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とんかりり

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12-01-22

[]ほぼ歩いているトレラン記録

2012.1.15 兎越山→八幡山

小さい山でも細い横道がけっこうあるもんだ。舗装路はけっこう走った。

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2012.1.22 八幡山

最初の100m崖上りで心拍数MAX。本当の頂上(西谷山古墳)にたどり着く。

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横道を行くと、鶏小屋発見散歩常連のおじさん曰く「カラス捕獲所」。中にエサがある。真ん中の上の方が空いているのだが、垂れ下がっている金属の棒が痛いのか、カラスが出て行けない仕組み。

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そこからは大きな網ですくうらしい。

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一体カラスはどうなるのか・・・。身近なカオススポット



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いい感じに倒壊した道を下る。猪の足跡も発見。こんな小さな山でも居るのか猪。

takimotakimo 2012/02/14 20:32 最初の坂、高校と大学のとき通学路だったー!
自転車で余裕でこいでたけど、今は絶対ムリ!!!父はいまでもスイスイ登ってるみたい!
山でイノシシは見たことないけど、サルがいるからね!気をつけてよー!
ところでトレランてなに?
あと、こういう記録ってアイフォンでやってるんかな??

akanetakanet 2012/02/17 22:07 最初の坂って兎越山と八幡山の間の峠道のことかな?
イノシシじゃないのかもね。何の蹄の跡だろう…。サル居るんだ! 最近は雪の中でウサギの足跡を見つけたよ。
トレラン=トレイルランニング 山の中を走るトレーニングっていう意味だと思う。
この記録は、GPS付きサイクルコンピュータのランニングモードでとってる。i-phoneがあればこんなのいらないじゃん…って買った当初は後悔してたけど、いろいろ多機能だし、何と言っても充電に不安がないというのが一番の利点かもしれない。

11-10-13

[]鷲田清一×永江朗 「てつがくこじんじゅぎょう 〈殺し文句〉から入る哲学入門」

P194アリストテレス形而上学

鷲田 必然性っていうのは、原因/結果で考えると、いつでも一本線になる。人生、分かれ道がいっぱいあっても、一本の因果で道は決まっていた、っていうふうに。いまの「私探し」とか「アイデンティティ」っていうのは、ぜんぶ必然性の考え方でしょう。生まれたときから今日まで、話が続いていないと落ち着かない。「ああして、こうして。だから私はいま引きこもっている」と。時系列ですっきりと説明したくなる。でもそれはすごく抽象的だと思う。だって、人生なんてほとんど障害物とぶつかってはじけた結果ですよ。・・・自分の人生を因果の必然性で考えるのはやめたほうがいいよね。

永江 リニア(線型的)な思考はダメ

鷲田 人生は断絶で考えよう。

永江 釘の角度がちょっと違っていたら、ぜんぜん違った人生になっていたでしょうね。

 リニアな人生というのは、自己同一性にこだわった人生ですね。「本当の自分」を一個じゃなくて一ダースぐらいそれえれば気楽なのに。「今日は雨だから引きこもりの自分でいこう」とか・・・主義主張が首尾一貫していなくてもいいじゃないですか。服を着替えるように、自分も取り替えたい。

鷲田 人生太く生きるためには「こうでもありえた」「ああでもありえた」といっぱいあるほうがいいんですよ。そういう意味では、偶然に重きを置いたほうが、人生は豊かになる。

永江 (アリストテレスの文章を言い換えると)こうでもありえた、ああでもありえたという可能性を一つずつ潰したのが・・・・・・

鷲田 人生なんですよ。そうなんですよ。人生というのは、こうでもあり、ああでもありという可能性を一つ一つ取り下げていくんですよ。残ったものが一つずつあるから、それをつなげると一本線に見えるだけ。ところが哲学は深くて、そうするより他はありえないと考えることで豊かになるのも人生なんです。

 芸術の営みというのは、自分が追わされた必然限界のなかで、それを超え出るものをどれだけ作り出すかということでしょう。そう考えたら、ハンディキャップのある人も、障碍はその人の存在にとっては偶然だけれど、それを前提として歩む人生は必然じゃないですか。必然との格闘で、こうでしかありえないというものを超える、限界が限界であることを超える世界を作ってしまう。これもまたすごいことではないですか。

永江 必然性をつきつめて超えることもできるんですね。

11-10-12

[]木地雅映子「氷の海のガレオン」より抜粋

P30

「うちってテレビがないじゃない、前にそれを言ったら、みんなすごいびっくりして、『じゃ夜はなにしてるの?』って聞くんだよね。それで、『本を読んだり、ひとりで考えごとしたり』、あとなに言ったっけな、あと、そう『庭に出てぼーっとしたり』って言ったら、『暗いね』って言われたんだ。だけど、そういうのを普通、“暗い”とは言わないでしょ? それで、『あなたたちの言う”暗い”って言葉は、どういうことを表してるの?』って聞いたの。そしたら、変わったひとだって言われた」


「言葉自体がさ、なんかみんなと違うみたいなんだよね。みんなもう色気づいてさ、かれが欲しい、とか、よく話してるの。一度そういう話に、何かのはずみでまじっちゃったとき、『斉木さんはどういう人がいい?』って言われて、『そんなつまんないもの欲しくない』って言ったの。だって”かれ”とかいう言葉はさ、もし結婚していない状態であっても、ママにとってのパパを表しはしないと思うんだ。その言葉が表しているのは、くっついたり離れたりが激しくて、はやりものの、なんて言うのかな、なんにしろ、つまんないものでしかないと思うんだ。そんなものあるだけムダでしょ? でも、そんなのはおかしいらしいんだ。”かれ”とかいうものが欲しくない人は、どこか異常があるんだってさ。」


「『なにそれ?』って言うのね。『あなたの言うその”彼”という言葉は、いったいどういう存在を表してるわけ?』なんて言っちゃうの。あたしはそういうあんたのママがわりとわかってたけど、あたしの他には、女の友達いなかったんんじゃないのかな。話しかけてくる人ごとに、そういう調子で受け答えしてたら、当たり前だよね。でも、言葉というものにたいして、どうしてもいいかげんになれない人間だったのよ」


『アキ、あたしの言うこと解る? あたし、日本の言葉を話してるんじゃないの? どうしてだれかの話した言葉のいちいちを、これはあたしの言葉に直すとこういう意味だな、ああこれはこういうことかなって、頭の中で直さなきゃいけないの?』


P110

 わたし、周防がおなかにいたとき、ひどい状態でした。

 なにを教えたらいいか、わからない。わたしが育てた人間なんて、社会からどれだけ疎外されるだろう。言葉も通じない。わたしが神さまについて、思った通りを子供に語り、子供がその通りをだれかに語る。それだけで、もうその子気違いあつかいされるんじゃないかって。

 ああきみはきちゃいけなかったんだ、と、わたしは思いました。

 こんなところ、つまんないよ、かえりなよ、と、言いきかせました。

 なにが起こったのか、については、わたしだけのものがたりです。

 でも、まあ、言ってしまえば、気が変わったのね、峠を越したというか、強くなったというか。

 わたしはほんとうのことを隠さない。

 それに耐えられる魂だけ、わたしのおなかにおいで。

 じかんのすごし方について、楽土について、きっと何もかも、伝えてしまうからね、覚悟してねって。

 なまっちょろい子供なんか要らない。そんなのは厚化粧した女の腹にでも宿るがいいってね。

 行きたくなきゃ、学校も行かなくていい。

 もし生きたきゃ、竜退治にだって行くといい。

 十三歳で妖精と結婚して、十五で母親になったっていい。

 だから、戦える魂だけ、ここにおいで、って。