October 12, 2011
Apple, Dart, 未来
Steve Jobsが亡くなってこれからのAppleは衰退の一途しかないとか、Googleが21世紀も10分の1が過ぎようというところで発表したDartという言語は結局JavaとJavaScriptの折衷かよとか、そんなのを見聞きして、コンシューマの掲げる (浅はかな) 理想とイノベータのそれが一致しないということは、「イノベータが革新をもたらさなかったら」というifを誰も思い描けず存在しようがないということなんじゃないかな、とおもった。
たとえば、次期iPhoneが発表されていまいちしっくりくるものではなかったとする。Steve Jobsというイノベータはもういないということが前提にあって、するとどうだろう、「イノベータがもたらしたものではない」と推論できて、iPhone, ひいてはiOSファミリーの未来は閉ざされたと思えるかもしれない。
あるいは、Googleが発表したDartだけど、これが15年前にいまのJavaScriptのようにリリースされたとして自然かどうか。または、15年前の自分が焦がれていたものかどうか。僕はこんなの2011年にもなって出すのかよ、という気持ちが強い。だったらCoffeeScriptのコンパイラでも積んだほうが100倍幸せになれるともおもっている。
未来をつくるということは、肉体と思考の時間軸を一致させずに生きていくということで、現在という時間に腰を据えて未来をつくることは不可能だとおもう。現在から見える未来は、現在の延長でしかない。未来をつくるには、在るべき未来の姿から逆算して現在を含む過去の時間を書き換えなければいけないのだとおもう。
だから、現在に生きる人々が見て「なんだこりゃ?」と思うそれはオーパーツであるのかもしれない。それは未来そのものでないかもしれないが、未来のものかもしれない。いくらか年月を経た後にオーパーツの意味を知ることができるかもしれない。
僕は特に根拠もなく、Steve JobsがいなくてもAppleという会社はそこそこのものは作れるとおもっているし、少なくともMacBookシリーズが続いてくれればそれでいいとおもっている。もちろん、「そこそこ」で終わってしまっては困る、というのもわかる。ただ、現状でAppleに求められるのは製品のアイデアだとか技術力とかではないだろうとはおもう。それこそSteve Jobsともあろう人が後世のために何のコンセプトやアイデアも遺さずに逝くわけがないだろう。肝心なのはAppleがこれから提供する製品の先にある「未来」が、現在から地続きのレール上にあるのかどうか、ということをコンシューマに思い込ませることができるかだとおもう。
コンシューマは現在から地続きの「未来」しか見えないし、コンシューマが「本物の未来」を認知できるのはそれが過去となってからだから、コンシューマの言うことは信用しちゃいけないとおもう。コンシューマは過去と現在しか知らない。いかにコンシューマに対して未来を語るのか。あるいは語らないのか。
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