膿皮症って

今日も会社を休んだ。左側のお尻にデキモノができて、熱を帯び、ジンジンと痛むからである。前に肛門科にかかった時は右側のお尻で、肛門から右へ3cmほど離れた場所にデキモノができていた。それはニキビだ、と医者に言われた。・・・が、別な曜日にいったら別な医者が「これは膿皮症だね」と言った。
膿皮症とは・・・毛根になるアポクリン汗腺という場所に膿がたまり、炎症を起こす。それが一カ所だけでなく、何カ所にも広がり、わたしの場合は握り拳くらいの大きさにまで発達した。
それが左側のお尻にもできたのである。・・・わたしのお尻はそんなに汚いのか?
いや、そうじゃないはずだ。
脱糞後はきれいにふき取っているし(当たり前だけど)、ウォシュレットがあれば活用する。しかもムーブ機能をつかって肛門の前後左右、隅々まできれいに洗う。そしてトイレットペーパーできれいにふき取る。
にもかかわらず、なぜお尻の病気になるのか?
あ、誤解のないように。膿皮症はお尻の病気ではなく、皮膚の病気。それが、わたしの場合、お尻にできたというだけ、です。

これは、精神と体の結びつきで説明できるのかもしれない。いままでこのデキモノができた頃のことを思い返すと・・・あまり人に言えたような考え方をしていなかった。自虐的であったり、「本来自分はこうあるべき」あるいは「本来自分はこうありたい」という思いとはかけ離れた状態にあるとき、またはそれらの思いとはかけ離れた言動をとったとき。
この病気になったのは、18歳で高校を卒業して就職して上京した1年目の冬だった。
うーん。12年もこの病気とお付き合いしていることになる。あまり嬉しくないけど。デキモノができて、はれて熱をもって、痛みが激しい。はれた箇所の一部の皮膚が薄く、そこを縫い針などで突き刺し、中にたまった膿を絞り出していた。
何度かは病院に行った。その度にイヤな思いをしてきた。同年代の看護婦にお尻を突き出すのだから、あまりいい気はしない。そういうプレイを望む人なら別だが。
それがイヤで病院にはあまり行かなくなった。自分で前述したような対処をしてきた。
そのつけがこれだ。腫れて、つぶして、また腫れて・・・その度に、膿がたまるポケットは、どんどん大きくなっていったのだ。
これを最後にしよう。
いま通っている病院でしっかり対処してもらい、最終的には手術(膿がたまるポケットを皮膚ごと取り除くらしい)をして、再発しないようにする。
もう、お尻のことで痛い思いはしたくないから。


連休中、嫁さんと気分転換をかねて上野動物園に行って来た。パンダのシュアンシュアンは人気者だった。ごろりと寝そべったり、おきあがって笹の葉を食べたり。
トラも人気があった。ガラスのすぐ側まできて放尿したり、メスを追いかけて交尾しようと試みたり(メスが嫌がって逃げられた)、いろいろな姿を見せてくれていた。
アザラシは檻の奥でかたまっていた。「なんだよ、つまんないなー」と思ったら、1頭がプールに飛び込み、泳ぎだした。まるで客の心を読んでいるかのようだった。
・・・何人以上の客が檻の前まできたら、こういう動作をする。というマニュアルがあるようにも思えた。
そう思えるくらい、あちこちの檻でいろいろな動物が、いくたびにいろいろな姿を見せてくれた。


本屋さんで気にかかる本があった。本の名前は「神との対話」。サンマーク文庫が出版している。
この手の本はいろいろ出てきているし、いろいろ読んだ。どうせ、これも他の本と同じなんだろうなぁ、と思った。けど、気になる。買って読んでみた。
自分が感じていた、思い描いていた宗教観というのだろうか。それと同じことが書いてあった。読んでいて面白いし、一言一言が心に響く。この本は3部作の形式だったので、第1部を読み終えたら、すぐ本屋に行き、第2部と第3部をまとめて購入した。
第2部は一日で読み終えてしまった。中には、読んでいて、すんなりと理解できる部分となかなか理解できない部分があった。これは何度か読み返せば、理解できるだろう。
理解できても、すぐさま実践できるかどうか。それが課題だろう。