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セミビキニ

プロフィール

aikawa8823

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2018-10-04 初恋

ありとあらゆる面倒ごとを残して突然死んだ母の納骨を済ませて、今後の相談千代田区にある法律事務所へ向かうまっすぐの砂利道、夏めいた空のせいでのどは渇き寝不足の頭の中は広げたばかりの仕事や生まれて間もない姪と甥の養育のことが憤りをはらんでくるくると空回り、買ったばかりのルブタンがクソ痛い。すべてを投げ出したい気分で歩いていたその時、ふいに手渡されたフライヤーが目に入る。インターネット有名人による大喜利イベント、見覚えのあるいくつかのテキストサイト名前を見ていると、知らないけど知ってる人に会いたい気持ちがわき、同行の親戚に休憩とるわと言い残し、ほぼ反射的に小走りで会場へ向かう。

いくつものイベントが同時開催中で、思いのほか人が多い。Tシャツ売り場の先に行けばわかると聞いてきたが混雑と熱気で迷い、いったんバックステージに出ると、ひとりであたふたと荷物をまさぐっている出演準備中藤崎さんが居て目が合う。相変わらずの圧倒的異性感。と、そこに出演者なのかスタッフなのか世話焼き女房づらのおじさんが現われ猛然と藤崎さんをせかす。「この人、あのー……セミビキニだっけ?……」という藤崎さんの心もとない説明は、おじさんのそんなん知らん早くしろにかき消され、Chloeの喪服を着た不審者しかないわたしは観客席に何とかたどり着き、後列のパイプいすに座り、CELINEトリオバッグからDiorマキシマイザーを取り出し渇いたくちびるにぐりぐりして自分を落ち着かせていると、すぐに大喜利イベントがはじまった。

はじめて見る原宿さんは、目がそこに居ない、ちゃんキチガイの顔をしている。子どもの頃NHKしか観させてもらえなかった藤崎さんの回答は、道徳からの外れ方が独特で、この中では社会性のありそうな人の回答は、スベり方に愛嬌がある。横並びの出演者が発するいたたまれない気恥ずかしさの中にある、負けたくないどうにかなりたい、しかもそれで飯を食いたい強い気持ちは、斜め目線の観客席にもそこはかとなく漂っている。

10年前の98年前後中学生ながら平野さんの目をかいくぐり潜りこんだロフトプラスワン、そこでかけだしのリリーフランキーがやっていたスナックリリーを、わたしは思い出していた。4回目までは客もガラガラだったけど、彼は毎回早めに来て偵察までしてとにかく発信したがっていた。そしてその中身は半端なオールナイトニッポンパーソナリティーごっこ。

大喜利は盛り上がったりつまらなかったり聞き取れなかったりしながら進行されていく。腰を上げたくないずっとここにいたい居心地の良さがあった。30分ほどでしびれを切らした兄が、でっかいレッドブル片手に呼びに来て、仕方なく席を立つ。

「なあ、今のなに?たけし軍団か?あ、それよかさ、オレもTシャツのデザインとかして売ってみたいんだよ!オレの才能って…」

後ろから聞こえる兄の大声すべてを無視して、晴天の中、再び砂利道を歩き出した。

それから10年が経つ。

姪と甥は文化的に育ち、親になるのに10年掛かった兄は、妹の金でオリジナルTシャツパンツなどを扱うショップを開き、今ではpatagoniaやSupreme、マルジェラも扱う節操のないほぼ古着屋となりつつも細々と商いを継続中。死んで10年経っても母の後始末はすっきりとは片付かず、母は夢にすらあらわれず何も気づけない。わたしはというと、最短距離の金稼ぎから子育てと本職、今死んだら「あの人は本当に働き者だったねえ」と人に言われるぐらいだろうが、それが次につながっていくはずだ。このモヤモヤとした嫌な予感はしばらくは続くけど、実際にはいいことも起こるし悪いことも起こる。

昭和のつけを払い続けたのが平成なら、突然終わらず考える猶予をくれた平成の終わり方って、わたしにはやさしい。

2004-12-25

[]メリークリスマス&セミビキニ1周年 おめでとうございまーす!

ログによると、去年の今頃は交通事故により入院中で、彼氏のいる友人たちに「今ヤってる?」という嫌がらせ電話をしていたらしい。けれど今年のわたしは違う。料金未納でケータイが不通だっ。

[]クラスの無名人と街の有名人

イヴの前夜、地元で小学校同窓会に出席した。幹事の無謀な日時設定のため、集まったのは10数名。会場は、幹事の両親が営んでいる浅草うなぎ屋。「震災も空襲もくぐり抜けた」が自慢の古く辛気臭い店の座敷に、地味な面々が揃った。

幹事の父親は、うなぎ屋の主人としてよりも、浅草を生き返らせた男として、その名を浅草界隈に轟かせている有名人。おじさんは、浅草が観光地として下火になりかけていた頃「仲見世を竹下通りにしよう」をスローガンに地域密着型の営業活動を精力的に行い、観光客が必ず自分のうなぎ屋に足を運ばざるを得ない安易なトラップを配した観光MAP雑誌をつくり、大々的に街のあちこちで無料配布をした、言わばフリーペーパーの先行者。他にも、浅草寺を拠点とした人力車商売の礎を築いたり、ビートたけし映画監督として世界的評価を得るや、国際通りの名称をビートストリートに替える運動をはじめて、見事に実現させたり、浅草がフューチャァされるテレビ番組などには必ず出演し、ブラジルサンバ祭りでは必ず先頭をきってサンバリズムを一切無視した踊りを披露し、最近では浅草に道場を持つアニマル浜口親子の応援団を仕切り「昔っから、アニマルとはマブダチだった」と吹聴したりと、少々強引ながらも、おじさんの仕掛ける企画はいつも成功し、商売を投げ打ってでも浅草を盛りあげ続けるというおじさんの姿勢に文句を言う者を、わたしは知らない。

おじさんの作るうなぎはお世辞にも美味しいとは言えない。いつも冷めている。しかし、半端じゃない営業能力とたゆまぬ宣伝活動が実を結び、店の壁には有名人サイン色紙が所狭しと貼られ、店内は外国人観光客をはじめとした一見さんと、おじさんを慕う地元民たちで連日賑わっている。

同窓会はおじさんの仕切りではじまった。クリスマスパーティのつもりはなかったが、おじさんが「メリクリ!」と精一杯の若者言葉で乾杯の音頭をとったので、みんなも従う。サービス精神旺盛なおじさんは、昨晩のうちに和室の座敷をクリスマスっぽい装飾にしてくれて、それを「この時期、うなぎ屋は暇なんだけど、昨日は遅くまで忘年会が入ってたもんだから一睡もしてない」と何度も恩着せがましく説明してくれる。また、「アニマルから借りた」というカラオケセットまで持ち込まれており、これでもかと出される料理は、くどい程にうなぎを駆使しながらも意味の無い箇所に取ってつけたかのように銀紙が巻かれたりと、クリスマス料理っぽい演出が施されている。おじさんは、わたしたちのことを、クリスマスだっていうのに恋人が居ない気の毒な若者という哀れみの目で見ており、女子は5人しか居ないのに、終始「男女男女で座れ」と無茶な指揮をする。

おじさんが考えるクリスマスを無機質に楽しんでいると、わたしの隣に座っていた影の薄い男子が「うなぎ食べれない…あなごなら食べれる…」と言い出し、その言葉がおじさんの逆鱗に触れ「おまえ誰だ?あ?」となった。すると会場にいるすべての友達は「そういえば誰だっけ」という顔になり、誰もが、影の薄い彼の名前や存在を忘却していたことが発覚。しまいには「覚えてないから呼んでないはずなのに、よく来れたね」とまで幹事に言われる彼。

その後、おじさんの仕切りでゲームカラオケがはじまり、うたげは彼を置いてきぼりにしたまま進行していったが、かろうじて彼の名前だけは覚えていたわたしは、彼に「小学生時代の思い出深いエピソード」を聞き出し、彼の存在を思い出そうとした。彼によると、プール開きの前日にプール掃除をしていた時、ホースから勢い良く水を放射すると虹が見えることを最初に発見したり、昼間でも空に月があることを最初に発見したり、校庭の裏庭から隣接している製紙工場の人気の無い休憩場へ行くことが可能で、そこの冷水機は冷たくて美味しいので、校庭を抜け出して水を飲みに行く生徒が激増して問題になったことがあるが、最初に冷水機を発見したのは自分だとか、小2の頃に大流行した「のぐち」という遊びを発明したのは自分だとか、愚にもつかない話をはじめる彼。

彼の話を強引にまとめると、彼には類稀なる発想力やひらめきがあるのにも関わらず、それをみんなに伝授する影響力や営業能力が著しく欠如しているため、いつでも自分の手柄を周囲の友達に横取りされてしまい、影の薄い人物になってしまうとのこと。彼の話を適当に聞き流し、おもむろに席を立とうとしたら「キミにもやられてことがある」と言い出す彼。

わたしは仲良しの子と「1メスシリンダー」というお笑いコンビを組み、放課後や休み時間に教壇上で、主にダウンタウンパクる漫才コントをしていたのだが、それのひとつに「ジャンケンでずっとアイコが出る滑稽さ(何度も「アイコで!」が続くうちに徐々に言葉がグダグダになり、しまいには「ウンコで!」と言ってしまい、ブリブリーって漏らすという最悪なオチ)」を表現した演目があったのだが、それは彼の発想をパクったもので、アイコに最初に着目していたのは彼だったと主張された。まったく身に覚えのない、しかも遅すぎる不毛な容疑だが、彼の目は冗談を言っている目つきではなかったので、素直に謝った。

すると、彼は、専門学校を出て今はお兄さんとふたりで小さな旅行代理店を営んでいるが、そこでもやっぱり発想やひらめきを、営業能力しかないお兄さんに横取りされている哀しい現状を訴えはじめる。彼の愚痴を聞いていると、いつの間にか、目の前におじさんが仁王立ちでそびえ立っており、彼に「浅草をどう思う?」と質問。堰を切ったかのように「今後の浅草論」をぶちかます彼。帰る頃には、彼とおじさんは意気投合し、おじさん命名の「浅草デコボコ」がめでたく発足。しばらくコンビを組んで、お互いの能力を結託して浅草の発展につとめるそうだ。

2004-12-12

[]

同居人追い出し計画を続行中。今度は負けないつもり。

[]さくらんぼ

今にも産まれそうな位、パンパンに突き出たお腹。肩からは、なぜかヨーガマットを2組ぶら下げ、異様に挑戦的な面構え。一緒に駅からの道を歩いていると、坂道や信号のたびに「ドゥルルゥードルルルゥ」と、野性味溢れる息遣いが漏れ聞こえ、何事かと思い「ヨーガを始めたの?」と尋ねると「ヨーガは関係ない!ドゥルルルゥ」と苦しげに答える、兄の嫁ユッキー。この妙な呼吸法は、妊娠20週目に突如自然発生し、止めることが出来ないばかりか、効用は特に無いとのこと。

ユッキーが妊娠して以来、兄とユッキーの激しい性格を考慮したうえで、近所に住んでいながらも、接触を避けてきた。連絡すら取らずにいた。すべては「バカふたりに巻き込まれたくない」の一言に尽きるのだが、金曜日にユッキーが「金を貸して欲しい」と神妙に電話してきたので、お金は貸せないけどご飯を奢ると説き伏せて、久しぶりにユッキーを我が家へ招くことに。

家に着くや、ユッキーは買ったばかりだというNintendoDSを自慢げに取り出し、タッチパネルを指で夢中になってこねくり回したり、素早く擦ったり、その一連の動きの合間に、思い出したかのように、先ほどの奇妙な呼吸法を試みたり、義妹に借金を頼みにきたとは到底思えないほど自由を謳歌。文句を言うと、ユッキーはNintendoDSカバンからもうひとつ取り出し、貸してくれる。なぜ2つも持っているのかと尋ねると「何でも2つ買うのだ」と、理解しがたい返答。ユッキーによると、妊娠してから何でも2つずつ買うようになり、不必要だと分かっていても、同じものを2つ買わないと不安になり、我慢出来ないらしい。わたしは、この奇病とまったく同じ症状のキチガイを知っている。それは、母だ。

わたしが大学に入り、母と兄とわたしで3人暮らしをはじめた頃、母のこのけったいな奇病が発症。発端はお風呂のフタだったように記憶している。母が、連日のように連れ込んでいた恋人と一緒にお風呂に入り、想像だにつかないアブノーマルな事をしでかし、木製の頑丈なお風呂のフタをまっぷたつに割ってしまった時のこと。翌日、母はフタを2つ購入。しかも、母には「目分量」だとか「おおよその大きさ」という概念がなく、そのフタは我が家の風呂釜の倍以上の大きさ。それでも「大きい方がセックスをしても割れないし、2つあれば安心だ」と主張。またセックスでフタを割る前提で選択しているのが、妙にムカついた。

またある時は「頭骸骨を少し広げると健康に良い」というインチキ話を吹き込まれ、突起物が内臓されたゴム状のチューブを、家族分の2つずつ、計6個も購入。わたしは一度も使用していないが、毎日、母に強引に装着されていた兄によると「痛くないのに涙が出ちゃう」らしい。それ以外にも、母は何でもかんでも2つずつ購入し続け、何とか阻止しようと買い物に同行しても、翌日にまったく同じものを無断で買ってきてこっそり隠していたり、お金を自由に使えないようにしても、知人やわたしの友人に借金までして「2つずつ買う」ことを無駄なガッツで押し通した。兄は、今どんな気持ちで、ユッキーと暮らしているのだろうか。

しばし呆然としていると、ゲームに飽きて「誰にも教わっていないのに自然にやってた」という自己流ヨーガをしていたユッキーが、例の妙な呼吸法の数段上をゆく激しい呼吸で、ヨーガマットの上で七転八倒。「救急車呼んで!」と絶叫するので、反射的に従う。救急車が来るまでの間、苦しさのあまり暴れまわるユッキーを必死に抑えて、頭やお腹を床や壁に打ちつけないように庇うので必死だった。数十分過ぎたあたりで、ユッキーの顔が青くなってきたので、ユッキーをありったけの布団で包み、救急車を誘導するため、大通りへ。駆けつけた隊員に、ユッキーの年齢や妊娠していることなどを告げ、家の中に案内すると、ユッキーの顔を見た隊員が「またあんたか!」と驚いた顔。意味が分からず「大丈夫でしょうか!」と興奮して聞くと、ユッキーは既に先ほどの苦しみに満ちた様子ではなく、かろうじて「ドゥルルゥ」と小動物のように唸っているだけ。隊員に「もう平気だね?」と強い同意を求められ、黙りこむユッキー。

直後、わたしは隊員につまみ出される形で玄関先に連行され「困るんだよ!」という言葉を皮切りに、ありとあらゆる言葉で激しく怒られた。ユッキーは今までに3度も、救急車をユッキー宅に呼びつけたらしく、隊員たちの怒りは相当なものになっており、救急車が帰った後も、一番怒っている年配の隊員だけは残り、小一時間に渡りずっと説教。「狼少年という昔話を知っているか?あんたらがやった行為はそれ以上に悪い。あんたらのせいで助かるはずの命を落とした人が居るかもしれない。人殺しだ。人殺し家族だ。今回は住所が違うから駆けつけたのに、またあの妊婦だった。罪は重いぞ。国をバカにしているのか?」

耳に激痛が走るほどビブラートが効いた声で、延々とループする隊員の罵倒。圧倒的な権力の前に追い込まれたわたしは、咄嗟に仰々しい土下座をして謝り、今後2度とこのような事はさせないと約束。ようやく許してもらう。涙を拭きながら居間に戻ると、ユッキーは、2組のヨーガマットの上で、2つのNitendoDSを握ったまま、寝たふりをしていた。

2004-12-07

[]

STUDIO VOICEに、セミビキニ日記コラムづらで掲載されています!原稿料の支払いはまだなのですが、家族や同居人に自慢しすぎてケンカになりました。明日で22歳になります…。

[]結婚

触覚がやっとあらわになった。ヒクヒクと自在に動き、三角状に尖ったムカデ色の艶やかに濡れているカブトムシの触覚。それはカブトムシの意思とは関係なく、それだけが別の生き物かのようにうごめき、ひたすらメスを求めている。再びガチっと力強くメスの後方に襲い掛かるオス。力を込めて引き離すと、触覚がグリグリと暴れ、切なげに宙を舞う。

わたしは、カブトムシが交尾を試みるたびに、彼らの体を無理やりに引き離すことを日課としていた。というのも、カブトムシのメスは子供を産むと死んでしまうと、昆虫博士を自認する友達に教わったから。カブトムシ子供を産み、新しいカブトムシを手に入れることよりも、この2匹のカブトムシが生き続けてくれる方が、わたしには重要だった。

その頃は、交尾の意味を知らずにいたので、交わろうとするカブトムシを引き離している時に、母が「この行為の意味を知っているの?」と尋ねてきても、わたしは「結婚だ」と真剣に答えていたし、本当にそう思っていた。母は狂ったファービーのように笑ったが、わたしは、寝る間も惜しんで、カブトムシの「結婚」を阻止することに熱中。

登校や睡眠前には、カブトムシに「結婚するな」と言い聞かせ、それでも信用出来ず、飼育カゴにダンボールの切れ端を仕切りのように2匹の間に割り入れたり、「カブトムシフランス語電波として理解する」という腑に落ちない奇想天外な話を友達から教わった時も、ジェーン・バーキンの無造作紳士カブトムシに向かって恐ろしく適当に歌ってみたり、冬が近づくと、カブトムシをコタツに入れて暖をとらせたり、カブトムシ雨水を好むという説を耳にすれば、雨の日に外でカブトムシを天にかざし、積極的に雨を飲ませようとしたりと、間違いだらけの浅知恵ながらも、わたしなりの方法でカブトムシを大切にしていた。

そのカブトムシは、おのじから貰ったものだった。おのじは、隣に住む盲目の大家さん。全盲ながらも、しっかりとした威厳のある風格を持った中年男で、一軒家でひとり暮らしをしていた。離婚直後でお金がなかった母は、破格の家賃でアパートを借りるかわりに、午前中はおのじの家で、掃除洗濯を手伝ったり、話し相手になったりと、かなり親密な関係に。といっても、母は「どうせ見えやしない」と陰口を叩き、手伝い全般、すべてにおいて手を抜いていたし、母が唯一調理出来る自慢のおでんを炊いてお裾分けする時も、大根や昆布や卵などの安い食材ばかりを選んで、おのじに差し出し、後でわたしに「喜んで食べてたよ」と悪びれずに言っていた。

わたしは、おのじの目が見えないということを密かに疑っていた。一緒にいるとまるで見えているかのように振舞うし、年寄りや男や不美人には気づかぬ振りをして通り過ぎるのに、若い女や美人に会うと、いつも被っているハンチング帽を手早く目深に被り直し、「おや?お出かけですか?」などと、気取って声をかける。また、おのじは目が見えないわりに、趣味麻雀で、母や近所の連中と麻雀をする姿を見ても、打ち方が素早く、捨て牌をピタリと言い当てたり、いつも勝っていたので、わたしは「絶対見えてる!」と、確信を強くしていった。

夏、おのじは「涼しいから」という理由で、真夜中に日課である散歩をする。目が見えないので、昼間でも夜中でも、おのじには同じことらしい。おのじが散歩に出る時は、アパート前の路地を杖でコツコツと音をさせて通るので、1階の窓際で寝ているわたしはすぐに気づく。ある日、わたしはおのじを尾行することを決意。夜のしじま、おのじの足音と杖の音が響く。わたしは、靴音対策のため、裸足で足の裏にガムテープを貼った状態で、おのじを追いかける。この対策は必死に考えた末に編み出しだものだったが、2,3歩でガムテープはめくれ、地面にペッタンペッタンと貼り付いてしまった為、おのじはすぐにわたしに気づき、一緒に散歩をすることに。

真夜中の散歩は、思った以上にこわく、おのじとわたしの力関係は逆転。おのじに手を引いてもらい公園へ。おのじは力強く歩く。公園では地元のヤンキーが集団で花火をしていた。その方法は、花火の火薬だけを抜き取り、それを束にして火をつけるといった乱暴なもの。やがて、花火大会はフィナーレを迎え、最後はありったけの火薬を大きな束に。火をつける係りのヤンキーは、とても腰が引けており、「ヤバくね?」と、助けを求めるような笑みを浮かべながら何度も躊躇して、仲間に野次られていたが、ようやく覚悟を決めて火薬に火を放つ。その瞬間、辺りが昼間の明るさになり、焦ったヤンキー集団は一斉に公園を走り去ったが、一番大声を出したのは、おのじだった。おのじは、おたけびを発しながら、公園の水道へ走ろうとしたが、転んでしまったので、わたしが置いてあったバケツに水を入れ消火。火薬周辺の草は燃え、裸足だったわたしは少しヤケドを負った。振り返ると、おのじが「一瞬見えた…目が見えた…」と言っている。

何がなんだか分からなくなり、家に戻ると、母が離婚したはずの父と「結婚」していた。次の日、おのじにカブトムシの「結婚」や、母と父の「結婚」の話をして、カブトムシのメスと母が死なないためにも、やはり「結婚」を阻止するべきかと尋ねた。おのじは、それには答えず、「目が見えるかもしれないから、また花火をしたい」と言い出し、大量の花火を買ってくるようにと、わたしにお金を渡す。

その夏、何度も真夜中におのじとふたりで、花火の火薬を抜き取り火を点けたが、すべて徒労に終わった。夏が終わる頃、母とおのじの「結婚」を阻止した時、おのじの触覚を見た。カブトムシは、何の方法が良かったのか、翌夏まで生きた。

2004-11-18

[]情熱の赤い花 後編

昔々、ふもとの村人が、優しいことをひとつすると、ひとつ花が咲く、花咲き山があった。
山姥は、10歳のアヤに教えてくれた。
「昨日、おまえが赤い花を咲かせた。それは、おまえが祭り着を諦めて、
お母さんに『妹のサヨに買ってやれ』と、言ったからだ。
家が貧乏で、ふたりに祭り着を買えないのを知っていたから、自分は辛抱したね?
お母さんはどんなに助かったか。サヨはどんなに喜んだか。おまえは切なかったな。
だけども、この赤い花はどんな祭り着よりもきれいだろ」
アヤがこの話を村人に言っても誰も信じてもらえなかった。
しかし、優しいことをするとアヤは時々「あ、今、花咲き山におらの花が咲いたかな」
と思うことがあったとさ。

自分を犠牲にしてでも人に優しいことをする、という実に南先生好みの物語「花咲き山」。

先生は、焼き芋事件の翌日に、みんなのまえで涙ながらにこの話を朗読した。そして、わたしのように先生に自分の食べかすを差し出すような根性の曲がった子が、このクラスから居なくなるよう、みんなが優しい子になるようにと、4年1組に花咲き山を誕生させた。

先生は、わたしのことは勿論、焼き芋をくれなかったクラス全員を恨んでいるようで、焼き芋の話をくどくどと蒸し返しながら、後ろの黒板に貼ってあった成績グラフ表を乱暴に破きながらはずし、おそらく徹夜で作ったであろう、自作の「花咲き山表」を掲示。何か人に優しいことをしたら、花型の色紙に名前とどういう優しいことをしたかを書き、貼っていくという4年1組流花咲き山の趣旨をみんなに説明する。どんなことにも競争方式をあてはめる、実に南先生らしい提案である。

花咲き山に、最初に花を咲かせたのは、南先生本人だった。山のてっぺんに貼られたピンク色の花には「道に迷っている人に道を教えてあげました。南先生」と、誇らしげに書かれてあり、先生はみんなに、その人が外人英語しか話せなかったが、先生は苦手な英語で頑張って道を教えてあげたという話をする。そんなことぐらいで花咲き山に花は咲くのだろうか、と思ったが、この教室では南先生が「咲いた」と言えば咲いたことになるので、こんな野暮な行為にも、みんなは拍手を送った。

日経っても、花咲き山には、南先生ピンク色の花しか咲かない。おそらく、優しいことをしても、自分で「こんな優しいことをした」と言うのが、みんなは恥ずかしかったのだろう。逆に先生のようにあつかましい人こそ珍しい。

そんなある日、学校の帰りに近所の公園で、苦しそうにうずくまっているお婆さんが。わたしは驚き、「大丈夫ですか」と声をかけたが、お婆さんは苦しそうに下を向いてうめいている。すぐに大通りへ走り、大人に助けを求め、救急車を呼んでもらった。夜になって、お婆さんの家族の方が家に来て、ケーキをくれてお礼を言われた。お婆さんは入院したけど無事とのこと。わたしはこのことを、親にも誰にも言ってなかったので、母はわたしをすごく褒めてくれた。

次の日、わたしはこのことを花咲き山に書こうかと迷ったが、焼き芋事件のこともあるし、やはり恥ずかしいので書けずにいたのだが、お婆さんの家族の方が、感謝からか、昨日のことを校長先生に報告してくれたらしく、臨時朝礼でわたしは全校生徒の前で表彰された。表彰状を受け取り、友達に冷やかされながら教室に戻ると、南先生が抱きついてくる。ものすごく強い力で抱きつかれ、また「情熱」を食らうのかと恐れていると、先生は「情熱が花を咲かせたんだ!花咲き山に優しい花がようやく咲いた!」と絶叫し、どこで調達してきたのか、大きな花型の真っ赤なフェルト地を渡してくる。そこには「おばあさんを助けました。相川」と、白いマジックで達筆に書かれており、その花を花咲き山に貼るように命じる先生

わたしは先生のことを、本当に気持ち悪く感じ、先生が貼ったピンク色の花の上に、被せるようにわざとその大きな赤い花を貼り、ニヤニヤしながら振り返ると、その瞬間、わたしの頬に南先生のたぎるように熱い「情熱」が炸裂した。

現在、南先生はいまだ独身ながらも教頭になられ、赴任先の小学校では、全校生徒に南先生流の花咲き山教育を、義務付けている。

2004-11-17

[]情熱の赤い花 前編


ここ最近、南先生の機嫌が悪い。また見合いがうまくいかなかったのだろうか。

毎朝、港区から1時間かけて走って学校へやって来る。化粧っ気のない顔を汗だくにして、登校中のわたしたちを追い越す。生徒はみな直立で「おはようございます!」と南先生挨拶。そうしないと、後で呼び出されて叱られるから。南先生は、とても厳しい女先生だった。

小4の春、担任になったばかりの南先生は、「甘えは許さない。みんなやれば出来るということを先生が証明してみせる」と断言し、のんびりとした下町小学校の4年1組を大改革することを宣言。教室の後ろの黒板に、成績グラフ表を貼りながら南ルールを述べた。

宿題の他、ドリル習字日記読書感想文は毎日出来る限りやる。こなした枚数分だけグラフ表にシールがつけられる。落ちこぼれは一目瞭然となるので、死に物狂いで勉強すること。毎朝、朝礼前にクラスマラソンを行う。ゴールで先生が待ち構えていて順位の書いた紙を手渡す。ビリから10位以内の者はもう1周追加。逆上がり・のぼり棒・うんていが出来ない者は、放課後居残って出来るようになるまで練習すること。出来る子にはシールを与える。班に出来ない子がいる場合は、出来る子が教えてあげること。みんなで協力し合い向上すること。

先生は本気だった。先生はズルやグズが大嫌いで、先生が義務づけた最低限のルールをこなせない者には、容赦なく鉄拳制裁。先生はそのビンタを「情熱」と呼び、教壇の引き出しにカラーボールを何個も仕込み、授業中に余所見をしたり、お喋りをした者には、信じられない速さでカラーボールを投げつけ、「ツラ洗ってこーい!」と怒鳴り、廊下の水道で洗顔をするように命令。

ものの数日でクラス内の落ちこぼれメンバーは浮き彫りになり、その4人の机は先生の教壇の両隣に2人ずつ強制移動。4人だけは授業とは別カリキュラムが組まれ、教壇と同じ方向に机を置かれたため、クラスのみんなとは向き合うような変則的なクラスに。先生は「出来ない子は食生活がおかしいはずだ」と言い出し、4人と一緒に給食を食べるようになった。食べ方もすべて先生が指示する。先生牛乳を1口飲めば、それに従い4人も飲む。先生がシチューのニンジンを食べれば、同じように4人も食べる。一連の動作に勝手は許されなかった。

あまりの光景に、教室内は葬式のように静まり、この緊張感に耐えられなくなった落ちこぼれのひとりがゲロをしてしまうと、先生は眉毛ひとつ動かさずに「汚い汚い」と言いながら、ゲロを素手で片付け、ついでだとばかりに、飲みかけの牛乳を床にぶちまけて、牛乳ワックスで床を磨き出す始末。

翌日、落ちこぼれ扱いを受けた4人中3人が欠席。先生は「親が甘い。ダメな子は親がダメなのだ」とはき捨て、わたしたちに欠席した生徒の親はどんな親なのかを聞き出そうとしたが、先生の質問に答える者はいなかった。

先生を慕う生徒はいなかったが、先生に怒られるのを恐れ、萎縮しながらも、誰もが躍起になって勉強をして、ひとつでも多くのシールを得ようと睡眠時間を削り、運動が出来ない子も、放課後居残って暗くなるまで練習していた。みんな、遊ぶ暇もなくヘトヘトだった。

ある日、図工室の陶芸用の窯を使って、全校生徒で焼き芋を作って食べるという、パっとしない催しが行われた。先生は朝からむやみに張り切り、「子供の頃から焼き芋が好きだった」「先生はもらえないから、みんなが羨ましいな」と言い、恐ろしいほどに分かりやすく、生徒に焼き芋をくれるようにせがんでいた。ところが、人望のない先生の教壇には芋ひとつ置かれぬまま。

焼芋でテンションが上がっていた育ちの悪いわたしは、ほんのイタズラ心で、食べかすの皮を集め、まるで芋が入っているかのように丸め、アルミホイルに包んで、教壇の上の置いた。それを見た、先生の隣の机の落ちこぼれが、生焼けで食べられなかった歯型のついた芋をアルミホイルに包み直し、同じように教壇に置いた。

教室に入ってきた先生は「あらあら、ありがとう!」と、見たこともない満面の笑みで、アルミホイルを開ける。次の瞬間、鬼のような形相になった先生は、芋の食べかすを手につかみ、教室中を大またで「誰だ!誰だ!」と歩きまわり、犯人探し。仕方なく「はい、わたしです」と消え入りそうな声で答えると、先生はわたしの机に突進し、広げたままの教科書に、食べかすをこれでもかとグリグリとこすりつけながら「教師生活20年!こんな屈辱は初めてのことだ!お前には裏切られた!」と絶叫。先生号泣しながら、わたしに「情熱」を連続で数発食らわし、教壇に戻った。

そして、「こんな酷いことをするヤツもいるけど優しい子もいる」と、落ちこぼれが置いた芋を手に、またもや泣いた。が、それは半分に割ったものの生焼けで食べられなかった歯型のついた芋だという事実が発覚するや、またもや鬼の形相で犯人探し。落ちこぼれを見ると、歯をガタガタさせて震えていたので、「それもわたしです」と英雄気分で先生に告げた。先生アメリカ人のようなオーバーリアクションで黒板に後頭部を打ちつけながら驚き、泣きながらわたしの前に立ちはだかり、わたしの口に生焼けの芋をグイグイ押し込み「食べろ!食べてみろぉぉ!この裏切り者ぉぉ!」と叫び、しまいには泣き崩れた。もう「情熱」はくれなかった。 つづく。

2004-10-19

[]

10/13 TVBros.にセミビキニが小さく掲載される。BUBKAの時よりも嬉しい。

10/16 2日連続でディズニーランドへ。初めて行ったのだが、楽しすぎて熱が出てしまう。

10/18 ディズニー年間パスポートを買いそうになる。

[]濡れ手にアワ

オレたちひょうきん族最終回が放映された夜。小1だったわたしは、日課である夕食後のお皿洗いをしていた。洗剤をいっぱい泡立てて、ホイップクリームのような泡で食器を洗うのが好きだった。その時、泡がすべて吹き飛ぶような地響きがして、天が割れんばかりの轟音が、隣家から聞こえた。数十秒続いた爆音が途切れると、今度は女の子の悲鳴にも近い泣き声。食器を手に持ったまま、あわてて家の裏玄関を飛び出ると、隣の洋品店の裏にショベルカーが突き刺さり、つい最近になって増築したばかりの風呂場の壁が、コントのように四方へ倒れて、入浴中だったと思われる、幼馴染の女の子全裸で泣いていた。商店街の住民が次々に出てきて、すぐに警察が来たが、この犯行が地上げ屋によるものだということは、誰の目にも明らかであり、皆口々に地上げ屋の血も涙もない荒っぽい行為を小声で嘆き合いながらも、復讐がこわいため警察に対しては一切口を塞ぎ、明日はわが身と震えたった。こんな悲惨な光景を目の当たりにしながらも「だみだこりゃ!」と、面白がって何度も叫んでいたバチ当たりな兄は、駆けつけていた寺の住職に捕まり、殴られたうえ、近隣の大人に混じって、洋品店の裏で全壊した風呂場の後片付けを、朝まで泣きながらさせられた。

その数日前は、うち(花屋)の向かいにあった果物屋が、地上げ屋からの相次ぐ嫌がらせによって、この商店街を去ったばかりだった。その果物屋の場合は、中年の独身息子が中心になって、痴呆気味の母親の面倒を見ながら、父親と力を合わせて商っていたのだが、息子が市場へ行っている時、地上げ屋が店に乗り込み、店番をしていた父親を羽交い絞めにして、ほんの数分、店を離れさせた隙に、ひとりで店にいたボケている母親を騙し、書類に印鑑を押させたと言う。その日の内に「水菓子屋がやられた」という噂は、一部始終を覗き見していたわたしの母を発端に商店街中に広まり、おのおのの家庭の年寄りに「何を言われても印鑑を押すな」という教育がなされ、年寄り子供の手の届かない場所へと印鑑は隠された。

時はバブル崩壊の直前。わたしの住む下町では、都市再開発の遅れを取り戻すべく、地上げ屋が猛威を揮っていた。駅前商店街への地上げ行為は、特に荒っぽく、わずか数ヶ月の間に、そこそこ賑わっていた商店街は、軒並み地上げ被害に遭い、歯抜け状態に。商店街の住民は、夜な夜な会合を開き、この事態をどうにか切り抜けようと必死で知恵を絞ったが、地上げ屋の嫌がらせは日に日にエスカレート

深夜、豆腐屋が仕込みのために、店のシャッターを開けると、店の前に猫の死骸が置かれていて、撤去しようと棒で触れた途端、猫の腸から無数のウジ虫がドバーっと出てきたらしい。猫を食うウジ虫がウジ虫を食うという光景に豆腐屋の店主は声を失い、その場で失神。床屋では、看板代わりに、人が通る度にセンサーが反応して「イラッシャイマセ」と言う床屋ロボットを導入したばかりだったが、地上げ屋が交代で1日中ずっと床屋の前を行ったり来たりするという嫌がらせをしたため、客が1人も入らないのに、ロボットの哀愁漂う「イラッシャイマセ」という声がエンドレスで商店街に響いてしまい、床屋は高額をはたいて導入した床屋ロボを泣く泣く撤去。食べ物屋は、人糞を撒かれたり、猫やネズミなどを投げ込まれたりという不衛生な嫌がらせをされて、即座に営業停止に追い込まれることが多かった。若い娘がいる店では、度を越したセクハラが横行。商店街は日に日に客が減り、開店休業状態に陥った。

そんな中で、なぜか家具屋だけは、地上げ屋から一切の嫌がらせを受けていなかった。家具屋の店主は、商店街青年部の部長で、選挙ともなれば、2号店を選挙事務所として提供したりと、小さな社会の権力者。異変に気づいたフルーツパーラー店が調べたところ、すぐに地上げ屋と家具屋の黒い関係が発覚。家具屋は、土地と等価交換で完成したビルの一角に出店させてもらうかわりに、商店街の情報を地上げ屋に横流ししていた。私欲のために商店街を売っていたのだ。そのくせ、毎晩の会合では、みんなの中心となって「地上げ屋から商店街を守ろう!」とやっていたのだから、地上げ屋から被害を受け続けているみんなは怒り狂った。

もう誰も正しい判断など出来なかったのだろう。すでに地上げされて引っ越していた果物屋をはじめ、ほとんどすべての商店街関係者が集まり、家具屋が在庫商品置きとして使っていた路地裏の倉庫で、大暴動が始まった。力任せに家具を破壊する者が多い中で、店内に人糞を投げ込まれたとんかつ屋は、その場にしゃがみ込みウンコをひり出し、風呂場をショベルカーで破壊された洋品店は、倉庫の中で一番高価そうな桐タンスを家族総出で分担して盗み、頭に血が上った果物屋は「帳尻が合わないんだよ!」と叫び、家具に火をつけた。が、それを見ていた父が「それは本当の犯罪だから」と制止したため、すぐに火は消され、最悪の惨事は免れたらしい。そして、先頭をきって家具を蹴散らしていたタバコ屋が、いきなり家具に背を向けて、「もう家具を見るのもイヤだ」と涙ながらにこぼし、その一言で庶民の大暴動は収まったらしい。

バブル崩壊で、地上げは中途半端のまま終わり、現在の商店街は変形的にビルが立ち並び、その隙間を縫うように、地上げを乗り切った古くからある店が混在。うちの花屋は地上げとはまったく関係のない個人的な理由で潰れ、家具屋も経営不振で潰れた。騙まし討ちのように地上げされて、一家で川越引っ越し果物屋は、1年も経たない内に、建てた家が道路拡張のために立ち退きとなり、地上げの立ち退き金と国からの補助金で、かなりの財産を築き、今は伊豆で悠悠自適に暮らしている。

2004-10-11

[]

10/10 母がダイエーでパートを始める。母がまともな職に就いたのはこれが初めてなので心配。

10/11 久しぶりのフットサル。わたしが抜けてた期間の練習試合は全勝しているらしく、逆歓迎を受ける。

[]Holy Land

毎朝7:50発の電車に乗って通学していた。混雑する人込みをかきわけ、いつもの車両、いつもの連結部分へ。そこからじっと彼を見つめる。彼の制服と学年章から、通っている高校や年齢は認識していたが、その他、彼に関して知っていることは、顔がキムタクに似ているということだけで、彼の名前すらわたしは知らなかった。中3だったわたしは、通学前に早朝バイトをしていたので、友達の家の車に同乗させてもらい通学していたのだが、友達が学校を休んだ日、やむを得ず電車通学した際、彼と運命の出会いを果たし、それ以降は、友人の親切をバッサリと断り、彼を見つめるためだけに、何があろうとも7:50の電車に乗っていた。

わたしは彼と仲良くなりたいばっかりに、友達を誘い、彼が通う高校の春文化祭へ。学内を探しまわり、夕暮れ時になって、ようやく校庭の隅で男友達数名と談笑している彼を見つけた。その後は、わたしの薄汚い計算通りに事が進み、文化祭が終わった後、みんなでファミレスへ。

彼の名前は明夫。建築家の父親と家具デザイナーの母親を持ち、サヨコという名前の洋猫を飼っていて、趣味はエアガンやモデルガンの収集。渋谷のガンショップでバイトをしていて、好きな服はグッチラルフ。完璧すぎるほどに、明夫は素敵だった。わたしの友達は、明夫の圧倒的なカッコ良さやオーラに感動。当たり前のように友達全員が明夫に惚れてしまい、ファミレスの帰りには「抜けがけ禁止法」が定まり、明夫を発掘したわたしとしては複雑な心境ながらも、明夫と話せただけでも有頂天になっていた。

ボーリングダーツビリヤード。明夫は何をさせても天才的な技量を見せ、何度みんなで会う機会があろうとも、みんなは会うたびに明夫に魅せられ、明夫の写真を激写しまくり、写真をみんなで分け合い、明夫はみんなのものだった。

明夫が通う高校の体育祭。わたしたちは当然のように自分の学校の体育祭をサボり、明夫の応援へ。前日打ち合わせた通りに、分担した弁当を持ち寄り、明夫へ届けた。秋の高い空に吸い込まれるように綺麗な明夫の笑顔。午後になって、ようやく明夫の出番になり、グラウンドを走る明夫を見た瞬間、みんな我が目を疑った。明夫の走り方は、どの生徒よりも不細工で、どんな生物よりも奇怪な動きで、その遅さたるや、点滴をぶら下げた入院患者にも負ける勢い。その日、明夫の追っかけグループは人数が半分に減った。残ったのは4名で、勿論わたしも残留組。諦めの悪いわたしたちは、明夫の走り方が滑稽なだけで去っていった過去の同志たちを口汚くののしり、いつまでも明夫を追いかけ続けようと誓い合い、明夫と出会った明夫の学校聖地と決めた。

その頃、わたしは、ある信用できる筋から、キムタクが住んでいるマンションの住所を入手した。わたしは密かなキムタクファンで、あまりに好きすぎて、キムタクが好きなことを誰にも公言出来ず、逆に、聞かれもしないのに「キムタク?大嫌い」と、無駄に嫌悪感をあらわにしたり、「見たことないんだけどキムタクドラマってどう?」と聞いて、独自の庶民リサーチを行っていた。明夫に惚れた理由も「キムタクに似ている」の一言に集約できるほどだったので、わたしは何の迷いもなく、キムタクが住んでいるという文京区にあるマンションを何時間も張り、本気でキムタクに出会おうとした。

実は、小学生の時に、カールスモーキー石井ファンだったわたしは、彼の実家である茨城県のまんじゅう屋を自力でつきとめ、カールスモーキー石井の年老いた両親が営むまんじゅう屋へ行き、人の良い両親が、家の中に入れてくれて、アルバムを見せてくれたり、何かと親切にしてくれたのをいいことに、カールスモーキー石井本人が居るわけもないのに、何度もサインをねだったり、「てっぺいちゃん(カールスモーキー石井のあだ名)まんじゅうを作って売ればいいのに」などと、生意気にもほどがあることを言って、カールスモーキー石井の両親を困らせたという、誰にも言えない前科があり、中学生になっても何の成長もしていなかったわたしは、無邪気な猪突猛進根性を貫き、執拗キムタクマンション周辺を、数日間に渡って徘徊。結局、文京区マンションは、キムタクが都内に借りてるいくつかのマンションの中のひとつで、滅多に使わないらしく、キムタクとは出会えずじまい。今から思えば、近隣の方々に通報されなかっただけでも、感謝するべきだろう。

わたしがキムタクに対してストーカー行為を働いたことは、すぐに明夫の追っかけグループにバレて、わたしは彼女たちから激しい突き上げをくらう羽目に。「明夫というものが居ながらキムタクを追いかけるなんて言語道断」「明夫を侮辱する気か」「今すぐ明夫の追っかけをを卒業するべき」皆、まるで熱病にうなされたかのような激しい物腰。口々にせめられたわたしは、必死で言い訳をして、彼女たちに「明夫の追っかけを続けること」を許してもらおうとした。付き合っているわけでもなく、手を握ったことすらない男のことで、なぜここまでせめられるのか、という根本的な間違いに、あの頃のわたしは気づけなかった。

その後、明夫に彼女がいることが発覚。彼女が、女学館に通う金持ちの帰国子女で、かなりの美人であることを見届けたわたしたちは、即座に明夫を諦め、聖地である明夫の学校に忍び込み、明夫の追っかけ卒業式を行い、その帰りには、「よくよく考えるとそんなにカッコ良くなくなくなーい?」というわたしの一言を皮切りに、明夫の悪口大会が勃発。明夫の滑稽な走り方を真似しながら大笑いをしたり、ついには明夫を憎むようになるという、最低な幕引き。

そして今から4年前、キムタク工藤静香結婚をした直後、わたしは、あんなにも好きだったキムタクが大嫌いになり、世界平和を祈るのも世界滅亡を祈るのも元を正せば同じことように、キムタク死なないかなー、とまで思うようになった。

2004-10-09

[]

新潮小説、250枚の予定が500枚以上になっているのにまだ書き終えることが出来ず。

[]風のうわさ

エロ雑誌編集のバイトを通じて、何名かの漫画家の方と会ったことがあるのだけど、かなりの高確率で強烈な個性の持ち主が多い。漫画家の方々と、数日間どこかの小部屋に監禁されたら、わたしは気が狂うかもしれない。その中でも、わたしが最高峰に純度の高い狂気を感じるのは、風俗漫画の第一人者として、古くから活躍されているヤマザキ先生だ。

ヤマザキ先生は、よく編集部に顔を出す。大声で「まんこ」だの「ちんこ」だのと、楽しそうに話しながら登場して、暇そうな人を見つけては「オレは違うんだけどさ」「風のうわさで聞いたんだけどさ」という言い訳がましい前置きをしてから、包茎や短小や早漏などの特徴を持った男性器の持ち主を面白おかしく大々的に揶揄。特に早漏には手厳しく、「女を悦ばすことが出来ない男はクスリを飲むべし!」と言い切るほどだ。そして最後に「もちろんオレは違うんだけどね」というダメ押しともとれるような哀しい一言で締めくくる。しかし、先生の取材に同行しているカメラマンによって、先生は彼自身が挙げる3大ダメ男性器の三冠王だとの情報が、編集部内に知れ渡っており、皆一様に先生の熱弁を聞き流している。その後も、全国の風俗を渡り歩いている先生ならではの、ご当地トークが続く。「名器が多いと言えば東北の女を思い浮かべる人が多いけど、本当に名器が多いのは三重だ」とか「オレぐらいになると、いかなる店でも本番ができる」とか「女の足の小指を見れば、マジでイってるか演技かが判定できる」「オレは毎回、女をイカせている」など、先生の話は基本的に下品だ。相槌が遅れると、途端に不機嫌になるのだが、仕事が忙しいと、どうしても返答がおざなりになる。すると、先生仕事に関してもバンバン口をはさむ。

AV紹介の見出しを書いている時のこと。先生は、わたしが考えたコピーを勝手に覗き込み「陳腐だな」と吐き捨て、次々に代案を出してくれる。けれど、先生は「ちんこ」だの「まんこ」だの、ストレートな言葉を好み、基本的に下品なので、数分考えた末に「チンコVSマンコ」という衝撃的なコピーを真剣に推してきたり、沖縄出身女優が出演してるというだけで「ゴーヤチンコちょうだい」という名コピーを自動的に生みだす。わたしは曖昧に笑いながらすべて却下するのだが、先生は諦めない。誰も頼んでいないのに、帰宅後もう一度コピーを考え直して、絵巻のように長いコピー案をファックスで職場に果敢に送信してくるのだ。しかも「直接的な表現は使えません」と何度も念を押したのにも関わらず、またもや「ちんこ」だの「まんこ」だのをふんだんに散りばめた、小学2年生が考えたかのような100コ近いコピーの数々。『「おマンコがいっぱい」(「思い出がいっぱい」とかけてる。)』などと、説明までしちゃってる。観てもいないAVに対して、題名のみから安易な想像を膨らませて、陽の目を見るわけもないコピーを何度も考えるという、凄まじい執念。先生ファックス用紙の余白にいつも書く先生直筆の先生の似顔絵が、いつもよりも自信満々に微笑んでいるように見えた。

ある時、わたしは先生と一緒に会社から駅までの道を歩いていた。先生はいつも通り、天下の往来で「ちんこ」「まんこ」に焦点を合わせたトークを楽しげに繰り出していたのだが、突然「ウサギが焼ける匂いがしないか?」と言い出し、何かに導かれるように駅とは反対の方向へ鼻をクンクンと鳴らしながら歩き出し、何のためらいもなく、入り組んだ路地をズンズンと入っていき、ある一軒家の前に立ち止まった。その家の軒先にはビーフジャーキーが干されていた。先生は「どなたか居ませんか?」と大声を出し、インターフォンなどには目もくれず、その家のドアを闇雲にドンドンと叩いた。何かに急かされているかのような乱暴なノック。家の中から出てきたのは、先生よりも若干年上の恐そうな中年男性で、思いっきり不信な目で先生とわたしをにらみつけ「何の用だ!」と、少し怒った様子。先生は名刺を渡して自己紹介をした後、「風のうわさでビーフジャーキー名人がここら辺に居ると聞きまして。もしや、あなた様のことでは?」と、耳を疑うような先制パンチをかまし、唖然とする男性などおかまいなしに、自家製ビーフジャーキーに関するうんちくをまくしたてる。で、一通り話し終えると、気が済んだとばかりに、挨拶もなしに、その場を撤退。再び、何事もなかったかのように、「ちんこ」「まんこ」話をしながら、駅へ向かって歩き出す。先生と行動を共にすると、たった数十分の距離でも、必ずやこういったトワイライトゾーンに引き込まれたかのような現象が起こるのだ。

数日前、先生から電話がかかってきた。先生はいつになく興奮気味に話す。「風のうわさで聞いたんだけど、四国エロ仙人がいるらしい。2時間で女を100回以上もイカせた挙句にショック死させて、しばらく山に篭ってたらしいんだけど、最近になって里に下りてきたらしいんだ。一緒に取材にいk」ってとこまで聞いて、背筋に悪寒が走ったので即座にケータイを切った。

2004-09-25

[]

小説をなめてた。

[]さよならオサくん


先週のこと。バイトから帰ると、沖縄から同居人ラムの友人が何の予告もなしに来ていて、ラムとふたりでテレビを観ていた。わたしが声をかけても、一切喋らず、ラムの背中に隠れるように佇み、背中越しにわたしの様子を窺うようにしているので、最初は口がきけない人なのかと思った。何を聞いても黙って俯いているのに、「お腹すいてます?」と問うと、急にはっきりした口調で「はいっ!」と敬礼して言うので、味噌おにぎりをあげると、わたしを味方として察知してくれたようで、おどおどしながらも話し始めた。けれど、声が異常に小さく口にコブシでも入ってるんじゃないかというぐらいモゴモゴと話すので、まったく聞き取れず、ラムから彼に関する一通りの説明を受けた。さらに開いた口が塞がらなかった。

ラムと同時期に沖縄大学を中退した彼ことオサくんは、陸上自衛官になる。が、性格的にも体力的にも合わずすぐに除隊。諦めの悪いオサくんは、懲りることなく3度も入隊と除隊を繰り返して、自衛隊を永久的に追放される。そこでオサくんは、ダンサーを目指して上京を決意。ところが、所持金はゼロに等しく、可能な移動手段は徒歩と自転車のみだったため、飲まず食わずで自転車を走らせた。その日の内に体力的な限界を感じたオサくんは、自転車を捨て、車を盗み、無免許運転。翌日には呆気なく逮捕。驚くべきことに、オサくんは、その初心を忘れなさ過ぎる性格ゆえ、懲りることなく同じ犯罪を3度も繰り返し、最終的には窃盗と無免でかなり重い実刑を受け、九州で服役。刑罰金を支払ったオサくんの親はオサくんを永久に勘当。保釈された時、オサくんが上京を決意して既に2年の月日が流れていたが、オサくんはまだ本州にさえ上陸出来ずにいた。

更に月日は流れ、つい先月、オサくんはようやく東京の地を踏む。おそらくラムしか連絡できる友人がいなかったため、うちに来てしまったというわけ。当初、なし崩しに同居人が増えてしまう可能性を危惧したわたしは、断固としてオサくんをうちに泊めるのを拒否。何事も最初が肝心でなめられてはいけない。同居に関してはラムと梅ちゃんで懲りているし、まともに口もきけない前科者を同居させるほど、わたしはめでたくない。なので百歩譲って、日中の数時間だけはオサくんの入居を許し、寝たり泊まることを禁止した。すると、オサくんは昼間はうちでゴロゴロして、夜になると駅前の若者がスケボーやダンスをしている広場のような場所で寝るようになった。今思えば、これは最良の決断だった。

梅ちゃんとオサくんは、めちゃくちゃ気が合わない。顔を合わせば口論。ふたりには共通する部分が多すぎる。まず、ふたりは、それぞれ自分の中の歪んだ時間軸で生きている。世間的な時間の流れなど、ふたりの中には存在しない。オサくんは上京するのに数年もの歳月をかけるのんびり屋さんだし、梅ちゃんは5分前の約束すら忘れ、曜日感覚はおろか月感覚すらない年中常夏のラテン女だ。また、ふたりの奇怪な行動にはいつでも何の理由もない。オサくんや梅ちゃんは、「なんで?」「どうして?」と、思わず詰め寄って尋問したい程のバカな行動ばかりするが、実際に「なんで?」と質問をして、こちらが意図する回答を返してもらった試しがない。

オサくんが、朝っぱらから、とうもろこしの皮を繋ぎ合わせたヒモ状のものを頭にターバンのように巻きつけて、駅前の広場から「ただいま帰りました」と帰ってきて、素手で持って帰ってきたマスを「交換したもので、2年ものです」と説明してお風呂の浴槽の中に放流したりするのも、梅ちゃんが、真夜中に「ねえ、イエスマン」と、わたしに何度も話し掛けてきて無視していると、「頭が寒い」と言って、ストッキングを頭からかぶったまま薬を飲もうとして「飲みにくいから鼻から吸いたい」と泣いているのも、野性化した小動物が、突然そこら辺の街路樹に身をすり寄せてジャレるのと同じで、彼らの行動は、わたしたちが理解し得る範疇を逸脱している。

昨夜、ラムの留守中にオサくんと梅ちゃんが険悪な雰囲気になり、口論になった。すると普段はロクに口がきけないオサくんが、急に怒り出し、梅ちゃんに対して「おまえは頭がいかれてる」と、絶対に言ってはいけないことを言った。わたしから見れば、どちらも負けず劣らず頭がいかれているのだが、梅ちゃんは本当のことを言われ泣き出し、裸足で家を飛び出たので、仕方なく追いかけた。梅ちゃんも本気で出て行くつもりはないので、後ろをチラチラと振り返りながらの、いやらしい走り方だったので、すぐに捕まえて20分ほどで家に戻ったのだが、オサくんの姿がない。今日になってもオサくんは帰らず、不審に思っていると、梅ちゃんの財布からお札がゴッソリ抜かれているのが発覚、梅ちゃんによると「8万円盗まれた」とのこと。わたしの財布には小銭しか入ってなかったので、手付かずだった。

オサくんは東京で、こういったチンケな犯罪を3度ほど繰り返す気がしてならない。ちなみにオサくんの顔は、よしもと芸人ほっしゃん。に激似。