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凹レンズ(旧館) RSSフィード Twitter

March 18(Sun), 2012

「喪失」とあたりまえに暮らすために

久しぶりに平日休みをとって。ゆっくりと歩きながら駅へ向かう。iPodから流れる音楽を聞きながらとても気分が良い。少し暖かくなった陽気と柔らかな風。とても完成された時間のように感じる。

・・・昔だったら、そんなフィットした感覚を一度味わうと、それをいつの間にか「絶対にしないといけない」こととして、ルールを上書きしていっていた。知らず知らずのうちに良い気分でいるための掟を増殖させている自分がいた。


今はもう少し緩やかに自分の気分と付き合えるようになった気がする。これから同じように休日外出するときに晴れた天気やiPodは必須じゃない。あたりまえなんだけど。


前はずっと良い気分でいなくちゃいけないように思ってたところがあったんだろう。「焦って良い気分になる」ということは、それ事態が矛盾を孕んでいて、それはどちらかと言えば嫌な気分になることを恐れて、必死に逃げていることと何も変わらないのかもしれない。「もーしょうがねえな」と不安や恐れを受け止めた方が、楽ではないけど気持ちに余裕が持てる。


D

飛び出せジョニー 気にしないで

身ぐるみ全部はがされちゃいな

優しさも 甘いキスも後から全部ついてくる

全部あとまわしにしちゃいな

勇気なんていらないぜ

僕には旅にでる 理由なんてなにひとつない

手を離してみようぜ 冷たい 花が

零れ落ちそうさ


安心を手放す恐れ

安心を手放すことは恐い。特に、これがあるから安心していられる物や習慣は捨てられないし、なんとなく居心地が良い人と離れることも凄く怖い。それらが無くなってしまったら、どうして良いかわからない・・・身の回りのものを見てみると本当にそう思う。


でも、それを自ら捨てたときに不安と一緒に暮らすことができるのかも?


半年前に、ノートパソコンが壊れた。思えば大学入学時に初めて自分のノートPCを手に入れて、10年以上ノートパソコンを使ってきた。「早く買い換えないと仕事ができない。ノートパソコンなしでどうすればいいだよっ!」って結構あせってたけれど、結局あわただしさにかまけていたら、1週間、2週間、1月と時間が過ぎていった。結局、そんなに困ることってない。職場のデスクトップPCは今まで通りメインで使えるし、仕事を持ち帰らずに職場で済ませることが多くなった。むしろ通勤カバンが軽くなって以前より軽い足取りで道を歩けている。


失うことの恐れを振り払うためには、持っているものを守ることじゃなくて、自ら失っていくことしかないのかもしれない。失うことに「慣れる」ことのほうが、喪失を避けて通るより驚きがある。「結局なくても大丈夫だったんだ」って感覚は、失ってみないと“実感”できない。きっとそれでも世界は終わらないし、思ったほど動揺もしない。


企業や評論家はお金を生み出すために「持つこと」「続けること」だけを強調するけど、そのサイクルから離れたって良い。世界との接し方は思ってるよりずっと自由だ。今では、すてきな時間と出会った時には、「消えてしまうこの時間を心に焼きつけよう」とそっと決める。そして、その時をしっかり味わう、誰か隣にいてくれるならしっかり耳を傾ける。素敵な時をつなぎ止める手を自ら離し、それでいて過ぎ去っていくそれを大切に想っていきたい。


ジョゼと虎と魚たち(Oirginal Sound Track)