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ひじる日々(東京寺男日記) 脱原発! このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-10-08 『仏陀再誕』は成り立たない

[]『仏陀再誕』は成り立たない 『仏陀再誕』は成り立たないを含むブックマーク 『仏陀再誕』は成り立たないのブックマークコメント


これまでいくつかのエントリで、いわゆる『仏陀再誕』という言説について、検証してみました。結論から言えば、「仏陀は再誕しない」のです。どのように考えてもそれは「あり得ない」、上品に言うならば「成り立たない」話です。



「仏陀(ブッダ)が再誕する」ということはありえない話です。

仏陀は地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・天(欲天+梵天)という輪廻の世界から「解脱(げだつ)」を果たした方です。

ですので、絶対に「再誕」などしません。この世界が何次元構造になっていようが、その一切から完全に解脱している(のりこえている)から仏陀なのです。

乗り越えていないならば、仏陀ではありません。

仏陀が「よっしゃ、またちょっくら生まれてくる」などと言って、この世界に戻ってくることはあり得ません。


また、その常識的にあり得ない『仏陀再誕』という成り立たないはずの言説が成り立ってしまう、日本的な事情についてそれなりに分析してみました。



ついでに、あまり知られていないお釈迦様にまつわる神話的な伝承の意味についても考察してみました。



日本宗教の構造の触れ幅として、『仏陀再誕』というような言説がわいて出る「可能性」は否定できません。しかし、それは仏教の教義上は「成り立たない」ことであって、仏教の知識が社会的に共有されている限り、一顧だにされない非常識でしかありません。


ですから、仏陀を開祖とする伝統仏教の立場から、『仏陀再誕』という言説を批判するのは当然のことなのです。


しかし、この問題について仏教関係者の発言は少ないようです。ブログを検索すると自称僧侶の方が『仏陀再誕』を唱える宗教に嵌ってしまったケースもあるようですが、おおむね無視、珍奇なネタとして見守る、といった態度だと思われます。


確かにこういう非常識なものいいには「反応したら負け」かもしれませんが、テレビCMなどを含めて大々的な宣伝がなされているなか、仏教者が沈黙し続けるのはいかがなものかと思います。


先日、某出版社の編集者と話をしたのですが、『仏陀再誕』を唱える新興宗教は大衆動員や訴訟による出版社への圧力がきついので、他団体に比べても取り上げにくいそうです。またこの出版不況、マスメディアの地盤沈下著しい中、大盤振る舞いで広告出稿してくれるところはたとえどんな宗教でもありがたいのでしょう。


でも、金のために、金さえ払えば、これまで日本が千数百年かけて育んできた仏教国としての良識・常識をぜんぶ明け渡してしまっていいものなのでしょうか? 私はそうは思いませんね。


なぜ『仏陀再誕』という言説が成り立つのか(法身思想と日本宗教)『仏陀再誕』はやっぱりあり得ない(「天上天下唯我独尊」の続き)でも触れましたが、現代日本で『仏陀再誕』などという言説が横行してしまう元凶として、伝統仏教の影響力の低下、仏教を通じて培われてきた日本人の宗教知識の空洞化があると思うからです。


この悪循環は、いい加減、断ち切らなければなりません。


というわけで、沈黙しないのは少数派かもしれませんが、私は一仏教者として社会的な責任を果たすためにも、『仏陀再誕』は成り立たないことを引き続き発信していく所存です。


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sanpoukaisanpoukai 2009/10/10 09:27 仏教が正しく伝わってなかったのでは?もっと簡単な教えであったはずです。どこから狂いだしたのでしょうか。弟子たちに問題?

leaf-of-lotusleaf-of-lotus 2009/10/10 13:53 発信、さらに具体的な布教(仏教者らしく)へ、全面的にお役に立てれば幸いです。私もこの国の仏教事情に困惑している一人として、(あくまでブッダの教えに則り)間違いを正し、仏教本来の姿に戻すべきと考えます。
私は結婚後、在家からある宗派で出家・得度し、僧侶になりました。はじめはなにも分からず特に何も感じてはいませんでしたが、理解が進むにつれて「妻帯している出家者」という「成り立たない」状況にあることを知りました。正直悩みました。この悩みは妻に対しても大変失礼なことでもあり、さらに悩みました。「世俗化した仏教」という存在は、このような問題を引き起こしているのです。
当時の私は「なんといういい加減な組織なんだ!」と怒りに震えました。さらに、ブッダの教えを参拝者にすすめたところ、関係する僧侶から「邪教」扱いを受け、まさに「隠れキリシタン」のようでした。いまでも長老の著書を、隠して持ち歩いています。「仏教を否定し排除する仏教」というなんとも悲しい事実が、この国にはあるのです。そんな状況ですから、何度か「一人になろう、そして本当の出家をしよう」と考えましたが、「今の自分があるのは親と妻のお陰」と思いなおし、「働く僧侶」という変な状態で今に至っています。事実、収入が必要なので仕方ないことです。
それでも、出来る範囲でブッダの教えを、長老方の書物を通じて触れているうちに「やるしかないんだ」と思うようになりました。どんな環境でも、やらなくては意味がありません。私よりもっと悪い環境で悟りに向かっている方はたくさんいるのです。さらにブッダの当時のことを考えれば、その時の考えが間違っていることに気づきました。
長くなってしまいました。このような矛盾を、今後起こさない為にも、具体的に正しい教えを「発信・布教」していくしかないと思います。

※少数派のほうが、かえって動きやすいかもしれません。やりましょう。

ajitaajita 2009/10/12 02:15 leaf-of-lotusさん

自分のブログだからはっきり書きますが、日本の仏教はおおむね、神秘的な儀式儀礼と排他的な煩瑣哲学と位階ヒエラレルキーで壁を築いた「カルト」だと思います。でも、世界の宗教に比べると、よりましな「カルト」です。中途半端であっても、釈尊の教えを元に作られているからです。その内部に、釈尊の教えというエンジンを組み込むだけで、ヤンキーの改造車のように奇形化したボディも、きちんと動くようになる。善行為によって心を清らかにする道具になるからです。

いまの日本仏教は自動車にたとえると分かりやすいでしょう。運転して道路を走るという自動車の目的を見失っているのです。自動車からエンジンを取り去って、派手な飾りをつけて、「さあこの美しい自動車を拝め」と言っているようなものです。そして「車を拝めば、死んでから目的地につけるのだ」「そもそも出発地と目的地に区別などないのだ、空なのだ」といった屁理屈で人の健全な疑問や向上心をスポイルする。

結局、伝統を食いつぶすだけで、精神的成長には何の役にも立たないカルトに成り下がっています。お坊さんも単なる家業になってます。

それはleaf-of-lotusさんだけにどうこうできる問題ではないでしょう。でも、たとえ家業・稼業であったとして、法事を慈しみの気持ちで勤めることで、檀家の皆様の心を癒す善行為になると思います。家業・稼業としての日本仏教も、それを実践する人のこころのエンジンを本当の仏教に入れ替えることで変わっていくと思います。

その人が携わる法事の現場は、どんなお経を唱えていても、どんなご本尊を拝んでいても、釈尊の説かれた慈しみの精神で満たされることになるのです。

ですから、宗派はともあれ、leaf-of-lotusさんのようなお坊さんが増えてくださることは、とても尊いことだと思うのです。

お幸せでありますように。

denkadenkadenpadenkadenkadenpa 2009/10/16 17:29 こんにちは、ありえない仏陀再誕のアニメを携帯SNSのサイトで突然薦められました。

驚くしかないです。

ついでに病気まで治るなんて言われてしまいまして、世の中地雷だらけだと感じております。

(-人-)合掌

しわとしわしわとしわ 2009/10/17 17:00 御考察実践感服致しました。
仰る通りと存じます。貴殿は熱い!拝

「自分のブログだからはっきり書きますが、日本の仏教はおおむね、神秘的な儀式儀礼と排他的な煩瑣哲学と位階ヒエラレルキーで壁を築いた「カルト」だと思います。
(中略)
結局、伝統を食いつぶすだけで、精神的成長には何の役にも立たないカルトに成り下がっています。お坊さんも単なる家業になってます。」


大川氏の内容も含め興味深いエントリー等、拝見させていただきました。
説話等色々ございますが、2500年以上前の話であり時代背景、また加上等もございます。
また仏説と呼ばれるものには改竄されたものもあり、そのような意味におきましても年数が何百、何千年であったとしても真理とは比例はしない。

他の方のブログも拝見させていただきましたが、
その何千年以上前の書物から「これこれこのように書いてあるからこれはこうだ、これこれこのように書いてあるからそれは違う」という知識のみの話ともなっていると存じました(釈尊が自筆されサイン入りならば良いのでございますが、残念ながら真意は既に失われ妄想の産物とも云われております)。

生臭坊主が徘徊する昨今、ある意味考えることもせず実践もせずに釈尊の真意を知ることができているとは素晴らしいと存じます。
このような意味におきましても仏教とは知識だけの学問と思われている方も多いと存じます。

また「想う、また念」だけでよいとも思っておられる方もおられますが(それもある意味カルトかもしれません)、行動がそれに伴わなければどうなるでしょうか。

ですから、この御時世におきましても未だに仏法が廃れ形骸化した世であると痛感されてない方も多い(仏法に限った事ではございませんが)。
廃れているのですから事実このような世となっている。
現代の日本につきましても総体革命も含めましての惨憺たる有り様でござましょう。
自殺者三万人以上、隠されている数含めまして日に100人とも云われております。

それらも含めまして、「知らないという事すら知らない」という有り様でございましょうか。

意味深長で失礼致します。
生まれる時等の神秘的な逸話は有名でございますが、この重要さに御注目なされてないようでございますが、釈尊は所謂出家なさる前は、御結婚なされ“妻、子供もおられた”と云われているのでございます。


>どんなお経を唱えていても、どんなご本尊を拝んでいても、釈尊の説かれた慈しみの精神で満たされることになるのです。

仰る通り心根が存じます。

長文失礼致しました。
ありがとうございました。
貴殿の益々の御活躍を御祈り申し上げます。拝