<51>友達のいる人生 最後に

 突然朗報が来た。OB会長宅に電話だ。話題の主は高校三年のキョウスケ君。「どうせ落ちると思ったんだけど、本人が行きたいって言うから受けさせたら受かっちゃったのよ」大学入試突破だ!青森の四年制大学学生寮で生活する予定だそうだ。まだ、お母さんから許可を貰っていないが、おめでたいことだからもうちょっと詳しく話そう。きっと彼女もだめだとは言わないだろう。
 キョウスケは幼稚園時代、心配で暗い顔のお母さんを尻目に、元気に動き回る子だった。甲高い早口でしゃべった。彼には二才年下の弟がいる。おむつをつけたまま兄貴顔負けにちょろちょろする弟ミッチはいつもキョウスケと一緒にすぎの子に来た。キョウスケ兄弟と同じ時間にトシ君タカちゃん兄弟も一緒にセッションをすることにした。同じような年齢構造の兄弟。こちらも動くのは好きだが、もう少し付き合いがいい。とにかく動きたがりの四人のチビ達のために行進曲に合わせてサーキットを組んだ。平均台一本から始めて、歩行階段、すべり台、跳び箱、マット、棚渡り、机飛び降り、はしごまたぎ等々、一つずつ増やして、様々な運動に挑戦できる立派なサーキットが出来上がった。
 普通だったら絶対上がってだめ、と言われるような部屋の中にあるすべてのものが材料として使われた。これは半年以上も続いた。よくあれだけ長い間飽きないで続けてくれたと感心するほど、彼らは熱中した。公平に言うと、一番喜んでいたのはミッチとタカちゃんだ。今日もあれをしよう、と催促するのも、まだ続けるんだ!とごねるのも、弟たちだった。ご当人達が飽きてしまっても、弟たちがキャーキャーと動き回っているのを見るとついつい戻ってきて続けてしまう、と言う図。お母さんもすっかり持ち前の明るさを取り戻して、ワハハオホホで二年間が流れた。
 キョウスケは、すぎの子修了と同時にお父さんの転勤で転出し、あとは、風の便りで小中学校を普通学級で通し、普通高校進学したそうだ、ということだった。 
 で、今回の朗報だ。彼は知的な遅れはなかったが、自閉的な部分はそれほど軽くはなかったはずだ。かなりの苦労をしただろうに、普通の子ども達の間で人生投げないで過ごせた理由は何なのだろうか。以下、お母さん談。
 小学校時代は思い通りに行かないことも多く、結構ヒーヒーキーキー言いながらいた。いじめられることもあり心配したがいつの間にか友達もできた。中学はサッカーをやったが芽は出なかった。弟のミッチが中学に入り、卓球で頑張って県大会、東北大会と脚光を浴びることが出てきた。それを見て、何か刺激されることがあったのではなかろうか。高校で陸上部に入り、頑張り始めた。合宿などもあり、最初はいじめられることもあったようだが仲間もできてきた。次第にいい記録を出すようになり、あと一歩で全国大会、と言うようなところまで行った。これが本人のものすごい自信になったようだ。今でも時々変なことを言うが、とにかく青森に行くんだって。頑張って稼がなくっちゃあね。 
 彼女の口からあまり勉強の話が出ないのはおもしろい。読み書きの勉強を軽視するわけではない。しかし、キョウスケの友達付き合いは、すぎの子時代から一貫して「身体を使うこと」を軸として成り立ってきているような気がする。ここ数ヵ月間話してきたOB会高校生ブロックの子ども達も一緒に歌ったり、サッカーしたり、シーソーを楽しんだり、歩き回ったり、というような「身体を使うこと」でつながってきているみたいだ。友達のいる人生のキーポイント、「楽しんで身体を使うこと」なのかしらん?