新版六韜三略 〜秋元康の殺し方〜 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2016-11-16 新作能『リリウム(仮題)』製作ノート(2)

はじめに。 21:03 はじめに。を含むブックマーク はじめに。のブックマークコメント

まー。「やる」と言って、一年以上ほったらかしにするなんて、外道の仕業にしか思えないのですが。(笑)

その間に、ハロプロでは誰かがやめて、誰かが入って、いろいろあったりしました。(ざっくりしてんな)


こちらとしては、「『秋元康の殺し方』なんて、ブログのサブタイトルどうなのよ?」とかいわれて、ちょっとした風刺の入る隙間を許さない日本社会そのものに辟易してしまったりしたッス……。*1


ともかくも、能『リリウム』は絶対に実現したいものの一つであることは間違いありません。

ちょっとずつ構想を披露したいと思っています。

今回は、概略について。

[][] 能はどうやって作られるのか。 21:03  能はどうやって作られるのか。を含むブックマーク  能はどうやって作られるのか。のブックマークコメント


自分としては、『リリウム』の内容がそのまま能になるとは思えません。



内容が複雑ですし、一部を切り取るにも、どこを切り取ったらいいかがわかりません。

能と同じ生死がテーマの重い内容ですが、これをそのままというのは能のスタイルとしてどうかと思っちゃいます。

能のスタイルというと、既存のあるストーリー、たとえば『源氏物語』や『平家物語』などの小説・説話や日本各地に伝わる伝承などをもとに、だいたいその後日談的なものを、オリジナルストーリーとしてなぞらえるものがほとんどです。

たとえば『経政(つねまさ)』という能。主人公は平経正(たいらのつねまさ)で、平家の公達。平経盛の長男。悪名發平清盛の甥にあたります。

史書によれば、一ノ谷の合戦に参戦し、源氏・川越重房の軍勢に討ち取られたとありますが、能で劇化された内容はそこにありません。

『平家物語』に、経正は「青山(せいざん)」という琵琶を天皇家から拝領され、仁和寺の門跡*2覚性入道親王の御前で弾いていたとあります。

能ではそこに取材し、経正が討ち死にしたと聞いた仁和寺の僧・行慶僧都が、経正の霊を弔っていると、そこに夢か幻のように経正の亡霊が表れ、生前の自分を思い出すかのように舞を舞い、やがて修羅道の苦しみから逃れるように消えていく、というような内容にアレンジがしてあります。


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※能『経政』のイメージ写真。

烏帽子と太刀の他は能装束。甲冑姿の武者を記号化したもの。



また、『野守」という能では、古今集にある

箸鷹の野守の鏡得てしがな思ひ思はずよそながら見ん  詠み人知らず

という歌を世阿弥が取材し、着想を得たものと言われます。

この歌は、雄略天皇が春日の森に鷹狩をした折り、肝心の鷹が行方不明になったのを探すと、森の奥の池に鷹の姿が映っているのを発見したことにちなんで詠まれたもので、以来この池を「野守の鏡池」というようになったそうです。

能『野守』ではこの池を、地獄の鬼が持つ「浄玻璃の鏡」になぞらえて、物語が展開していきます。


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※能『野守』のイメージ写真。地獄の鬼が、鏡を捧げ持っている。



ざっくり言うと、物語のある一場面をちょっと切り取って、アレンジし、一つの演劇作品に押し広げていくというのが能の作り方です。


すなわち、能こそ「コミケ文化=二次制作文化」の元祖の様な存在と言っていいでしょう。

[][]  どこを切り取るか。 21:03   どこを切り取るか。を含むブックマーク   どこを切り取るか。のブックマークコメント

『リリウム』を能にしようという時に、一番最初に思ったのは 

シルベチカとリコリスの関係が、能『二人静』みたいだ。

ということから始まったというのは、前回のブログで書いたと思います。


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※能『二人静』のイメージ写真。

静御前の亡霊を慰めるために静の衣装を身にまとった吉野の里の女。(右) それに寄り添うように立つ静御前の霊。(左)


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※『二輪咲き』のイメージ写真。シルベチカ(左)に寄り添うように立つリコリス(右)。


この『二輪咲き』は『リリウム』本編の前日譚として描かれているため、シルベチカはまだ生前の姿。

リコリスは彼女に憑りついた想念なので、まさしく、吉野の里の女(生者)に憑りついた静御前の霊(死者)のように感じました。


先述したとおり、これを能にしたいと思いますと、能『経政』のように、生前の姿よりも、死霊として夢か幻と出現したほうが能にしやすいので、シルベチカは死んだあとに亡霊として現れた、とした方が都合がいいですね。


そこで思いつくのが、死後も小野小町に憑りつき、彼女の死後も地獄の果てまで追いかけて行った深草少将の怨霊を描いた、能『通小町』です。


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※能『通小町』のイメージ写真。

小野小町の亡霊(右)に、死後もなお憑りつく深草少将(左)


小野小町は絶世の美女として名高く、多くの貴公子が求婚したが彼女は全く意に介さない。

深草少将は地位も名誉も才覚さえも備える貴公子として、何としてでもこの美女を我が物にしたいと言い寄るが、これも小町は突っぱねてしまう。

何とかと食い下がる少将に、小町は「ならば明日から百日百晩、ここへ通い続けてください」というと、それくらいのことと少将は毎晩彼女のもとに通い続けた。

はじめは精一杯のおしゃれで通ったが、悪天候やら自分の都合やらでなかなかままならず、下人の様な恰好になっていったが、それでも通い続けた。

そして、満願の百夜目。ふたたび考えられる限りのおしゃれで臨んだが、途中、雪に足を取られて崖から落下。ついに命果ててしまった。


これがいわゆる「深草少将の百夜(ももや)通い」という有名な説話で、これをもとに能が作られているわけですが、能の方では、小野小町の死後、その亡霊に憑りついた深草少将の怨霊が、双方とも成仏できないまま京都郊外の市原野に地縛霊として留まっていたのを、あたりをたまたま通りかかった僧の授戒によって両人ともに菩提が成就したという内容になっています。

この深草少将の粘着質なところが自分に似てるなと思って、わたくし、Twitterの自己紹介画面のヘッダーにしているくらい(笑)なのですが、もし、シルベチカが死んだ後でも、リコリスがずっとそばに寄り添っているのではないかと考えると、リコリスと深草少将がオーバーラップするんですよ。

ですから、舞台も、『リリウム』本編の中で語るのではなくて、本編からグッと後世に、10000年の後。クランも朽ちてなくなり、ただ庭師が育てた庭だけが名残をとどめているというような設定にしたほうが面白いと思うんですね。

能では『通小町』のように「その現場近くをたまたま通りかかる僧侶」が脇役として登場することが多いので、ここでは西洋風に「修道士が通りかかる」ということにしましょう。

むろん、何のきっかけもなく通りかかるのはおかしいので、『リリウム』の設定になぞらえて、「ヴァンプの群れが暴れて壊滅寸前の村があって、その救援に向かうのに近道をする森の中でたまたま見つけた」というのはどうでしょうか。

『リリウム』の世界観も尊重しながら、能の世界に引き込めると思います。



次回は、これらを踏まえて、大まかなプロットの構成に進みたいと思います。

*1:つまりね。ネットで『秋元康を殺す』と言ってしまうのはバカだけど、『秋元康の殺し方』はある意味『ドラゴンの倒し方教えます』的な荒唐無稽さがあるわけよ。モーヲタAKB48に「国民的アイドル」の座を明け渡してしまって久しいんだけど、日夜ネット上で「AKB48より売れるにはこうしたほうがいい」とか、絵に描いた餅で満足している。でも、真実それだけでいいのかという疑問があって、決定打がないんじゃないのかという揶揄の意味が一つ。あとは、あまりにも巨人化するAKSの経営では、伝統そのものを支え切れなくなって自滅するんじゃないのという風刺の意味が一つ。あとは惹句としてインパクトのあるタイトルにしたかったというのが一つ。(笑)

*2:もんぜき。天皇家の血筋を持つ、その寺の主