January 21(Sat), 2012
文字おこしブログを手早く公開する方法
ツール, 表現/English, 日記
テープ起こし、文字起こしとは、音声情報を聞き取った上で文字化することです。今回は、テレビ番組やラジオ放送の内容を文字おこしして、すばやくブログエントリーにする方法を公開します。
私は、伊集院光ややしきたかじんが好きで、たまに引用エントリーを書きます。音声の文字おこしって最初はすごく時間がかかっていたんですけど(10分の音声の文字起こしだけで1時間かけるとかザラでした)、スピーディーに行う自分なりの方法が出来てきました。
文字おこしエントリーサンプル
以下のエントリーは私の文字おこしエントリーです。
- 伊集院光のワッハッハおじさんの話 - 凹レンズ(旧館)
- 明石家さんまと伊集院光、それぞれが見つけた魔法のカギ - 凹レンズ(旧館)
- 肩の力を抜いて デートを10倍楽しむ方法 - 凹レンズ(旧館)
- ロンブー田村淳の恋愛偏差値講義@早大がハンパじゃない - 凹レンズ(旧館)
- テレビと、「タブーという呪い」について - 凹レンズ(旧館)
文字起こしの方法
以下は私のやり方です。一般メディアの方からは批判もあるかもしれませんが、まずはご覧ください。
- まず、音声を止めずに聞き取れた部分をテキスト化する
- よく最初から1文ずつ正確に文字おこしをする人がいますが、これはとても手間のかかる作業です。音声を、とめては戻しとめては戻し、非常に効率が悪いです。
- まず、聞き取れる部分だけを打ち込みます。あいだの内容が抜け落ちてしまうので、聞き取れなかったときには改行するかスペースを入れましょう。
- 二度目は、最初に聞き取れなかった部分を埋めていく
- ここでも正確さは求めません。とにかく喋られている内容を少しでも埋めるようにします。正確性よりも多くの文字数を打ち込むことを目標にしましょう。
- 2の作業を複数回繰り返す
- 2の作業を2〜5回繰り返せば引用したい内容をほぼ打ち込むことが可能です。
- ここでも誤字脱字などの校正は完璧でなくてOK
- 自分の主張や意見を書く
- 文章でもなんでもそうですが、引用だけするというのは問題があるとみなされる場合があります。
- その題材を見て自分がどう思ったのか、何を主張したいのか?ということをテキスト化します。
- 引用部分の選定
- 不要な引用部は削除しましょう。
- 省略表記(例・・・)を使ったり、引用表記(はてな記法であれば小文字の>><<)を分けるなどして読みやすくしましょう。
- ある程度の完成度で公開する
まとめ
いかがでしたでしょうか?音声・映像メディアには、こちらのインスピレーションを刺激する情報がたくさんあります。ぜひ、それらを元に自分の主張を公開してみましょう!
*1:内容を変えて引用したり、捏造するのは言語道断ですが
July 26(Tue), 2011
テレビと、「タブーという呪い」について
地上デジタル放送への完全移行がなされました。日常生活と密接に関わってきたテレビ。これまで感じていたことが、7月24日に放送された「たかじんのそこまで言って委員会」の議論で非常によく議論されていると思ったので紹介します。
まず、たかじんのそこまで言って委員会とは、
讀賣テレビ放送 (ytv) 大阪本社制作の政治・経済等をテーマにして扱う、討論形式のバラエティー番組である。やしきたかじんの冠番組。通称は「そこまで言って委員会」「委員会」「たかじん委員会」。
「今、テレビに思うこと」 宮崎哲弥
この回のそこまで言って委員会では、地デジ完全移行に際してパネラーそれぞれが何を思うかを語っていくというものでした。まず、宮崎哲弥の意見から議論が始まります。
今のテレビ局は「テレビの公共性」をはき違えているのではないか。今のテレビ局は、特に東京のキー局に顕著に表れている状況ですけど、なにか公共性というのをはき違えている所があると思うんです。どこからもクレームが来ないとか、どこからも議論をされない、議論の対象にならないというものが公共性だとメディアが考えるとすると、それは違うだろうと。
一石を投じること、波紋を広げていくことそのものが、長い目で見れば公共性というものに結びつくのではないか。メディア本来の「公共性」というものを追求しなければならないと思います。
たかじん:てっちゃんが言う所の「公共性」とはどんな「公共性」?
宮崎:例えば、お役所的な公共性というのは万人が納得する。悪い言い方をすると「当たり障りのないことをする」ということでしょう。メディアの公共性というのは、役所的な公共性ではなく、むしろ議論を起こしていく、あえてタブーに踏み込むとか、そういうプロセスを通じて公共的な議論の場を提供していくことだろうと思うんですよ。
そういう意味で、そういうクレームがついたりすること、その番組を見て論争が起こることを恐れるようなものだとメディアとしての公共性をまっとうしていることにはならないとおもう。
三宅 久之:簡単に言えばね。タブーを作らないってことを言ってるんだね。
……
田原 総一朗:例えばね今のテレビで、政党から言えば自民党から共産党まで全部脱原発なの。菅さんのバカも脱原発なの。テレビで原発大いにやるべきだというものがないんだ。早い話しが。何でないのか?それは、怖いから。脱原発というのが一番無難なの。……東京電力をはじめ、多くの電気事業連合会が金をいっぱい出しているから悪口を言えなかった。そんなの全くのウソ!具体的に言う。サンデープロジェクトは東電がスポンサーだった。東電がスポンサーになるときに僕は東電と話し合いをした。原発をガンガンやる、東電の批判をやる。そのかわり、(スポンサーを)降りてくれ。東電は「わかりました」「何でもやって問題ない」と。……
勝谷 誠彦:田原さんがエライのは直接言いあったわけじゃないですか。そうすると直接言うと意外と話しが通じるんですよ。
三宅:この番組では、解放同盟やるときは、そこの人を出すんですよね。本人が出たくなかったらその人が推薦する学者かなんかをだす。そういう点では、かならず相手の発言の機会を認めている。そこは良いところだと思う。
田嶋 陽子:東京では、あらかじめ答えを用意してくるんですよ。「この人はこういうことを言うだろう」って最初にアウトラインを作って、それを埋め合わせるためにくるんですよ。この番組のスタッフは違うんですよね。そういう所がなくて、とても柔軟で。こちらに自由に話をさせて、自分たちの思ってたことと違っても、それをきちんと拾い上げていくみたいな。
上記の議論をテレビでみて、「何で自分がそこまで言って委員会を面白いと感じるのか」が腑に落ちたように思います。
タブーという呪いにふれる
最近感じていたことは、タブーというのは人を非常に不自由にするある種の呪いのようなものだということです。
タブー (taboo) とは、もともとは未開社会や古代の社会で観察された、何をしてはならない、何をすべきであるという形で、個人や共同体における行動のありようを規制する広義の文化的規範である。ポリネシア語tabuが語源。18世紀末にジェームズ・クックが旅行記において、ポリネシアの習俗を紹介する際に用いたことから西洋社会に伝わり、その後世界各地に同様の文化があることから広まった。禁忌という訳語も用いられる。
上記の議論を見ても、「最近のテレビは面白くない」と言われる最大の原因は、タブーをつくり、批判から逃げ回っているところなのでしょう。
何かを避けるということは、自分の意思決定や行動範囲を非常に不自由なものに変えるのだと思います。避ける対照は「批判」や「クレーム」、「悪い評価」などさまざまあるのでしょうが。もしも自分が本当に言いたいことが世間一般にみるとタブーの範囲にあり、批判を恐れているのであれば、言いたいことを一生口に出すことはできないんでしょう。
こと「表現する」という行為においては、タブーに触れることは間違いなくポジティブな要素を孕んでいます。どれだけ傷つき、苦しい思いをする可能性があるといっても。それは、自分の発言に自由を与え、ピッタリくる言葉を選ぶ可能性を高めてくれるからです。メディアや表現をする人には、必ずどこかで批判を受け入れる覚悟、批判と共にあるく覚悟が必要なのです。
ブログもひとつのメディアだといわれます。このブログをはじめて、2年半が過ぎました。日和っている部分もあると思うんですが、批判を浴びるような内容だったとしても自分が言いたいことであれば恐れず更新していきたいと思ったのです。
関連エントリー
東京では見られない放射能についての番組 - 凹レンズ(旧館)
March 31(Thu), 2011
伊集院光の「自分のことばでしゃべる」ということ
「自分のことばでしゃべる」
誰でも出来そうですが意外と難しいことです。私も、ついついどこかで聞いたような借り物の言葉を使ってしまいます。何を恐れているんでしょう?何故自分のことばで喋れないんでしょう?今日は、伊集院光のラジオトークを引用しながらそのことについて考えてみようと思います。
深夜の馬鹿力 ポッドキャスト2011年3月21日
地震に際して全国に配信される回の伊集院光のオープニングトークを引用します。
この番組は、基本的にはくだらないことで今日はいこうと思ってる。だから、ちょっと今、くだらないことは欲してません、くだらないことは受け止められる状況じゃありませんって人は、いつもの自虐的なギャグとかじゃなくて、NHKのラジオ深夜便を聞いてほしい。ほんとに同業者が言うのもなんだけど、(ラジオ深夜便は)とても穏やかに、ある意味有意義で、すごくモラルのある放送をやっているから。それが今の自分に合うって人は、そっちを聞いてもらったり、僕の放送を聞いてもらわなくてもいいし。当然、お前に言われなくても聞かねえよっていう話なんだけど。
基本その、くだらないことを今聞きたいんですっていう人がいてくれたらと思ってやってる。ずっと、大きな地震がおきてから、みんな「少しでも被害にあわれた方に笑顔がもどるなら」とか「喜ぶなら」みたいなことを、お笑いでも歌い手の人でも言うけど。俺はちょっと、もうちょっと違ってて。そう信じてないとおれやってらんないんだよねってトコにあるんだよね。
少しでも喋らせてもらえませんか。今喋っていいかどうかは、逆に言うと、ソッチが必要としてくれるかどうかの問題だと思うんだよね。結局、似たようなことを理屈こねて思ってるのかもしれないけど、笑いを与えるなんて思ってない。そういうことじゃない。
喋らせてほしい。くだらないことを言わせてほしい。で、その俺のこの くだらないことを必要だって思ってくれてる人がいると信じないと、その無力感でどうしょうもなくなっちゃう。とりあえず、くだらないことをいうラジオです。この くだらないことが聞いてられないよってなっちゃう人は、申し訳ないけどもチャンネルを変えてください。
変えてくださったとある程度信じたところで、どのくらいくだらないかって言うと、金玉デコって内ももチクチクぐらいのトーンです。
いま、被災地のことを「自分が同じ状況に立たされたら」と想像しただけで、本当に大変だと思います。けれども、どこのメディアでどんな番組でも、紋切り口調で「ココロヨリ オ悔ヤミ申シアゲマス」ということが本当に意味があるのでしょうか?
批判を回避するというだけの目的であれば意味はあるのでしょう。けれども、本当の意味で被災地の方々に「ココロヨリ」何かを伝えたいのであるのならば、それは違うだろうと思います。また、被災者の方に何が伝わっているのでしょうか?
このポッドキャストは、まさに伊集院光の「自分のことば」です。一般的なスタンスとは若干違いますし、小さな部分に注目すれば激しい批判にさらされてもおかしくない内容だと思います。けれども、私には他の多くの「オ悔ヤミ申シアゲマス」ということばより、ずっと響いてくるものがあります。
伊集院の「覚悟」と「手に入れたいモノ」
自分のことばで語ることにはリスクがあります。自分のことばで喋ることは、結果として一般的・通例的なモノからは、外れることを意味します。そういった一般のレールから外れた物事というものは、誰かから良く思われなかったり、傷つけてしまう可能性をはらんでいるのです。
おそらく伊集院は、常識的な範囲から批判されること、他人から攻撃される覚悟をしています。覚悟をするということは、「気にならない」とか「傷つかない」ということではありません。どんな心持ちであったとしても、痛みは感じるし、苦しむんです。覚悟とは、苦しむこと傷つくことすらを受け入れて行動することなのです。それらを、自分の歩みの中に取り込むことです。
なぜ、そんなことをするのでしょう?
それは、恐らく「偽善的なこと」を言わない、「聞こえが良いだけのこと」を言わないということの方が彼にとっては、攻撃や痛みよりも重要なのです。いつだったか、彼は「俺はダメな人間のためにラジオをやっている」と語っていました。どうしょうも無いような、惨めさや悶えるような気分、被害妄想や他人には理解されない理屈、煩悩、人間らしさ、そういったものを媒体としてごくごく小さなギリギリのラインでラジオというツールを使って彼は他者と繋がっているのだと思います。痛みを感じても、手に入れないといけないモノがあるのです。
自分のことばで喋るということは、「肉を切らせて骨を断つことなのです」。痛みを受け入れる覚悟と、痛みを感じても尚、手にしたいもの(伝えたいと思う想い、感覚、感情)を心にもつこと。それが、自分の口から発せられる言葉を自由にして、本当に自分が表したいことを人に表現するチャンスを与えてくれるのです。
関連エントリー
追記2011.4.8 深夜の馬鹿力、その日のエンディング
これは彼の声で聞いてください
December 18(Sat), 2010
「さよならもいわずに」が見せつけたマンガの可能性
表現/English, 死と生, 書評
宝島社が発行するマンガのランキング本「このマンガがすごい!」。今回は、2010年のマンガ作品の中で第3位とされた「さよならもいわずに」を取り上げます。今回は、内容的なことには触れません。ただ、この1冊によって私は「主観的な体験を伝達する手段」として、マンガがいかに可能性を秘めたツールであるかを思い知らされました。
さよならもいわずに 上野顕太郎
このマンガについて、夏目房之介は以下のようにレビューしています。
ウツだった奥さんが突然亡くなって、娘と二人になった漫画家の、圧倒的な悲しみと喪失感を訥々と語った異色作である。考えられた演出、緻密に描かれた絵、 画像の配置、選ばれたセリフや内語・・・・・、重苦しく逃げ場のない主題から一切逃げないという作者の姿勢がひしひしと伝わる。これを描ききらねばならな い、という必死の思いも。
悲しみや喪失感といったネガティブな主題ばかり追うマンガは、近年とみに読みたくなくなっていた僕だが、この作品は違った。読みたい、というより、ただ引き込まれる。
作者の序文より。
これは、一人の男を突然襲った悲しい出来事と、その後の1年間を描いた物語だ。
残念ながら1年後も彼は絶望の淵にいた。
しかしその後、彼は新たな幸せを見つけ、希望を取り戻してゆくのだが、それはまた別のお話。
そしてこれはまた、苦しく短い生涯を懸命に生きた女の、最後の瞬間をめぐる物語でもある。
(中略)
自分自身も「何故苦しい思いをしてまで描かねばならないのか?」という事実に、執筆を開始してから思い至るような有様だ。
ただそれでも「描かずにはいられなかった」わけだが、ではそれは何故か?
「自分の思いを誰かに知ってもらいたかった」ということに、尽きるのではないだろうか。
辛い目にあった人々は多かれ少なかれ、「誰かに話を聞いてもらいたい」とか、「気持ちを分かってもらいたい」と、思うようだ。
まして自分は表現者だ、これを描かずにいられるだろうか。
いや、あえて俗っぽく言うなら、表現者にとっての「おいしいネタ」を描かぬ手はない。
この作品に思いを籠め、過去は過去として気持ちを整理し、この先の未来を見据えてゆきたい。
この作品の最後にあるのは絶望だ。
だがその先に希望があることを今の私は知っている。
主観的な体験を伝えるツールとしてのマンガ
今回は、「この作品がどう素晴らしいのか?」や「作者は何が言いたかったのか?」といったことを書くつもりはありません。(ただ1点、内容について述べるのであれば、倫理的に批判されそうなことを思いついてしまったり、隠したくなるような感情も描いてくれた作者に敬意を表しているということです。)
ただ、それ以上にこの1冊は、私のマンガというものの認識を大きく変えました。作者の体験が生々しく、というか現実感のない取り留めの無さを含めて、そこにあったもの、失うという事の掴み所の無さなど、それらをそのまま目の前に並べられた感覚を持ちました。とにかく「とてつもない物を読まされた」、これが最初の感想です。
他の媒体との比較
主観的体験を伝える代表的媒体は小説やエッセイなどの文章です。自分が何を考え、何を思い、どう感じたかを言葉で表していきます。しかし、ことばは体験を伝えるには余分な物をそぎ落としすぎてしまう。私たちが体験する、感覚、感情、違和感などは、どこかでおきざりにされてしまいます。
感覚的な部分を表現する手段には音楽や絵画があり、これらは情緒的な部分を非常によくあらわします。ただし、絵や音楽はこんどは私たちの「ことば」を消してしまいます。感覚を表現しようとするあまり、ことばをないがしろにしすぎる。日常で、ことばにこれだけ依存してしまっている僕らには、それを読み解くことはやはり簡単ではない。
では、映画はどうか?これらは上記の要素を合わせ、ことばも情緒も入れ込むことができます。しかし、各事象が特定されすぎてしまいます。決めたスピードでストーリーが流れ、声色、間など確定要素が多くなり、あそびがすくないなってしまうのです。
以前は、「歌や絵で感情を伝える」なんて聞きいても実際は全然ピンと来ませんでした。しかし、「そういった伝達手法もあるのだ」と実感させてくれたのが、この作品です。
読み進める中で、作者が世界を見ているフィルターそのものに触れているような感覚になります。すれ違う全く知らない人の見え方、何気なく聞く電車の音でさえ、気持ちによって変わってしまう様が「そこにある」のです。
自分が目で見たものを信じ、ことばと気持ちの両方を抱えて世界をとらえている僕ら。時間間隔すら一定というわけにはいかない。そんな僕たちに、マンガは「主観を伝達する」という非常に困難な作業に新たな道を開いてくれているのではないでしょうか?他のツールとの優劣ではなく、異なったアプローチで絶妙な位置に存在している。もっと活用されてもいい。いや、マンガでしか表現し得ない主観の伝達作業というものが必ず存在するはずです。
最後に
著者がこれを描く作業の中で見た世界、身体の感覚、頭を駆け巡った言葉の数々。想像だにしないけれど描ききってくれて「ありがとうございます」と言いたい。小説や映画ではなく、マンガとしてこの作品がココに存在してくれるということに感謝。


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