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2006年02月04日

aglassofwater2006-02-04

国語教育

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はてなブックマークの最近の人気エントリーに、いくつか日本語の話題があったので、自分もいろいろと思い出してきました。私は、英語という対立軸を持ち出す前に、国語の授業について考えてみたいと思います。


小中高と授業を受けてきて、最も意味がわからない授業が国語系の授業だった。

漢字をひたすら書いたり、長い文章を細切れに何週間にもわたって読んだり、

そうかと思えば、17音の俳句狂言川柳

今は使うことのない古い日本語を学んだり、漢文を日本語的に読んだり。

文法をきっちりとやったかと思えば、訳のわからない詩を朗読させられたり。


なぜ、こんなに詰め込むのか?

>これが「国語」の授業だからだ!

と、国語教師にはいわれそうですけど。<昔の経験からの偏見

私的に、分割して他の授業にくっつけた方がいいのではないか?と思うことを書いてみます。


まず、詩はどうにかしてほしい。生徒はエスパーじゃないんだし。音読させられた日にはもう、音楽と統合したら?って感じですな。


母国語連続性を担保するために、総合的な学習の時間といっても過言ではない、詰め込みっぷりの古文・漢文。でも、これらを国語の授業でやる必要は無いんじゃないか?とおもう。また、高校で、独立した授業でやるものでもないとも思う。単語、用法、文法に違いが見られるというのは、

現代においても人によって、文章によってちょっとずつ違ってるからしょうがないかなと。新しい文章には、何かわからない単語や用法が出てくるものだけど、それが異常に多いと考えれば、諦めはつく。しかし、文章の持つ論理性が、信仰、生活習慣、社会制度などに大きく影響されてしまう。このため、少量の文章でも、膨大な時間をつぎ込まないと理解できないし、それはむしろ歴史の授業のものに近いと思う。そんなわけだから、社会科系の授業の中に、一次資料としてねじ込んで、それをきっちり読ませてみたりすればいいのではないでしょうか。


説教臭い話は、倫理道徳に丸投げ。


と、こんな感じで、いろいろ他の授業に押し付けていって、

最後に、これが国語だ!というような部分が残れば、

それをきっちり教えればよいのではないでしょうか。

さらに、課程の試験から、曖昧さが減れば言うことなしですね。


とはいっても、大体の人に必要になる国語の部分は、

自分のやったことや、身の回りに起きた出来事を、

過不足なく報告するスキルでしょう。

このスキルをある程度身につけて中学卒業できる、

課程である必要があると思いますけど。


私は課題図書も読まない>感想文も出さないような生徒だったので、

理路整然と過不足なく文章を書けないのですが。


(´-`).。oO(こんな人間が1次2次あわせて3週間ぐらいの勉強で、二つのお題あわせて記述用紙の表の8割ぐらいしか書いてない小論文をだしても(化)に中ぐらいの成績で受かるから驚きだ。こんな人間だから面接で落ちたけど。)

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