『豪奢の伝聞』


 倫敦に住むようになり、俺達もようやくこの石と霧の街に馴染んできた。
 当初は西洋の魔術師は頑固で偏屈でずる賢い、というイメージを持っていたが、どうやらそれは間違いで、霧の都の連中は気さくな奴が多い。
 何しろ、俺の下手くそな英語でも、気にせず会話につきあってくれる。
 いくら「時計塔」と言えども、そこは同じ学生同志。うん。頭の固い奴らばかりじゃない。
 もっとも遠坂に言わせると、それは俺が最初っから「魔術師として相手にされていないからよっ」なんて情けない具合から、らしいが。
 気がつけば、俺は周りから「レッド・バトラー」赤い従者と呼ばれるようになっていた。
 「風と共に去りぬ」のレット・バトラーとかけているらしい。
 曰く、「赤毛の召し使い」。
 曰く、「あかいあくまのしたぼく」。
 どうやら俺が遠坂の使いっ走りである、というのは周知の事実であるらしい。
 まあ否定はしないが。
 しかし、俺をレッド・バトラーと呼ぶのにかこつけて、遠坂のことを「スカーレット・トウサカ」と呼ぶのだけは、いただけない。
 いや当人の前でそんなことを口走る畏れ知らずは、いやしないが。
 「スカーレット・トウサカ」というのは無論、「スカーレット・オハラ」とかけてのことだろう。
 スカーレット。物語ではレット・バトラーの愛する人。そして彼を愛する女性。
 陰でそう称されているのを知った遠坂は、そう、舞い上がっていた。喜色満面と、にやけ、背中に翼があれば本当に飛んでいたに違いない。
 スカーレット。
 深紅の魔術師。
 協会では、最高位の魔術師に、色を冠した称号を与えるという。
 豪奢な赤。
 けして正式にではないにせよ、まさしく主席候補に相応しい、名誉ある称号。


 だがしかし。
 その裏にあった真の意味に気がついた時、そして誰が最初に言い出したのかを遠坂が気がついた時。
 俺の目の前に「あかいあくまがいた」。


 スカーレット。
 深紅の魔術師。
 それは深い赤色にして、どこまでも原色に均く深いのに、けして原色の赤に辿り着けない「貧素の赤」。
 永遠の主席「候補」。


 ――貴方には次席ぐらいが精一杯じゃなくて?
 そうおっしゃられていらっしゃるのだ。もう一人の主席候補である、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト嬢は。


「――そういえばシロウはご存じでして?」
「ミストウサカ――彼女の魔術の腕を評して、最近ではスカーレット・トウサカと皆が口々に賞賛してやまないとか」


 拙い。不味いまずいとにかくマズイ。
 俺のバイト先であるエードフェルトのお屋敷でティータイムの最中にふとそんなことを洩らした「彼女」。
 で、家に戻って夕飯の最中に、人伝えにそんな噂が流れているらしいことを「遠坂」に零した俺。
 俺が眼前の「あかいあくま」の逆上にぶるぶる震えているその頃、きっとあのお屋敷では「きんのけもの」がおほほほほと高笑いをして勝ち誇っているに違いないのだ。


 ついでにいえば「風と共に去りぬ」では、結局、レット・バトラーとスカーレット・オハラ破局を迎える。


「恋のおままごと気分を今は充分に噛み締めておきなさいな」
「どうせ貴女の我儘に振り回されるのに嫌気がついて、シロウは貴女の許から立ち去ってしまうんですから」



 ――暗にそう揶揄されているのを知った遠坂凜は、激昂した。一瞬でレッドゾーンであった。
 憤怒の炎。――「あかいあくま」。
 士郎とセイバーが体を張って止めていなければ、それこそ抑えきれぬ激情のままに屋敷に乗り込んでいくつもりだったに違いない。
 その甲斐があってか、一応の冷静さを取り戻す。もっとも、不満は下火になっても鎮火はけして、しないだろう。
 つけくわえるなら、体を張って「あかいあくま」を押し止めたのは士郎だけであり、いま本人は彼女の足下でズタボロになって手折れている。
 セイバーはただ一言、しがみつくぼろ雑巾を引きずって今にも入口の扉を蹴破らんとする少女の背中に向かって言葉を発しただけである。
「今月もうこれ以上の破壊活動とそれに関する賠償請求があれば、私たちは餓えて死にます」
 満腹な獅子は猫のように大人しいし、愛くるしい。
 だが餓えた獅子は只の獅子である。獰猛な腹ぺこらいおんに、サーヴァントもマスターも関係ない。
 彼女たちは、獅子と「同居」同じ檻の中で暮らしている。
 ――餓えだけはまずい。ひたすらマズイ。
 凜は一瞬にして頭にのぼった血を下げた。背中に冷汗を掻いていた。冷静さを取り戻して、逆上を押し殺して、深く静かに淡々と怒っていらっしゃるセイバーに対して言い訳を見繕わないと、とにかくマズイ。
 一定周期で質素になる食事について、後ろめたさもあったわけだ。とくに、一定周期の間隔が徐々に早くなっている「原因」としては。


 だから、気がつかなかったのだ。
 ルヴィアの「スカーレット」発言に隠された、裏の裏のメッセージに。
「ミストウサカ。今は、そう、ご存分に甘く、甘い緩みに浸っておきなさい」
「貴女が充分に油断した処を見計らって、わたくしがシロウをこの手に――」


 それは、宣戦布告である。
 同じ魔術師として。女として。

 ――