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After〜小田和正さん・鈴木康博さんのライブレポを中心に〜

一人のファンとして小田和正さん、鈴木康博さんへの思いを綴っていきます

2012-02-14

1985年、私がオフコースから離れた本当の理由

昨日の記事で、私の高専時代のことを少し書きました。やっぱり書くと思い出すもので、当時の気持ちを少し振り返っていました。
そこで…ある重要なことに気がつきました。私がオフコースから離れた本当の理由です。

1985年、高専1年生。一番しんどい時期でした。クラスで話すことは全くなかった。話せる友人は一人もいませんでした。明白な「いじめ」がありました。中学まで肥満児でとおっていた私が、激ヤセしたのもこの時です。

私が最後にオフコースのレコードを買ったのは、シングルの「夏から夏まで」。1985年9月21日発売です。昨年秋に購入したレコードプレーヤーで、当時のレコードから音源を取り込みました。「あれっ、この歌知らない」…これが正直な感想です。
今聴くと、小田さんの声も張ってて、サウンド面もYASSさん脱退後ではあるものの、私好みに仕上がってると思います。なぜ、聴かなかったのか。心に残ってないのか。

当時の私には聴く余裕がなかった、そういう環境ではなかった…ということに気づきました。昨日やっと。
私はYASSさんが脱退されて、当時のオフコースを「なんかちがう。これは私が今まで大好きだったオフコースではない。オフコースは変わってしまった」と思っていました。それが私がオフコースから離れた理由だと。つまり、オフコース側に原因がある、と思い込んでいました。

でも違いますね。27年間もそう思い込んでいましたけど。私に原因があったことが、昨日ようやく分かりました。過去を振りかえってみると、いろいろ気づくことがあるものですね。

「夏から夏まで」の一つ前に買ったLP「Back Streets of Tokyo」(1985年8月1日発売)は聴いてました。夏休みだったし、聴けたのかな。

きっと普通の高校に進学していたら、オフコース聴いてたんだろうな。そうしたら、オフコースの武道館とかも行ってたんだろうなあ。行きたかったなあ…。今さらですが。

高専2年になって、クラスに友人もでき、そこからは元気になっていきます。高専4,5年はやりたい放題、かなりわがままに、自由にやっておりました。当時好んで聴いていたのは「佐野元春」。これも姉も影響です。どうも私は姉から吸収するばかりだったようです。

さて、時は少し流れて、1991年。
私は高専生が多く3年次に編集学する大学(in新潟)に進学していました。さあ、1991年といえば…小田さんの「ラブ・ストーリーは突然に」ですよね。大ヒットしたことは、さすがに知っていました。が…「ふーん」って感じで、得に興味は示さず。完全に小田さんは「過去の人」となっていました。
2002年発売の小田さんの「自己ベスト」でようやくちゃんと「ラブ・ストーリーは突然に」を聴きました。あれっ、むっちゃいいやん。なんで当時聴かなかったんやろ。

これもまた振り返ってみると…きっと忙しかったんですね。四国から新潟への移動、大学に入って学科変更しており講義についていけない、やたらと大変だった部活動(武道系)…
もったいないことをしました。
ちなみに当時好んで聴いていたのはクラシック、モーツアルトやシューマンです。

さらに時は流れて、2002年。「キラキラ」です。
街中やテレビで流れていて、耳にすることも多かったです。「自己ベスト」も発売とほぼ同時に買ったし、ちゃんと聴いてました。
よかったんですけど…。それで終わってました。2005年に小田さんの大阪城ホールに行くまでは、また少々空白がありました。

またまた当時を振りかえってみると。
当時は医療系の資格をとるため、専門学校に通っていました。息子は4歳。保育所に行ってました。私の通っていた専門学校は実習が厳しく(まあどこもそうだと思いますが)…社会人学生は他の学生(年は一回り下)よりも精神的に追いつめられているパターンが多く…
まあ、そんな感じでした。
ちなみに当時聴いていたのは…「おかあさんといっしょ」の歌ですね。息子と一緒に聴いてました。

そして2008年。小田さんライブに行こうとはしたのですが…。仕事も夜勤はなくなり(それまでは3交代勤務でした)、余裕はあったはず…。
「ちけっとぴあ」の先行予約、近場のものは全部応募したのですが。…すべて落選。一般発売で買えばよかったんですが、そこまで気力がなく…。

きたるべき2011年。小田さんライブにいっぱい行きました。YASSさんにも会いました。
娘の小学校入学に合わせて、私の仕事量は激減させました。夫の扶養に久しぶりに入ってみました。学校の長期休みは勤務しない、など超わがままな私に、変わらず楽しく仕事をさせてくれている職場に感謝!です。

そして2012年。ブログまで始めてしまいました。忘れていたけど、いつも気にはなっていた財津さんにも、会いにいこうとしています。小田さんの東北ツアー(宮城)も行きます。

とまあ、オフコースを軸に、私の半生を振りかえってみました。
自分の置かれた環境って大事なんだなあって、思いました。

最近よく、娘(7歳)に「かあちゃんは、なんさいのときが、いちばんすきやった?」ときかれます。私は、今の年齢を答えています。
今が一番楽しいですね。

TOKKY1747TOKKY1747 2012/02/20 00:02 私がオフコースから離れた理由は・・・・・・。
やっぱりYASSさんが脱退したからでしょうか?
二人の頃のオフコースが好きで、その絶妙なバランスに惹かれて聴くようになりました。それが3名が入ってサウンドが厚くなった分、それまでにないハーモニーが自分に合わなくなったのかなぁ、と今になって思います。
それでもお二人が作り出す曲に惹かれてそのまま聴いておりました。
でも、「さよなら」は好きではないですね。今でもカラオケへ行ってオフコースの曲をよく歌いますが、この曲は歌った記憶がほとんどありません。この曲が出て世間に認知されてた訳ですが大きくなっていくスピードに付いていけなくなった自分がいました。
それでYASSさんの脱退。
オフコースの名が継続していっても、あのハーモニーは二度と聴けなくなって興味が薄らぎました。一応Back Streets of TokyoのLP迄は買いましたがフェイドアウトしていきました。
今でも深夜ラジオから流れてきた「眠れぬ夜」は鮮明に覚えてます。この一曲でオフコースのとりこになりました。
実はその当時の最新EPは「心は気紛れ」で「眠れぬ夜」はリスナーからのリクエストだったようでしたが、すぐ「Guitar Book」とか買って、どのグループの何ていう曲が必死になって探した記憶があります。
でもそこからオフコースに辿り着くまで半年か一年かかったと思います。
話が長くなってしまうので、これはここまでにします。

akaneiro15akaneiro15 2012/02/20 03:42 私も話は長い(このブログを見てもらうとわかりますよね)ので、まあ、だらだらいきましょう(笑)。
私も「さよなら」は嫌いというほどではありませんが、特に好きではありません。「さよなら」よりは、同じころの曲「思いのままに」が圧倒的に好きです。冒頭のコーラス、抜群です。
オフコースが好きだったころは、完全に「小田さんねらい」だったんですが、今になって聴いてみると…。当時に限ってですが、「YASSさんあっての小田さん」だったと思います。これは、私の主観ではありますが。
「眠れぬ夜」からオフコースにたどり着くまで、半年〜1年ですか。長いですね、びっくりしました。それほど、当時はオフコースが世に出てなかった、ってことでしょうか。

TOKKY1747TOKKY1747 2012/02/20 09:11 今の若い方々はインターネットで検索し、YouTubeで簡単に閲覧できますが、当時はそんな便利なものは当然なく、「さよなら」以前の話ですので雑誌の情報が唯一の頼りでしたがまだ露出が少なく、なんせ雑誌からは音が出ませんので、字面だけでは誰のどの曲かって分かりません。(笑)
勿論テレビなんかには出ませんし、結局はまたまたたまたま、偶然ラジオで聴いていて、DJが最後に曲紹介をしてくれて分かりました。

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