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What’s ALS for me ? このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-06-01 香川知晶『死ぬ権利』から抜粋 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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『ニューイングランド医学雑誌』への反響を見ると、ボックの提案は、先の二つの病院ガイドラインの場合と違って、おおむね好意的に受け止められている。なかには、ボックの提案をあまりにも患者寄りだとして、あくまでも医師の側に立った代案を書いてきた投書もあった。しかし、大方の感想はボッグの議論を「きわめて人間的な」ものと評した南カルフォルニア医科大学の医師の言葉が代表していた。()多くの人たちが、「わたしのケアについての指示」のような文書を必要だと感じ始めていた。実際、ボッグも書いているように、「近年、リビングウィルとなることを目指した文書が多数発表されてきた」(BOK,368)。そのうち最も有名なものが、「安楽死教育協議会」が1969年に発表した「リビングウィル」だった。協議会が求めに応じて配布した文書は75年までに75万部に達していたが、クウィンラン事件の裁判が始まるとわずか9ヶ月間でさらに60万部増えたという。

ジャーナリストのコーレンは、協議会の「リビングウィル」がそのように人々の強い関心を引き付けたことを報告しながらも、その内容が「恐ろしく曖昧だ」と批判している。(COLEN,160)

たちえば、文書は「もしわたしが肉体的ないし、精神的な無能力状態から回復しうる合理的な期待がまったくなくなるような状況が生じた場合、わたしはわたしが死ぬことを許し、人工的な手段や《英雄的な処置》によって生かし続けた場合、わたしは、私が死ぬことを許し、人工的な手段や《英雄的な処置》によって生かし続けられることがないよう、要請します」と述べている。しかし、ここでいわれる「肉体的ないし精神的な無能力状態」とはどのような意味なのか、文書には明示されていない。かりにそうした曖昧さを残したまま、立法化が果たされるとしたら、どうなるだろう。短時間だけ意識を回復しない人でも、文書に署名していれば、法の名のもとに殺されてしまいかねない。コーレンは、そうした「殺人」合法化の危険性を指摘し、ケネディ研究所の創設者アンドレ・ヘレガースが「リビングウィルを書いても事態は悪化するだけで、良くなることは無いと思う」と述べたことを伝えている。(COLEN,164).

コーレンによれば、そもそも「リビングウィルや《尊厳ある死》については、健康知識人たちによってさかんに語られているとはいえ、末期の患者の間で語られることははるかに稀であることには注意すべき」である。(COLEN,167)ある放射線科医は、治療停止を求める患者がどのくらいいるのかと質問されると、即座に「ほとんどまったくいない」と答えている。末期患者のケアに携わる医師たちにインタビューすると、大多数の患者は「尊厳をもって死ぬ」ことよりも、どんな形でもいいから生きていたいと願っているという答えが返ってくる。コーレンによれば、医師たちは末期患者を一面的とらえているわけではない。しかし、だからといって、生命維持装置に全力を傾けれるほど事態は単純ではない。ただ死をひきのばしているにすぎないような治療は停止してもらいたいと考える患者はいるし、そうした治療はすべきではないという信念をもち、停止の責任をとろうとする医師もいる。問題はそうした現実にどう対処すべきかである。こう述べてコーレンは、その点で「安楽死教育協議会」の「リビングウィル」は失格であると断じる。そうした「曖昧で、それゆえ不吉な文書は、結局、引き延ばされる死からの解放ではなく、死刑宣告となる恐れがある。」それよりは、医療関係改善し、患者と家族が医師たちと共通の了解がもでるように努める方がはるかに簡単で、有効だろうというのがコーレンの見方だった。(COLEN,171)。しかし、現実は、そうしたまっとうな見方とは逆の方向にすでに動いていた。

1976年9月30日、クインラン事件判決から半年後に、全米初のリビングウィル法、「カリフォルニア州自然死法」が知事の署名によって成立した。解決策は、コーレンがはるかに簡単で有効だろうとした医師患者関係の改善ではなく、より明確に見える文書に法的効力を付与することに求められようとしていた。

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