戦国真田の岩櫃城跡探検隊 発掘調査説明会と歴女トークショー(第十弾五周年記念事業)



東吾妻町の秋の(春も)風物詩、戦国真田の岩櫃城跡探検隊が開催されました。このイベントは東吾妻町の戦国城址や歴史の啓蒙や、潜龍院跡の保全作業などを行っている地域おこしグループ「あざみの会」が企画運営しています。私も年二回のこのイベントをとても楽しみにしています。


今回は表題のとおり、昨年度から行っている岩櫃城址の発掘調査の成果発表があるとのこと。これを聞かなくては岩櫃城の案内はできないでしょー。待ちわびて当日を迎えました。



    


ホテルコニファーいわびつさんの中庭を出発。岩櫃城址北側遺構を訪問しながら進みます。



    


ホテルから岩櫃山沢通り登山道へは、道を知っていれば非常にスムーズなルートです。





岩櫃城址西曲輪(詰の丸)。ここに来るたびに、武者走りの上から城兵が迎え撃ってくるような気がします。そう思うと生きた心地がしない。



  


北の枡形付近の竪堀。改めて見ると、食い違い形状がはっきりしています。



  


今まで気づきませんでしたが、その上部に平場があります。腰曲輪のようでもあり、道のようでもあります。



  


発掘現場に来ました。なんとなんと、本丸内を発掘していたのですね。柱の跡があります。っていうか、この詳しい女性はどなたですか?



  


写真撮影禁止の札が…でも、今日はほとんど覆っていますし、見せてくれたものは撮っても良さそうです。このシートの下は岩。発掘調査の結果によると、わざわざ置いた岩の可能性が高いそうです。



  


最も最初に掘ったこの場所は、当初、何も出てこないであろう、と予測して掘ったところだそうですが、なんとここからは 鍛冶工房らしき跡 が出てしまったのだそうです。本丸に鍛冶工房?!本格的な、敵を迎え撃つ、戦のための城です。さすがは武田勝頼公を迎えようとした岩櫃城、ですね。


ちなみにここからは120cm高低差の石垣と階段が出たそうです。また、戦国時代の(と思われる)表土に達するまで、140〜150cmの深さまで掘ったとのこと。これは、通常の森林土壌だと400年では40cm積もればいいところなので、約100cmは後世で埋められているということです。廃城となった際の破城により、埋められてしまったのかもしれません。



  


次は、富澤朗さんの案内で、昨年度発掘調査した志摩小屋跡に来ました。やはり調査地区はここだったんですね。土壌の様子が変でしたから。



  


これまで『志摩小屋虎口』と呼ばれていた場所の隣には、下を見下ろせる高まりがあります。ここには掘っ立て柱建物1棟の他、数個の柱穴が見つかっているそうです。物見があったであろう場所に、予測通りに、楼台の建物らしい跡が出てきた良い例です。



  


その後、志摩小屋虎口を降りて物見の下に来ました。ここでビックリ!



  


これまで、見事な二重竪堀のつくりに感嘆してきた場所の内側、おそらく虎口に通じる道かたが出ると思いきや、掘ってみるとなんと、もう一つ堀が出てきたそうです。ということは少なくとも三重竪堀だったということです!恐るべき岩櫃牙城。



  


この竪堀を下まで降りきります。こういうことをさせてくれる、案内してくれるのが、岩櫃城址探検隊のいいところ。おや、平沢集落の道に出るのですね。



  


そして、初めて案内してもらった竪堀。この竪堀の大きいこと!



  


竪堀の食い違い部に高い平場。城兵が潜む絶好の場所です。



  


ホテルに帰ってくると、水出さんたち(菅谷社中)がお茶を準備していました。昼食をいただいて、車で移動します。



    


ところで、今日は根津さんの計らい(謀略?)により、私は忍者のコスプレをすることになってしまいましたが、忍者衣装の頭巾を被ると、耳が覆われてしまい、解説者の声が聞き取りにくくて困りました。諜報活動や音の聞き分けなど、忍者が耳が聞こえないでは仕事になりません。本当にこんな頭巾は被っていたのでしょうか?

彌紘くんは、パパのコスプレに興味ないみたいです。



  


第2幕、東吾妻町コンベンションホールにて、『発掘調査説明会と歴女トークショー』が始まりました。まずは岩櫃城址発掘調査説明会です。東吾妻町が誇る人材、吉田さんが解説します。



  


昨年度(平成25年度)発掘調査したエリアから。志摩小屋虎口脇の高まりにあった掘立小屋の柱の跡、そしてそこから土塁までの断面写真です。



  


この先の写真は、公開してはいけないのかもしれません。注意されたら、消すことになります。間違いない、薬研堀の跡、土塁はしっかりと固められているそうです。



  


もう一つのびっくりは、志摩小屋虎口はの延長線上に、横堀が見つかってしまいました。これが、志摩小屋と繋がっているとすると虎口ではなかったという驚きの事実と、岩櫃城に初めて、大きな横堀が確認されたということになります。


仮説ですが、実は岩櫃城址にはかなりたくさんの横堀があったが、それらが破城の際にみな埋め立てられてしまった、とか…。



  


次は、今年度発掘した岩櫃城址本丸エリア。やはりスーパーニュースは鍛冶工房遺構でしょう。焦土があり、鉄滓(てつかす、かなくそ)、などもあります。本格的な屋敷ではなさそうだが、矢尻を補修したりくらいはできたでしょう、とのこと。



  


この大岩は、びっしりと貼り付けた石の上に置いてあるので、どうも築城の際に据えられたものではないかとのこと。石を貼るのもよく解りません。例えば石は投げて攻撃するためのもので、岩は隠れるため?



  


三〜四段の美しい石垣も出ています。内側にも石垣らしきものが見えるのは、拡張工事をした可能性もあるとのこと。おお、やはり武田勝頼を…?



  


「かわらけ」がたくさん出ているそうです。「かわらけ」とは釉(うわぐすり)をかけない素焼きの陶器で、宴会用の杯等に使ったそうです。



  


鉄滓、鋲?(びょう)



  


鉄砲玉、石製品(囲碁碁石では?とのこと)



  



次に、岩櫃山のテーマソング『岩櫃山の風』を披露。おお、演歌歌手登場!?



林さんという方ですが、渋い、渋すぎる …(・`д´・;)…。


あがつまのサブちゃん。これからはそう呼ばせていただきます。



  



最後は『歴女トークショー』。いやいや、なんつー盛りだくさんのイベントなんでしょう。まさに一日岩櫃城ショーであります。司会は東吾妻町の児童文学者、加部鈴子さん。題目は『信之、幸村と岩櫃城』。



  


出演者は、もうすっかり、このイベントではおなじみとなった六龍堂主宰、上田市観光大使の早川知佐さんと、城郭ライター、編集者、城メグリストの萩原さちこさんです。


加部さんの司会進行はとても上手だったので、今後、どこかしらのイベントで招かれてしまう可能性がありますね。いい質問もされていました。「もし、武田勝頼岩櫃城に来て篭城していたら、天下はどう動いたと予想されますか?」なんて、ついに聞いてしまったか!?と思いました。


もちろん、出演者お二方のトークも面白かったですよ!ただし、かなりマニアックな内容もありましたので、ついていけない人もいたかもしれませんね。私は、最後まで聴きたかったのに先週の疲れが取れておらず、忍者のくせに途中でダウン〜。草の者としての修行は、まだまだ足りないようです…






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