいっぱい味わってやる。特別じゃなくてとても特別な時間を、今ここで手に入れたいんだ。


関連エントリー

手を触れただけで世界は変わる - 凹レンズ(旧館)