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ひじる日々(東京寺男日記) 脱原発! このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-01-14 「三毒追放」をめぐって(1)/初転法輪/増刷情報

[][]勝間和代三毒追放」をめぐって(1)仏典・辞典・事典に記された「三毒勝間和代「三毒追放」をめぐって(1)仏典・辞典・事典に記された「三毒」を含むブックマーク 勝間和代「三毒追放」をめぐって(1)仏典・辞典・事典に記された「三毒」のブックマークコメント

起きていることはすべて正しい―運を戦略的につかむ勝間式4つの技術

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前回の記事、「三毒」をめぐる混乱 勝間本より役立つ?怒りの分析(2008-12-27)から時間が空いたが、勝間和代氏のおかげで流行している「三毒追放」について、もう少し詳しく調べて何回かに分けて掲載したい。

ネット上で「三毒追放」という言葉の発信源になっているのは、「勝間和代公式ブログ: 私的なことがらを記録しよう!!」の以下のエントリである。

仏教では、以下の3つのことを「三毒」と規定して、体にも心にも悪いこととして戒めています。

−怒る

−ねたむ

−ぐちる

この記事を再掲載した

には、

ちなみに、厳密には妬まない、は欲望をコントロールすること、怒らないは怒りや恨みをコントロールすること、愚痴らない、は差別をすること、自己中心的な考え方をコントロールすること、です。

仏教 三毒というキーワードググると、いろいろでてくると思います。

と微妙なフォローが入っている。ただこのような追加説明がなされたところで、仏教で言うところの「三毒」つまり「貪・瞋・癡(痴)」と勝間版「三毒」の説明は一致しない。

大正新脩大蔵経総目録

大正新脩大蔵経総目録

を用いて、各自「三毒」を調べていただけば一目瞭然だが、三毒」は阿含部(初期経典の漢訳)、論部(阿毘達磨)、大乗諸経典に至るまで、ほぼ「貪・瞋・癡(痴)」で統一されている。まれに「淫・怒・癡」「貪・恚・癡」といった例も出てくるが、これは訳語のぶれに過ぎず、意味は同じである。

勝間氏は「厳密には妬まない、は欲望をコントロールすること」と言外に嫉妬を貪欲の意味にすり寄せているが、これも仏教心理学から言えば間違いである。テーラワーダ仏教の『アビダンマッタサンガハ』*1でも、北方部派の『倶舎論』*2でも、大乗唯識『唯識三十頌』を注釈した『成唯識論』*3でも、嫉(issaa イッサー:嫉妬)は「瞋恚(怒り)」のグループに属する煩悩(不善心所)である。「妬まない」は「貪(lobha ローバ:貪欲)」の意訳として成り立たない。

勝間氏は「仏教 三毒」でググることを勧めている。しかし現在、Googleで「仏教 三毒」とキーワード検索すると、勝間版「三毒」の説明記事(May 20, 2007 仏教の三毒−再掲)がトップに表示されてしまう。上記のような、仏教の文脈からは間違いとしか言いようのない「三毒」が大手を振るっているのである。

Google検索が情報収集に有用なツールであることは承知するが、歴史的に意味の定着した語彙を調べるとき、我々はもっとシンプルで正攻法な調べ方をすべきなのだ。つまり、辞書・事典を引くことである。もちろん、オンライン辞書・事典でもかまわない。本ブログの記事、

でも紹介したが、小学館の『日本大百科全書』を底本にしたYahoo!百科事典で「仏教 三毒」と検索すると、「愚痴」「煩悩」の二項目がヒットする。

このうち、「愚痴」について読んでみると、

愚痴(ぐち)

愚癡とも書く。愚かなこと。原語は一般にサンスクリット語のモーハmohaがあてられ、莫迦(ばか)(のちに馬鹿)の語源とされている。仏教用語では、真理に暗く、無知なこと。道理に暗くて適確な判断を下せず、迷い悩む心の働きをいう。根本煩悩である貪欲(とんよく)(むさぼり)と瞋恚(しんに)(怒り)に愚痴を加えた三つを三毒(さんどく)といって、人々の心を悩ます根源と考えた。また、心愚かにも、言ってもしかたのないことを言い立てることを、俗に「愚痴をこぼす」などと用いるようになった。

とある。「愚痴をこぼす」は仏教語の「痴(愚痴)」から派生した俗語ではあっても、「仏教では」と用いることのできる言葉ではないことが分る。このような本格的な事典でなくても、いま私の手元にある電子辞書に入っている『広辞苑』でも、三毒が「貪欲・瞋恚・愚痴」であることは教えてくれる。

広辞苑 第六版 (普通版)

広辞苑 第六版 (普通版)

三省堂の『大辞林』、小学館の『大辞泉』(Yahoo!辞書で採用)にも、「三毒」は仏教用語として取り上げられている。同じく『大辞林 第二版』を採用しているgoo辞書で「愚痴」を調べると、

ぐち 0 【愚痴】

(1)言ってもしかたがないことを言って嘆くこと。

「―を言う」「―をこぼす」

(2)〔仏〕 三毒の一。物事を正しく認識したり判断したりできないこと。愚かであること。痴。癡。

――の闇(やみ)

愚かで物事の道理に暗いことを、闇にたとえていう語。

「―深うして、慢の幢(はた)高し/盛衰記 8」

と、きちんと俗語としての「愚痴」と仏教用語の「愚痴」を分けて記述している。『大辞泉』『広辞苑』も同様である。

というわけで、仏教語の「三毒」とは、善根を害する三つの毒、貪・瞋・癡(痴)のことであり、勝間式「三毒」は「仏教三毒」ではありえないことがあらためて証明された。日本語の基礎的なリテラシーのある人が、ほんのちょっと調べれば分かる事実が、単純な誤解に基づくキャンペーンによって顧みられなくなってしまうという現象は、仏教で言われる愚痴の闇(愚かで物事の道理に暗いこと)から逃れ得る人がいかに少ないか、という証明でもあろう。

念のため述べると、小型の国語辞典のレベルでは「三毒」の項目自体がない場合もある。三省堂の『新明解国語辞典』、それから日本の近代国語辞典のルーツたる大槻文彦言海』にも「三毒」の見出しはない。

言海 (ちくま学芸文庫)

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だから勝間氏が辞書を調べずに「三毒」を誤用したと、一概に決め付けるわけにはいかないことは付記しておく。

(つづく)

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〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

*1:「〔瞋・嫉・慳・悪作の〕四つは瞋根〔心〕の中にある。」(Abhidhammatthavibhaavanii 浪速宣明『パーリ・アビダンマ思想の研究』p.411)

*2:「嫉忿從瞋起。 嫉と忿とは瞋から起る。」(阿毘達磨倶舎論巻21分別随眠品5-3)

*3:「唯識三十頌」第十二頌の註として、「云何爲嫉。……此亦瞋恚一分爲體。離瞋無別嫉相用故。」とある。

akiraakira 2009/01/17 07:33  勝間さんは研究者の経験はなさそうなので、資料の確認方法というものをよくわかっていないように思います。研究者の経験の有無は大きいものです。
 単に勘違いでしょうから、氏にメールして、正しい仏教の三毒の解説し、勝間氏のような影響力の大きい人の記述であるために誤解が広まっていることを述べ、ブログに簡単な訂正記事と、今後の出版物での修正を提案してはどうでしょうか?
 氏は仏教に敬意を持っているように思いますので、問題なく訂正してもらえるように感じます。

ajitaajita 2009/01/17 11:49 akiraさん、アドバイスありがとうございます。勝間さんはご自分のことが言及されているブログはチェックしていると聞いていたので、いいかなと思っていたのですが……。公開の場で記事にしたものなので、ブログの該当エントリ(http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/private/2007/05/post_83fd.html)に以下のようにコメントしておきました。

******

はじめて書き込みさせていただきます。

勝間さんが推奨されている「三毒追放」と仏教の伝統的な「三毒」概念の相違について、以下のエントリでまとめました。

http://d.hatena.ne.jp/ajita/20081227/p1
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20090114

中山正和氏は独自の仏教理解をされていたようなので、仏教学の常識とかけ離れた用語の理解が散見されます。彼の用法を取り上げて「仏教の三毒」とするのは誤解を招きやすいと思います。

今後、著書などで「三毒」に言及される際には、その点を注記していただくのがよいかと存じます。

「妬む・怒る・愚痴る」を止めることは本来の「三毒」である「貪欲(貪り)・瞋恚(怒り)・愚痴(無知)」のうち、「瞋恚(怒り)」カテゴリーの煩悩を制御する(Anger Control)修行として効果があるので、心の成長という意味でたいへん有意義だと仏教心理学の立場からも言うことはできます。

「梅は三毒を断つ」というように、「三毒」という言葉自体は様々な意味に使われてきました。ですので三つの側面から怒りに立ち向かう「三毒追放」は大いに推進していただきたいのですが、「仏教の」とする場合には、仏教本来の「三毒」との相違についても、触れていただきたいと存じます。

では、今後ますますのご活躍を期待しております。