古民家、近代建築の家見学会、古民家で昼食をする学習会



今日は嬬恋村三原の木造建築物を見て回る学習会。先日のインタープリターインストラクター養成講座で安田さんが「吾妻地域の木の家」講座を行い、それに呼応して前川さんが企画してくれた。会員のフォローアップにもなるし、とてもありがたい。

唐沢信さんが、昔話を聞かせながら各会場へと連れて行く。そこで講師とバトンタッチ。信さん、お元気そうで何より。

まずは阿弥陀堂へ。2002年10月5日、東宝系にて公開された映画『阿弥陀堂だより』(あみだどうだより)は、嬬恋村三原出身の南木佳士の小説を原作とした。心を病んだ妻を連れて帰郷した夫と、阿弥陀堂を守る老女との交流を描いた作品でとてもよい映画だった。撮影は長野県飯山市で行われたが、あの物語は南木佳士が生まれ育ったこの嬬恋村三原と阿弥陀堂のロケーションから生まれたのだ。

三原の高台にある、いい感じにひなびた阿弥陀堂。いろんな石仏が奉られていた。明治維新の際に首を切られた仏様もあった。


  


阿弥陀堂では嬬恋村で長い間教職に携わって居られた三原地区在住の黒岩憲司先生がお話してくださった。博物学をかなりやり込んできたようで、あまりの博識ぶりにビックリしてしまった。黒斑山西部にトワダカワゲラという超希少種がいるだの、ナウマンゾウの話だの、白根火砕流の話など、いろんな話が出てきてとてもメモしきれない。三原の名前の由来は、「御牧の原」からきたらしい。

こんな凄い先生が三原にいらっしゃるとは知らなかった。ちょっと名前で検索してみたら、田代小学校の校歌をつくっただの、絵をいろいろ画いているだの、国土交通省主催の防災講座でプレゼンテーションを行うなど、大活躍の方であった。阿弥陀堂の「油絵十一面観世音頭部」は先生が書いたもの。

最近(2008/11/16)の黒岩憲司先生のご活躍
http://www.ktr.mlit.go.jp/tonesui/event/2008/kouza6_2.pdf

来年の養成講座で講師をお願いできないかなー。


  


会員の剣持さんも講師として応援に来てくれた。今は地元の老人クラブの会長さんをやっているとのこと。この阿弥陀堂も、ずーっと長い間、大切に扱ってきていなかったのだと言う。それで、剣持さんらが自分の地域のことは自分たちで良くしていこうとリーダーシップを取り、この地域ならではの伝統文化を掘り起こし、伝承していこうと活動している。

しかしいろいろな神様がいらっしゃった。阿弥陀堂では、宗派はあんまり関係なかったのかな?人間の首を量っている石像(剣持さんは地獄の一丁目と言っていた)、珍しい「木造漆箔薬師如来立像」など。ゆっくり話を聞いてみたかったのだが、今日は先の予定があるのでこれまで。また時間を作って伺いたいものだ。


  


そこから下って、源頼朝が愛飲した湧き水を訪問。立て札にはこう書いてある。

【(梵字)清浄法水の伝承】
弘法大師が杖を突いて湧出た泉といわれ刻んだ梵字と名称が遺(のこ)る。泉は思い川となり田畑を潤し中居村赤羽根村は境界とした。源頼朝は巻狩の折 法水を愛飲し馬場を設けた

飲んでみると、本当に美味い水だった。「いい軟水だ」という声が出ていたが、これだけの山を背負っているのでそれは計測してみないとわからない。ただし、絶妙のミネラルバランスであったことには間違いない。この水、もっと有名にしないともったいない。

梵字は、大日如来をあらわす「バン」という字に似ていた。


  


ここから中居屋旅館に登る道の角に古い家がある。これが安田さんが講義で話していた、出し桁を支える扇子形化粧彫り頬杖(ほおづえ)である。

昔、唐沢雅夫先生に「この化粧は遊郭だった名残りですよ」と習った。聞こうと思ったが、今日の黒岩憲司先生の生家だというので、なんとなーくやめておいた。

さらに屋根を乗せている部分、この工法は「貫きあらわし」といって信州型らしい。新潟型は天秤のような梁の掛け方をするというが、まだ違いがよくわからない!建築は奥が深いなあ。


  


そして中居屋旅館へ。この建物は群馬県より平成3年に特別貴重文化財に指定されている。1868年建築なので、140歳のお家なわけだ。伐採後140年も使ってもらえりゃあ、伐られた木も本望だよな。

中居屋重兵衛(なかいや じゅうべえ)は文政3年3月(1820年)-文久元年(1861年)江戸時代の豪商・蘭学者。火薬の研究者としても知られる。中居屋は屋号で、本名は黒岩撰之助(くろいわ せんのすけ)。しかし実際にはこの人と中居屋旅館は直接の関係はない。重兵衛が42歳で謎の死を遂げてから三原は大火事があり、かつての旧家は焼けてその後建て直して旅館業を始めている。

ここからこの建物を研究した安田さんの講義。嬬恋では台所をデードコ、奥の部屋のことをデーというだの、基礎がコンクリートではなく敷石であるなど、古い木の家の様々な特徴を教えてくれた。


  


そして裏側にある蔵を見学。土蔵は壁と屋根が離れている。火災の際は屋根だけ焼けて中は残るそうだ。土でできた壁は温かいが湿気が多い。しかし屋根が浮いているので風通しが良い。年間を通して内部の温度変化が少なく倉庫として非常にすぐれている。

嬬恋地域の蔵は、味噌蔵が付いているのが特徴。こちらでも、まだお味噌は作っていらっしゃるのだろうか?


  


そこからしばらく、三原の集落をお散歩しながら古い家や植生を見学。モミとケヤキの合体樹や、中居屋旅館よりも古そうな家、そして道路脇のケヤキで素晴らしいものがあった。

なんと、三原とはこんな美しい集落だったのか。この里でもいろいろな体験プログラムができそうだ。


  


吾妻川の方に下っていく途中には、三原で唯一残る木造三階建の家があった。この家は通し柱になっている。安田さんが言うには、どうして構造上弱いと思われる通し柱にしたのか不思議だそうな。

三階の窓から見えていた棚はもしかしたら養蚕の名残かもしれない。とにかく立派なお家だ。こういう古い家に人が暮らしている風景をぜひ残してほしい。


  


次に訪ねたのは元工藤木材新築の家。さすが木材屋、豪勢な木の屋敷だ。しかし広すぎて床暖房費が月11万円もかかっていたという。ゲー!空き家と聞いて思わず住みたくなったが、私にはとても払えないや。

堤さんや斉藤さんのお家は工藤木材さんに建築してもらったそうだ。今はもう、会社は無い。

しかし広い。中はセミナーで十分使えるし、倉庫は木材を入れていたくらいだからでかいし、駐車場だって広い。こんな建物が使われていないなんてショックだ。


  


そして、今日の昼食は黒岩家古民家でいただく。中居家はこの黒岩家の縁筋に当たる。

坂道の多い集落を歩いた後なので、みんな食欲旺盛。全て黒岩幸枝さん(店主様)手作りのお弁当膳。めっちゃ美味い。

【11月28日 お献立(冬の食材)】
一、豚の旨煮 大根
一、かぼちゃのコロッケ
一、卯の花
一、さんまの梅じそ焼
一、ひろうす(がんもどき)
一、セリのおひたし
一、白和え
一、漬物

これでなんとお一人様¥800で提供する予定だという。ウッソー安すぎる!こんなありがたい店に損させるわけにはいかん。後で電話し、¥1,500位は取った方がいいですよと言っておいた。

 黒岩家古民家でいただく手作り弁当 ¥800(2008年11月現在)
 申込先:黒岩幸枝様 0279-80-2065(予約制、1名〜10名まで)

 ※今現在は試験的に営業中(準備中)。2009年春より本格的に営業開始します。


  


さて、食事が終わったところで築160年以上は経つという、黒岩家古民家を見学させていただいた。住田さん曰く、大黒柱は最初は白いのだが、灰と雑巾で毎日せっせと拭き磨いてやることで、こんなに真っ黒になる。だから大黒柱のある家に嫁に行くと大変なのだそうだ。

安田さんの講義内容を私ではうまく説明できないが、柱と梁を組んで止め方が統一されており、非常にデザインが整ったお家だそうだ。

そしてこういう家は奥に行くにしたがって、上等なお部屋に造られている場合が多いという。確かに最も奥のお部屋には、繊細な化粧が施された障子であったり、床の間があったり、立派なケヤキが使われていた。

安田さんが家の話をし、Oさんが木材の話をする。こりゃあ凄いコンビができたもんだ。


  


昔の家は、梁に直接ふすまの溝が掘ってある。こういうのも、もういつ見たかさえ忘れてしまっている。

二階に上らせてもらうと、おお、出てきた出てきた、のこぎりを使っていない梁が。これが相当古い家の証拠。昔は近くにあった樹木を伐って家を造った。そして鋸ではなく、斧などで木材の形を整えていた。実際にはその方が繊維が残って強かったのだ。

Oさん曰く、この家で使われているのはケヤキ、マツ、クリ、エンジュなどであった。周囲にあるケヤキの大木は、昔からこの付近ではケヤキが育つ場所だったということの証明でもある。

最後に玄関にある最も大きなマツの梁を確認して、学習会は終わった。この学習会、というかこのウォーキングコースは素晴らしかった。今日の学習会そのものを体験プログラム化したいくらいだった。前川さんにお願いして、この学習会は、毎年開催していただこう。


  

太融寺の巳さん







20年前、夜の街で一人の若者が行き詰っていた。

ある日若者は「もし私が死んでも、誰も悲しまないんじゃないか、誰も気づかないんじゃないか」と嘆き、その地を護っているイチョウの樹の枝を折った。


それからというもの、若者にはろくな事が起こらなかった。いつしかその地を追われ、逃げ出すように山奥に篭ってしまった。

長い年月が流れ、若者は中年男となり、どういうわけか樹を護ることを始めていた。そして因縁のイチョウの樹と再会を果たした。

イチョウの樹をぐるっとまわった男は、見つけた古傷にそっと手をやり、早く良くなる様に祈った。


伐ろうとした者全てを変死させたという大阪市太融寺の御神木、龍王大神。


でもあの時、世界で一番ちっぽけな存在だった私にチャンスをくれた。再会した日、お参りしていた他の人に尋ねてみた。すると、その人もこの樹への態度を改めた人だった。

変わることを知っていたのか、それとも変わらせてくれたのか。


古い地元の人が「巳さん」と呼ぶこの御神木には、蛇が巻き付き、樹を守っているそうだ。まわった時に裏側で見つけたあのアロエは、きっと町内会の方が植えているのだろう。御神木の脇に生えたアロエはさぞかし薬効高いことだろう。


アロエの薬効で病気が治った子供たちが、やがて大人になり、そうしてこのイチョウの樹はいつまでも護られていくんだろう。巳さんもたいそう喜んで、この町に災いが起こらないようにいつも見守っているのだろう。


そうやって、私のことも救ってくれた。夜の闇にのまれそうになっていた私のことも。