apoPTOSIS:mod.HB

最近は写真日記。

ローレベルフォーマット、いわゆる物理フォーマット

 HDD(IDE)の調子が悪くなった。PCでディスクチェックをすると途中でエラーをはき出し終了してしまうのである。もちろん論理フォーマット、パーティショニングを行ってもエラーなのである。捨てるか、物理フォーマットを試すか、というレベルだろうか。PCでの内部IDE接続が面倒臭いので、USB変換機を利用して色々と試してみる。
 まずHD各会社のユーティリティだが、これは内部接続利用で、しかもFDから起動を求められるので、面倒臭い。次に試したのが、Windows上で使用できるバッファローDisk Formatter。問題なくHDを認識し、作業ができる。迷いなく物理フォーマットをかけると、数分後には「正常に終了しました」のメッセージが。「あっけなく解決か」と思いきや、元々40GBのHDが、23GBのHDとして認識されている。面倒なので、そのままパーティションを作成。もちろん失敗するのだが、強引にWindowsの記憶域管理で再度パーティションを作成してみる。
 結果は途中でエラー終了であった。おまけに質が悪く、バッファローでも認識できなくなっている。記憶域管理でパーティションを消し、バッファローで認識可能になった後、再度物理フォーマットを行うと、「0GB」と表示されてしまった。それ以降は何をしても復元されず、ダメ元でG4の内部ATAにスレイブとして接続してみる。
 何というか、流石はOS9というべきか、マウントはしないまでも、ドライブ設定で初期化が可能なのであった。何事もなかった用にフォーマットが済み、パーティションも作成できてしまった。検証しても問題がなく、エラーは検出されない。念のためにB's Crewを走らせるが、問題なしなのである。浮いていたHDDが捨て駒として使い道が増えてしまった。
 それにしてもディスク管理の親切さはMacOSに軍配が上がる。ユーザビリティとは正に、という感じなのだが、OS9に限ればCD起動さえできてしまえばHD管理はどうにでもある。Windowsは相変わらずFD起動とか、プロンプトとか、下手したらKNOPPIXとかが最近紹介されているけれど、OSのみでのHD管理は弱い。もちろん他ソフトの充実度ではWindowsが勝ちなのだけれど、もう少し簡単にHD管理ができたら良いのに。FDISKとか最初意味わかんなかったし。XPの初期インストールでさえHD管理画面は文字ベースだし。VISTAWindows 7ではどうなっているのかわからないけれど、ソフト面だけじゃなく、ハード管理(ソフト上での)も考えて欲しいのである。もちろん物理上でのハード管理はDOS/Vが圧倒的に楽なんだけれど。

今の資本主義。今の?今の…?

 今の資本主義はもう、やめてくれを読んだ。にやにやした。吊られれば良いだろうか。NBのやり方を褒めるべきだろうか。

「こんな禿げ山のところで文明が発展するはずがない」。そして、「木を切り尽くしたために、文明が崩壊した」。そう直感しました。

その直感を証明するためには、森林破壊と文明の崩壊を科学的に証明しなければなりません。

 それ考古学じゃないでしょう。っていうか、科学じゃないじゃん。というつっこみから始めれば良いだろうか。直感優先型理由後付タイプである。社会科学系では一番気をつけなければいけないタイプだ。もちろん直感自体が悪いわけじゃない。けれど、その直感の証明の「為に」考古学を用いたら、ねつ造と同じなのである。直感は直感。科学的データは科学的データなわけで、それぞれが別の結果を示して良いのであって、というか最初から直感に合う用にデータを取ったらそれ科学じゃないから。昭和は平和だったんだと思う。ゆとり世代どころの話じゃない。
 そんなつっこみを細部にしていくと切りがないのである。

ギリシャ文明の末期にはマラリヤは風土病になっている。そして、ギリシャ人たちは力を喪失させていった。

ローマはどうだったのでしょうか。
交易システムを確立させるために、大量の木材資源を切った。そして森が禿げ山になっていきました。あとはギリシャ文明と同じですね。西ローマ帝国の都、ラヴェンナなどはものすごくマラリヤにやられました。

 あとはギリシャ文明と同じあとはギリシャ文明と同じあとはギリシャ文明と同じ。

実際、ローマ文明が衰亡の坂道を下り始めたのはキリスト教を国教にした391年以降。これが、ローマ文明が衰退した端緒になったと言われている。

 「実際」って。ギリシャ文明は?ねぇ、ギリシャ文明は?マラリヤは?禿げ山!禿げ山!

一神教の世界観に立脚した経済システムに代わる経済理論、経済システムを作るのは多神教の世界観を持つ日本しかありませんよ。

 いつの間にか西洋対日本。

でも、それは妄想だよね。本当に神や天国を見た人はいないのだからね。

 それは妄想だよ。本当にそう思う。禿げ山の話してればお金になるなんて、それなんて妄想。海流とかの話は完全な門外漢なんで「へぇ」と読んだけれども、他はやっぱりにやにやした。僕が今回意図的に並べ替えた引用文くらい胡散臭い。ジブリのネタには丁度良いかもしれないが、ナウシカの原作漫画を読んだ方が勉強になる。
 僕もそうかもしれないけれど、宗教の所為にしている時点で浅はかじゃまいか。キリスト教も聖人出現以降は多神教的だし、労働観念としてのプロテスタンティズムも実際はヨーロッパだけで見いだされる現象ではないわけだし。経済的視点ではマルクスを引き合いにしているけれど、80年代後半に社会主義体制はどうなったっけ。介入しようが市場は安定せずに、内在的矛盾によって崩壊する、というマルクス派的な内容なのだけれど、「生きとし、生けるもの、この地球上にあるあらゆる命が輝くような経済社会を作る」ための歴史があったわけで、その歴史から学ばないで理想を語っていたらまた繰り返すわけで。
  このテクストはテクスト外に示そうとしている何かがあるんだ、と思いながら読みたい。直接的にテキストを読んで、いちいち矛盾点を批判することに意味はない、と思いたい。それは作者の意図じゃない、と。でも、それでも、環境「考古学者」っていうくらいなら、せめて歴史学分野の話だけでもどうにかして欲しい。多分この人は肩書き無しで出た方が良かったんだ。その思いの丈を語って頂けたら良かったんだ。そうしたら「ああ、地球のみんなが輝ける社会ってステキだね」で済んだんだ。チラシの裏で済んだんだ。