数週間考えていたこと

ここ数週間ほど、実はかなり長いこと考え込んでいた。
そうだね、わかっていたよ、という人もいるかもしれない。ま、そうですよね。ただ、ここには書いていないことが少しずつ溜まっていくと、自分でもよくわからん、言葉にできそうもないというようなことはある。
iBook G4で作業を全部できるか実験してみようと思って、そのまま実験が2週間以上つづいた。実験はおおむね成功です。だからそれはそれとして。
そう、まだ何か引っかかっていることがあったんだ。
何かとは何か、って聞かれると「いろいろ」って答えるほかないのだけれど、ここ数日自分の考え込んでいたことを気持よくすがすがしく払拭してくれるようなできごとに遭った。それでようやく自分が考え込んでいたことに気づいた。

坂東さんは、(ビジネス)活動を回す力の大きさが優れている=企業家精神が旺盛であるタイプに見えました。ギーク/スーツという切り口で見れば、良い意味でのスーツの役割を演じられる方のようです。

このfuzzy2さんの見識にはなんども首を縦に振ってしまうほど納得させられた。それでぼくが思ったのは、fuzzy2さんはひょっとして、ギークのほうに近い人なのではないか。ということ。でもそういう言葉ってfuzzy2さんやkeitabandoさんの活動を見ていても、いままではあまり思い浮かばなかった。言われてみれば、そうだよなというくらいで。
そこでどうして自分がそう思ったのか考えてみた。たぶん、答えはこうかな。
ぼくはどっちでもないんです。
というのは、ギークとスーツという言葉の組み合わせを知らなかったから、どちらにもなろうとしなかった。
これって半端ない世間知らずなのかもしれない。たしかこの言葉のペアを聞いたのがつい最近の話で、たしかessaさんだったかな、こんなエントリを書いていたのを思い出す。

ペゾスのように「変化しないもの」つまり「トレンド」に焦点を当てるのがギークジョブズのように「今」に焦点を当てるのがスーツ、という分類基準はなかなかいいと自分では思ったけど、どうだろうか?

なるほど、ジェフ・ベゾスはたしかにギークなのかもしれない。そしてスティーヴ・ジョブズがスーツというのも納得がいく。essaさんの話を展開させる方法が秀逸なせいもあるかもしれないが、これも言われてみれば、そうだよな。ということは言われるまで気づかなかったわけで。
今日は話がかなり往ったり来たりするけれど、少しだけおつきあいしてもらえるとうれしいです。
3月24日のエントリで、naoyaさんがはてなブックマークの作り直しについて詳しい話を聞かせてくれた。

おそらく新システムの最初のリリース時には、それほど大きく変わった、という印象にはならないかと思います。長く続いているサービスですし、インタフェースや使い方もリリース当初からそれほど大きくは変わっていません。既存システムからの極端な変更は歓迎されないだろうと思っており、まずはオリジナルが持っていた機能をしっかり再現することが重要です。

なるほど。こうやって考えるとnaoyaさんはギークなんだろうと思う。「長く続いているサービスですし」という言葉で、それがベゾスのトレンドに焦点を当てる姿に重なる。こういった一徹さはnaoyaさんにしか生み出せない価値なのだろうと思う。「オリジナルが持っていた機能をしっかり実現する」ためにはオリジナルが多くの人に必要とされていることが条件だ。つまり、はてなブックマークは多くの人の承認を受けているからこそできることで、これは逆にはてなブックマークの存在意義を証明していると思う。このあいだのエントリでぼくは「大胆にやっていいと思う」と書いた。だがnaoyaさんの尋常ではない一徹さ、「ぶれなさ」に出会って、なるほどこれがギークか、と考え直した。
もうひとりギークがいる。

amachangさんはよく知っている人から見ればnaoyaさんとは違った意味のギークなのかもしれない。が、ぼくから見れば「トレンド」に焦点を当てるという意味でギークの一徹さをもった人だ。このエントリはタイトルが控えめだけれどIE6とIE7とIE8だけでなく、Firefox 3 betaとSafariOperaも同じマシンで共存させる方法、をいち早く紹介する記事になっている。そしてamachangさんが考えて実験を成功させてしまったことは、たぶんトレンドの方向として正しい。ぼくも似たようなことを考えていたけれど、amachangさんの行動に移る決断の早さにはかなわなかった。すごいよなあ。
たぶん、ぼくはギークになるには中途半端なのだと思う。
このエントリのように、大事なことをさらっと書いてしまえる思い切りのよさもamachangさんのすごさだと思う。

3月25日のエントリで小飼弾さんがギークのいないIT企業の成功例として、エニグモのことを書いていた。形式上はふたりの創業者の著書への書評となっている。

作りたいものがある。しかし作る能力がない。どうしたか、当然外注することになる。同社の(現時点における)最大の危機は、このことが招いた。

ギークのいないIT企業が直面した最大の危機について、弾さんの言っていることはぼくにもわかる。グーグルがギークのなかのギークで構成された企業だということも一応知っている。だが弾さんの言葉が光るのは、次の部分だ。

しかし、本書からは技術を持たぬ痒みが伝わってこないのだ。
ギークであれば、ここまで読んで「これって死亡フラグじゃね?」と感じたのではないだろうか。率直私の第一印象もそうであった。しかし、そこでもう一度同社の沿革を見て欲しい。同社はそれでもサービスインにこぎ着けたのである。それが最大のエニグモ(謎)といえばエニグモではある。
別の言い方をすると、同社には自分達の欲するものが何だということを、きちんと作り手に伝えるだけのコミュニケーション能力がある--少なくともあった--ということなのだ。

なるほど、コミュニケーション能力とはこういうものかと思った。バズワードともいえそうな危険な言葉である「コミュニケーション能力」だが、IT企業の創業者にとってのコミュニケーション能力、ということに限っていえば、弾さんの説明は親切だ。これならぼくにもわかる。
ここまで紹介したエントリに共通することは何か。
ギークの視点からのウェブ世界理解だ。
これはぼくには決定的に欠けていることで、いくつかのチャンスをそのせいで逃してしまったのかもしれない。わからないことをとりあえずブログに投げておくと、ギークの人たちがわかりやすく教えてくれる。これはギークの人にとってはとても自然なことで、たぶんそうすることが自分のためにもなるのだろう。そういうことを経験的に知っているのがギークかなと、いまでは思う。だがそのときにはよくわかっていなかったのかもしれない。自分なりに状況を説明するところまでは、まあうまくやった。親切に反応してくれる人が何人も現れてくれたのだから。その意味では、スーツの属性なら多少はあるのかもしれない。だが問題はその先だ。
ぼくはスーツになろうという能動的な意思がないのだ。
これがいちばんの問題で、つねにギークの人に自分が惹かれていくのを感じる。ここに紹介させてもらった魅力的なブログの書き手は、全員ギークなんだよな、気がつけば。この理解の仕方が間違っているかもしれないけれど、いまのぼくの精一杯の理解ではこうなる。
ぼくは「ギークに惹かれてしまう、スーツの成り損ね」といったところか。
翻訳なら一日中やっていても、ぜんぜん苦痛にならない。できることならそればかりやっていたい。でもそういう具合にもいかないのが現状で、そうできる環境をつくるためにはウェブ世界でいろいろな人と知り合って、助けてもらいながら自分もときには与えて、そのなかで自分を少しずつ成長させていくことかな、と思っている。これがとりあえずぼくのベスト。