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September 04(Tue), 2012

ジョブズが心酔した「禅」とは何だったのか?

岸本英夫の『死を見つめる心』を読んでから、宗教に対する興味が徐々に出てきました。こう書くと、なんだか凄くオカルトチックな文章ですが、日常的な感覚から「死」について考えていきたい、というのが僕のテーマのひとつで、最近は宗教についても、そういった試みをしてみたいと考えています。手始めにジョブズが没頭した禅とは何なのか?について周辺の考え方も含めてまとめてみます。


スティーブ・ジョブズ I

岸本英夫『死を見つめる心』がスゴイ - 凹レンズ(旧館)


ジョブズと禅

手始めにwikipediaのジョブズの記事から紹介します。

1972年オレゴン州のリード大学(英語版)へ進学。大学時代の彼はヒッピー思想・禅・サイケデリックドラッグに心酔し、裸足で校内を歩き、一時は風呂に入らない時期もあったという。

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ジョブズはアルコーンに「インドまでの旅費を援助してくれ」と頼み、ミュンヘンでのゲームの修理を旅費込みで申しつけられ、ドイツ経由でインドへ渡ることで旅費を安く済ませる目処を立たせる。仕事を済ませた後は一度退社し、友人のダン・コトケと共にインドに辿り着くも、すぐに赤痢にかかって苦しむことになった上、放浪の末に想像と余りにもかけ離れたインドの実態に失望[9]。結局その年の秋にはロスアルトスに帰り、鈴木俊隆を導師としてサンフランシスコで禅を学び、瞑想スタンフォード大学の授業聴講などをして自分探しを行った後、1975年初頭にアタリに復職する。

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若い頃から禅に傾倒した仏教徒であり、しばしばスピーチなどで禅の教えを引用した。禅宗の僧侶、乙川弘文を精神的指導者と慕っており、結婚式にも招待している。禅だけではなく日本の文化に深い関心を持ち、晩年まで家族旅行でしばしば京都を訪れていた[32]。

スティーブ・ジョブズ - Wikipedia


曹洞宗ホームページにも、ジョブズと乙川弘文の関係が載っていました。ってか、曹洞宗のホームページとかあるんですね。


知野(乙川)老師は1967年にアメリカに渡り、2002年にご遷化されるまでタサハラマウンテンセンター、ロスアルトスの禅センターなどで曹洞禅の布教に尽力されました。

ジョブズ氏は、知野老師のもとに参禅に訪れ禅の教えを学び、また、知野老師は後年ジョブズ氏のセカンドハウスで生活するなど、お二方の親交はとても深いものでした。

故スティーブ・ジョブズ氏と故知野(乙川)弘文老師の交流について | 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ


禅とその関連領域について

単に「禅」という場合は一般に禅宗を指すが、文脈や場合によって禅那を指す。

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坐禅を基本的な修行形態とするが、坐禅そのものは古くから仏教の基本的実践の重要な徳目であり、坐禅を中心に行う仏教集団が「禅宗」と呼称され始めたのは中国の唐代末期からである。後に、「禅宗」の発祥に伴ってその起源を求める声が高まり、さかのぼって初祖とされたのが達磨であり、それ故、歴史上の達磨による直接的な著作は存在が認められていない。伝承上の達磨のもたらしたとする禅は部派仏教における禅とは異なり、了義大乗の禅である。

禅 - Wikipedia


と、一言で「禅」といっても色々な立場があったり、始点によって捉え方は違うようです。まぁ、とにかく坐禅はするようなので、坐禅の定義です。


坐禅(ざぜん)とは、姿勢を正して坐った状態で精神統一を行う、禅の基本的な修行法。「座禅」とも表記されるが、正式には「坐」の字を使用する。坐禅はMeditation(瞑想)と翻訳される場合があるが、眼を閉じて思考する瞑想と坐禅は別概念である。

坐禅 - Wikipedia


唐突に出てきたので瞑想についても載せておきます。調べてみると、サマタ瞑想(心を静める瞑想)とヴィパッサナー瞑想(観察する瞑想)の2つがあるようです。


サマタ瞑想(パーリsamatha, サンスクリット〓amatha、漢訳「止行」「奢摩他」、英語calm meditation)とは、仏教における瞑想の一種である。仏教において瞑想(坐禅)は止観とも呼ばれ、「止」と「観」とに大別されるが、この「止」がここで言う「サマタ瞑想」である。(それに対し、「観」はヴィパッサナー瞑想と呼ばれる。)

サマタとは心を落ち着けるということであり、上座部仏教では40種類の方法が説かれている。伝統的な仏教教学においては、まずはサマタ瞑想(止行)によって禅定を得ることが修行の根本となる。

サマタ瞑想 - Wikipedia


ヴィパッサナー瞑想(ヴィパッサナーめいそう)は、上座部仏教などの観行瞑想のこと。

ヴィパッサナー(パーリvipassan〓、サンスクリットvipa〓yan〓、古語「毘鉢舎那」)は仏教における「観」(現代中国語「内観」)のパーリ語の発音。よって、ヴィパッサナー瞑想とわざわざ呼ぶ場合は上座部仏教の観行瞑想を指し、またそれを現代風にアレンジした瞑想方法のことも指す。

仏教において瞑想(漢訳「止観」)を、サマタ瞑想(止行)と、ヴィパッサナー瞑想(観行)とに分ける見方がある。前者が心を静めることを中心とし、仏教以前にもインドにおいて広く行なわれてきた瞑想方法であるのに対し、後者では観察することを中心とし、釈迦が新しく開拓しそれによって悟りを開いた仏教独自の瞑想方法とされる。

ヴィパッサナー瞑想: - Wikipedia


まだ怪しげな印象は残るのですが、禅と瞑想など同じような概念でも違っているのだと勉強になりました。また、調べ続けてみようと思います。