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ひじる日々(東京寺男日記) 脱原発! このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-03-25 阿羅漢も迷うこと(ミリンダ王の問いより)

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ミリンダ王の問い』(milindapañhā)というパーリ仏典に、以下のようなナーガセーナ長老とミリンダ大王のやり取りが載っている。

大王「尊者よ、(阿羅漢は)迷うでしょうか?あるいは迷わないでしょうか?」


長老「大王よ、ある事柄については迷い、ある事柄については迷わないでしょう」


大王「尊者よ、どのようなことがらについては迷い、いかなる事柄については迷わないのでしょうか?」


長老「大王よ、まだ知られていない技術の領域、あるいはかつて行ったことのない地方、あるいはかつて聞いたことのない名称・施設については迷うでしょう」


大王「どのような事柄については迷わないのでしょうか?」


長老「大王よ、(悟りの)智慧により、『無常なり』『苦なり』『無我なり』とされた事柄については迷わないでしょう」


(『ミリンダ王の問い』第一篇第二章)

大学時代に読んで、ずーっと頭に残ってきた言葉。思い出すたびに楽しい気分になっていたのだが、なぜだかよく分からなかった。いまはよく分かる気がする。


たとえ相手が阿羅漢の聖者であっても、「まだ知られていない技術の領域、あるいはかつて行ったことのない地方、あるいはかつて聞いたことのない名称・施設」について、迷って困ることがあるのだ。


理性を持って考えれば当たり前のことだが、その当たり前が分らずに、私たちはしばしばためらい、機を逸してしまう。


阿羅漢は迷いの生存から解脱している。しかし、阿羅漢もまた迷うことがある。それは何かと、明確に説かれているくだりだ。


最高の聖者が日常の雑事でいろいろと困っている時、凡俗の私たちでもその方のお役に立てるのだ。これは、素晴らしい福音ではないか。


思い出すたびに、こころが明るくなる仏典の言葉。

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〜生きとし生けるものに悟りの光が現れますように〜

読者読者 2009/03/25 03:35 ひじるさんのこの文章を読んで突然思った次第です。ブッダと多くの阿羅漢の方々は悟られました。悟られた一番若い人と一番お年をとられた人の年齢はそれぞれ何歳なのでしょうか。

ajitaajita 2009/03/25 14:10 読者さん、正確な歳は調べたことがありませんが、経典では若者から老人まで、注釈書のエピソードを含めると子供の沙弥(見習僧侶)でも阿羅漢に覚られているようです。

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