NHK 鉄の沈黙はだれのためか

2001年にNHK教育テレビで放送された番組「問われる戦時性暴力」は、その番組内容の改変に向けての政治家の圧力があったのかどうか、その意思決定の過程が、放送番組の政治的中立性や表現の自由、番組制作を下請けしたプロダクションとの関係、「期待権」や「編集権」の問題など、さまざまな議論を呼んだ。著者はその当事者の一人で、内部告発をした長井暁氏の上司に当たる。著者は自分が組織内での地位防衛のために姑息に立ち回ったことまで、かなり正直に書いている。中川昭一氏や、伊藤律子氏(事件当時番組制作局長)が亡くなり、著者自身もNHKを離れて大学教授に転身したことで、当時のことを正確に記録しておくべきという使命感が生まれたようだ。
もちろん著者も、すべてを知る立場にはないから、推定や憶測なども含まれているが、中川昭一安倍晋三が巧妙な言い方でたくみに圧力をかけたこと、そして、番組改変はおそらく海老沢会長自身が指示をしたことなどが書かれている。
この事件は、放送における政治的中立性や編集権の問題、NHKという組織のあり方など、放送の未来を考える上で重要な論点を多数含んでいる。残った当事者の一人である松尾武氏(当時放送総局長)などは、NHKを辞めてもまだ沈黙を守って逃げ続けている。何を恐れているのだろうか。死ぬ前に知っていることを明らかにして欲しいものだ。
NHK、鉄の沈黙はだれのために―番組改変事件10年目の告白

現代文学論争

小谷野敦氏の新刊。
ところどころには小谷野氏の主観的な感想も含まれてはいるが、全体としては客観的な論争の推移を丹念に追っていて非常に興味深い内容となっている。
例えば第六章の『事故のてんまつ』事件。『事故のてんまつ』というのは、川端康成の死の「真相」を書いた臼井吉見の著作だが、これが本当に真相なのか、そして、川端家(未亡人や、養子の川端香緒里東大教授)が採った態度などが明かされる。文学者等の遺族は、果たして死者の名誉を守るために、言論を統制することが許されるのか、考えさせられる。これは川端だけの問題ではないのだ。
純文学と通俗文学の区別についても、第十六章「「純文学」論争」を中心に、随所で問題となっている。これについては、著者の積極的な見解をもっと聞いてみたいところだ。村上春樹を通俗文学として批判(罵倒?)している個所があるが、その理由は何なのだろうか。純文学の必要十分条件とは何だろう。
現代文学論争 (筑摩選書)