「全数検査」と言う声は、自分の言っていることの意味を分かっているのだろうか

ネット界隈を歩っていると、いや、ネットだけじゃなくて報道なんかでもそうだが、「全数検査してないからダメなんだ」といった声を耳にする。
こういう声を聞く度に、「この人はどうやって放射能を分析しているか、多少なりとも知ってるのかな?」と疑問を感じていた。
こないだも、こんなのを見つけた。


10 :名無しさん@12周年
だから最初から全数検査しろと言ってるだろ
野菜も魚も牛乳も卵も同じだよ

現地だけじゃ無理なのも分かってる
国が音頭を取って他県でバックアップするようにしないと駄目だったんだよ
もう手遅れだけど

この人は絶対、どうやって検査しているか知らないで物を言っている。
ましてや、1件分析するのにどれくらい時間がかかるかなんて、全く知らないだろう。

どうしてそう言えるかというと、「全数検査」という、放射能分析の知識がちょっとでもあれば出せないような言葉が出てくるだけでもう分かるのだが、今回、それに輪をかけて決定的と言うか、もう本当に何も知らないだろうなと分かるのが、「卵」という言葉が出て来たこと。


放射能分析はどうやってやるかというと、ごく簡単に書けば、決められた容器に試料を充填して、それを容器ごと分析器にかけることで行う。
容器に充填するときには、なるべく隙間があってはならない。
正確な値を測るためには、できるだけピッチリと容器に充填しなければならない。
当然、卵を1個や2個、容器にゴロンと寝かせたって、そんなのはダメなわけで。

卵の放射能を分析しようと思ったら、容器に卵を【割り入れて】、ムラがないように【よくかき混ぜて】、そういう【溶き卵状】の試料で容器を満たして、それを分析にかける。

つまり、卵を全数検査しようと思ったら、全ての卵を割らなければならない。
全て割って、液状になった卵を流通させるしか無くなる。
スーパーに出回る卵は、全て溶き卵になる。
ゆで卵とか目玉焼きとか、そういうものは作れなくなる。

これは卵だけじゃなく、野菜でも魚でも肉でも同じ。
放射能分析をするには、試料を細かく切って、グチャグチャにして、分析器にかける必要がある。
「市場に流通させる前に全数検査しろ」となれば、体の1部だけを分析することになる牛や大型魚などを除けば、細かく切り刻まれた野菜や、グチャグチャになった魚が、スーパーに並ぶことになるだろう。


さらに、じゃあ食品が原型を留めなくなるのは我慢するとして、液状の卵、細かく切り刻まれた野菜、グチャグチャになった魚、そういう食品になるのを我慢すれば、安心・安全な食料を充分確保できるようになるのかというと、そういうもんでもない。

試料を容器に充填して、分析器にかけたとしても、放射能の分析には時間がかかる。
レジでバーコードを読み取らせて「ピッ」っと値段でも出させるような、そんな簡単にはいかない。

分析の流れが分かり易くまとまっているものがあって、書き写すとこんな感じになるが、
http://www.fra.affrc.go.jp/topics/230415/paper2.pdf#page=13

○試料測定の流れ
1.試料の受け取り
2.内容確認
3.放射線量の簡易測定による安全性の確認
4.試料の洗浄
5.試料の部位別解体
6.測定用容器への充填
7.ゲルマニウム半導体検出器で測定
測定時間:2000秒 準備とデータ処理 (1時間)
8.放射性ヨウ素放射性セシウムの濃度を算定
測定データを元に計算 (1時間)
9.測定結果の検証と送付

試料の洗浄とか解体とか容器への充填とか、そういう処理に係る時間を考えないとしても、測定と計算だけで1件当たり2時間かかる。

私の知っている分析機関がある。
原子力施設の多い地域の分析機関で、人員・分析機器ともに他と比べて充実している方だとは思うが、それでも、分析機器をフル稼働させ、24時間体制で分析している現在でも、1日に分析できるのは30件〜40件だそうだ。

一方、分析して欲しいと持ち込まれる対象はどんどん増えている。
土壌・塵埃・水道水・海水・牛乳・野菜・魚・貝・海草・肉、そして稲藁…
とにかく、気になるあらゆる物が持ち込まれる。

1日30件〜40件の全てを食品分析に充てることも出来ないと思うが、仮に食品分析に全力を注いだとして、一体どのくらいの食品が分析できるのだろうか。

仮に試料を1件当たり2kgとしてみよう。
(実際の試料は0.5kgも無いと思うが)
そして、上に書いたような規模の分析機関が、他に100箇所もあったとしよう。
(実際には、自治体が持つ機関としてはもっと規模の小さな機関が1県に1つ、他に国や独法の機関があるくらいだろう)

そうすると、1日に分析器を通すことのできる食品は、1箇所当たり80kg。
これが100箇所あるとして、8000kg。
分析の持てる力を全て食品に投入したとして、1日に分析器を通すことのできる食料は8000kg。
成人が1日に食べる量は、飲料水や肉の分を除いたとしても1.3kg程度だから、だいたい6000人分。

多めに見積もった、持てる分析能力をフルに投入したとしても、6000人分の食べ物しか分析できない。
小さな市の人口分すら検査できない。
「市場に流通させる前に全数検査しろ」となったら、6000人分の食料しか流通させられない。

もちろんこの計算は仮定の計算だが、このような計算からも、全て分析するには、人も機器も絶対的に足りないことが分かるだろう。
あれもこれも検査しろと言う一方で、分析待ちになる食料はどんどん増え続けるわけで、野菜・卵・魚などの腐りやすいものから、いつ来るか分からない検査の順番を待っている間に、どんどん腐っていくだろう。

つまり、
放射能が基準値を上回る可能性がある地域は、全数検査してから出荷しろ」
と言うのであれば、それは、

【東北・関東は食料の生産活動をやめろ】

と言っているに等しい。


もちろん、そうなれば補償金も現在の比ではないわけで、東電の負担能力を超えれば、税金投入という可能性が高まる。
つまり、「東北・関東の食料を全て税金で買い上げろ」と言うことにも繋がるわけで。


「全数検査しろ」と言う人は、そこまで理解して言っているのだろうか。



また、もう一つ、そもそも事故が起きる前から、食品検査がどのように行われてきたのかも考える必要があるだろう。

原発事故が起きる前には、食品に有害物質が含まれていなかったわけでも、検査が行われていなかったわけでもない。

残留農薬食品添加物、水銀、PCB。
これらは有害物質であり、基準値を超えた食品が出回らないよう、検査されていた。

その検査は、「抜き取り検査」であり「サンプル検査」。
つまり、今回の放射能検査と同じ。
全数検査では無い。

これらの分析も放射能と同じで、レジでバーコードを読ませるような簡単なものでは無く、色々と処理をして時間をかけて分析しなければ値が出ないのは同じなので、そもそも全数検査なんて無理な話というのも同じ。
原発事故前から全数検査なんて行われて来なかったし、原発事故後の今でも全数検査なんて行われていない。

そんなわけで、輸入物にしたって、西日本の野菜にしたって、農薬や食品添加物などについては、サンプル検査しか行われていない。
例えば残留農薬で言えば、0.02〜0.03%くらいの割合だけど、基準値超えの野菜は毎年一定数見つかってる。

なので逆に言えば、スーパーに並んでいる野菜にも一定数は、基準値を超える残留農薬の野菜が含まれていてもおかしくないし、サンプル検査なのだから、検査で発見できずにそのまま口に入る野菜も同じ割合はあるだろう。
大雑把に考えても、日本人1億2000万人の内、2万〜4万人くらいは、基準値超え農薬の野菜を口にしていてもおかしくない計算になる。

「全数検査じゃなくサンプル検査だから、基準値超え放射能汚染野菜がすでに全国に出回っている」
という言い方がされるが、そういう言い方をすればサンプル検査なのは同じなのだから、
「全数検査じゃなくサンプル検査だから、基準値超え農薬野菜がすでに全国に出回っている」
のは、西日本の野菜だって同じ。

でもこれが大して騒がれないのは、まさに、「直ちに健康に影響は無い」レベルだから。
農薬が体に有害なのは間違いないけど、それは大量に摂取した場合の話であって、一回や二回食べたからって、十回や二十回食べたからって、体に影響が出るとは考えられないから。

これを、サンプル検査だから、基準値超え農薬野菜を食べてしまう可能性があるからって、「全数検査しろ」と言うのは、それは「全国の野菜を流通させるな」と言っているのと同じ。
検査待ちで腐らせるか、そもそも作るの止めろと言うのと同じ。

もちろん、そんなこと言い出せば輸入物だって同じなんだから、この世で食べられる野菜は無くなるだろう。
後は自給自足するかだ。



全数検査論はこのように、かなり無茶を言っているし、非現実的なことを言っている。
私の感想では、全数検査論は自分の言っていることを分かっていないし、そうすることで及ぶ影響を考えずに、単に目先の感情だけで言っているように思える。

一般人が言うのはまだしょうがない部分もあるが、医者や専門家を自ら名乗る人間までが「全数検査しろ」というのは、正直閉口する。
医者や専門家と言っても、結局彼らが分かっているのは自分の専門だけで、放射能のこととか分析のこととかはまるで分かっていないか、もしくはそうすることでどのような影響が及ぶかの、想像力が欠如しているのだろう。

そして、このような全数検査論が出てくるのは、結局のところ食品の分析や検査がどのように行われているか、ほとんど知られていないからだろう。

レジのバーコードとは言わないまでも、野菜が一つ一つベルトコンベアーで流れてきて、放射能検査ゲートみたいな所があって、そこで反応した物がはじかれる、そんな缶詰の不良品検査みたいなイメージを持っている人も多いのかもしれない。

あるいは、別な人は、白い服着てサーベイメーター使ってた映像が頭にあって、野菜や肉にもそうやってサーベイメーターあてれば放射能を測れると思っているのかもしれない。

でも、サーベイメーターで測れるのは、その野菜や肉からどの程度放射線が出ているか、分析する人が注意しなけりゃならないくらい、強い放射線が出ているかそうでないかであって、その食品に何という放射性物質がどれだけ含まれているかを正確に調べるには、やっぱり切って潰してグチャグチャにして、分析器に入れて2時間くらいかけて調べないと分からないもん。
まして、ベルトコンベアーではじくなんて言わずもがな。

一般人も知らないし、医者や専門家を名乗る人間も知らなかったりするんだろう(と言うか確信犯的に煽ってるんだろう)。
だから、「検査数が少ないのは分析機関が国民の健康をいい加減に考えているからだ」なんて、寝ぼけた精神論みたいなことを言う、NHK元解説委員なんかも出てくるのだろう。
http://d.hatena.ne.jp/akatibarati/20110712/1310474581


ちなみに一応、今回の牛肉騒動の、健康へのリスクを考えておく。
これまでに確認された放射性セシウムの最大値は、1キロ当たり3400ベクレル(だと思う)。
セシウム134と137の割合が1:1だとすれば、それぞれ1キロ当たり1700ベクレル。
1枚200グラムのステーキ肉を考えれば、1枚当たりそれぞれ340ベクレル。
そうすると、ステーキ肉1枚当たりの被曝量は、11マイクロシーベルト
しきい値無し直線モデルに従えば、1ミリシーベルト当たりの将来のがん死亡リスクが0.0055%とされるから、ステーキ肉1枚当たり0.00006%のリスクの上昇となる。
ちなみに、子供の場合は、これよりも小さい値となる。


ところで、もう長いと思っているし、自分的にもこれ以上長くしたくはないのだが、最後に断っておきたいことがある。

私は、現実的にはサンプル検査・抜き取り検査しかやりようが無いのだから、一定数は基準値超えの食品が出てしまうのは、残留農薬の話と同様に止むを得ない(防げない)と思っているし、仮にそのようなことがあっても、元々の基準値に余裕が見てあるのだから健康へは心配ないと思っているが、それは、だからと言って基準値超えの危険性の高い物を、嘘を付いてまで出荷してもいい、ということでは全然無い。

○飲食物の基準値の話
http://d.hatena.ne.jp/akatibarati/20110622/1308735760
○基準値を守って生じる余裕
http://d.hatena.ne.jp/akatibarati/20110623/1308828990

不可抗力として世の中に出てしまうのはしょうがないとしても、ヤバそうだと知ってて流通させることまで、仕方ないと言うつもりは全く無い。

例えば、どうせサンプル検査だからと、どうせ分かりゃしないからと、危険なレベルまで農薬を使いながら、農薬は使ってませんと嘘を付いて出荷した生産者がいたらどうだろう。

信用はガタ落ちになるし、それは真面目な生産者や、そんな生産者を応援しようとする、政府自治体などの関係者の努力を無にする行為だ。

生産者が自らそんなことをするのは、サンプル検査という検査制度そのものへの信頼を失墜させ、真面目な生産者へ信頼も失わせ、さらなる苦境に立たせる行為だ。

やってしまった者には何かしらの事情があったのかもしれないが、今回の分析方法の説明は、そういう行為を擁護する意図は全くないということは、断っておきたい。