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aggren0xの日記

2012-08-29

妊婦のダウン症検査の話、陽性的中率

20:53

オーダーメイド医療シリーズを書くと言いながら止めておきながらこんなことをして少し後ろめたいですが、頭の体操として。

妊婦血液で出生前検査 異常99%判明

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120829/t10014608571000.html

これにおいて

「検査の対象は、胎児染色体異常のリスクが高まる35歳以上の高齢出産妊婦などとしたうえで」 制限つける必要あるのかねえ

というid:wdnsdyさんのコメントが現時点で一番スターが多くついています。ですがこれは絶対必要な条件です。成育医療センターと昭和大の先生方は適切にもこの年齢制限を設定した、というべきです。その理由は知っていさえすれば特に難しいことはなく、ブコメ欄にもいくつも手がかりとなるコメントを残している方はいますが、わかりやすく説明できるかどうかを試みてみるものです。

個人から見た検査の精度

さきに結論から書きますので、詳細を知りたい人は後段を読んで下さい。

この研究を、現実の医療の現場で使うということになった根拠となるデータは以下のものです(引用元は後段を参照)。

検査陽性検査陰性合計
胎児ダウン症である 2093212
胎児ダウン症ではない314681471

よさそうな結果ですね。これは胎児ダウン症である妊婦さんとダウン症でない妊婦さんをそれぞれ集めてきて研究した症例対照研究と言われるものです。上の段の比をとって、209/212 = 98.6%を感度、1468/1471 = 99.8%を特異度と呼びます。NHKのニュースで「精度が99%」と言っているのはここの感度を紹介したものと思われます。

ところが、これだけだと、それではいざ自分が受けた時に陽性だった時それがどういう意味を持つかはちょっとわかりづらいのです。

例を上げますと、たとえばある病気の検査の精度がこれと同様に感度98.6%、特異度99.8%だとします。この病気はまれな病気で、集団に0.1%しか存在しないとしましょう。1000人からなる集団を仮定します。

  • 病気は0.1%しかないので、1000人中999人は病気ではないわけです。
    • そしてそのうち陽性となってしまう人が999 * 0.002 = 約2人。
  • 一方、病気の人が1人います。
    • この人について陽性となる可能性が98.6%なのでおそらくこの人は陽性となるでしょう。

すると1000人中3人が陽性になります。しかしそのうち2人は病気ではないのです。

陽性となったのに、本当に陽性である可能性は1/3でしかないのです。

ダウン症検査に置き換えればこのことの重大性はわかるでしょう。ダウン症検査は要するに、ダウン症であるという検査結果が出たら妊娠中絶を検討するわけです。ところが、3人の検査陽性の人のうち2人はじつは胎児ダウン症ではないので、不必要に中絶をしてしまうことになるのです。

もちろんダウン症検査にはさらに正確性の高い絨毛検査などがあるものの、今回の新しい検査は21万円もかかるようです。この新しい検査がどのように臨床現場に入ってくるかのシナリオがいくつか検討されていますが*1、これだけ高価な検査なので、やるなら絨毛検査を完全に置き換えるレベルでないと、現実的ではありません。

ここで挙げた確率を陽性的中率と言って、個人が検査を受けるという時には感度・特異度よりも重要な指標です。陽性的中率は、

(病気の人 x 感度) / {病気の人 x 感度 + 病気でない人 x (1-特異度)}

で計算します。

さきほど陽性的中率を計算する際に「集団における病気の頻度が0.1%」と仮定したように、集団における病気の頻度がわかっていないとこの確率は計算できません。幸いなことにダウン症に関してはこの確率がとても細かくわかっています。たとえば以下のページの数字を使ってみましょう。

http://www.ds-health.com/risk.htm

若年層の頻度が出ていませんが、一般的に教科書には、若年でのダウン症児出生割合は1/1000で、35歳前後から一気に増大すると書かれていますので、32歳以下は1/1000とします(ちょっと作為的かな??)。

この頻度に基づき、陽性的中率を計算してみます(検査は10週目から行うということなので、表の左側の数字を使います)。

f:id:aggren0x:20120829135454p:image:w360

横軸が母親の年齢、縦軸が陽性的中率です。ここにあるように、33歳くらいまでは検査陽性になっても、お腹の胎児ダウン症であるかどうかは五分五分の確率です。38歳くらいを超えるとようやく陽性の時8割がたダウン症、といえるようになります。

このように検査の陽性的中率は検査対象となるものの頻度によるので、35歳以上という制限が必要になってくるわけです。

あと細かいことを少しご説明します。

検査について

検査会社ですが、Sequenomという会社で、われわれもゲノム研究でよくそこの検査機器を使っています。最先端の研究成果がそこの機械から生み出されてるってわけで、怪しい会社ではありません。

検査方法

新世代のダウン症検査もいくつか提唱されてますが、Sequenomがてがけるのは次世代シーケンサーで行われるもののようです。これを胎児診断にもちいるための基礎となる論文はこれとかです。

http://www.pnas.org/content/105/42/16266.long

次世代シーケンサーというと、一般には細胞由来のDNA(その人のもっているDNAを表すので)を使いますが、これは"cell free DNA"つまり細胞の外の血液中に浮いているDNAを検査対象としている、というのが大きな違いです。

母親の血液中に胎児細胞DNAがふらふら浮いている、という観察がそもそもこのような検査を行おうという動機となります。これ自体は10年以上前から知られていたものの、血液中のDNAなどを調べようとしても当然母親のDNAのほうが圧倒的に多いのでなかなか検出できないというのがこれまでの技術的限界でしたが、次世代シーケンサー技術によってほんの少しの胎児由来DNAを拾い上げて検出できるようになったというのが今の技術レベルです。

検査精度について

前述しましたように、NHK報道で「99%の正確性」と言っているのはおそらくこの論文をひいているものと思われます。

http://www.nature.com/gim/journal/v13/n11/abs/gim2011155a.html

症例対照研究で(認可される前の臨床研究の評価に使われる通常の研究デザインです)、胎児ダウン症である妊婦さんを調べた場合に正しくダウン症と診断できる割合が98.6%、胎児ダウン症でない場合にダウン症であると間違って診断してしまう割合が0.2%、検査失敗が0.8%とのことです。

この研究は世界の27の施設からサンプルを集めたということですが、残念ながら参加機関はアメリカカナダ欧州イスラエルアルゼンチンオーストラリアということなのでアジア人の参加はおそらく非常に少ないでしょう。前述の検査方法は染色体13、18、21の配列タグを用いているとのことですが、これと同じ方法なら、これらがアジア人ゲノムで完全にワークするかどうかにかかっているのでしょう。

日本でこの検査を行うには改めて正確性の検討が必要です。それを行うのが今回の成育医療センターと昭和大の先端医療計画ということになるのでしょう。

最後に

ここで論じたのは検査の確からしさに関しての面だけであります。実はこの件はむしろそれよりも生命倫理的な議論のほうがよっぽど難しい問題であり、この件についての生命倫理学者や、STSの人とかの深い洞察を伺いたいものです。

774774 2012/08/30 02:11 35歳以下なら血液検査陽性後、羊水検査を必須にすればいいのでは

aggren0xaggren0x 2012/08/30 04:59 774さん、羊水検査も、さらには絨毛検査ですら100%の検査ではないんですよ。だから基本的な考え方は同じです。事前の確率が低ければ低いほど、結果の解釈が困難になります。

さらにこのやりかただと偽陽性もかなりの数になって(年間出産100万件だとするなら2000例)、少ないとされる流産や母体に危険となるような合併症も可視化されるレベルで発生します。本来不必要だったはずなのに、です。

まあでも絶対の解答はありません。できれば多くの国民が議論していければいいだろうと思います。

JijiJiji 2012/08/30 11:29 詳細な考察をありがとうございます.ただし議論のもとになっている上記論文は基本的には別のものです.
ここでソースを書くことができませんが,報道の数字はシーケノム社の臨床試験の結果で未発表のデータです.
21トリソミーの検出率が99%という意味で,陽性的中率はなんと99.9%という高率です.
もちろん100%ではないわけで,そのために国内では必ず絨毛検査か羊水検査を義務づける方針で動いています.

・・・・・・ 2012/08/30 13:05 最後まで読んでも「これは絶対に必要な条件です」の理由がわかりません。検査を受けるか受けないかは当人が決めればいいことだし、検査結果に対するレスポンスも他人がどうこういうべきことでもないし。仮に生まないという選択をしたとしても、検査しようがしまいが妊娠10週で堕胎することは法的にもダメじゃないんでしょう?検査前の30分以上のカウンセリングや検査後のケアも込みでの実施のようですし、お書きになっている確率論のお話も含め倫理的な面でも説明が正しく十分に行われた上でなら、年齢条項はなくてもよいのではないでしょうか?

aggren0xaggren0x 2012/08/30 16:52 Jijiさんってまさか時事通信さんではないですよね??(笑)先行しているアメリカの報道がこれを引用していたので、これかと思ってました。まあソースはともかく、まともな医療的意思決定の議論に査読を経ていない怪しげな未発表データを使うことは是認できないので、本文はこれでいいかなと思います。

yamatoyamato 2012/08/30 16:59 >>・・・
『母体保護法第十四条  〜人工妊娠中絶を行うことができる。1 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの』が拡大解釈されているのが現状で、はっきり言えばグレーゾーンです。本来は昔の多産家庭を想定した法律ですから。

boyboy 2012/08/30 17:58 > 羊水検査も、さらには絨毛検査ですら100%の検査ではないんですよ。

 それは理屈になっていないと思います。本文中には「五分五分」という言葉がありますから、五分五分をかなり上回れば、十分に有益性があります。別に「100%」を要求する必要はないでしょう。仮に「100%」を基準にするなら、あらゆる医療行為は停止する必要があります。絶対の医療はないんですからね。

aggren0xaggren0x 2012/08/30 18:01 「・・・」さん、本論については同意いただいたと仮定した上で、それは別の議論ですね。医療そのものの姿がどうあるべきかの議論でしょう。エントリ本文ではあまり職業専門以上のことは言わないように最近は気をつけていますが、ここはコメント欄なので、酒場の議論を披露しましょう。

それはつまり、ヒポクラテス的に「医師は良心に従って患者の利益となる行為を提供するもの。害をなす行為はやらないもの。結果責任は医者が負う」と考えるか、それともリバタリアン的に「全てはサービス受け手の患者が決定すべきで、医師はアドバイスだけすればよい。結果がどうなろうと患者本人の責任」と考えるかの話です。

今のところは、日本だろうと欧米諸国だろうと医療システムは前者に従って動いていますので、私はその枠組の中での説明をしたまでというのが答えになりますかね。それがいやなら国を変える必要があります、法律から予算執行から医療従事者の配分から設備から何からなにまで。政治家に直接言ったほうが早いでしょうね。いまの医師会には政治を変える力はないし。

結局現状は、医師が良心に従って行うと決定した医療行為を遂行できるぶんだけの予算と人員と設備が配分されて、今の日本の医療システムが維持されているのです(崩壊寸前だけど)。それは国民保険医療サービスとして提供されて、お金持ちの人も、お金のない人も、同じ医療上の悩みに対してできる限り同じ医療を提供できるようにデザインされているのです。

ひとつ考えていただきたいのは、現在実費21万円で実費で払ってるからそれだけでも後者の考え方でいいじゃんと思うかも知れませんが、おそらくその実費は医師、看護師、カウンセラーは保険医療の範囲で動いているという前提のもとでの人件費に上乗せした実費であると考えて下さい(中の人ではないのでわかりませんが通常ほぼこのやり方なので)。みんなの保険医療費から一部出てるって言うことです。あるいはもしかすると医者はただ働きです。本来、完全な実費ですべて患者負担でかつ意思決定も患者が行うべきだと考えるなら、それ相応の人件費、設備維持費用が必要であるところ、国民健康保険等によって維持されている医療システムを利用して、一部実費で提供するというのがこのサービスということです。この検査に関して、医療上不必要とおもわれるのに人員や設備を割くと、その分本来の業務の範囲である保険医療を削っていて、診察できる患者さんの数が少なくなったり必要なときに人出が少なくなったりするというのが現状だと考えて下さい。あと大学病院のただ働き医師はふつうアルバイトに出てるので、その時間を削られるとバイト先の地域医療が本気で危機に瀕したりします。

という感じです。

極端な意味でリバタリアン的医療を実施するのは簡単で、金を持っている患者が来たらなんでも言うことを聞く、金持ってなければできる範囲でそれなりに。患者さんの意思で検査をやる、医師に責任はないとかいう免責事項の同意書でも取っておこう(現状の日本では有効ではないはずです)。

「そういうことしてる病院あるじゃん」っておもうかもしれません。確かに。そういう病院はまた、患者さんに言われた通りの検査を全部やる病院でもあるでしょう(ついでにばれないように余計な検査絡ませて請求するかもしれないので注意!)。それが、大学病院や大病院でもやるべきことであるか。そうではないと私は思うし、まあみんなもそう思っているんでしょう。

aggren0xaggren0x 2012/08/30 18:06 boyさん、そういうこと言いたそうな人に見えますか?困ったな・・・「100%の検査でないのでそれではダメ」ということではなく、「100%の検査は存在しないので、それやればOKという話はない」という感じで書いたつもりでした。しかもそれは単に枕のつもりで、そのあとの合併症のところを読んで欲しかったです。

hogehoge 2012/08/31 00:38 エントリー興味深く読みました。コメント欄の羊水検査との組み合わせを読んで、分からなかったので質問させてください。
血液検査で、精度99%で、羊水検査で、精度を仮に80%だとすると、間違う確立は、(1-0.99)x(1-0.80)=0.2%になる。つまり、二つの検査を組み合わせれば、精度が上がるのかなって思ったのですが、そういう話ではない?

aggren0xaggren0x 2012/08/31 01:08 hogeさん、それについてはそのとおりです。そういうふうに確率的に考えるのであればなんら問題ありません。

確率的に考えるためにもうひとつ面白い考えを提供しますと(ご存知かもしれませんが)、hogeさんの計算は二つの検査が確率的な意味で独立である場合のみ正しいです。もし、今回の新しい血液検査で偽陽性になるという事象と、羊水検査で偽陽性になる事象が独立でないなら、正確性の上昇はそれより減ります。同じ病気に対して同じようにDNAを調べる検査なので、検討はしておくべきですね。

まあ羊水検査はカリオタイプみるので大丈夫そうではあります。FISHはある程度の相関ありそうかもしれませんね。

XX 2012/08/31 13:03 まあものすごくどうでもいい話なんですが、
100年前の人に言ったら「親子は血がつながってるこれ当然だろ」
50年前「胎児の血液と母体の血液は全然つながってねーし。胎児の血液の中のモノが母体の血中にあったら血液型RH不適合妊娠で出生するとかありえないだろJK」から
ぐるっと一周して
「胎児の組織のフラグメントが母体の血中に微量に存在するぜ!検査でわかるぜ!」
っていうところが21世紀で人類の進歩で調和ぞワンダーやと思うんですが
あんまりそこの味わいを表明している人を見ませんぬ

まあ専門家にとっては言うまでもない話なのでしょうが