2010-11-01 フォゲットミーノット
4years past
あの日を忘れることはない。正確には、あの週を。
ハワイへと旅立った僕の目に飛び込んだ記事。
ホノルルから毎日のように新しい情報を求めていた。
日本に帰ってきて…
彼女は僕たちの目の前から、まるで魔法にかかったかのようにいなくなった。
彼女にとっても、残った7人にとっても、ファンにとっても大きな心の穴となった。あの空虚な気持ちはもう二度と感じたくないな。
今、きっと貴女は笑って過ごしていることでしょう。
勿論、今は5人ですが、℃-uteも笑って過ごしています。
そして、僕たちも。
短い間に駆け抜けた貴女へ。
℃-uteで関わった人は全て、仲間です。それが℃-uteだから。
もし、次に見るときがあるのならば、きっと℃-uteが終わる日だろう。だから、暫くは会えないね。
毎年6月6日とこの日だけは忘れずに思い出したい。
薄まる記憶ではあるけれども、あの曲もこの曲も、貴女の思い出とともに、歌い踊ります。
2010-10-25 アナザー・ウエイ
あれから一年
正確には21時間ほど早い気もしますが、日付も変わり、あれから一年が経過しました。
あの日… 大阪への道は所帯を持つ薄給なわが身には厳しかった。
大阪へ!
人の夫なんて身にやつした立場としては、大阪への道は険しかった。
4万円なんてチケットの価格、新幹線は3万円弱でしたか、とてもじゃないけど断念したかった。行かない理由、行けない理由なんていくらでもある。
けれども!
あの日、大阪NHKホールに向かった。
別に梅田えりかのファンだったという自覚はない。けれども、℃-uteのファンだったことは間違いようのない事実であり、結成以来日陰で縁の下の力持ちとして頼りないところもあるけれども、一生懸命で、全力で、優しく、美しい矢島舞美を絶えず支えてきた梅田えりかのことを思えば、大阪に行かずに℃-uteのファンだと名乗ることを憚られた。
正直、今でもそう思っている。
あの日流した涙。
多分、誰の目にも宿った涙は、尊いものだったと思う。
Wアンコールへと出る6人の肉声の生々しさが懐かしい。
あの日、梅田えりかという大切な存在を失う変わりに、僕たちは℃-uteになった。多分、それ以前もそれ以後も℃-uteだって想いはあるけれども、あの日ほど℃-uteでよかったって思った日はない。
あれから一年が経過し、℃-uteのメンバーも卒業した梅田えりかも、その前に脱退した栞菜も、それぞれがそれぞれの立場で毎日を過ごしている。
もう見ることは叶わない村上愛もきっと元気なことだろう。
あれから一年…
現在の5人編成の℃-uteは℃-ute誕生以来、最高のパフォーマンスを提供し続けています。
えりがいなくなってから…
さまざまな状況でコンサートから足が遠のきました。
多分、あなたがいないのは方便で、多分あの日が℃-uteからの精神的なインディペンデンスデイだったのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
そもそも婚約、結婚と経てきた僕にはさまざまな制約が出てきたので以前のような生活ができなくはなっていて。
以前だってツアーに1公演しか入らないってことはあったから、やはりえりのいなくなったことはただの言い訳だったのかもしれないです。
でも、大好きな℃-uteではあっても、春のツアーに一回。今回のツアーとミュージカルに一回ずつ。
℃-uteのも、舞美のも、よりによって敬愛する高橋愛が主演していて中島早貴が客演している舞台ファッショナブルもいかなかった。
その後感情の面で回復に至ったのは高橋愛という素晴らしい人のおかげであったけれども、こうやって去っていくのだな、と過去に去っていった人々たちの気持ちを理解しかけていた中で、久しぶりに℃-uteと向かい合う機会がありました。
あの後、えりは多分彼女たちに会いにはいっていないはず。
けれども…
この一年を振り返ると℃-uteはメディアを中心とした活動はないに等しかった。
でも、現在のアイドルシーンの中で、どこに出しても恥ずかしくない、アイドルという括りではなく女性ダンスグループとして相当ハイレベルな能力を示してくれていました。
だってさ…えりがいた時期、まして栞菜がいた時期には、ダンスだけで公演持たせるなんて考えらなかったでしょ?
本当に踊り倒すんだよ。℃-uteを長らく応援してきたけれども、初めてだったはず。つまりは、ハロー!プロジェクトでもはじめての試みだったはず。
同じことは、今のモーニング娘。でもついていけない人があるいはいるはず。
もうさ、ちっちゃかった頃の千聖や舞ちゃんじゃ考えられないじゃん。
はっきりと足引っ張ってます、踊りは勘弁してください、じゃないんだもの。
千秋楽でそのあたりの話をしていたけど、あれだけ踊り続けるコンサートをしていたんだけど、千秋楽のアンコール明けなんて、迫り出したステージから全力疾走で元のステージまで戻るわけ。
その辛さは長らくステージで活動したえりならば余裕で理解できるでしょう。
でも、いつも一生懸命で新しいことに挑戦して、全力でひたむきに、でも愛らしく美しくいる今の5人は℃-uteのマインドそのものなんだよ。
しかもさ、居た事務所だからわかるだろうけど、無茶苦茶働かす事務所じゃん。
よりによって、千秋楽前のハードな時期にミュージカルの稽古が始まっていたんだって。
で、千秋楽の二日前に見に行ったんですよ。行かないって言っていたくせに、やはり見たくなった。だって、絶対に全力でやっているって見なくてもわかるから。
一生懸命な人を放置できるほど、心は貧しくない。だから、見に行った。
もうね、素晴らしかった。愛理がすごかった。
えりと、長年つきあってきた、愛理が初の主演。
その歌声だけでミュージカルが栄えた。震えた。感動した。
けれども、それ以上に嬉しかったのは、病気明けらしい舞ちゃんは大変そうだったけど、皆が輝いていた。
主演は愛理だけど、みんなが主役。そういう輝きがステージの上から発散していた。
えりや栞菜がいた時代は素晴らしかった。でも、今はそれ以上に素晴らしい。
だから、えりが置かれている立場を抜きにしてもあのステージから、正確には舞台裏から足が遠のくのも理解できる気がするんです。
あれから一年。
えりをもっとも必要とした矢島舞美。
昔から素晴らしいリーダーだったけれども、えりがいなくなってから長女としてリーダーとしてさらに素晴らしい人になったと思う。
多分、えりの優しさを意識していると思う。常にグループを愛する舞美の気持ちは一切のぶれがなかったけど、えりの分も愛情をふりまいているよ。
えりがいなくなってから、意識してグループのサブリーダー的なポジションを率先していると思うんだ。えりは、陰日向で℃-uteをささえていたけれども、彼女は、敢えてそこを強調するスタイルに思う。
努力する天才鈴木愛理は、常にグループの中心にいる。それは今も昔も変わらない。でも、グループの顔として舞美とうまく機能させていると思う。
女らしさが増したのは岡井千聖。
グループのファッションリーダーだったえりは、女らしさでも際立っていた。
まだまだ野生児だった頃のイメージも残っているけれども、本当に女らしさが出てきて、実のところその部分でえりが担っていた部分をいずれ背負うのかなぁと思うよ。
そして萩原舞は大人っぽさが出てきた。
℃-uteでもっとも大人っぽくて子供っぽい人が梅田えりかだった。
自覚あるでしょ?
いつまでも永遠の7歳…とか書くとこのご時世なのでロリコンと間違えられそうだからやめておくけど、あの子供だったマイマイが、今では立派なレディ。
℃-uteはまだまだ成長する。
そして、えり、君も。
モデルとしてはまだまだ駆け出しのえり。
もっともっと成長して活躍してください。
℃-uteは僕にとって誇りだけれども、勿論、巣立っても君は℃-uteなのだから同じように誇りです。
いつの日にか…
某かのメディアで、梅田えりかと矢島舞美が共演する日が来るのがささやかな夢です。
梅田えりかさん。
貴女の歩んだ道。
5人が歩む道。
二つの道は交差することはもうないでしょう。
けれども、
いずれの道も険しいけれども、頂上がある。
その頂上を目指して、頑張ってください。
そして、これからも℃-uteが歩む登山をゆったりと眺めていきます。
梅田えりかさん。
貴女はもう、ステージにはいない。
だけれども!
僕たちの背中に貴女は居続けてくれます。
黒地にピンクの一文字。
GEMと書かれ、背中にはハートマークを作る梅田えりかと矢島舞美。
℃-uteという物語はこれからも続くのだから、もっともっとたくさんの感動と愛情をください。魂で持って応えます。
℃-ute好きか?
えりもまた、僕たちと同じ熱い志をもった素晴らしい人だと再確認した雑誌の記事。
とあるブログ(men's-6さん)をリンクして終わりにします。
梅田えりかのいない一年間は、℃-uteに一層の飛躍をもたらしました。
あなたももっと高く飛べるはずです。
少しずつ飛び立とう。
あれから一年。
℃-uteはいつだって、最高です。もちろん、これからも。
ステージを去る直前に発したえりの言葉が、men's-6さんのその日の日記のタイトルなのは皆様もご存知のとおり。
そう思わされるには十分過ぎるほど美しい言葉です。
これは八人に対して、スタッフさんや多くのファンである皆様へ向けて。
ありがとう。
この一年。
色々なことがありましたが、良い一年だったって思います。
今、心底そう思います。
なかなか℃-uteやハローの現場には足を向けなくなりつつありますが、どんな形であれ一ファンとして応援をし続けて生きたいとあらためて思います。
