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April 13(Fri), 2012

いとなみはすべて「死」のために

どんな死に方だって構わない。死んだら、それで終り。天国も地獄もない。それでいいじゃないか?自分がこの世界に存在していることは、それこそ天文学的な確率の上で成り立っているんだから、一瞬でも生命がやどり呼吸をできただけで十分。神なんて必要ない。人生は無価値で、同じように死も無価値だ。どうせ死ぬんだし、ぎゃーぎゃー言っても変わらない。


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これが高校時代に死について悶々悶々とドライに捉えている振りをして、怯えて、怖いのにやめられずに大抵行き着くループの終着点でした。


それはもう小学校の頃から、夜に布団の中で死後の世界を想像しはじめると止められなくなって、「死って何だよ?」「無ってどういうこと?」「自分が消えてしまうって???」・・・と怖くなって、家族の顔を見に起きてちょっと安心するってな。死についての「あるある」を体験してきました。

歳をとってもうすぐ30歳の僕は、もうそんなに斜に構えたフリをして死を見てらんなくなってきた。たぶん、心のどこかで色んなことを誤魔化したり都合よく世界を歪めて見てるんだろうけど。どんな死に方をしたいか?ということについての考え方が少しずつ変わってきました。


【歌詞】のうぜんかつら/安藤裕子



哀しく暖かだった祖母の死

祖母が死んだ。大学4年の夏だった。うちの家族は祖父母と同居の7人家族。のび太に負けず劣らずお婆ちゃん子だったんだと思う。大学進学で実家を離れても、長期の休みで地元に帰れば、食べきれない程の食事を作ってくれた戦前生まれの祖母だった。客観的に見ても溺愛だったのだろうし、あれほど無条件に自分を肯定してくれる人間がいてくれたことは僕の人生にとっても幸運なことなんだろう。

長く癌を患っていた。腫瘍を切除して予後は良好。それでも数年すればまた腫瘍がみつかる。どんなことがあっても実家に帰れば、祖母は普通で変わらない暖かい笑顔を向けてくれた。

最後の夏、病状が良くないと聞いて大学の試験前に病院へ向かった。病院の浴衣を着て、少しおどろいて「あぁ、にいちゃん、顔が血だらけじゃない。大丈夫?」と祖母は僕に言って、『ねえ、何か食べたいものはある?』と僕が聞くと、「すいか!すいかが食べたい!」と、何もねだったことのなかった祖母は言った。アンモニアが分解出来なくてだったか、一時的に認知症のような症状がでているとのことだった。とぼとぼと病院の売店に行って、カットしてあるスイカを手にとった。涙をぼとぼとこぼしながらフルーツを買ったのはこの時が初めてだった。

祖母はスイカにかぶりついて、子どものように、おいしそうにそれを食べた。少し僕のことを分かって、それからまた分からなくなった。8時間付き添って、実家に着替えを取りに帰った時に祖母は旅立った。霊安室へ祖母を運ぶ時に、看護師さんとシーツをもって祖母を持ち上げた。軽いような重いような、その時の祖母の体は不思議な重みがした。

8人兄弟の長女だった祖母の通夜は賑やかだった。彼女の弟である「おいさん」達は、よく酒を飲んで、よく笑って、ちょっぴり泣いた。「今日は俺が、一緒にねちゃるからの」と次男のおいさんが言えば、「お前は帰れ、うるさいだけじゃけ」と三男のおいさんがわって入る。酔ったおいさん達は、いい合いの末、グラスを割って、足のうらを少し切ってシュンとしてた。祖母の顔を見ながら一升瓶を持って、思い出話しをツラツラ語って、泣いたり、「わしより先に逝くなよ」と怒ったり。それはいかにも昭和だったけど、良い通夜だったと思う。姉も、祖母の横を一歩も離れなかった。


ああ・・・幸せというものがこの瞬間にもあるのかもしれない・・・。僕はショックと悲しみしか感じることができなかったけど、家族の様子を見てやっとそう思えた。その夜は、すごく穏やかに眠ったのを覚えている。祖母は安心だ。なんだかよく分からないけど、小さな安心がその場にあった。


僕は祖母が祖父のことを「じいちゃんは器用で、自転車だってラジオだって何だって直してしまうんよ」と誇らしげに話すのが好きだった。祖父母が買いものにいく姿のまわりには、おだやかな空気が流れていた。


私岸と彼岸を愛して

なんとなく死生観の変化について書こうと思っていたら、祖母の思い出話になってしまった。僕のこんな人生でもダラダラ生き続けていくと、それなりに大事なものが増えていく。煩わしくって、暖かくって、・・・そういうものに再会するために死ねるのなら、それはそれで悪くないかもしれない。

今、自分が思う理想の死は、長生きして周りからも「おじいちゃんもこんだけ生きてポックリ逝ったし、大往生だよね!」という具合。自分の気分としては、知ってる友人やら知人も先立っている状況で、「そろそろ会いに行くよ」って心持になれたら幸せだと思う。

これは思春期・青年期の僕が鼻で笑ってた死後の世界や宗教、神と何も変わらないのかもね。

この21世紀の世の中で、夢が長生きなんてくだらないことなのかもしれない。クリエイティブで最先端の人から見たらバカみたいに写るんだろう。それでも、長く大切なもの手触りを確かめながら、自分の周りを、この世界を愛して、そして時が経つにつれて彼岸を身近に感じられるなら、それは幸せだと思うのです。

ねえ、ばあちゃん。人から暖かくされたとき、俺はそのやさしさの中に、ばあちゃんの笑顔を見ることができるんだ。


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