妊婦のダウン症検査の話、陽性的中率

オーダーメイド医療シリーズを書くと言いながら止めておきながらこんなことをして少し後ろめたいですが、頭の体操として。

妊婦血液で出生前検査 異常99%判明
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120829/t10014608571000.html

これにおいて

「検査の対象は、胎児の染色体異常のリスクが高まる35歳以上の高齢出産妊婦などとしたうえで」 制限つける必要あるのかねえ

というid:wdnsdyさんのコメントが現時点で一番スターが多くついています。ですがこれは絶対必要な条件です。成育医療センターと昭和大の先生方は適切にもこの年齢制限を設定した、というべきです。その理由は知っていさえすれば特に難しいことはなく、ブコメ欄にもいくつも手がかりとなるコメントを残している方はいますが、わかりやすく説明できるかどうかを試みてみるものです。

個人から見た検査の精度

さきに結論から書きますので、詳細を知りたい人は後段を読んで下さい。

この研究を、現実の医療の現場で使うということになった根拠となるデータは以下のものです(引用元は後段を参照)。

検査陽性 検査陰性 合計
胎児がダウン症である 209 3 212
胎児はダウン症ではない 3 1468 1471

よさそうな結果ですね。これは胎児がダウン症である妊婦さんとダウン症でない妊婦さんをそれぞれ集めてきて研究した症例対照研究と言われるものです。上の段の比をとって、209/212 = 98.6%を感度、1468/1471 = 99.8%を特異度と呼びます。NHKのニュースで「精度が99%」と言っているのはここの感度を紹介したものと思われます。

ところが、これだけだと、それではいざ自分が受けた時に陽性だった時それがどういう意味を持つかはちょっとわかりづらいのです。

例を上げますと、たとえばある病気の検査の精度がこれと同様に感度98.6%、特異度99.8%だとします。この病気はまれな病気で、集団に0.1%しか存在しないとしましょう。1000人からなる集団を仮定します。

  • 病気は0.1%しかないので、1000人中999人は病気ではないわけです。
    • そしてそのうち陽性となってしまう人が999 * 0.002 = 約2人。
  • 一方、病気の人が1人います。
    • この人について陽性となる可能性が98.6%なのでおそらくこの人は陽性となるでしょう。

すると1000人中3人が陽性になります。しかしそのうち2人は病気ではないのです。

陽性となったのに、本当に陽性である可能性は1/3でしかないのです。

ダウン症検査に置き換えればこのことの重大性はわかるでしょう。ダウン症検査は要するに、ダウン症であるという検査結果が出たら妊娠中絶を検討するわけです。ところが、3人の検査陽性の人のうち2人はじつは胎児はダウン症ではないので、不必要に中絶をしてしまうことになるのです。

もちろんダウン症検査にはさらに正確性の高い絨毛検査などがあるものの、今回の新しい検査は21万円もかかるようです。この新しい検査がどのように臨床現場に入ってくるかのシナリオがいくつか検討されていますが*1、これだけ高価な検査なので、やるなら絨毛検査を完全に置き換えるレベルでないと、現実的ではありません。

ここで挙げた確率を陽性的中率と言って、個人が検査を受けるという時には感度・特異度よりも重要な指標です。陽性的中率は、

(病気の人 x 感度) / {病気の人 x 感度 + 病気でない人 x (1-特異度)}

で計算します。

さきほど陽性的中率を計算する際に「集団における病気の頻度が0.1%」と仮定したように、集団における病気の頻度がわかっていないとこの確率は計算できません。幸いなことにダウン症に関してはこの確率がとても細かくわかっています。たとえば以下のページの数字を使ってみましょう。

http://www.ds-health.com/risk.htm

若年層の頻度が出ていませんが、一般的に教科書には、若年でのダウン症児出生割合は1/1000で、35歳前後から一気に増大すると書かれていますので、32歳以下は1/1000とします(ちょっと作為的かな??)。

この頻度に基づき、陽性的中率を計算してみます(検査は10週目から行うということなので、表の左側の数字を使います)。

横軸が母親の年齢、縦軸が陽性的中率です。ここにあるように、33歳くらいまでは検査陽性になっても、お腹の胎児がダウン症であるかどうかは五分五分の確率です。38歳くらいを超えるとようやく陽性の時8割がたダウン症、といえるようになります。

このように検査の陽性的中率は検査対象となるものの頻度によるので、35歳以上という制限が必要になってくるわけです。

あと細かいことを少しご説明します。

検査について

検査会社ですが、Sequenomという会社で、われわれもゲノム研究でよくそこの検査機器を使っています。最先端の研究成果がそこの機械から生み出されてるってわけで、怪しい会社ではありません。

検査方法

新世代のダウン症検査もいくつか提唱されてますが、Sequenomがてがけるのは次世代シーケンサーで行われるもののようです。これを胎児診断にもちいるための基礎となる論文はこれとかです。

http://www.pnas.org/content/105/42/16266.long

次世代シーケンサーというと、一般には細胞由来のDNA(その人のもっているDNAを表すので)を使いますが、これは"cell free DNA"つまり細胞の外の血液中に浮いているDNAを検査対象としている、というのが大きな違いです。

母親の血液中に胎児の細胞やDNAがふらふら浮いている、という観察がそもそもこのような検査を行おうという動機となります。これ自体は10年以上前から知られていたものの、血液中のDNAなどを調べようとしても当然母親のDNAのほうが圧倒的に多いのでなかなか検出できないというのがこれまでの技術的限界でしたが、次世代シーケンサー技術によってほんの少しの胎児由来DNAを拾い上げて検出できるようになったというのが今の技術レベルです。

検査精度について

前述しましたように、NHKの報道で「99%の正確性」と言っているのはおそらくこの論文をひいているものと思われます。

http://www.nature.com/gim/journal/v13/n11/abs/gim2011155a.html

症例対照研究で(認可される前の臨床研究の評価に使われる通常の研究デザインです)、胎児がダウン症である妊婦さんを調べた場合に正しくダウン症と診断できる割合が98.6%、胎児がダウン症でない場合にダウン症であると間違って診断してしまう割合が0.2%、検査失敗が0.8%とのことです。

この研究は世界の27の施設からサンプルを集めたということですが、残念ながら参加機関はアメリカ、カナダ、欧州、イスラエル、アルゼンチン、オーストラリアということなのでアジア人の参加はおそらく非常に少ないでしょう。前述の検査方法は染色体13、18、21の配列タグを用いているとのことですが、これと同じ方法なら、これらがアジア人ゲノムで完全にワークするかどうかにかかっているのでしょう。

日本でこの検査を行うには改めて正確性の検討が必要です。それを行うのが今回の成育医療センターと昭和大の先端医療計画ということになるのでしょう。

最後に

ここで論じたのは検査の確からしさに関しての面だけであります。実はこの件はむしろそれよりも生命倫理的な議論のほうがよっぽど難しい問題であり、この件についての生命倫理学者や、STSの人とかの深い洞察を伺いたいものです。