akehyon-diary

2011-12-27

[]中国 改革解放への転換

小島朋之・慶應義塾大学教授の追悼論文集で、教え子や研究仲間の人々が一章ごとに執筆しているものだが、残念ながら、特に専門外の人間にとっては、問題意識が専門的過ぎて(あるいは特殊過ぎて)、興味の持てない論文が多い。そのなかで面白かったのは、高原明生・東大教授の書いた第七章くらい。2008年に中国では「改革開放30周年」を祝ったが、改革開放という言葉最初に現れたのは1978年ではなく、1984年であることを指摘するもの

中国 改革開放への転換: 「一九七八年」を越えて

[]デジタルメディア社会学

若手の社会学者6人が執筆したもの。こちらは私の専門に近い本で、また、お世話になっている北樹出版から出ているので悪口は言いたくないのだが、正直、期待外れだった(期待が大きすぎたということもあるだろう)。12章の節の名前として出てくる、「ユビキタスという大儀」など、意味さえよく分からない。もちろんユビキタスは分かるが、「大儀」ってなんだ?「大儀であった」ということか?

デジタルメディアの社会学―問題を発見し、可能性を探る

oxyfunkoxyfunk 2011/12/29 17:22 はじめまして。編者ではありませんが、メディア論の教科書を書くのはかなり難しくなってきたなと思っておりました。理論があるかのようには書けないというか、そういうモヤモヤをどう処理すればよいのかに悩みました。「外れ」てしまい大変申し訳なく思いますが、どのような「期待」だったのかをご教示頂けると幸いです。

akehyonakehyon 2011/12/29 17:58 加島さん、こんにちは。あまりにコメントが早くて驚きました。期待外れというのは舌足らずであったと思いますが、要は、このうした一話完結型のものではなく、一章ごとに学習を積み上げて行く形の教科書を期待していたのです。困難なことではありますが。

oxyfunkoxyfunk 2011/12/29 18:15 早速のお返事をありがとうございました。メディア論にとって何が知識となるのか、またどういう状態になればそれらをわかったことになるのかという点には注意をしているのですが、それと教科書として書き上げることの差異(というか、私自身の力不足に由来する不完全さ)には悩みましたです。論文だと、「この困難をわかってくれ!」とこっそり書き込んだりするかもしれませんが、教科書ではそれができないのですね。

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