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October 20(Sat), 2012

人の感情を動かす方法

D・カーネギーの「人を動かす」。言わずと知れた名著です。本エントリーでは、この「人を動かす」をまとめるとともに、感情へ訴えかける方法について考えます。


人を動かす 新装版


まず、この本には、ひとつの根底に流れる思想があります。それは、人間の非論理性です。

およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動するということをよく心得ておかねばならない。


カーネギーの人間観

「人を動かす」は、"How to Win Friends and Influence People"の訳であって、内容も非常に暖かくポジティブな示唆に富んでいますが、その根底には人間の論理性に対する深い絶望があります。それは、自身をふり返っても耳が痛い話で、論理的な人物の皮をかぶっていても結局は自己保身にやっきになっている小さな人間であることを思い知らされます。

わたしは、残念ながら40歳近くになってやっと、人間はたとえ自分がどんなにまちがっていても決して自分が悪いとは思いたがらないものだということが、わかりかけてきた。

他人のあら探しは、なんの役にも立たない。相手は、すぐさま防衛体制をしいて、なんとか自分を正当化しようとするだろう。それに、自尊心を傷つけられた相手は、結局、反抗心をおこすことになり、誠に危険である。

犯罪者は、たいてい、自分の悪事にもっともらしい理屈をつけて正当化し、刑務所に入れられているのは不当だと思い込んでいるものなのである。極悪人たちでさえも、自分が正しいと思い込んでいるとすれば、彼らほどの悪人でない一般の人間は自分のことを、いったいどう思っているのだろうか。

このあたりは、まず最初の章のタイトルが「盗人にも五分の理を認める」であることからも、どれだけ痛切に考えているかが伺えます。

最初に頭をもたげる自己防衛本能に押し流されてはならない――不快な状況に直面したとき、まずあらわれてくるのは、自分の立場を守ろうとする本能だ。気をつけねばならない。冷静にかまえ、最初の反応を警戒する必要がある。あなたの最悪の人柄が突出し、最善の人柄がかくれてしまうかも知れないのだ。…さからったり、自己弁護したり、論争したりすれば、相手との障壁は高まるばかりだ。

そもそも、相手のまちがいを、なんのために指摘するのだ――相手の同意を得るために?とんでもない!相手は、自分の知能、判断、誇り、自尊心に平手打ちをくらわされているのだ。当然、打ち返してくる。考えを変えようなどと思うわけがない。どれだけプラトンカントの論理を問いて聞かせても相手の意見は変わらない――傷つけられたのは、論理ではなく、感情なのだから。

このあたりは、ネットのコメントや中傷、ブコメでもたくさん見かけますね。ネガコメで相手の考えを改めさせようとする人、「そんなことも知らないのか」と知識をひけらかす人、彼らは博識かもしれないけれど、人間の非論理性についての理解は薄いと言わざるを得ない。(というか、ツイッターやらネットで他人の意見を変えることができると信じているピュアさが素晴らしいとは思うのですが。ピース。)


自己の重要性を満たす〜承認欲求

カーネギーの人を動かす方法は、「人間の承認欲求を満たしてやること」に他ならない。

  ウィリアム・ジェームズは、「人間の持つ性情のうちでもっとも強いのものは、他人に認められることを渇望する気持ちである」という。ここで、ジェームズが、希望とか要望とか待望とかいう、なまぬるいことばを使わず、あえて「渇望する」といっていることに注意されたい。

  これこそ人間の心をたえずゆさぶっている焼け付くような渇きである。他人のこのような心の渇きを正しく満たしてやれる人はきわめてまれだが、それができる人にしてはじめて他人の心を自己の手中におさめることができるのである。葬儀屋といえども、そういう人が死ねば心から悲しむだろう。

  このやっかいな男は、過酷搾取から公民権を防衛する意思をもって辞任したに違いない。だが本当は、自己の重要感を欲していたのである。自己の重要感を得るために、彼は、苦情を申し立てた。局員によって重要感が満たされると、彼の妄想がつくりあげた不平は、たちまちにして消えうせたのである。

自分の気持ちを満たしたいと思って“一見理論的な”攻撃をする人は、気持ちがおさまれば攻撃を止める。気持ちを抑える前に、自己防衛に拍車がかかってしまうと、意見を変えられなくなってしまうという気持ちの動きを非常に良く捉えています。

  われわれは、あまりたいした抵抗を感じないで自分の考え方を変える場合がよくある。ところが、人から誤りを指摘されると、腹を立てて、意地をはる。われわれは実にいい加減な動機から、いろいろな信念を持つようになる。だが、その信念をだれかが変えさせようとすると、われわれは、がむしゃらに反対する。この場合、われわれが重視しているのは、明らかに、信念そのものではなく、危機に瀕した自尊心なのである…。

  この監査官は、人間のもっとも普遍的な弱点をさらけ出してみせたのである。彼は重要感を欲したのだ。…権威をふりまわすことによって重要感を得ていた。ところが、自分の重要性が認められて議論が終り、自我の拡大がおこなわれると、たちまちにして彼は、思いやりのある親切な人間に変わったのだ。


人を動かす方法

本書の素晴らしい点は、具体的な対応例がいくつも載っていることです。その中でも、使えそうなものをいくつか紹介します。

口論や悪感情を消滅させ、相手に善意を持たせて、あなたのいうことを、おとなしく聞かせる魔法の文句を披露しよう――

「あなたがそう思うのは、もっともです。もしわたしがあなただったら、やはり、そう思うでしょう」。こういって話をはじめるのだ。

どんな意地悪な人間でも、こういうふうに答えられると、おとなしくなるものだ。

あの通知をいただいたときには、ちょっと驚きました。しかし、あなたを責めるつもりはありません。わたしも、あなたの立場にいたら、たぶんあれと同じ手紙を書いたことでしょう。ホテルの支配人としては、できるかぎり収益を上げるのがつとめです。それができないような支配人なら当然クビでしょう。


失敗をした時には、その人の心をつかむチャンスでもある。

「これはいけないよ。しかし、まあ、わたしが今までにやった失敗に比べると、これくらいは物の数ではないさ。はじめはまちがうのがあたりまえだよ。経験を積んではじめて間違いもなくなるのだ。…どうだろう――こんな風にしてみては・・・」

飛行機の整備ミスを犯した整備士にパイロットがかけた言葉として、

君は、二度とこんなことをくりかえさない。わたしは確信している。確信している証拠に、明日、わたしのF-51の整備を君にたのもう。

こんなことを言われたら、燃えないわけにはいかないですね。相手の立場に立つ、笑顔で接する、褒めるなど、一般的に推奨される方法がくり返し強調されます。

人を非難するかわりに、相手を理解するように勤めようではないか。どういうわけで、相手がそんなことをしでかすに至ったか、よく考えてみようではないか。そのほうがよほど得策でもあり、また、おもしろくもある。


それでも、最近のビジネス書と、ちょっと違う所が「うわべの賞賛」や「お世辞」を明確に否定しているところです。

心にもない笑顔――そんなものには、だれもだまされない。そんな機械的なものには、むしろ腹が立つ。わたしは真の微笑について語っているのである。心あたたまる微笑、心のそこから出てくる笑顔、千金の値のある笑顔について語っているのだ。

お世辞と感嘆のことばとは、どうちがうか?後者は真実であり、前者は真実ではない。

お世辞の定義を「相手の自己評価にぴったり合うことを言ってやること」としており、他人の真価を認めようと努めることが重要だと主張します。もう少し具体的に考えると、「あいても自分自身ですら気付いていない、優れている才能」を見つけて伝えられれば、効果は抜群です。


話も、ただ聞けば良いという訳ではないです。

聞くことだけは、たしかに一心になって聞いた。心からおもしろいと思って聞いていた。それが、相手にわかったのだ。したがって、相手はうれしくなったのである。こういう聞き方は、わたしたちがだれにでも与えることのできる最高の賛辞なのである。

ひとつ、この男がわたしに好意を持つようにやってみよう。そのためには、私のことではなく、彼のことで、何かやさしいことをいわねばならない。彼についてわたしがほんとうに感心できるものは、いったい、何だろう?


カーネギーの方法をまとめて、他人の感情を動かすためには、まず自分の感情から逃げずに、飼いならし、本当に相手を変えられることばを発することが必要なのだと感じました。それは、自分の自尊心を一度危険にさらして、不快な思いをしつつ、それを飲み下したあとで、相手をみつめる、自分の感情に操られないというプロセスが必要なのだと思います。

自分の仕事を成し得るために、積極的・自発的に人を巻き込んでいけるか?部下に「仕事に熱がこもる」モチベーションをどうやって与えるか?自分も他者も全力で頑張るために、自分がどう変われるか、という点で、非常に示唆の多い一冊でした。