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2009-02-24-Tue
■[雑記][ビジネス]リスク管理と不確実性
「あなたはユニークな他者を求めるのよ。逆にid:laquilaは代替他者を求めるの」一言で表現すればそういう意味だった。先日の奥さんとの食事中の会話である。「あなたは結婚をした。家庭を持った。それがホームになっている。そのホームをベースにして考古学に携われれば良いとは思っている。laquilaくんもそうなんだけれど、結婚しないと思う。色々なコミュニティを入れ換えて、それこそ考古学で食べて行こうとは多分全く考えていない。ケンケンはどちらも両立をしているけれど、laiquilaくんタイプではないかな。だって、しっかり結婚を考えているし。個人的にkojiさんはlaquilaくんよりもっとモテても良いと思っているけれど」話題は研究と結婚であった。
「だからあなたはそれなりにリスク配分型のつもりでも、laquilaくんの方がよりリスク配分型なのよ」背景には現状と今後の進路がある。laquilaは堅実で、今の職からビジネススキルを特化させ様と考え、結果的に考古学に還元しようとしている。逆に僕は今の職場でも「まぁクビになったらクビになったで」というスタンスで提案書を提出し、自分の部署のみならず会社全体に波紋を呼んでいて、処遇?(詳細はまた後日)が不明な状態でもある。その部分だけ抽出すると確率分布をしっかりと描いているのはlaquilaであり、僕は不確実性に入り込んでいる。
「どちらも考古学を柱にしているんだけれどね、人生に対して、というか生活、というものに関してのリスク管理の方法はまるで違うのよ。というより、あなたは相変わらず無計画なの。家族というか、理解してくれる唯一の人と、考古学あれば良いと思っているの」そういうことを指摘された(いつもなのだが)。言い方を変えれば僕はセカイ系体質ということだ。ロマンチストだからしょうがないのだろう。
そんな折に
の二つを読んだ。どちらもアカデミアに関するもので、上段はあり方、下段は現実である。個人的に上段に関しては、大学に入る前に培う意識だと思っている。全入学と言われるけれど、学問主体で研究に通じるのが大学の存在意義だと思っているので、人間形成を主体に置かれて学問を蔑ろにする、という現状は学問の商業化の結果だと考えている。下段は明らかに大学の閉鎖性から生じた誤解である。それは「大学院に行って博士を取れば、一般のビジネスマンより稼げるし、生活も安定する、ことが『約束されている』」という誤解である。文化系大学院からすれば以前から当たり前になっている話しが、理化学系にまで及んだと思うくらいで、別に今さら(今をいつにするかがも問題ではあるが)始まったことではない。
つまり何に言及したいのかと言うと、結局は自分の目的と方法の最適化と、そのリスク管理ができているかどうかが、学問だろうがビジネスだろうがサバイブしていく為の必須課題だろう、と。逆にそれさえできてしまえば、学問だろうがビジネスだろうが、フィールドが違っても人生はどうにでもなる、ということだろう。経営同様に、人生は不確実である。が、一つだけ確率を自分でコントロールできるものがある。自分の行動、それである。右に行く、と決めるのは自分である。左に行く、と決めるのも自分である。問題は行った瞬間に事故(良くも悪くも)にあったり、何もなかったりするだけだ。そのリスクをどう管理するか、自分の行動に確率分布が描ける様に「なる」にはどうすれば良いか、それがある意味全てだと思っている。
■[嫁]正解があればね
毎日の子育てって大変だけど、おもしろくって、時には悩むこともあって・・・、やっぱりかわいいからできる!なぁ〜んてありきたりな答えはいらないんだよね。「子育てって大変」なんて感じることは本当にたまにで、そんな風に思ってる暇がないってのが正しい言い方なのかもしれないけど、「おもしろい」なんて考えたこともないし、「かわいい」って感じることもほっと一息出来たときで、「時には悩む」なんてふざけんなって感じだし。毎日毎日自問自答で自答なんて大半が「仕方ない」ってな答になるもんで、ネットで検索しても本で調べてみても、ごくごくフツーの誰でもそう思ってるよってな綺麗な答しかなくて、結局最後には「パパに少し頼んで息抜きしてみるのもいいかも!」な〜んてことが書いてあんだよね。そんなのわかってるっつーの。そんなのが聞きたいわけじゃないんだよね。でもさ、自分の望む答えなんて見つからないのもわかってるんだよね。これでいいのか、って考えても、そうすることしか出来ない自分がいるんだもん。それに反省して違うことをしてみても、結局それがいいのかなんて誰にもわからない。あたしはいつも最後には子供が勝手に成長してくれてるって感じてることが多い。それを感じるたびに、置いて行かれないように必死に背伸びして、食らいついていってるんだよね。子供の成長についていけてない自分を認めてないわけじゃないけど、せめてまだ一緒に並んでいたいって思うわけで。子供が子供として甘えてきてくれるときは、本当に嬉しくて、いやだって言われながらもベタベタしちゃうんです。すみません。もうすぐ3歳になってしまうジュニアには、自分の子供だからってわけじゃなくて、本当に出来てるなって感じるんだよね。こんな3歳がいていいのかって思うくらい良い子で、物わかりが良くて、優しくて、しっかりしてる。これで3歳だから、5歳になったらどうなっちゃうのか不安になったり。きっとおかあしゃんがちゃんとしてないから、子供達がしっかりしちゃうんだろうな。ジュニアが勝手に「おかあしゃん」って呼ぶようになった最近、胸になにかがザクッって刺さる感じだったよ。「ママ」ってもう聞けなくなっちゃうんだなって。もうジュニアの中では、気が付いてなくても一歩以上進んでるんだなって。もし子育てに正解があったら、あたしはこんなにしっかりした子供にしないようなルートを選んでしまうんだろうな。親になんてなれないって、そう感じながら正解を自分の中で不正解に変えていくんだろうな。子離れの正解がほしいな。ね、ain_ed。結局デート中も子供の話をしないようにお互い気を使い、いつできるかわかんないデートなんだからって言い聞かせて、子供を頭の隅に無理矢理置こうと努力してみたり、2人の話をしてみるけど、うちらはきっと子供がいたほうがデートになるんだね。そわそわしちゃって、楽しかったけどちょっと疲れちゃったね。家で子供達が遊んでくれてて、それを2人でコーヒー飲みながら眺めてるのが一番のデートなのかも。「幸せだね」って言葉が自然を出てくる時間だもんね。2人で子離れの正解を見つけて、デート楽しもうね。子育てって何が正解なのかわからないからいいのかもね。
■[雑記]難しくて読めない
小学生にはむずかしい文章より。
小学生向けに文章を書けとオファーがあったそうで、文章を書いたら以下の返答だったとか。
しばらくして、やはり編集会議でボツになりましたという知らせが来た。
小学生にはむずかしいだろうという理由である。
本人的には予想通り、というか、多分こうやってネタにするためだろうとは思うのだけれど、一部抜粋。
過去に起きたかもしれないことを想像することはたいせつだと私は最初に書きました。それは、今この瞬間に、私たちの前に広がる未来について想像するときと、知性の使い方が同じだからです。
歴史に「もしも」を導入するというのは、単にSF的想像力を暴走させてみせるということではありません(それはそれで楽しいことですけれど)。それよりはむしろ、一人の人間が世界の運行にどれくらい関与することができるのかについて考えることです。
この内容がドラゴンボールだったり、ワンピースだったりするとOKなわけで、長い文章だったり言い回しが若干難しかったりするとボツになるわけである。漫画は漫画の役割、というか需要に応えるものがある。文章もまた同様なのだが、最近の学部生の話しとか見ていると、「むずかしい」という理由でボツにできる教育体制というか、正にゆとり世代というのか、そこら辺が笑える。
「バカにわかる言葉で話せ。バカにわかる言葉で提案しろ」そう他部署の上司?に教えられた。id:laquilaからも「プロのコンサルの凄いところは、専門用語を誰でもわかる様に、理解できる様に話すことだ」とアドバイスをくれた。「ある意味上司も同僚も、話しをするときはプレゼン的コミュニケーションを意識した方が後々良い」とも。それはわかる。換言すれば政治だ。でも、教育もその範疇になったらダメなんじゃないのか。わからないものをわかる様にしていたら、教育ってダメなんじゃないのか。
文章が難しいとか、難しい言葉とか、難しい本とか、言っていることが難しいとか、バカだからわからないとか、そういう理由が当たり前になっていて、というより、そういった理由に正当性を与えられていて、わかる様に話せない人間が悪いという風潮が笑える。そう言った人たちを見ると笑える。難しいからなんじゃなくて、要するにつまらないからだとはわかる。でもつまらないのはわからないからだ。わからないことばかりで、つまらないものが沢山あっても、「楽しいもの。簡単なもの」だけで満足できる世の中に僕は興味はないので、僕は僕の世の中がやっぱりあっているんだと思った。日本語は英語より、書き言葉のハードルが低い、と言われているが、もう英語的に、口語と文語の乖離が始まっているのではないんでしょうかね。








ブログコミュニティにひっぱりだそうとしてる?それにはまだまだ。他人にわかりやすく語る言葉を勉強中なので(笑
リスク管理と不確実性はおもしろいね。君の嫁の視点からはじめて今日自覚したこともあるよ。
リスク管理と言えば聞こえは言いのだけど、僕は「手に入れたものは必ず失う」と考えてる。たとえば彼女はいつか別れたり、結婚しても死別したり。
僕はつきあいそうになると、いつもそんなことを想像する。で、いかに失ったときの喪失感を軽くするかを考えて、つきあいつつも失ったときのためにコミュニティを広げ続ける。
まぁ、あきらかに対象に対して全力投球してはいないので、気づかれて別れるはめになるのだけど。
仕事上のポストもそうだね。
考古学で今は食べていけるかもしれないけど、それでずっと食べていけないことまで僕は考えてしまう。
いや、成功する人はいる。だけどそこには運とかタイミング、人の助け、時にコネが必要で、僕は運やタイミングはまっさきに計算の対象からはずすし、コネは徹底的に嫌いなんだ。
だから大化けすることはないだろうけど、コレが自分にとって最適な方法だし、達成感も大きい。
目的地にたどり着くのに、僕が石橋をたたいた上で他の石橋も調べ上げ、一番渡っているときに安心できる道を選ぶとすれば、君は目的地がみえたら川に飛び込むタイプとも言えないか?
二人とも、目的地にたどり着いたときにはつかれきっていないようにしないとなw
だからきっと、そういう人がいたら何もかも楽になるのかもしれないね。仕事も考古学も。
あたしはain_edの目的地に一緒にたどり着ければいいんだよ。だから疲れきることはないんだよ。それからがあたしの楽しみだから。ain_edはきっと「目的地なんてない。むしろ目的地が目的地じゃない」みたいなことを言うんじゃない?笑 きっと長くなるよ〜。
自分の進む方向を果たして本当に自分で決めているのかどうか,そこにはオイラは疑問符を付けさせてもらうぜ.仏教徒としてはな.
方向性は同じだし、辿り着く場所も同じだと思う。既に方法が違っているけれども、下層部分は同じだしなw。
今後も色々と引き出しますよ、今の君の専門領域から盗めるものがあるのであれば、いくらでも、ねw
閑話休題.
難しい言葉でなければ語れない話は確かにある.でなければ人類最高の知性と言われることもある,カントの著作があんなに難しいわけないもの!笑 だけど伝えなきゃいけない,伝わんなきゃ意味ない話だって沢山あるのさ.
結局自分が聞いてて分からない場合には自分の勉強不足だなと思い,自分が話してて理解してもらえない場合には,言葉の選び方が悪かったのだなと思うことの出来る自分でありますようにと願う次第.
閑話休題の話し。うん、違和感があったのがね、まぁネタなのだろうけれど、「小学生だから」という理由で、情報を教育側で取捨選択し過ぎなんじゃねぇのか?って。もちろん最初っからドラゴン倒せよってのは難しいけれど、ずっとスライムばっかりでもたどり着けないじゃない。それが政治的部分(人を自分の思い通りに動かす)であれば、その人に伝わる言葉で、「難しい」と思わせたら逆に駄目なわけで。でも、教育ってのは教育者が思い通りに、教え易い様にしていたら、それは駄目なんじゃ、と。
いやぁ人間変わるもんだね。いいママになってるじゃん。
しかし例の話は実際,小学生には難しいと思われ.笑 20年前の自分にあの文章が理解できたとは決して思えん.高校時代の僕なら...まだ微妙だな,かなり.苦笑
ああ、実際は難しいと思う。短文ていうか、詩形式だったら良かったんじゃないかと。僕は今でやっとだからなw
そうか,モテる可能性ありなのか。
勇気づけられるような気もするし,今まで損してきたのかなという気もするし,でも素直にうれしいし。
何でもかんでも即席・もしくはレンジで30秒チンでハイ出来上がり、的な世の中になってきているようで、小難しい事や時間をかけないと理解できない事が敬遠される風潮が何となく心配になっている昨今です。今時はあれ位の文章も小学生には『小難しい』のでしょうかね・・・。知性の使い方は大人のほうが勉強すべき事かもしれませんね。
教育の大事さは昔よりも今、自分が不自由な環境にあってより理解できるようになりました。願わくは日本の知の水準がヘンなものさしをあてがわれる事で狂わされ、低下しないようにと願っております。
「kojiさんは、気が利くタイプ」ということらしいです。女性視点というよりは、嫁視点になりますが…。
消費社会傾向が強いですよね。携帯小説がその典型に思えるんですがね(笑)口語と文語の使用レベル?の差が以前よりも無くなってきたというのか、口語に文語が駆逐されているというのか。それが言語の変化であれば受け入れるしかないんですけれどね…。寂しい限りです。
スウェーデン語、一時期は毎日耳にしていたんですけれどね。懐かしい限りです。