Hatena::ブログ(Diary)

ainomiya999の日記

2018-05-27

「氷の芸術」だとかの一般的な意味の「芸術」でなくて、本物の芸術に対する社会的評価基準について。芸術作品の評価基準ではない。

トレチャコフ美術館のレーピンの名画 不審者により損傷

スプートニク日本 2018年05月26日 20:45

jp.sputniknews.com


ロシア絵画の粋を集めたモスクワのトレチャコフ美術館の名画、イリヤレーピンの『イワン雷帝と皇子イワン』が25日、不審な男性によって部分的な破損を蒙った。男は現行犯逮捕されている。ロシア内務省のイリーナ・ヴォルク公式報道官が明らかにした。

男は囲いに使われている金属の棒で名画を覆うガラスを割り、キャンバスに損傷を与えた。事件は刑事事件として立件された。

イリヤレーピンは1844年にロシアで生まれ、1930年にフィンランドで没した有名なロシア人画家。風景画、歴史画、肖像画と広いジャンルを天才的にこなしたことで有名。

襲われた名画の『イワン雷帝と皇子イワン』は1885年に制作の歴史画。イワン雷帝が実の息子をうちすえた挙句、死に至らせる寸前の狂気の場面が描かれている。当時、殺人、流血の場面があからさまに描かれることがなく、しかも皇帝一家が対象であったため、評価は賛否両論に分かれ、大きな論争を巻き起こした。鑑賞者によって損なわれたのは実は今回が初めてではない。帝政末期の1913年、精神病を病む若いイコン画家によってナイフで切り裂かれている。特に主人公らの顔が大きなダメージを受けたため、レーピンはほぼ最初から描きなおさざるを得なかった。



私の見解

形有る者は壊れるものだが、また消滅しないものはないが、とはいえレーピンは天才であり偉人だ。

ロシアの文芸の高さとそのロシア人の精神性の気高さを代表して示すものであり、文化的権威である。

従って本来なら彼の作品一つづつに、現閣僚級の保護を与えるのが正当な作品評価だ。

閣僚はロシア人の権威の僅かを数十年しか表せない。

それより彼の絵一枚だけでも幾十倍も長生きしロシア人最高の精神的権威を代表し続けるのものなのだ。

世界の絵画芸術を理解する者たちは、レーピンとその作品はミケランジェロベラスケスなどと並ぶ人類精神の高純度な結晶だと考えている。

それはすでにロシアだけのものではないのだ。人類のものなのだ。

だからこそ閣僚級の防護体勢を作品ごとにつけるべきだ。

また美術館などで閲覧する作品は、一級模写(本物と変わらないほどの)作品に取り替えるべきだ。本物の細部描写などのデータはビデオで見比べられるようにしたら、鑑賞者の用には足りるだろう。

それでも是非本物を見たいという人たちには申し込み書類などを提出してもらうなどするといいのではないか

2018-05-14

死についてのアンソロジー


自殺自殺幇助死刑・について

死を巡る議論自殺天国のスイス    




 SWI swissinfo 社説    2016-07-11 11:00



https://www.swissinfo.ch/jpn/%E7%A4%BE%E8%AA%AC_%E6%AD%BB%E3%82%92%E5%B7%A1%E3%82%8B%E8%AD%B0%E8%AB%96-%E8%87%AA%E6%AE%BA%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9/42286650?moreComments=true#comment_5af9a97b0cf298dcca2ed3d3



不治の病であれ、生きるのに疲れたのであれ、死について議論する際、自己決定が最も重要であり最後の論拠となる。大多数の人が生の終え方を自分で決めたいと望む。スイスで広く受け入れられている自殺ほう助は、致死量の薬を摂取することで死を迎えるが、この最期の行為は患者本人が行わなければならない。事前に医療の手助けも必要だ。

 スイス自殺ほう助の先進国だ。年老いた人が自殺する権利は事実上規制されておらず、外国人が安楽死を求めてスイスを訪れる「自殺ツーリズム」がブームになっている。このリベラルな現状を見ると、スイスでは自殺ほう助が肯定的に受け止められているような錯覚に陥るが、実際は違う。自殺ほう助は政治や宗教、社会通念や倫理などといった価値観との戦いの連続だ。たとえ差し迫った状況にあるからといって、人の命をどうするか、そもそも問うていいものなのか。自殺ツーリズムを法で規制するか否かの議論はいまだ消えることはない。

 スイス自殺ほう助提供団体「ディグニタス他のサイトへ」や「エグジット他のサイトへ」は、自殺ほう助を「最後の人権」だと主張する。あらゆる手立てを失った人にとって最後の頼みの綱になるからだという。


 患者の希望は何よりも優先される。

死にたいという希望は倫理的な判断抜きに尊重されなければならない。グラールス州の地方議員ティス・イェニー氏は同州の病院で自殺ほう助による死を選択し、その一部始終をメディアが追った。しかし、メディアが流した情報は非常にシンプルなものに仕立てられていた。つまり最期まで自殺の決断を貫徹した強い人間の姿といったようなものだった。著名人自殺ほう助を伝えるニュースは、どれもそんなイメージだった。自ら命を絶つ自由は、以前は宗教信者らに軽蔑される行為だったが、現在では当局が許可し、尊厳を持って行われる、まるで何か素晴らしいことのように扱われている。スイスはその自殺ほう助のメッカだ。

 ただ緩和ケアの現場が示しているのは、現実はそうではないということだ。緩和ケアは治る見込みのない病気などを抱える患者の心と痛みを和らげることを目的としており、死や死にたいという意志に向き合い、またそれをタブー視することはない。自殺以外にも生を終える方法はある。自殺は家族や親類に後々まで負担をかけ、患者自身も最後まで死ぬか否かの極限の二択に悩まされることになる。私だったら死ぬだろうか。それとも思いとどまるだろうか。

 患者の意志は最も尊重されるべきだ。

それ自体は正しい。この意志ははっきりとクリアーなものでなければならないが、現実はそうとは限らない。ここが緩和ケアの出番だ。過去の経験から、自殺願望は病気が末期の時に弱まる。また患者に知識を授け、寄り添った場合にも、自殺願望は低下する。弱りきった患者が自殺するか否かを一人で判断する必要はない。神学者牧師のスザンナ・マイヤー・クンツ氏はグラウビュンデン州の地元紙ビュンドナーのインタビューで、このようなプロセスを踏む際には誰かがそばにいるべきだと語った。クンツ氏は、患者が同プロセスにおいて死の決心から解き放たれるさまを何度も目にしたという。これだけではない。頭の中が澄み渡り、心の平安を得ることで、患者の不安は消えるという。


 人生に疲れた人がいる。

「人生を十分満喫した」高齢者も存在する。しかし、不治の病に冒され、死ぬか生きるかの選択を迫られるのはたいていがいきなりの出来事で、しかも体力や気力に充実した働き盛りの年代でだ。そうした時、患者の意志は他人の意見や価値観、信条、宗教や自身の不安など、様々な要因の影響を受ける。だからこそ、患者は本当にそれを望むのか、入念に確認しなければならない。それが個々の宿命の複雑さを尊重することにつながる。


 緩和ケアは万能薬ではない。

しかし死を巡るオープンな議論の場を社会に提供してくれる。我々の社会はこの議論に真摯に取り組むとともに、自己決定権についても考えなければならない。スイスでは、自殺ほう助に対してあまりにも肯定的なイメージが持たれている。病気などで他人の手助けなしに何もできない時に死を決意するならば、単に自分で決断して致死量の薬物を飲むよりも、人間らしい生の終え方は存在する。もし、私たちの完全なる自主性に基づいて導き出した最高の生の終え方が自殺であり、それが理想であるなら、スイスは今一度立ち止まって考えなければならない。自殺ほう助が決して当たり前のことになってはならない。

自殺ほう助は基本的人権であり倫理的に許容されるか、あるいは自己決定権に制限を課すべきと考えますか?ご意見をお寄せください。

スイス安楽死


一般的に、安楽死には複数の種類がある。

「受け身の安楽死」は、医師が治療を中止することで死を迎える手法。「間接的な安楽死」は医師が患者に致死量の薬を処方し、飲み物を一切与えない手法。「自殺ほう助」は、医師が患者の自殺を手助けすることを指す。「積極的な安楽死」は医師が患者の意志に基づき、注射や薬物投与によって死亡させることで、スイスではこの場合のみが違法。

インフォボックス終わり


関係機関の対応


自殺ほう助への対応は地域によって異なる。

自殺を認める介護施設の数は増加の一途をたどっている。2014年、エグジットによる自殺ほう助583件のうち60件が高齢者施設で行われた。バーゼルでは、自殺を認めるか否かは各施設の裁量にゆだねている。カトリック色の強いヴァリス(ヴァレー)州は禁止。ローザンヌなどの州立病院やチューリヒ市の高齢者施設では自殺ほう助が行われている。










オーストラリアの104歳研究者スイス到着、10日安楽死  

「死ぬ権利」

https://www.swissinfo.ch/jpn/-%E6%AD%BB%E3%81%AC%E6%A8%A9%E5%88%A9-_%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%EF%BC%91%EF%BC%90%EF%BC%94%E6%AD%B3%E7%A0%94%E7%A9%B6%E8%80%85%E3%81%8C%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E5%88%B0%E7%9D%80-%EF%BC%91%EF%BC%90%E6%97%A5%E5%AE%89%E6%A5%BD%E6%AD%BB%E3%81%B8/44106046#comment_

2018-05-09 16:24

高齢を理由に安楽死を希望していたオーストラリア在住の研究者デビッド・グドール氏(104)がスイス入りした。10日、バーゼル自殺ほう助団体の支援を受け、自ら命を終える。

 グドール氏は9日、バーゼル市内で記者会見し、自殺ほう助によって人生を終えることに満足していると発言。ただ、本当はオーストラリアで死を迎えたかったと心のうちを明かした。オーストラリアでは自殺ほう助は認められていない。

記者会見のようす

 グドール氏はこの日集まった報道陣に「私が言いたいのは、50歳か60歳になった段階で、このまま生きるか死ぬか、本人が自由選択できるようにするべきだ」と語った。

 グドール氏は長年、オーストラリア自殺ほう助推進団体「エグジット・インターナショナル」の会員だった。104歳の誕生日を控えた4月初め、バーゼル自殺ほう助団体「ライフサークル」のサービスを受け、安楽死をする意向であることを公表していた。不治の病に冒されているわけではないが、生活の質が低下していることなどが理由だという。

 スイス自殺ほう助は合法化されている。このため、国外から不治の病や高齢を理由に安楽死を求めて来る人が多い。



  薬物を飲んで死亡

 グドール氏は10日にも、薬物を飲んで死を迎える。

 仏ボルドーの親類を訪ねたことについて、グドール氏は「ボルドーにいる家族にさよならを言うのは少しつらかったが、仕方ない」と語った。







         真理の理論について。(私個人の意見)

    

       真理と真実には階梯がある。


  

階梯とはハシゴの段のように上に登っていくように人間が直面する一切の問題の回答を得て行く様子、方法をしめしたことばである。

その一段を登ることを、止揚と言ったりする。

ここで話す内容から分かりやすい例えを言えば、ある個人がいる。

氏名を持つ固有の人間のことだ。そうのような人間の顔には個人固有の一人だけを示すヒトという顔のことである。

もう一つの顔は「ヒトは人間だ」というように現代社会的で歴史上に居た人たちを意味する「人間」という顔がある。

さらにもう一つは「人類」という言葉の、ヒトと人間の顔と人類の顔がある。この顔を類的存在だとか普遍的存在いだとか言う。

この三つはどれも個人が持つ人間の顔である。(*1)

ヒト個人が直面する問題は、幾つも複合した問題でも分解して問題原因を捉えると、必ず二律背反的な問題に行き着く。

例えば正義はあるVs無い。芸術の優劣を測る価値観はあるVs無い。幸せはあるVs無いから求めている。等などである。

これらの二律背反の問題の答えは相反するものに共通する要因を、さらに階梯を上げたところに正解等がある。

こうして幾段もある階梯を登ると真実があり真理に行き着く。

それが人類の普遍的な姿である。


(*1 3つの顔は個人から人類までを説明したものだが、これ以外に自分の人生の中での顔も有る。男、夫、婿、父、爺、」女、娘、妻、嫁、母。子ども、少年少女、青年、中年、壮年、初老、老人、職業別、職種別など等の顔をもつ。)



 真理の理論からすると選択死、幇助はあやまりである。

なぜなrら人間(個人人類史と)の生命は自然の摂理に則ってある。地球上の生命(植物・動物)を自身が生きるために、また自分勝手放題に(食品を大量に捨てている一方では飢餓で死んでいる)命を殺し自分のエネルギーへと転化し、自身の命としてきた。

また鉄鉱石などの資源を使い戦争や種の断絶など破壊活動を行ってきた。

これらの万物に対しての責任(罪悪)を持ち、それを果たす(命を全うする、真理を掴む)のは真理が与えた人間と個人の義務である。

個人と人間と現在社会(世界)の非人間性の実情況の救いがたい事実(苦痛)から、救われることは許容されるべきだろう。

しかしこれは自然摂理ではないし真理ではない。人間が愚かであることの事実結果である。

そのような原理と共通する問題があるのが死刑問題である。死刑存続論は非人間性の実情況の救いがたい事実の一つであり、許されるべきではない。これは自然の摂理の法則とはまったく異なる、しかも世界中の国の法とも全く別な、死刑を自国だけの法で正当化している野蛮なものである。

死刑を許容する国、国民、個人のそれも人間の愚かさと動物的、非人間的残虐さが残っていることの実証事実である。

その他の人間と現在社会(世界)の非人間性の実情況の救いがたい事実(戦争様々な野蛮行為=搾取貧困核兵器の開発保持威嚇、企業利益獲得のための自然破壊、社会的弱者子ども・神身障害者・女・高齢者・被社会差別者など、歴史上にあった大量殺戮、奴隷制など)は許されるべきではない。これも人間の愚かさと動物的、非人間的残虐さがることの事実である。

このような錯誤の人間とその社会現象の結果、殺人事件を起こし、病理的犯罪なども起こることになっている。

つまり犯罪を犯す方も死刑を望む方も人間の真実を知らず、錯誤の人間社会に生きてきて故の結果なのです。

以上を自覚するものは自死をしてはならないが、真実の人間の姿のように生きられない現実社会条件では、止むを得ず認めざるをえない。

これが真実と事実の階梯である。その上の階梯に真理がある。

このような正しい世界観が、仏陀キリストマホメッドヘーゲルマルクスエンゲルスレーニンなどが示した真理である。

  

  2018.5.12

2018-05-01

哲学の話し

 


    

哲学って結局何の役に立つの?。



説明としては導入部のないいきなりの話となりますが、短い文章で哲学を学ぶ理由を説明するための方便ですので我慢して読み始めてください。

読みすすめるうちに哲学と言うものがどういうものかも、おおよそ理解できることと思います。

哲学の根本問題とは=人間が思考したり意識することがができるのは何故か?どんな原理があるのか?といった問題です。



    哲学はここからはじまります。

物があるから人間が意識できたり考えることもできるのだ。というのが唯物論哲学と言います。

いいや、人間は意識するということができるから、物の存在を知ることができるのだ。とするのが観念論哲学といいます。

つまりこれは哲学を学ぶ皆さんが哲学についてアレコレ言っているうちの根本的な問題なのです。

それは、例えば君や若者たちや小学生が、どのように認識して、物事を学び、勉強できるようになるのか?(こういう問題では教育学の根本問題でもあるし、育児の根本問題でもある)という問題なのです。

だから哲学は「人間が何か知ろう(認識)とする」場合の、つまり世界の物事を知ろうとする時の学問の中の学問であり、「すべての学問(万学)の王だ」という言葉も産まれることにもなりました。

哲学ギリシャ発祥でヨーロッパ育ちの学問ですから、哲学が「すべての学問(意識や認識活動や理性、智識活動)の王」と言われては黙っている訳にはいかないのがヨーロッパ世界のキリスト教界です。

彼らは「万物の王は神であり学問は王の従者だ」ということにしなければなりませんでした。

これに対して哲学者や他の学問の学者たちは「宗教は王(政治)の妾だ」と批判(実際すべての国の政治が宗教の権威を利用して農民や市民、国民を従わせています。)しました。

やがて中世キリスト教界は聖書の教えなどに反する者を、宗教裁判などで弾圧することになり、彼ら哲学者や他の学者たちも口をつぐむことになりました。

そのようにして人間の認識活動(学問や理性)が徐々に眠り込まされるようになって、さらに王や他の国やいつの時代の為政者も、国民に対すして「愚民政策」をとり「由らしむべし知らしむべからず」という原理によって民衆や国民をなるべく無知な状態におき、かつ教会が教え導く通りに労働に勤しむようにさせていました。

このように人間の理性と万学は、おおよそ14世紀ルネッサンス初期(初期資本主義の始まり)ぐらいまで、発展できなくされてしまいました。



      理性や知性や学問の危機

理性や知性や学問というものは、それによって発見や発明がなされ、さらにそこから機械が作られたり化学製品が作られて、さらにそこから利益が生み出される源となるものです。

ですから資本主義にとって自然科学の発達は、利潤に結びつきますのでこれを認め応援することになりました。

その一方、社会学はさほど利潤には結びつかないモノだったから、必要以上には応援しませんでした。

こうして歴史が進んできて、現代社会では物理学を始め化学などの自然科学系は大きく進歩することになりましたが、教育学政経・法・哲学などは頭打ちに(発展できなく)されてきているのです。(のちに金融経済学や数量経済学などは支援されるようになります。)

資本主義にとっては労働者や国民が政経・法・哲学など知るようになってもなんの得にもなりませんし、むしろ抗弁したり反抗するための知識(意識)にもなりかねません。



     唯物論観念論のたたかい

さて話は一転して、物があるから人間が意識できたり考えることもできるのだという唯物論哲学は物質を第一義的・積極的に捉えるので、そこから発見や発明を促したりしますし、さらにそこからの経験値知識などにまとめる学問の力にも結びつきます。

このように唯物論は知性や理性とっても適合性や適法性(理に適った性質や、法則などという時の「法」のこと)があります

それに対して観念論哲学は意識や観念を第一義として物の存在を二義的なものするので、意識や観念によって物が分かるのだから、人の意識次第で物が見えたり知(発見)ることができるのであり、意識しなければ物は無いのも当然という主張をしていて、物自体を注視しないため発見発明を遅らせたり知性や理性などにとって適合法性が劣ることになります。

ですから観念論宗教の原理と同じで、宗教が神とするものを頭の中(意識や観念)で想定して、その意識を第一義的として神は「居る」とか「有る」と二義的に分かるのだ、という観念論と同質の原理のものなのです。

つまり考えたりする意識があるから、物事が有ることがわかるのだとするものなのです。

こうして唯物論は物質を第一義的とするから物事に気付き、また知ることを促し、人間認識や理性を発達させるよう働きます。

それに反して観念論宗教が支配していた中世ヨーロッパと同じように、理性の発達を神(観念や意識のありよう)に委ねてしまい、理性の発展を邪魔するものとなり、その歴史期間が永ければ永いほど不合理性を顕在化させて行くことになります。   



     現代資本主義国の唯物論観念論のたたかい

ですから現代資本主義国に生きる我々のほぼ全員が、国家がとる「愚民政策」や「由らしむべし知らしむべからず」の原理と観念論の言説を加えた考え方を刷り込まれて、理性を眠りこまされ、不合理なものを助長したり不条理を受け入れて、知らず知らずよく働く考え方になるようにされています。

哲学の話として換言すれば、多くの国民が利潤を追求する資本主義とその国によって、観念論哲学の影響下に閉じ込めらることになっているのです。

あえて哲学を学ぼうとする者には、哲学などいうものは訳の分かりづらいモノで、それらしい理屈を付けたり、その術を学んだりするモノで、人間の意識では不合理性や不条理性も断定できないのであり、そういうことを知るための学問なのだ、などとされてしまうのです。

とはいっても、哲学も学問なので嘘と分かることは言えないので、現代観念論哲学の中心的問題も「認識論」だということになっています。

しかし物事の原理は様々な哲学観念論の)理論があり分かりづらいものだ、という結果にされてしまうのです。

観念論哲学理論は、哲学者個人の観念や意識しだいの理論ですから、自分独自の哲学理論の体系を打建てられた者の分だけ、しかも過去の観念論哲学者の分だけあります。

さらにまだ自身の体系理論を打建てていない「哲学者」教授たちがそれらの理論をミックスして教え広めていて、なんちゃって観念論哲学が無数にある状態になっています。



     観念論の大天才ヘーゲル現る

それら観念論哲学第一人者は真面目な天才であるヘーゲルです。

この偉人観念論者ですが、あまりにも研究熱心で優れた哲学体系の理論を作ったので、当時ヨーロッパ世界に受け入れら流行していました。

だが難解なため当初はハヤリで持てはやされたのですが徐々に内容が理解されるようになると、王侯貴族たちはへーゲル哲学は事物は変化するという弁証法を再興(古代にあった理論)して、国家も時代も変化していくものだと論証し切っているこを知り、ヘーゲル哲学を打ち消しし始めました。

当時は絶対王政でしたから王制も国家も変わり無くなってしまうと論証されていたのですから、

ヘーゲル哲学ヨーロッパ世界に出回たことに泡食ったわけです。

ヘーゲル自体は王制が終わり次にフランスのような市民国家(資本主義)になると確信して、それが人類の到達点だろう考えていました。

しかし資本主義国家が人類の最終到達社会ではなく、資本主義も「国家も変わるのだ」と証明しているヘーゲル資本主義国にも嫌われことになりました。

ですが、しかしそれが哲学と言う難解学問であり理解する人自体が少数であること、観念論であること、難解中の難解理論であることなどの理由で無視しつつ、哲学の世界では「哲学者」とされる人の頭の数で「ヘーゲル理論は終わった、古い」と宣伝させ、印象操作で打消し攻撃が行われることになり、現在でも続いているのです。



  唯物論は正しいのか

さて再度話は一転して、君や若い皆さんは、自分が新生児の時からどうやって外界を意識(認識)し始め、学び、身につけ、話し、考え、答えや結論を得られるようになって行ったのでしょう?。

人々が誕生して来たときには産まれて来ようという意識が先にあって、それを自覚してか、なんとなくかは分かりませんが、それで誕生してきたのでしょうか?。

また君や人々は産まれてきてから、なぜ英語やフランス語ではなくて日本語を身に着け、日本語で考え、日本語を使うようになったのでしょうか。

産まれる前に英語やフランス語や日本語など沢山の言語があることを認識(意識)していて、次にその意識をもとにして日本語を選択してから産まれ出てきて、日本語を話せるようになったのでしょうか。

つまり、はたして日本語という「意識」を持つようになってから、初めて日本語を選べるようになって、日本語を選んでから産まれてきたのでしょうか。

さらに今現在も「自分とは何か」「自分らしく働ける職業や職種は」「自分に向いた就職先は」「自分らしく生きるとは」「どう生きるのか」(「何故生きるか」は観念論哲学の「生の哲学」からの出題)という問題(悩み・出題・提起)などを、どうやって知り(意識や認識ができ)、考えるように、なったのでしょうか。

君が産まれる前から意識していたのでしょうか。

まとめると、つまり哲学とは「人間」にとっての、あるいは「悩み」という問題にとっても、根本的な、現実の、生きた(「どう生きるのか」は唯物論側の「生の哲学」からの出題)テーマであり、そのような問題に答えを導くのが「哲学」なのです。

    

     歴史が流れ着いた現在の君たちは

残念ながら、君を始め若い人たちのほぼ全員が、生きている現実の人間と、その社会や地球と宇宙とは全く関係していない(*)かのような哲学を学ばされ、あるいはマスコミや先生が出題する「虚構現実」の問題に注目させられる、「とんでも哲学」や「なんちゃって哲学」を身に着けるようにされてしまっているのです。

(*こういう考え方を形而上学といい、その対義語としての弁証法という関係)

君と若い皆さんが本当の(真の)哲学を探し、身につけることを願い期待しています。

2018-04-24

戦争の惨さーむごさ

死なないであ-よかった

自衛隊員は全滅を覚悟した。


以下はあるサイトにあった議論の様子をコピーさせてもらったものです。

なかなか参考になる意見が掲載さていましたので、皆さんにもご紹介しようと思い転載させてもらうことににました。

まず始めに議論のネタにしていたものが以下の北海道新聞の記事です。

「全隊員、武器を携行せよ」と隊長!部隊全滅を覚悟!

 「ドーン」という音とともに砲弾が付近に落ちると、衝撃で体が宙に浮く。「全隊員、武器を携行せよ」と隊長。「部隊全滅」を覚悟した。銃撃戦に巻き込まれる恐れがあった。

 南スーダンについての安倍政府の証言はウソだった。

 「国民に真実知ってほしい」ー。

 自衛隊宿営地近くで起きた激しい銃撃戦の生々しい実態を北海道新聞(23日付け)が伝えた。


 政府が「武力紛争ではない」と説明していた南スーダンでの大規模戦闘時、国連平和維持活動(PKO)に参加していた陸上自衛隊は、武器携行命令が出るほど危険な状況に陥っていたことが判明した。

 公表された当時の日報は大半が黒塗り。死も覚悟したという極限状態に置かれた派遣隊員は「国民に真実を知ってほしい」と話した。

 南スーダンの独立5年を翌日に控えた2016年7月8日。

 日が沈んだころ、首都ジュバの宿営地で小銃の発射音が断続的に聞こえるようになった。普段よりも音の間隔が短い。銃声は日常的だが「いつもと違う」。その予感が的中する。

 発射音は政府軍反政府勢力の戦闘によるものだった。その後、宿営地があるPKO施設に避難民が次々となだれ込んできた。攻撃ヘリコプターや戦車も目撃され警備レベルは一気に上がった。

 宿営地外での活動は中止になり、隊員はみな居住用建物に待機。各部屋には内線電話やトランシーバー配備されていたが、部隊内での情報共有はできておらず「何が起きているのか分からず、本当に怖かった」。

 10日には宿営地近くのビルで激しい銃撃戦が始まる。「全隊員、武器を携行せよ」。隊長の指示で武器庫の扉が開く。隊員も防弾チョッキとヘルメットを身に着け、実弾を込めた小銃を握りしめた。「死ぬかもしれない」。銃声が響くと床に伏せ、手で頭を覆う。

 わずかな隙を見て、宿営地内の退避用のコンテナに身を寄せた。「ドーン」という音とともに砲弾が付近に落ちると、衝撃で体が宙に浮く。

 宿営地がある施設内には他国軍もいる。それでも「政府軍反政府勢力が宿営地内に入ってくれば(巻き込まれて)部隊は全滅する」と覚悟した。

 政府は7月7〜12日の日報を昨年2月に公表したが、読み取れるのは「ビル一帯で戦車を含む銃撃戦が生起。日没まで戦闘継続」「ビル付近に砲弾落下」といった簡単な事実関係のみ。部隊の警備態勢や対応が記載されているとみられる部分は黒く塗りつぶされた。

 現地での戦闘が収まり始めた12日、東京・市谷の防衛省中谷元防衛相(当時)が記者と向き合っていた。「現在のところ隊員は安全」「武力紛争が発生したとは考えていない」。メモを繰り返し読み上げた。

 しかし、派遣隊員の証言から浮かび上がるのは正反対の「真実」。PKO参加5原則は崩壊していたのではないか―。隊員は「そこは考えないようにしている。それを考えだすと何もできなくなる」と複雑な胸の内を明かした。

 宿営地で何が起きて、自分たちが何を思ったのか国民に全く伝わっていないと考えている。「自衛隊は国民や、その代表である政治家が決めたことを信じてやるだけの組織。そのためにも、国民には本当のことを知ってほしい」。言葉を選びながら、そう訴えた。 

(以上 北海道新聞の記事)






この記事をネタに以下の議論をしていたわけです。


Aの意見  何がどうあれ、軍隊が“戦場”で“自己判断”を行う事は間違いではない。

軍隊自衛隊と呼ぼうが、戦場を“PKOの非戦闘地域”と呼ぼうが、だ。

問題の第一は、中途半端な形で若者を“死地”に赴かせた政府の判断である。

第二に、事後の反省として、当地の現場指揮官の判断が妥当であったかどうか、

では今後どうせねばならないか、それを開かれた場で論議すること、だ。

こんな当たり前なことが、何故できない、安倍政権っ!!!!!




Bの意見    《Aの方の 「何がどうあれ、軍隊が“戦場”で“自己判断”を行う事は間違いではない。」

という意見、これは間違いですよ。

軍隊がそん小隊中隊(大隊でも)「戦闘情勢」で勝手な判断を許していたら、自衛隊軍隊)はもっと膨大な被害を受けることになります。

そのことを理解してもらうためには、まず「戦争」は「戦闘」とはイコールではないのだということです。

それらは概念が別なことなのです。

戦争を指揮する者(司令部)からすると、大隊でも中隊でもましては小隊ならなおさら、その小隊を全滅させるという判断で、「戦闘」の場面では小隊に敵と徹底抗戦させて、敵をそこに引き付けておいて、その間に敵大隊を包囲して一斉に攻撃を仕掛けるという戦法(戦術)を取る場合もあるのです。

そんな場合。全滅するまで「徹底抗戦」しないで小隊長や中隊長の勝手な判断で、隊員に「撤退」命令出したら司令部の作戦(戦術・戦略==戦術と戦略も概念が違います。)は台無しになってしまうのです。

例えば、それまで自軍の大隊を隠密裏に敵陣を鶴翼陣形(鶴が両方の翼を広げた形)に取り囲む作戦んでいた場合、その戦費・軍備も使ったことが台無しになったり、反対に戦闘場面で小隊長の勝手な判断で撤退したら敵側は、「相手は攻める作戦ではないのだな」と知ってしまい、自軍が鶴翼陣形が整のわないうちに敵の主力隊に中央突破されたら、鶴翼陣形で横に伸びきった部隊(小隊)は少員数なので一片に撃破され、背走する小隊に追い討ちを掛けられてしまい、連鎖的に壊滅させられたり軍備(戦車や装甲車、輸送車など)もやられたりして、大損害を蒙ることになってしまう(場合の方が多い。中央突破の陣形も戦闘の戦術の一つですから)のです。

戦争と言うものは全員死亡が分かっていて敵を攻めさせるという、冷酷なものです。

全滅覚悟で自分たちが優位の戦闘場面を作らなければならないのでから。

自衛隊員も軍人もそのつもりでいなければならないのです。

上層部の判断で捨石にされるのは当然なことっと、覚悟しておかなければならないのです。

A の方は、

命に関わる戦争のことを語ったたり判断したりする場合は、目先の判断や、命を大切にしようと(考えていることは分かりますが。)した判断を下すことが、大間違いとなる場合があることを考えて、視野を大きくもって、判断を下すようにして頂くことをお願いしたいと思います。

戦争は馬鹿らしいものです。

戦争は、戦争をしないで「戦わずして勝つ」戦略が戦争論第一テーゼ(命題)です。

ですから戦争というものを視野を広げて見たり考えたりすると、政治・外交が洗練していなければ、自衛隊軍隊であれ防衛も戦争もヘッタクレないのです。

今の日本はすでに根本的な戦争に負けている状態なのです。すでに自衛戦(防衛戦)で敗北していることが確定されているのです。

グダ愚ダな内閣政府政治家官僚と省庁)なのですから、政治戦(戦争)という根本的戦争で負けが確定しているのです。「信が無ければ政治は建たず」の教え通り、安部政権官僚も嘘つきと隠蔽をやっているのですから国民は信用していないのです。

経済戦争という戦争でも、新自由主義郵政民営化というので郵政保有資金(世界で1位の保有資金率)を外資に売り飛ばし、TPPアメリカ国際金融資本と企業に国自体(農業医療医療保険国会立法権も一切合財)を売り飛ばそうとしているのですから、負けが確定の、敗退につぐ敗退を続けているのです。

体制や規律戦線ではどうでしょう。司法界もテイタラク、規律もなく官僚や軍人が勝手なことをやって(公文書や戦陣日報隠し)をやっていても役人全員(言い過ぎですが)に正義感なく、規律を守ろうという決心もなく、不正を注意したり止めさせようとはしていなかったのです。

人づくり戦争、つまり教育戦争でも負けているのです。イジメや「不登校」、試験競争と受験競争で付かれ切っている青少年たち。派遣社員で希望を失っている青壮年

安月給で結婚も出産も出来ない。保育園も幼稚園も学童クラブも不足し、それを改善したり増やす気もない状態です。老人社会化と国家状態。

国民人口も減少させたままです。戦争できる国民状態はないでしょう。

国民性作りは==ナポレオンが史上始めて皆兵制《国民・当時は農民が多数》を取ったことで、近接外国の王侯貴族の軍人を寄り集めた軍隊を打ち負かすのは人数の過多からいっても当然な結果だったのです。)

ほかにも他国との競争(戦い)分野がたくさんありますが、上に挙げた分だけでも「戦わずして敗北」が確定しているのです。そのような状況は、自虐的だとか、そういうのは好きだ嫌いだとか、認めるか認めないかに関係なく、客観的事実でしょう。

ですから無知蒙昧な者たちが、

自衛隊・自衛・9条憲法・軍備・核兵器・日本の技術は最高・中国が・尖閣が・平和ボケ戦争反対改憲反対を言っているやつら・リベラル左翼のお花畑・などなど好き勝手ことを言ってますが、上のようなことをまったく知らないで言ってるのですから、「ホウホウ、元気のいい青少年だな〜」ぐらいに思ってあげて、このサイトでは(もう一度言いますがこのサイトでは)無視していたほうが言いと思いますよ。

今回ばかりはAの方が言ってるので、このサイト常連で有名な方が言ってることなので、気になって話しただけですので、その辺はご理解してもらいたいと思います。

以上がサイトからの転載。



こういうものでしたが、私は、記事がなにせ北海道新聞報道したものということなので、皆さんにも知ってもらいたいと思いました。

まや議論が、特にBの方の意見が参考になるものなので、皆さんにもご紹介したいと思ったわけです。

私からすれば、ネット世界で傍若無人に暴れまくっている所謂ネットウヨとか、安部首相応援隊とかの人々を放置しておけという意見には賛成しかねます。

また戦争論についっても賛成しかねる意見もあるのですが、まあ現実のメディアでは聞きなれない意見ですので、参考にはなりました。

2018-04-11

まじヤバイ

米国は何をもくろんでいるのだろうか。

つぎのスプートニク日本の記事にあるように、報道内容から見えてくるようにアメリカとそれに追従する有志連合諸国の目論見は

はなはだしく危険なものであることが分かる。

毎回おなじみのイラン」「イラク」「シリア「毒ガスを使った」という自作自演(偽旗作)で、戦争を始めてもいいのだ、これは正義の戦争だ、とこじつけ理由て戦争をしかける。

こうして戦争を始めるのです。

下の記事にあるように、イギリスの元ソ連スパイ親子下の記事)の「毒ガス事件」でも、その真相がバレ始めている。だが彼らアメリカとその追従「有志国連合」は戦争開戦をやめようとはしていないようだ。

いま現在その、戦争開戦の危機に直面しているようだ。

スプートニク日本 https://jp.sputniknews.com/








「英ソールズベリーの病院がスクリパリ氏の正確な診断に言及したことは一度もなかった」ロシア大使館

スプートニク日本 2018年04月11日

ロシア大使館の代表者は通信社スプートニクに、英ソールズベリーの病院がロシア参謀本部情報総局(GRU)のセルゲイ・スクリパリ元大佐と娘のユリアさんに< style="color:#990000;">化学物質による中毒症状がみられるということを直接確認したことは一度もなかったため、ロシア大使館は英外務省に外交文書を送り、病院の院長には診断を明確にするよう求める書簡を送った、と伝えた。

ソールズベリーの病院長クリスティン・ブランチャード氏は10日、スクリパリ氏と警官のニック・ベイリー氏が、神経剤の影響を受けた後の治療に訪れたと発表した。なお3月16日、同病院の医師の1人、スティーブン・デイビス氏はタイムズ紙に送った手紙で、その日、重い中毒患者(とされる者は=転載者補足)はわずか3人であり、いずれの患者にも神経剤による中毒症状はなかったと伝えた。

大使館代表者は、「デイビス氏の手紙と、ブランチャード氏の3月29日、4月6日及び10日に発表された一連の声明の詳細な分析は、セルゲイ・スクリパリ氏とユリア・スクリパリ氏に化学物資による何らかの中毒症状があり、彼らがまさにその治療を受けているということを病院が直接確認したことは一度もないことを示している。そして今日もブランチャード氏は、全体的にどのような症状が生じるのか、それを通常はどのように治療するかについて抽象的に語っているだけだ。また同時に英外務省は、セルゲイ・スクリパリ氏とユリア・スクリパリ氏が質の高い医療を受けていると我々に言い続けているが、これも具体的なものはない。これを受け、大使館は本日、英国外務省には新たな外交文書を、ブランチャード氏には、原則的に重要な意味を持つこの事柄をもう一度明確にするよう求める書簡をを送った」と語った。

また大使館代表者は、スクリパリ氏がいずれかの治療計画適用に同意したかどうかも不明のままだと指摘した。






国連安保理 ロシアの決議案も採択できず

国連安全保障理事会では11日、ロシアが提出した化学兵器禁止機関(OPCW)の調査団のシリア派遣を支持する決議案は過半数の9票を獲得できなかった。

ロシアの決議案には安保理常任理事国ロシア中国、またはエチオピアカザフスタンボリビア賛同安保理常任理事国米国英国フランスが反対。棄権は6カ国だった。

先に伝えられたところによると、ロシアは同日、シリア化学攻撃を調査する新たなメカニズム提案した米国国連安保理決議案を封じた。

これより前、西側諸国は、東グータ地区ドゥーマで起きた化学兵器による攻撃をシリア政府によるものと決めつけた声明を表していた。

これに対してロシアは、シリア軍は塩素爆弾を投下したとする情報を否定。ロシア外務省は、シリア軍が有毒物質を使用したとする情報の目的はテロリストを弁護し、外から行われうる武力攻撃を正当化するものとする声明を表した。

ロシア参謀本部は3月13日の時点ですでに、東グータ-地区で武装戦闘員らによって、化学兵器使用を脚色した煽動が準備されている事実を公表しており、これが将来、シリア攻撃の口実に使われる可能性があると指摘している。





シリア化学兵器調査メカニズムについての国連安保理投票 ロシア 米発案の決議案に拒否権を発動

スプートニク日本 2018年04月11日 04:44


ロシアは、シリア化学攻撃を調査する新たなメカニズム提案した米国国連安保理決議案を封じた。

米国案は、新たな 独立国際調査機関(UNIMI)のレポートが検討された後、国連安保理は、シリア化学兵器への国際的な管理を樹立し、これを廃絶する決議2118に対する違反を明らかにし、国連憲章第7章の平和に対する脅威に基づいて措置を講じるというもの。

ロシアは独自の決議案を提出し、安保理に対して東グータ地区へ化学兵器禁止機関専門家グループの派遣を支持するよう提案したい意向

英国国連大使が、シリア化学兵器調査は独立したものでなければならないため、ロシアには調査を行う資格がないと発言したことは注目に値する。

これより前、西側諸国は、東グータ地区ドゥーマで起きた化学兵器による攻撃をシリア政府によるものと決めつけた声明を表していた。

これに対してロシアは、シリア軍は塩素爆弾を投下したとする情報を否定。ロシア外務省は、シリア軍が有毒物質を使用したとする情報の目的はテロリストを弁護し、外から行われうる武力攻撃を正当化するものとする声明を表した。

ロシア参謀本部は3月13日の時点ですでに、東グータ-地区で武装戦闘員らによって、化学兵器使用を脚色した煽動が準備されている事実を公表しており、これが将来、シリア攻撃の口実に使われる可能性があると指摘していた。




米国 空母を旗艦の攻撃船団を地中海

スプートニク日本 2018年04月11日

海軍空母「ハリー・S・トルーマン」が率いる攻撃船団が母港のバージニア州から地中海に向けて出帆した。星条旗新聞が報じた。


船団にはミサイル巡洋艦ノルマンディー」、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦、フォレスト・シャーマンミサイル駆逐艦、ファラガット級ミサイル駆逐艦が入っており、これにジェイソンダンハムとザ・サリヴァンズの2隻の駆逐艦が合流している。乗組員の数は合計で6500人近く。

この船団には地中海で独海軍フリゲート艦ヘッセンが合流するものと見られている。

船団の目的及び課題については現段階では発表されていない。

先に、ウォールストリートジャーナル紙は米国防総省内の消息筋からの情報として、米国の2隻目の駆逐艦が数日内に地中海に到着する可能性があると報じた。

これより前、西側諸国は、東グータ地区ドゥーマで起きた化学兵器による攻撃をシリア政府によるものと決めつけた声明を表していた。これに対してロシアは、シリア軍は塩素爆弾を投下したとする情報を否定。ロシア外務省は、シリア軍が有毒物質を使用したとする情報の目的はテロリストを弁護し、外から行われうる武力攻撃を正当化するものとする声明を表した。

ロシア参謀本部は3月13日の時点ですでに、東グータ-地区で武装戦闘員らによって、化学兵器使用を脚色した煽動が準備されている事実を公表しており、これが将来、シリア攻撃の口実に使われる可能性があると指摘していた。





駆逐艦2隻がシリアの方角へ

スプートニク日 本2018年04月10日

ウォールストリートジャーナル紙は米国防総省内の消息筋からの情報として、米国の2隻目の駆逐艦が数日内に地中海に到着する可能性があると報じた。

WSJ紙の消息筋は「米国ミサイル駆逐艦USSドナルド・クック」をすでに地中海東部に配備しており、そこからいつ何時もシリアに向けた攻撃が可能だ。(中略) 2隻めのUSSポーターもその場所に数日以内に到着できる」と語っている。

9日、米国の政治雑誌「ワシントン・エグザメナー」は米国防総省内の消息筋からの情報として、駆逐艦USSドナルド・クック」が巡航ミサイルトマホーク」60基を搭載し、キプロスの港を出帆し、シリアの方角へ向かったと報じていた。

トランプ大統領は、シリアの東グータ地区で行われた化学兵器による攻撃はシリア政府によるものと決めつけ、ロシアイランシリアのアサド大統領を支援しているとして、これを非難し、2日以内に報復行動の決定をとるとする声明を表している。

シリアでは2011年3月から武力紛争が続いている。

2014年以降、米国主導の66カ国連合がイラクシリアで対ダーイシュ作戦を行っている。シリアでの作戦は当局の許可なしに行われている。





ロシア国連大使米国に警告 シリア攻撃なら手痛い結果に

スプートニク日本 2018年04月10日

ロシアのネベンジャ国連大使は、米国シリア武力行使をした場合、手痛い目にあうと警告した。

ネベンジャ大使シリア情勢を話し合う国連安保理会議の場で演説を行い、「しかるべくチャンネルを通して我々はすでに米国側に、シリアの合法的政府の要請でロシア人軍人が駐屯しているにもかかわらず、

この国に対して偽りの口実を設けて武力行為を行った場合、最も手痛い結果になりうると伝えている」と語った。

ネベンジャ大使は西側諸国の政治家らに対し、グローバルな安全保障に挑戦を投げかけるような無鉄砲な欲求を突き付けないよう呼びかけた。大使はこう語った上で、西側の指導者には誰も世界の憲兵の役割を引き受けさせようとはしなかったと指摘した。

ネベンジャ大使は、米英仏はロシアに対して対立路線をしいており、これに「冷戦」時にもなかったような様々な方法を用いていると付け加えた。

これより前、西側諸国は、東グータ地区ドゥーマで起きた化学兵器による攻撃をシリア政府によるものと決めつけた声明を表していた。これに対してロシアは、シリア軍は塩素爆弾を投下したとする情報を否定。

ロシア外務省は、シリア軍が有毒物質を使用したとする情報の目的はテロリストを弁護し、外から行われうる武力攻撃を正当化するものとする声明を表した。

ロシア参謀本部は3月13日の時点ですでに、東グータ-地区で武装戦闘員らによって、化学兵器使用を脚色した煽動が準備されている事実を公表しており、これが将来、シリア攻撃の口実に使われる可能性があると指摘していた。









「人間は進歩しない」だって?????

あるブログで次のような引用文を見た。

「私は、人類は進歩しないものだと思っています。進歩しないで変化してゆくものだと思っています。職を求める為に働き、恋に喜び、失恋に泣き、友と語り、嫌な奴と働き乍ら、一人一人は成長してゆきますが、人間そのものはメソポタミア文明開化以来同じことをくり返しています

 しかし科学は進歩します。日進月歩、昨日のものは無価値です。科学技術の進歩は生活を変えます。革新的な技術の発達の中で、人間は人間全体の発展進歩だと錯覚して、ボケてゆくのです。営々として生きる本来の人間の姿を忘れてゆくのです。」


ブログの主はこの意見に同調的で、現代人への警句ではないかと言っています。



そこで私が感じ思ったことを述べたいと思う。

まず感じたのは、よくある考え方だと思うということだった。

またよく耳にしたり、読んだりする意見だと思った。

まあそれだけ世間に出回っている、いわば俗論というやつではないだろうか。



しかし頭が痛い。いまは21世紀だぞ〜。

このような「理論」の持ち主は、キリスト教原理主義者のように世界と人間は神が創造したのだと信じている人なのだろうか?

それとは違い現代の教育を受けている者は、生物としての人間の始原(アメーバー状態)を知っているだろうし、猿状態から猿人に、さらに類人猿となり人間へと「変化」し「発展」して、現代の文明(器機の発明などによって生み出される生産様式の文化・芸術など)へと発展してきていることを知っているだろう。

従って結論は「人間は変化し発展する」し、そうして「人類と文明は発展する」ということだ。

このような理の当然なこととは反対に、上のような俗論がまことしやかに吹聴され、「そうか〜それは一つの意見だね」などと認め、半分でも容認して信じている状態だからこそ、人類はなかなか発展しないのだろう。

このような考え方が根拠のない俗論や迷信や差別や決め付けなどを生み、人間の考え方を歪めて合理的科学的な考え方をする人類へと進むのを阻むことになっているのだろう。

中世ヨーロッパ神学の迷信と非合理主義と神秘主義が支配していた世紀は 、例えば裁判で争う両者を水中に鎮めて先に苦しくて浮いてきた方だとか、先に死んだ方だとかが神の啓示した罪人だ、などという考え方が支配していた社会と世界でした。

つまり人類史的には人間性が退行し、理性が眠り込む世界(〜14世紀)であったのです。

その人間精神の退廃から抜出すためにルネッサンス人間性人道主義復興運動)が望まれるようになり、キリスト教ヨーロッパ世界を支配る状態を変化させることになっていったのです。

現代人は歴史の教訓を受け止める必要があるのではないでしょうか。

そうでないと現代の退行と頽廃文明から抜出すことはできないっでしょう。






さらに、注意していただきたく補足するなら、

16〜18世紀に近代資本主義発生し、そこから顕在化して現代まで続く「万人の万人に対する闘争」という原理は、欲望充足のために闘争をする人間の動物的本性と動物的意識や精神を生み出すものとなりました。

今後の未来社会生産性が高度に発達して人間の基本的欲望が保障されるようになると、現在あるような商品を我先に争って自分のモノにする必要性はなくなり、金儲けすることも意味がなくなり、人間の動物的本性と動物的意識や精神、考え方を変えさせることになっていきます。

つまり人間の性格や人格をも変えて、「人間そのものはメソポタミア文明開化以来同じことをくり返」すのではなくなるのです。

人間活動の目的の基本である金銭欲・物欲・性欲・名声欲さらにその他の生活・労働・余暇・趣味・恋・失恋・喜び・泣き・友・語り・愛・家族・母性・男せい性・女せい性・・・・・たくさんの考え方や 感性・美意識が変り、そこから人間の性質が変化して行き本当の人間性が開花するわけです。

今後AIが爆発的に発展すると、既存の産業ロボットや工作機械、工場生産、自動運転トラック輸送などで、「人間の基本的欲望が保障されるようになる」のも早い(百年とか)かもしれません。


さらに、まだ現在では想像もできないでしょうが、人間の外観さえ変化させるかもしれないのです。

というのも永い人類史では、始原から視て単純な真正細菌という生物状態からアメーバー状態、魚類状態へ、さらに爬虫類のような水陸両棲生物へ、さらに鼠のようなゲ歯類、小型さる、猿・・・・へと人間の姿た形が変化してきたように、現在あるような人間の姿がこれからの未来で変わる可能性もあるということ。

結論 人間は進歩するのであり、人間は進歩しないなどという意見や考えは誤りである。

人類が変化発展するのだから当たり前だけど。