松田公太氏の当選のこと

松田公太、と聞いてピンとくるだろうか。この文章を読んでいる方なら、ピンとくる方とピンとこない方が半々くらいではないかと勝手に推測してみるが、松田氏は7月11日に投票が行なわれた参議院議員選挙で、東京都選出の議員に当選した、41歳、アメリカ帰りの実業家だ。

実を言うとわたしは松田氏のことをこの選挙ではじめて知った。ずいぶん若い男性が立候補しているんだなと思ったのは、近所に特設された掲示板に載った候補者の顔写真を見てのこと。参議院だし、いろんな人が立候補して当選するのも落選するのもいいんじゃないかなと、ふと思っただけである。7月12日の早朝、ラップトップを開けてガリガリとハードディスクが鳴るなか、眠い目をこすりながらそういえば選挙はどうなったかなとヨミウリ・オンラインなどを流し読みしていても、その人がどうなったかは気にしていなかった。民主党が予想以上の議席減となったことを読んでもべつだん感慨というほどのこともなく、でも何人か気になった人はいた。杉並区長だった山田宏氏、衆議院議員から参議院へ再挑戦した杉村太蔵氏、くらいだろうか。これも自分が投票した山田氏と、たまたま前日の夜新宿を通りかかったとき、杉村氏の宣伝カーとすれちがってその勢いの地味さに呆れたからで、松田氏がどうなったかということはまるで思い出しもしなかった。
だが、何かが自分の意識に訴えかけた。「タリーズ、当選。」というツイッターでのつぶやきをみつけて、ああ、もしかしてと思ったのだ。ヨミウリ・オンラインに戻って投票結果の速報をみると、松田公太氏の顔写真の横に「当選確実」の文字とバラの絵が躍っていた。
そう、松田氏の正体は、タリーズコーヒーの経営者。
若い顔だけれど、41歳。初当選としてはまずまずのいい年だろうか。そうか、この人がタリーズの経営者だったんだとしみじみ思った。自分もタリーズは好きでよくドリップコーヒーを飲む。ちょっと値段が高いから、ドトールコーヒーなんかと並んでいると迷ってしまうが、タリーズしかないときは迷わず入るし、スターバックスと並んでいたら、タリーズかなと思う。
わたしはほぼブラックコーヒーしか飲めないので、いろんなメニューがあるとか注文に細かく応じてくれるとかは関係ない。コーヒー豆が美味しく調理されているか、その一点で見てタリーズはかなり好みである。スターバックスはもう渋谷に通っていたときうんざりするほど飲んだし、なんとなく出店する場所がいいところ過ぎて、いつ行っても混んでいるという印象がある。それにくらべてタリーズは出店する場所の選定がかなり通好みというか、うまいと思っていた。けっこう落ち着いて飲めることが多かったし、座席の設定も独り者にも十分気を配っている印象があった。
と、これはわたしのこれまた勝手な思い込み。
最近タリーズにはずいぶん行っていないような気がしていた。といってもコーヒーを飲まなくなったわけでなく、コーヒーはいつも飲んでいる。家でも、外でも。ではタリーズでなくどこに行くことが多かったのか。マクドナルドだ。
どうしてマクドナルドのコーヒーを飲むことが多かったのか。よくわからないが、どこに行ってもコーヒーは飲みたくなるし、飲みたくなったときに最初に目につくのがマクドナルドだった、というそれだけのような気がする。安いというのもある。でも安いだけではない。やはりマクドタリーズは違いがはっきりしている。なんかべつの飲み物という風に思っているところがある。
でもそんなにがぶがぶ飲むわけでないので、マクドで飲んで、タリーズでも飲んでということはない。
今日も朝出かけて最初にマクドでコーヒーを飲んだのだが、その後なんだかんだとあって昼に立ち寄った本屋で見つけた。

「すべては一杯のコーヒーから」松田公太

すべては一杯のコーヒーから (新潮文庫)

すべては一杯のコーヒーから (新潮文庫)

へえ、こんな本も出ていたんだと思い、ついつい買ってしまった。読んでみるとおもしろい。経営者語るの巻だけれど、押し付けがましい経営論などとは無縁な感じのする、雑誌のちょっとした特集記事みたいに読める本だった。それこそ、コーヒーを飲みながら読んでいたらあっというまに読み進めてしまいそうな。
松田氏の来歴はなかなか独特である。
松田公太 - Wikipedia

# 1968 年 - 母親の実家がある宮城県塩竈市で12 月3日に生まれ、東京で幼少時代を過ごす。
# 1973 年 - 水産会社に勤める父の転勤でセネガルダカールに渡る。
# 1978 年 - 日本に帰国。
# 1979 年 - アメリマサチューセッツ州レキシントンに渡り高校までを過ごす。中学・高校とサッカー部に所属し、州大会で2度準優勝。
# 1986 年 - 帰国して筑波大学国際関係学類に入学。大学4年までアメリカンフットボール部所属。
# 1990 年 - 三和銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)に入行。配属は土浦支店。

といった具合で、アメリカで高校までを過ごすというあたりにタリーズの日本法人設立のきっかけがありそうに見えるが、実のところはそれよりも筑波大学アメリカンフットボール部と三和銀行土浦支店というあたりに肝があることが、この本でわかってくる。
気をつけて読まなくても、彼の大学時代、就職当初はあの喧噪のバブルに重なっていることが明かされる。著者である松田氏はその体験の珍妙さを隠しもせず、照れもしない。堂々とその時代の申し子であることを宣言し、そこから自分なりにつかみとったものを生かして実業家になったことをストレートに語っている。
おもしろかったのは、タリーズと出会ったシアトルでの話、そして元祖米国タリーズの経営者に直談判しに行って不屈の営業をかける松田氏の姿だ。

シアトルから日本に戻ると、タリーズにEメールを送る毎日が始まった。銀行の仕事を終え自宅に戻った深夜、パソコンに向かうのだ。
「自分は日本の三和銀行という銀行で働いている者です。先日、シアトルを訪れ、タリーズのコーヒーを飲み感銘を受けました。この素晴らしい味を、是非とも私の手で日本に伝えたいと考えております……」
そうした自己紹介から始め、次にはタリーズが日本に進出した場合を想定して、自分なりのビジネスの方法論を展開した。
「日本では現在、不況が深刻化しつつあります。そうした状況下、コーヒーショップ業界にも大きな変化が起きています。コーヒー一杯が五百円という喫茶店が淘汰され始め、代わって百数十円の低価格を売り物にするチェーン店が急増しつつある。こうしたなかで、タリーズが一杯三百円のコーヒーを日本で売ろうとすれば、格安チェーン店にはない付加価値を提供することが重要になります。単に味が素晴らしい、最高級の豆を使っているというだけでは客は集まらない。まずは、銀座や青山といった東京都内の一等地に一号店を出店し、ブランドイメージを確立することが必要となります……」

これだけ読んでもずいぶん説得力があると思うのだが、松田氏のなにより大事にする価値「情熱」はそこで終わらない。

メールには、日本全体の喫茶店の数、売上高の推移といったデータも書き込んだ。もちろん、すべて独学である。私は一度やると決めたら、徹底的にやらなければ気がすまない。とことんやって結果が出なければ、その時点で理由を考えれば良い。
タリーズに送った「レポート」は、週一度のペースで十回以上に及んだ。そもそも最初は、誰に送ればいいのかもわからなかった。仕方なく、タリーズのホームページに載っている代表アドレスに、「国際業務担当者殿」と宛名を書いて送った。

そして、その結果はいかに・・・。

そうして何回かメールを書いているうち、タリーズ副社長(当時)のアールジェイ・セルフリッジからメールで返事があった。といっても、「参考になる意見をありがとう」という程度に過ぎない。決して反応が良いわけではなかった。それでも私は諦めずに、せっせとメールを書き続けた。
シアトル訪問から二ヶ月が経った九六年六月末、私は六年勤めた三和銀行を退行した。その時点で、タリーズと契約できるという見込みは全くなかった。しかし、「タリーズで起業したい」という私の思いは日増しに強まってくる。もはや進むべき道が決まった以上、銀行員を続けていても仕方なかった。

熱い、アツいヒトだ。
このくらい起業家なら当たり前、と思うならあなたもその資格があるかもしれない。やってみて、だめならそこで考える。なるほどやってみなければ返事もなにもない。
だが、松田氏のアツさは実はその裏でしっかりしたリスクヘッジがある。

正直に言えば、私はタリーズ一本にターゲットを絞って交渉していたわけではなかった。タリーズに断られるケースも想定し、他にもシアトルで目をつけたスペシャルティコーヒー数社にメールを書いて感触を探っていた。そしてイタリア系オジサンの店のように、ごく小規模な会社のなかには私に興味を示してくれるところもあった。しかし、どうせやるなら私自身が最高と感じたところ、タリーズでやりたいというのが本音だった。

さて。
参議院議員としての松田氏はこれからどうなるのだろうか。
そういった方面の知識はとんと疎いわたしには考えが書けない。だがいくつかの材料を見つけてきたのでそれをここにご紹介したい。

 みんなの党のここまでの躍進は私には想定外だった。かく言う私自身、「棄権・白票も大人げないし、舛添さんも政局を読み違えるということ自体失策だし、しかたないな、みんなの党か」と思って入れたものの、公明党に匹敵する躍進は想定しなかった。東京都の選挙区では、かなりためらったが、「共産党の票が減るといいな」と松田公太氏に入れた。私の一票など大勢に影響はないと高を括っていたら、開票終盤で面白い風景を見ることになった。共産党が負けて、松田氏が勝った。まさかと思ったが、その前に共産党のようすがNHKに映し出され、そのお通夜のような暗さに、よもやとは思った。55万票も組織票があり、共産党が東京都で負けるということがあるんだろうか。時代がなにか終わったなという感じはした。(つづきを読む)

と述べるのは極東ブログfinalvent氏。みんなの党から公認を得て出馬した松田氏が、共産党から公認を得て出馬した候補者と競り合って、ついには勝ってしまった。たしかになんか、違う空気があったよなと思う。
というのは、投票の前日、偶然新宿東口の雑踏に踏み込んだのだが、午後8時近かったか、もう演説も終盤、声もガラガラになった候補者がどなり合っている。誰の声だか区別がつかないが、「佐藤ゆかり」「片山さつき」といった旗が見えるなか、「みんなの党」という旗が目についた。
え?歌っているよこのヒト。
誰これ・・・。男の人だけれど、若い。日本はいい国です、もっともっとよくしていきましょう、みんなで!!!
ちょっと・・・いくら新宿だからといって、路上ライブみたいなパフォーマンスを、ここまで派手にやっていいのだろうか。
たぶん、この人が松田公太氏だったのでは?という気がしてきた。確証はない。だが当選したと言われたら、なるほど勢いはすごかったものなと思う。
松田氏のオフィシャルWEBサイトにはこのような文字が躍っている。

ここには、おそらく松田氏自身の強い執念のようなものがあるとわたしは思った。
それが何であるかは、「若者が夢を持ち、チャレンジできる国に」という文句に関係している。そして彼自身の個人的な体験、家族のことが関係しているのではないか。
「すべては一杯のコーヒーから」という書物には、松田氏の影の存在がぼんやりと、しかしきっぱりと提示されている。影を語りつつ、でも語りきれないところはきっぱりと止め、タリーズでの日々の体験記に昇華されている。