akehyon-diary

2010-09-29

[]民族という虚構

人種民族というのは、完全な虚構である。しかし、人はついその虚構に頼ってしまう。著者が描きだすのは、民族の虚構性だけでなく、この種の虚構は、虚構と現実といった二分法で捉えられるものではなく、人間にとってはまさに「虚構が現実を支えている」のである。

ここまでならよくある議論かもしれないが、その先がある。「自律した個人ほど影響されやすい」という命題だ。個人主義的なものほど、自らの行動に責任を感じ、その理由を内発的なものに求める。民族文化をもっと開かれたものと考えるべきというのが、最終的な着地点となる。

そういえば、今日のクローズアップ現代で、「名前ロンダリング」の話をしていた(http://d.hatena.ne.jp/ino46/20100929/1285758762)。借金犯罪逃れのために、養子縁組を繰り返して名前を変えることで、この問題は当ブログでも何年も前に関連記事書いたことがある(http://d.hatena.ne.jp/akehyon/20050512)。たまたまだが、本書には、日本の家制度が形式的な性格を持っており、中国韓国と比べて簡単に姓が変えられ、養子も盛んだという記述がある(p.42-43)。これが直接、犯罪のための名前ロンダリングとはつながりはしないだろうが、制度的な遠因にはなっているかもしれない。

民族という虚構

[]情報法の構造

タイトルから、情報法を構造的に説明する野心的な著作かと期待したが、失望する結果となった。要は論文集で、それを無理やりつなげたという印象。情報法の中で私が特に興味があるのは「個人情報保護法制」と「情報公開」だが、前者については第7章で扱っているものの、得られるものはなく、後者についてはまったく記載がない。全体としても、著者が多くの判例や研究論文(それも英語の)を読んでいることは分かるが、それ以上の広がりが感じられない。

情報法の構造―情報の自由・規制・保護

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