日本の公文書

6月4日に紹介した「アーカイヴズが社会を変える」の松岡資明氏の著書で、内容も一部共通している。日本の公文書管理が杜撰になったのは決して歴史的伝統などではなく(徳川吉宗などは大量の文書を保存している)、明治18年の太政官制度廃止以後のことらしい。「民主主義が未成熟な段階でさまざまな情報を公開することは民衆の動揺を誘発すると指導者層は恐れた」(p.38)。これが現在まで、尾を引いているのだ。第4章の「デジタル化の功罪」も、考えさせられる。デジタル資料は便利だが、デジタル化すると紙の文書は廃棄されがちである上に、上書きすると元のデータは失われる場合が多く、メタデータも失われがちで、さらに記録メディアは日進月歩で変わってゆくので長期保存にも向かない。
戸籍さえも長期では保存されない。家族がいなくなった戸籍は「除籍簿」に移されるが、これも80年で廃棄である。「一人の人間がこの世に存在したことを公に証明するものは何もないことになる」(p.182)。
日本の公文書─開かれたアーカイブズが社会システムを支える

考える力が身につく社会学入門

浅野智彦、加藤篤志、苫米地伸、岩田考、菊池裕生の各氏がそれぞれ一章づつ、「私」「人間関係」「家族」「会社と仕事」「文化・流行」を社会学的に解説する平易な入門書。全体を貫くキーワードはギデンズの「再帰性」だろう。伝統に支配されるのではなく、あらゆることが「別様でもあり得るのではないか」と問い直される現代社会を指した言葉だ。これが個人に一方で自由をもたらし、他方では不安をもたらすという現状認識は妥当なものだろう。
考える力が身につく社会学入門