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2011-04-30

[]430野呂栄太郎生誕111年

今日は野呂栄太郎の誕生日だ(1900.4.30-1934.2.19)。本棚から2冊取り出しパラパラとめくる。野呂夫人の野呂回想記である。塩澤富美子著『野呂榮太郎の想い出』(新日本出版社,1976年4月30日,[00233201103171])は野呂の伝記であり(カバー絵は野呂『日本資本主義発達史』を出版した鉄塔書院の小林勇[のちに岩波書店に復帰]であり,生前野呂が使っていた壺である),塩沢富美子著『野呂栄太郎とともに』(未來社,1986年10月31日,isbn:9784624500610)は「志を同じくする人」野呂「とともに」歩んだ著者の自伝である。

1933年11月28日にスパイの手引きによって野呂は検挙され,翌年2月19日獄死する。「いろいろお世話になってありがとう。いつか宮本[顕治:引用者注]なんかに会う機会があったらよろしくいってください」が最後の言葉という(『想い出』265,268ページ)。著者はその時「自分がみごもっていることを言わなかった」が「言語に絶する拷問」を受ける(『とともに』94ページ)。数ヶ月ののち体調悪化のため釈放される。特高がつぶやく。「野呂は頑張って最後まで調書をとらせなかった。えらい奴だった」(同)と。

著者は女児を産む(1934年7月29日)。栄太郎の「栄」をとって「美栄子」と名づける。1939年3月26日,美栄子は風邪にもとづく肺結核で死亡する。著者が治安維持法違反で栃木刑務所に収監中のことだった。

最初に読んだ時とは読み方が違う。夭折した美栄子への追憶は,「党史に関係があるからと慎重にとりあつかわれ,ひとたび手許から離れるとなかなか戻らないまま時間ばかりがすぎてしまった」(『想い出』246ページ)制約から著者が「自立」する時間的経過とともにあったようでもある。

野呂『日本資本主義発達史』の印税の積立金をもとに著者が発案し日本共産党中央委員会が創設した「野呂栄太郎賞」はいまはない(1976年から2005年まで)。「歴史を変革するとは,(中略)未来の歴史を創造することである」(野呂『日本資本主義発達史講座』趣意書)。野呂は党員だったが,野呂の精神は党や「科学的社会主義」とはむろん無関係のはずだ。

野呂の生地である北海道長沼町には「野呂栄太郎碑」が建立された(1974年10月)。碑面は野坂参三,顕彰は宮本顕治による(『とともに』247ページ)。母校の北海高校からはこんな記事が見つかった(北海高等学校「校長先生から」2010年10月4日・「野呂栄太郎先輩のこと(前期終業式挨拶)」→http://hokkai-ed.seesaa.net/article/164659679.html)。

「青空文庫」では野呂の以下の作品が公開されている(→http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person287.html)。

  1. 岩波茂雄宛書簡 01 一九三一年八月十七日(新字新仮名,作品ID:4411) 
  2. 岩波茂雄宛書簡 02 一九三一年九月二十一日(新字新仮名,作品ID:4412) 
  3. 加藤正宛書簡 一九三三年三月十三日(新字新仮名,作品ID:4413) 
  4. 十月革命と婦人の解放 (新字新仮名,作品ID:3062) 
  5. 進むべき道 (新字新仮名,作品ID:3063) 
  6. 『日本資本主義発達史講座』趣意書 (新字新仮名,作品ID:3064) 
  7. 平野義太郎宛書簡 01 一九三一年九月二十日(新字新仮名,作品ID:4449) 
  8. 平野義太郎宛書簡 02 一九三一年十二月二十四日(新字新仮名,作品ID:4450) 
  9. 平野義太郎宛書簡 03 一九三二年二月二十六日(新字新仮名,作品ID:4455) 
  10. 平野義太郎宛書簡 04 一九三二年四月三十日(新字新仮名,作品ID:4453) 
  11. 平野義太郎宛書簡 05 一九三二年五月二十三日(新字新仮名,作品ID:4452) 
  12. 平野義太郎宛書簡 06 一九三二年六月六日(新字新仮名,作品ID:4451) 
  13. 平野義太郎宛書簡 07 一九三二年九月八日(新字新仮名,作品ID:4454) 
  14. 平野義太郎宛書簡 08 一九三三年三月(新字新仮名,作品ID:4456) 
  15. 三田社会科学研究会 (新字新仮名,作品ID:4691) 
  16. 三田社会科学研究会報告 (新字新仮名,作品ID:4692) 
  17. 名人上手に聴く (新字新仮名,作品ID:3061)

(2011年5月1日追記)北海道長沼町の「野呂栄太郎碑」の写真について適当なものが見つからなかった。記念碑のある小公園入口には「野呂栄太郎の夫人塩沢富美子氏の遺言で,新しく案内石碑と藤棚が作られ」たという(2007年9月14日撮影→http://www.tabisystem.com/modules/myalbum/photo.php?lid=44)。

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また,野呂と美栄子の遺骨は長らく著者の手許にあったが,1974年5月12日に西麻布・長谷寺に葬られた。設計は「芸術は”必要無駄”」の言葉を残した佐藤忠良(2011年3月30日,98歳で永眠)の弟子・竹田京一による。「墓石の上面に野呂のレリーフを入れ,その上に野呂の文章からとった左の一文(引用者注:うえで紹介した「歴史は…」)を横書きで入れた」もので,「この一文の下には野呂の自筆の署名を入れた」(『とともに』250-251ページ→http://izu.bz/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=25)。

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