2011-10-21
水本繁雄
世の中どうなってやがる?
おもしろくない!全くもっておもしろくないぞ!
人類が思いのほか賢くない事には薄々気がついていたが。
「馬鹿は死ななきゃ治らない」
という言葉は裏返せば、
「馬鹿は死んだら治る」
ってことだろうが!
だが、今はっきり分かった。
人類は死後も馬鹿のままだ!
何が馬鹿かって、ヤツら人を見る目が無い!
俺は小学生の頃から心霊現象に遭遇して、心霊写真を撮る事を夢見てきた。
心霊スポットと聞けばすっ飛んで行ったし、
「掌のシワを赤で三角になぞると霊感がアップする、はたまた掌に赤で鳥居を描くと霊に遭遇する」
と聞けば
「どっちだよ!」と突っ込みながらもどちらも試した。
しかし、二択を迫っておいてどちらもハズレとは、そんな理不尽がまかり通ると思ってるのか?
その他にも色々試した、合わせ鏡、四面の部屋、コックリさん、しかし全てハズレのまま齢も19を数えた。
二十歳までに一度も見たこと無いやつは一生見る事が無いと言われているこの業界。
残された時間はあと半年、俺の焦りは今ピークに達している。
「あたしは33歳で、結婚を焦っている」
ジジイと結婚しろ。
「もうすぐ卒業なのに就職が決まらなくて焦ってる」
起業しろ。
「明日で30歳だけど、童貞で焦ってる」
風俗行け。
世の中、大体の焦りには解決策が用意されているが、俺の焦りには何の答えも用意されていない。
だからこそ、俺は誠意を尽くした!
尽くしてきたのに、、、ぐぎぎぎ、、、
写真部の部室であほ共がしゃべっている。
「昨日、エミたちと車で渋滝トンネルに行ったんだけどよ」
「え?こないだうちの大学の生徒が事故で死んだ所だろ?お前も好きだな」
「いや、それがよ、あそこはガチでヤバイぜ。トンネルの入り口でさすがにちょっとビビってたら、後ろからパキパキ乾いた音がするのよ」
「マジかよ?それで?」
「後ろを振り返ったら人魂が四つ飛んでてよ、慌てて車に飛び乗って峠を降りて来たんだよ」
「おいおい、怖えな」
「いや、まだ続きがあってよ、峠を半分降りた辺りで振り返ると後ろから車のハイビームで照らされてよ、なんだ?ってよく見たらエンジンの音はするのに車の姿は無いんだよ。あの光なんだったんだろ?」
ふ、ふ、ふざけるな!!
どう考えても何かを伝えたいんならあんなチャラいあほ共より俺の方がいいだろうが!
何時間でも話を聞くぞ!いや、聞かせて下さい!
道連れを求めてるんなら俺の腕力の無さったら凄いぞ!
さあ、殺れよ!どこへなりと連れて行けよ!
抵抗なんてしないぜ!無駄だからな!
全てを捧げる覚悟のある俺には何の音沙汰もなく、女とキャーキャーやりたいだけのあほ共には貴重な体験を与える。
こんな不公平は許さないぞ!!
「おい、水本、さっき月島からすげー話聞いたぞ」
「う、うん」
お前らはつまんねーくせに声がでけーから全部聞こえてたよ。
「なんかよ、渋滝トンネルに幽霊出るらしいぜ、お前も試しに行ってみろよ」
「う、うん、そうだね」
このあほが!俺様を誰だと思ってる!
そんな話を聞かされて黙っていられるか!
作品展に出す写真を撮るという名目で上げられる露出が最大のカメラを借りて帰った。
なんとなくだが、デジカメじゃ霊は写らない気がするのだ。
そもそも、芸術になんの関心もない俺だが写真部の中で1番カメラの知識を持っている。
それもこれも会心の心霊写真を撮るためだ。
この気持ち、今夜こそ届け!
帰宅し早速、カメラとライトを担いで自転車にまたがる。
月島のあほは車だからいいものの、自転車だと渋滝トンネルはなかなか思い出に残る距離だぜ。
夕方家を出て目的地に着いたのは深夜0時だった。
汗だくだ、これで何も起こらなかったら怒るぜ。
とりあえず、トンネルの中に入る。
ライトで壁を照らし、シャッターを切りまくる。
フィルムはしこたま用意して来たのだ。
トンネルを何往復も出たり入ったりで、かれこれ一時間ぐらいウロウロした。
なんかもっとこう、ゾクっと背筋が寒くなるとか、女の笑い声が聞こえるとか、線香の臭いがするとかそういうサービスは無いのか?
暗いだけで何の手応えもないぞ!
少し腹が立ってきたがここは辛抱だ。
明日部室で現像したらすげーのがデロンと写っているかもしれないじゃないか!
フィルムも残り少ない。何往復目だろうか、出口に差し掛かった時、強い光に照らされた。
「キャー!!」
女の叫び声、やった!ついに!!
「誰かそこにいるの?」
「おい、お前、人間だろ?幽霊じゃないよな?」
こちらからライトを当てて見ると若い男女が4人立っていた。
がっかりしながら答える。
「あの、はい、僕は人間ですよ」
女1「なーんだ」
男1「君、1人でこんな心霊スポットに来たの?」
「はい、まあ、」
女2「わかった!来てみたものの怖くなって入り口付近で入るか迷ってたんでしょ?」
男2「おい、ゆうこ、初対面の人に失礼だぞ」
女2「はーい、とりあえず一旦トンネルの外に出ましょう」
トンネルの外に出て街灯の下で輪になった。
こいつら、完全にナメてやがる。心霊スポットはダブルデートのためにあるんじゃねえ!、、、いや、待てよ、
このチャラさ!霊を怒らせるには持ってこいじゃないか!
月島のあほもここで霊現象に遭ったんだ。このパーティ、いける!!
聞いてもいないのにそれぞれ自己紹介なんぞ始めやがって、腹立たしい、だが今は、それがいい。
女1「君はなんていうの?」
「あ、水本、繁雄です」
男1「ふーん、水本っていうのか、こんな所まで1人で来れるなんて度胸あるんだな」
女2「水本君は大学生?」
「は、はい、そうです」
女2「どこの大学?」
「恩良大学です」
女1「うそ〜私達も恩良大学よ」
男2「へ〜偶然だな!」
つまんねーことペラペラペラペラしゃべりやがって。
そんな事どうでもいいだろうが。
そこから約30分、右から入って左から出るようなマヌケな会話が続いた。
だが、念願叶えるため仕方がない、ここは堪えよう。
男1「じゃあせっかく来たんだしそろそろ中入ろうか?」
女2「えー、本当に入るの?」
男2「嫌なら外で待ってろよ」
女2「そんなの余計怖いじゃん、一緒に行くよ」
女1「水本君はどうする?」
「あ、僕も行きます」
男2「よし、決まりだ!」
男1「ん?水本君カメラ持ってるの?本当に度胸あるな」
女1「そうだ、入る前にせっかく水本君に会えたんだからみんなで記念写真撮りましょうよ」
男1「じゃあ俺がシャッター押してやるよ」
記念写真だと?フィルムも残り少ないのにふざけんな!と普段の俺なら思うだろう。
だが、今、俺は猛烈に浮かれている。
間違いない、このあほ共のテンション、
俺なら七代祟る!
男1「はい、撮るよ〜」
パチリ!
俺が出したこのピースサインは世間一般のあほ共が反射的にやるピースとはものが違う!
勝利を確信したヴィクトリーサインだ!
早速、ヴィクトリーロードを歩み出す!脳内BGMは威風堂々だ!
トンネルの半ばに差し掛かった頃、パキパキと音が聞こえた!
やった!!これがラップ音か!生まれて初めて聞いたぞ!
こんな人間の関節が鳴るみたいな乾いた音なのか!!
女2「ちょっと、変な音出さないでよ!怖いでしょ!」
男2「ごめんごめん、緊張して歩いてたらなんか膝が鳴っちゃって」
男1「運動不足なんじゃない?」
一同「あはははは」
あははじゃねえ!
俺の一瞬の感動を何だと思ってるんだ!
関節の音に聞こえたわけだ、関節が鳴ってたんだからな!
なんと、もうすぐ片道終了してしまう。
急いでカメラのシャッターを切る。
女1「ちょっと、水本君、そんな事して霊が怒って出てきたらどうするの?」
「あ、うん、ごめん」
霊が出てこない事を願うんなら心霊スポットなんか来るなよ!!
お前はディズニーランドでミッキーが現れないよう願うっていうのか?
何も起こらないまま、あっけなく片道が終了してしまった。
一旦トンネルの外に出る。
女2「なーんだ、なんにもいないじゃん」
男2「そんな事言いながらトンネルで俺の手をギュッと掴んでいたのは誰だよ」
女2「えへへっ」
とりあえずお前ら2人は死刑だ!
しばらく、くだらない雑談が続く、
すると突然茂みから小さな光の粒がフワリと舞い上がった!
出た!オーブだ!これが出たとなると霊体本体が近くにいる!
急いでカメラを構える!
男1「郊外まで来ると蛍も見れるんだな」
女1「本当、綺麗ね」
蛍だと?そんなもん撮りに来たんじゃねえ!
男1「蛍も見れたし、そろそろ戻ろうか?」
女2「うん、もう深夜2時だしね、帰って寝なきゃ」
おいおい、マジか?折り返しは本当に頼むぞ!
祈るような気持ちで足を進める。
頼む、頼む、、、
やはり今回もダメだった。
エクセレントな心霊体験は次におあずけか。ちくしょう。
今から自転車で飛ばせばちょうど、大学の門が開く頃か。
こうなったら一刻も早くフィルムを現像したい。
男1「水本君は車で来てるの?」
「いえ、自転車です」
女2「ねえねえ、水本君、お家はどこなの?」
「髪久世町です」
一同「えーっ!!そんなに遠くから自転車で来たの?」
男2「車に自転車積めるから一緒に乗って行きなよ」
男1「うん、そうしな、家まで送ってあげるよ」
うるせーな、この役立たず共が、こんな奴らとこれ以上、一秒も一緒にいたくない。
「あ、僕、大丈夫なんで、自転車で帰ります」
そう言い終わるかどうかで俺は自転車めがけて走り出し、さっさとまたがり漕ぎ出した。
一同「ちょっと水本君!」
4人は一斉に追いかけて来た。
なんだコイツら、ちょっと話してやったくらいで馴れ馴れしいやつらだな。
なぜか必死に追いすがってくる4人を俺もムキになって引き離した。
役立たずなクセになかなか足の速いヤツらだ。
しかし、最早、用済みだ。
大学で会っても馴れ馴れしく話しかけてくるなよ。
アディオス!
峠を半分くらい下った頃、後ろから車でヤツらが追いかけて来た。
軽快に下り坂をぶっ飛ばす俺の行く先をハイビームで照らしてくれているらしい。
群れたがりのあほ共には困ったものだが、まあ視界が良くなった事は確かだ。
一応、礼だけは言っておいてやるよ。
ありがとな。
なんとか眠い目をこすりながら大学までたどり着いた。
もう、しばらく自転車には乗りたくない。
早速現像室でフィルムを焼く。
まだかまだかと暗室で浮き上がってくる像を眺めながら俺の胸は子供のように高鳴った。
大丈夫!今回は絶対写っている。
写真の数が多くて、なかなか大変だったが苦ではない。
写真の束を持って部室へ行く。
霊は、、、写っていない!これも!これも!これも!これも!
ぬおおおおおおお!!!!
写っていないだとおおおお!!
ふざけんなー!!
俺は頭にキたぞ!!何が心霊スポットだ!!
月島の話もきっと目立ちたいがためにでっち上げたホラ話なんだろうよ!!
あー馬鹿馬鹿しい!
完全に時間を無駄にした!
もう今日は授業も出ずに帰って寝るぞ!
「おお、水本、たくさん現像してんな、作品展に出すヤツか?ちょっと見せてくれよ」
いつものあほ部員か、こんなヤツにかまってないで一刻も早く寝たい。
渋滝トンネルはあまりに遠かった。
「うん、いいよ、でも、もういらないから捨てておいて」
よろける足で部室を出た。
早く帰ろう。
「その写真なんだ?」
「おう、月島、俺冗談で言ったのに水本のやつ、本当に渋滝トンネルに行って来たみたいだぜ」
「うげ、マジかよ。あんな怖えとこよく1人で行けるよな」
「これ、自動シャッターで撮ったのかな?一枚だけトンネルの前で水本が写ってるよ」
「あいつ、1人満面の笑みでVサインかよ、俺、
水本の事あんまり知らないけど、案外凄いヤツなのかもな」
ギーコ、、、ギーコ、、、ぐりん!
通勤時間を減らそうと引っ越した先は雑司ヶ谷のワンルームマンション。
家賃の割には綺麗な部屋だ。どうせ僕は独り身だし、訪ねてくる友達もいない。
無趣味な上に、IT土方と揶揄される労働環境に身を置くプログラマー、寝に帰るだけの部屋に無駄なスペースなど必要ない。
それに、エアコンの効きも良くなるからな。
しかし、今日の仕事もキツかった。
目の奥がガンガンする。
一日中パソコンに貼り付く仕事は他人から見れば楽かもしれないが、これがやってみたら結構キツいんだぜ。
「目が疲れる」ってのが1番簡単に想像出来る大変なポイントかも知れないが、実際には「音」の方がキツい。
まだ若者と呼ばれる身体が持つエネルギーがブスブスと不完全燃焼のまま、時間が削れていく音。
ギザギザのストレスが精神を削いでいく。
「ギーコ、、、ギーコ、、、」
規則正しく確実に。
14時間に及ぶ業務を終えて帰宅。
服も着替えずベッドに倒れ込む。
「でぇ〜疲れた〜」
時計は深夜2時を指している。
7時起きだから5時間寝られる計算だ。
意識が遠のいていく。
僕は疲れた、なんだかとっても眠いんだ。
30分程眠っただろうか?
身体は激烈に疲れているのに、突然目が覚めた。
「あれ?なんだこりゃ?身体が動かない!!」
これが金縛りというヤツか?
30年に及ぶ人生で初めての体験、グッバイマイチェリー。
まあ、はなから動く気もないので別にかまわないが、
しかし、この妙に頭が冴える感覚は勘弁して欲しいものだ。
どれ程時間が経っただろうか?
机の方から物音が聞こえる。
カタカタ、、、カタカタ、、、
誰かがパソコンのキーボードを叩いているような音だった。
なんだこれは?職業病か?
動かない身体に力を込めて、やっとの思いで机の方を見ると、見知らぬ男が机に向かって座っていた。
「マジか〜」
全身の力が抜けた。いや、最初から入らなくて困っていたんだが。
こうなったらこっちが見ている事を気づかれないようにやり過ごすのみだ。
やがて男は伸びをしながら背もたれを倒した。
男と僕の頭の距離、およそ60cm。
「こえ〜マジこえ〜」
いっそ目をつぶってしまおうと思ったその時、
「ぐりん!」
男の頭が180度回転した。
「うぎゃー!!」、、、
気がつくと時計は7時を指している。
なんて怖い夢なんだ。
とりあえず水を一杯飲んで出勤する。
「ギーコ、、、ギーコ、、、」
11時間後、業務終了。
帰り道で昨夜の夢を思い出す。
夢だというのに我ながらセコい、どうせなら今夜はかわゆい女の子が部屋に居る夢でも見たいものだね。
20時帰宅。
今日はいつもより早い。
コンビニの弁当を電子レンジに放り込みつまみをひねる。
椅子に腰掛けパソコンの電源を入れる。
勤務中、あれだけパソコンを眺めていても余暇の時間もパソコンを開かずにはいられない。
悲しき電磁波ジャンキーのサガよ。
パソコンが立ち上がりメールのチェックをする。
メールが一件届いている。
- Original Message -----
From: <シンジ>
To: "柳田"
Sent: Thursday, October 20, 2011 2:24 AM
Subject: シキュウ!!
至急?マズイぞ。
シンジが誰だかは分からないが急ぎの用事らしい。
昨夜は疲れ果ててメールも見ずに寝てしまったからな。
メールを開くとURLが貼ってあった。
シンジって誰だろう?と思いながらURLを開くとアメブロの日記ページに飛んだ。
「ヤヌシキタク フクモキガエズニネル」
ん?本文これだけ?
なんだこのブログ、薄気味悪いな。
「チーン!」
突然鳴った電子レンジの音にびっくりして僕は椅子から転げ落ちた。
「あ〜びっくりした〜」
レンジから弁当を取り出し食べる。
食べながらもう一度さっきのブログを見る。
ブログタイトルは「シンジのブログ」
メールの差出人と同一人物と見て良さそうだ。
しかし、なぜ全てカタカナ打ちなのか?
気持ち悪いったら無いぜ。
さかのぼって読み進めてみてもそれぞれに一行づつ、しかもシンジ本人の情報はなく「ヤヌシ」の事ばかり書いてある。
それにしてもこの「ヤヌシ」というやつはずいぶん自堕落な人間だな。
男のやもめ暮らしとはいえこうはなりたくないものだ。
眺めていてもそう面白いものでも無いので自分のアメブロとmixiを開いて日記を書き、パソコンを閉じる。
誰が読んでるワケでもないのに我ながら毎度ご苦労なこった。
7時起床、水を一杯飲んで出勤。
「ギーコ、、、ギーコ、、、」
21時帰宅。
パソコンを立ち上げメールをチェック。
- Original Message -----
From: <シンジ>
To: "柳田"
Sent: Thursday, October 21, 2011 2:24 AM
Subject: ヨンデ!
またか?
「ヤヌシ、イビキガウルサイ」
なんだよこれ。
愚痴なら本人に言えよ。
7時起床。
「ギーコ、、、ギーコ、、、」
22時帰宅。
7時起床。
「ギーコ、、、ギーコ、、、」
20時帰宅。
あの男の夢を見てから一週間ほど経過した。
いつものようにコンビニ弁当を食べながら自宅の机でパソコンを触っている。
相変わらず「シンジ」からのメールは毎晩来ていたがもう開くのはやめた。
つまらないから。
ネットサーフィンし、ダラダラと時間を持て余して気がつくと時計は深夜2時過ぎを指している。
明日が休日とはいえ夜更かしが過ぎたな。
Amebaピグのアバターを自室に帰還させると、部屋の中に誰かのアバターがいた。
「誰だ?それになんだ?このアバター、全身が真っ赤だ、レア衣装かな?」
注視しているとこの赤いアバターの首が
ぐりん!
「あっ!あいつだ!」
本当はわかってたんだ、、、あれが夢じゃなかったことくらい。
引っ越して来た時から感じる視線が今、僕の背中に突き刺さってることくらい。
でもさあ、幽霊だなんて馬鹿げたもの信じられるワケがないだろ!
震える手で確認する。
「いる?」
僕の冴えないアバターの吹き出しにそれだけ打ち込むのがやっとだった。
「ウン」
ちくしょう!こんなことになるなら引っ越しなんてするんじゃなかッタ
こレカラはこノヘヤデ ソウカ ツギハボクノバンナンダ
「警部、ここでブログの更新は終わっています」
「うむ、まあ状況から見て心神耗弱による自殺で良いんじゃないか?」
「しかし、、、」
「まさか、幽霊の仕業だなんて言えんだろ」
「確かに、馬鹿げてますものね」
「さっさと仕事を終わらせて帰ろう、この遺体は見るに耐えんよ」
「ネクタイを机に引っ掛けて椅子を後ろにガタン、、、か。余程強い力で後ろに押した、、、あるいは後ろから引いた?」
「おいおい、話をややこしくするなよ、さっさと勤務実態の調査に移るぞ。こんな首が反転した死体、いつまでも見てたらこっちまでおかしくなっちまわあ」
2011-08-24
貧困さんいらっしゃい。
貧しくて、困ると書いて貧困。
裏を返せば困ってなきゃ貧しくても貧困じゃないぜ。
という屁理屈を唱えたところでお金が無けりゃご飯も食べられないし、住む場所も確保出来ない。女子には相手にされないし、友達からの誘いも断り続ければいずれ来なくなるだろう。
日本はそういう金がもの言う社会だ。
「世の中お金じゃない」を最初に言い出したのは金を手にしてなお、その次を欲する金持ちか、嫉妬をかわすため金以外の価値を提示した金持ちか。
どちらにせよ、金持ちだと思われる。
自明の事実だが、小泉、竹中、の雇用形態の緩和で非正規社員の割合は、爆発的に増えた。
「国際競争力を強化する」というお題目で断行されたこれらだが、結果、国際競争力は削がれた様に見えるのは僕が無学なせいか。
ともあれ、先月ついに日本の貧困率は16%を超えたらしい。
前回、あんな長いの読んだ人はほぼ、いないと思うが、「負けセンス」について書いた。
ブログに転載する際、誤字のチェックをする為、自分の駄文を読み、ある事に気がついた。
「これは、失うものを既に持っているヤツに対する注意喚起でしかない」
なんという事だ、これは盲点だった。
別に失うものは何もない孤独死予備軍との呼び声高い僕がこんなポンミスをするとは。
そんな訳で今回は悩める子羊のため(というか、主に自分のため)に、戯言とは知りつつも、
「貧乏だけれど明るい暮らし」
についてマジで考えてみようと思う。
まず、通貨というものを考えてみる。
財布の中にある福沢のおっさんのプロマイドを眺めてみよう、、、僕の財布には野口のおっさんしか居なかったがまあいい。
手に取り確かめてみれば分かる、当り前だが、これは紙だ。
主に、労働の対価にこの紙を受け取り、他人の労働の成果を享受するために渡す。
この仕組みのおかげで服が欲しいからといって綿や蚕を育てる必要はないし、米が食べたいからといって地面を耕す必要もない。
つまりこの紙は労働力なのである。
自分の労働力を好きなように他人の労働に振り分けるための道具だ。
金を余分に持ってる人は他人に労働させる権利を有し、
金がマイナスな人は、労働する約束を負っているのである。
これが順繰り回っている状態は実に健全である。
しかし、昔々に雇用という形態が誕生し、自分の労働力の一部を雇い主に納めるという約束を負って労働することが義務付けられる人が大半を占めることとなる。
さらに後年、頭の良いユダヤ人達は、この通貨という物を人に貸して利子という実際には存在しない労働力を生み出す「金融」という発明をした。
こうして、労働対価率が著しく低い、または借りた以上の多くの労働力を支払わなくてはならない「奴隷」が誕生した。
あなたの持ってる余分なお金は労働の強制力として他人を傷つける罪深いものだ。
その罪からあなたを解放し、罪の呵責は僕が引き受けてあげよう。
さあ、そのお金を早く僕に渡しなさい、、、
おっと、うっかり本性が出てしまった。
今のは忘れてくれ。
税がかかるとはいえ、親からの財産を引き継げる社会においては、人それぞれ、生まれながらに持つ「他人に労働させる権利」の量は違う。
苦学で頑張ったという個別の事象はいくらでもあるとはいえ、全体グラフで見ると、子供の学力は完全に親の年収に比例している。
寿命もはっきり比例しているし、鬱病発生率もばっちり反比例。
この高収入、または財産を持つ人達は、身分制度が許されない日本の社会においては、学力や教養、礼儀作法などで階層を作り、低収入者を遠ざけ、同じ様な階層の人同士で結びつき、自らの地位を固めてきた。
余談だが、僕はテーブルマナーというものが大嫌いだ。
あんなものは他人を見下すための道具として発明されたものだ。
ちなみに、テーブルマナーを知らない事と食べ方が汚い事は違うと理解はしている。
そんな社会に丸裸で飛び込めば、金を既に持っているやつらに初めから労働の責務を背負わされるわけだ。
自分が金を持っていない事が問題では無く、金をたくさんもっている他人がいる事が問題なのだ。
このリセット機能を有しない貨幣支配から逃れる事が、貧乏だけれど明るい暮らしを実現するための基本ポリシーと考えていいだろう。
さあ、またもや前置きが長くなったがいよいよアンフェアなスタートが宿命付けられた既存貨幣支配から逃れる方法の話をしよう。
その方法とはズバリ、
「健全な通貨を自分で作り、リセットする」
これしかない!
「自分で通貨刷って誰がそれを金だと認めてくれるんだよ」
とさぞ、あきれられていることだろう。
まあ、馬鹿な事を言っている自覚もあるにはあるが。
順に説明するので一応、読んで欲しい。
僕は家のベランダでトマトを作っている。
この夏はトマトを買う必要が無いくらい出来ている。
この状態は既存の貨幣からトマト限定で逃れられていると言えるだろう。
鉢一つで2人分のトマトをまかなっている現状から、鉢を2つに増やしてみれば、近所の友達に分けるくらいはトマトが採れる。
ここでもし、その友達がベランダでキュウリを作っていたら余剰分のトマトとキュウリを交換出来る。
この状態はトマトとキュウリ限定で貨幣から逃れられるワケだ。
あとは近所に友達を1人づつ増やし、あらゆる野菜の担当を決めてそれぞれその野菜だけを作る。
たくさん成る野菜と少ししか採れない野菜の個体数バランスを考慮して相場を決める。
物々交換に不便を感じるようになって初めて通貨の登場だ。
通貨の発行主は参加人数に応じて通貨を印刷し、その通貨と野菜を交換し、野菜を自分の家に集める。
注文に応じて近所にその野菜を配達し、物流を担う代わりに手数料を上乗せした分の通貨を受け取る。
その手数料分が発行主の取り分というワケだ。
これを友達内で回せば野菜限定で既存の貨幣支配から逃れられる。
これをサービスに適用してもいい。
電化製品が苦手な女の子が、電化製品大好き男に対してこの野菜が買える通貨と引き換えに有益なサービスを受けられる。
要は、現在の通貨から「金融」という概念を取り去った原始的な通貨。
メリットとしてはそれぞれが小さいながらも「自営」の形を取れるため、労働対価率が高い
(雇い主に搾取されない)
既存の通貨の収入を上げる事は大変だ。なんせ敵が多すぎる。
しかし、既存の通貨の歳出を抑える事に関しては無理無く協力出来るものである。
自分にとって余っている物を人の余っている物で自分に必要な物と交換出来る仕組みを作れば良いのだから。
まあ、なんだか大袈裟になってしまったが。
極端な話、お互いにその価値を認め合える同士ならば、「肩たたき券」や「お手伝い券」だって立派な通貨になり得るということだ。
価値を共有出来る仲間を近くにたくさん持ち、助け合う為の工夫をほんのちょっとこらせば、きっと今より生活は楽になるし、
仮に日本円が紙切れになる悲惨な自体が巻き起こったとしても、別の通貨を使えるコミュニティにしっかり埋め込まれていれば、1人っきりの淋しいやつよりはほんのちょっと長生き出来るかもしれない。
既存の貨幣における貧乏でも困らない、明るい暮らしの実現のための第一歩は、近所の人に明るく挨拶をしよう!
と言う事で、無理矢理結論付けて終了としたい。
最後まで読んでくれてありがちょ。
2011-08-18
負け方、潮時、攻撃的敗北、とても消極的なお話。
どんなに御託を並べても、この世は戦いの連続。
テスト前の「俺も全然勉強してねえよ」という友達の発言に安堵を覚えた瞬間、君は出し抜かれている。
気持ち悪いほどべたべたしている女同士の友情も両者の間に一匹イケメンを放り込めばたちまち殺し合いだ。
決着のつけ方もじゃんけんから戦争まで幅広く用意されている。
勝負というものは当然勝つに越したことは無い。
越したことは無いのだが、勝負の数だけ敗北は存在する。
無数にとめどなく沸き起こる大小様々な勝負を潜り抜ける中で、誰もが時に敗者になる。
とりわけ方々から無能のレッテルを貼られている僕は、敗北を喫する場面が他人より多いのが現状だ。
しかし、何の工夫もなく延々敗走を続ける日々の中で僕はあることに気がついた。
「敗北には種類がある」
勝負の前に必ず精査しなくてはいけないこと、それは「勝って得るもの」と「負けて失うもの」
得るものはわずかで、失うものが大きいと判断した場合、そんな勝負は避けるに越したことはない。
この判定をやらない人は戦う前から負けている。
敗北の種類の中でも最低ランクである。
ついでに、勝負の得失を判断する時には下記の事を覚えておいて欲しい。
例えば、確立50%で、勝てば5万円手に入り負ければ5万円失うギャンブルがあったとする。
多くの人の場合これは等価の勝負と言えるが、
プレイヤーが貯金も無く月収=生活費である人間だったとすると。
勝ったときの5万円は余剰分、まあ大体は遊びに消えるだろう。
しかし負けたときの5万円は本来必要であった生活費である。
この双方の5万円の価値は違う。
その都度、自分の置かれている状況を把握する事が不可欠であると言える。
次に、
十分やる価値アリと判断した上で始めた勝負でも、劣勢に陥る事がある。当たり前だ、敵も勝ちたがっているんだから。
こんな時、劣勢な現状に目をつむり、いつまでも勝った時に得る(はずだった)成果の方に目を向け続けるやつは、死にたがりマンか、カイジのファンだ。
劣勢の状況では、失うものの方を見つめる事をオススメする。
敗北によって失うものは時に、不揃いに切られたケーキの選択権であったり、この世の全てと勘違いするようなひとりよがりな恋心であったり、金であったり、命であったりする。
大事なものが何か?
どんな事があっても失うワケにはいかないものが何なのか?
しっかり整理をせずダラダラと勝負に身を委ねてしまうと取り返しがつかない事態を招きかねない。
最も分かりやすい例が太平洋戦争における旧日本軍の敗北だろう。
もはや、日本という国自体信用出来ない昨今だが、でたらめばかりの恥ずかしい歴史の教科書を用い、怨念を溜め込む失笑ものの教育を施すお隣と違い、日本では比較的フラットな歴史観に基づいた教科書を使用していると仮定するならば、
文明開化以降の日本は超強かった。
薩摩藩単独でイギリスと戦い「おめえ、やるじゃねえか」と認められたり、日清、日露と大国相手に勝利をおさめたり。
富国強兵のスローガンの元、軍事力を高めていた当時の日本の中枢にいたジジイどもはそれはそれは調子こいていた事だろう。
そんなジジイどもが完全敗北という最悪の場合を想定していたとは考えにくい。
最悪の事態を想定し、絶対に失ってはいけないものが整理出来ていればおのずと潮時は見えてくるはずだ。
潮時の線引きが出来てなかった軍部のトップは劣勢の戦況が進む度、最低ラインを更新していったのだろう。
仕舞には、確定的な敗北の予感を感じながら「日本人の誇り」などというワケの分からないものを守る為自決を迫ったり、若いヤツらに特攻させたり。
知覧の特攻隊基地で読んだ遺書からわかる事は、少年達は負けたら日本人は皆殺しにされるという洗脳を軍部から受けていたこと。
ある者は親のため、ある者は好きな女の子のため、
妹に宛てた手紙も散見された。よく言われる「お国のため」なんて嘘だ。
ヤツらははっきりと愛する他者のために命を捨てたのだ。
こういう健気なやつらの未来こそ守らなくてはいけない最後の砦だとアホでもわかるだろ。
特攻作戦で成人にも満たない子供がたくさん死んだ。
人間爆弾桜花に詰め込んでぶっ飛ばすに相応しい老いぼれた無能なクズどもの命令に従って。
勝負に臨むにあたっての得失判断、失ってはならないものの整理をした上での劣勢時の潮時の見極め。
これだけ出来てやっと敗北者としては並だ。
負けの達人は敵が勝利を予感する前に、敗北の匂いを敏感に感じ取り素早く攻撃的に、積極的に負けをうてる。
例えば、直近で起こり現在も進行中の原発事故の後、それでも原発推進を唱えたジジイどもは全員はっきりと負けセンスがない。
国の中枢に居座らずに、もうさっさと死んで欲しい。
健康被害が予測される事態が進行中の今、それを言っても勝機はゼロだとなぜ分からないのか?
当たり前の事だが個人の目線では、自らの命の終焉は世界の終わりと同意だ。
自らの死の後の世界を安じるという奇跡は他者への愛以外起こし得ない。
原発の存在が自分の命と他者の未来、その両方にアゲインストなものだとバレた世界に原発を残すには、ある種の変わり身が必要だった。
もし仮に、事故直後、原発推進の敗北を敏感に感じ取り「俺達は間違っていた!原発はやはりダメだ!今後20年で原発は完全に撤廃する」と高らかに敗北宣言し、ポーズだけでも人命を優先していたならば、今日のような既得権益vs国民の図式ははっきり描かれていなかっただろうし、
20年間は大腕ふって原発を動かせたのではないか。
20年の時間で一応の事故の風化を見た世界ならば延期の交渉も容易いのではないか。
その程度の小細工はやれよ。
だが、それも脱原発派が勝利を確信してしまった今となってはもう遅い。
今の権力者は原発の再稼動の機会と国民からの信頼をすっかり失った。
完全敗北だ。
原発無しでは経済が衰退する。経済の衰退は国民の命を脅かす、だから原発は必要だ!
推進派がその様に考えているのなら、なぜそれをそのまま言っちゃうんだ?君らはピュアなの?バカなの?死ぬの?
さらに、原発以外でも、とどまることなく勝負は続く。
震災の前から抱えていた問題「20年を越える不況」ははっきり言ってまだまだ底をうってはいない。
これまでの価値観に照らせばグローバル化が進む世界の中では日本はさらに負けて行くことは間違いないからだ。
グローバル化とはアフターファイブに英会話を習って出会いを求める事でもなければ、ボーナスはたいて海外旅行に行く事でもない。
資本移動の自由化、人材移動の自由化の事を指す。
つまり、これから僕らは、日本人の10分の1の賃金で一日14時間働き続ける中国の奴隷労働者と同じ土俵で戦わなくてはいけなくなるという事。
秋葉原の連続殺人もノルウェーのテロもロンドンの暴動も「イカレタやつらがトチ狂った」という認識しか持っていないならば早急に改めた方がいい。
過酷な労働環境に適応出来なかったやつらの成れの果て、という側面で見れば自分の未来の姿のひとつと想像するに難くない。
資本が平にならされるまで南高北低が続く世界情勢の中で下降を運命づけられた今の日本のリーダーに求められる能力は、
どの道奪われる産業を他国が「こりゃいずれ奪えるな」と思う前に察知し、仰々しく分け与え、その着せた恩を盾に絶対譲ってはいけない産業や資産を守れる先見眼と、生産性勝負から環境保全性勝負にシフトチェンジした様に、ゲームのルールを変更し先んじる独創性であると提案したい。
次の選挙の際は負けセンス抜群で攻撃的負けをバシバシうてる人材が多数選出され、グローバル化によるショックを少しでも和らげてくれることを祈るばかりだ。
2011-08-11
幸福の実感と証明
幸せとは何か。
ある人はデカい家に住んで、高い酒のんで、キレイな姉ちゃんをはべらせ、毎晩パーティーナイトな感じと言い、
また、ある人は家族が健康に仲良く暮らす事だと言う、かと思えば趣味を仕事にしてそれに没頭し続ける事などと言う人もいる。
世の中にはいろんな人がいる為、広告代理店は日々、それぞれの人に対応しようとこれまた多様な幸福論を提案してくる。
例えば、コミニュケーション力に乏しい、または女性に自らコミットする事が媚びてるようでかっこ悪いと感じる我々のようなゴミ男には電子機器を利用した過激な擬似性体験や、アイドルとの握手による疑似恋愛体験を供給するし、
すっかり行きおくr、、、げふんげふん。
結婚に対して志高く、常に夢見る心を忘れない気高いお姉様達には「おひとり様」なる新しい観念をでっちあげてくれる。
「草食系男子」などという新語を用いて「こんな良い女をほっとくなんて最近の男はダメね」というぶっ飛び責任転嫁も承認される。
夢旅人の最中も孤独を感じないように高級ホテル最上階ワイン飲み放題女子会プランなどという男から見たら完全に余計なお世話と言うべきプランが用意されているなど余念がない。
話がそれるがついでなので私見を記述させていただく。
基本的に「最上階」をありがたがるのは女だけだ。
稀に男の一人暮らしでタワーマンションの最上階に住んでいるという、いけすかねえヤツもいるが、あれは女を部屋に連れ込む時のためだ。
いにしえの文献によれば、女を連れてエレベーターの中で、キーホルダーに人差し指をかけて鍵をクルクル回す仕草は長ければ長いほど良いとされている(ホットドッグプレス参照)
しかしこの男も普段自分の家に1人で帰る時はエレベーターの中で「ちっ、おっせえなこのエレベーター」と言っているに違いないのだ。
まったく関係無いがついでなのでこれも言っておく。
「潤いのある生活」とかぬかして「カワイイ」と形容されるおかしな形の日用具に凝ってみたり、マグカップにヘタクソな絵を描いてみたり、こういうのを提案している素敵生活提案者、栗原はるみさんは飽くまで仕事だから言ってるんだ。
日常生活にマジにコレを持ってくる女は、お下劣ビデオの見過ぎで無理矢理、顔射しようとしてくる男と同類だと自覚していただきたい。
いかれた形の食器でご飯を食べている旦那と子供の姿を今一度頭を冷やして眺めてみろ!
なになに?最上階で素敵な夜景を眺めたいロマンチック男もいるし、カワイイ小物を持ちたい男の子もいるじゃんって?
そんなやつらは明日からモロッコへ行け!
それた話が本題より長くなってしまうのは悪い癖だ。別に元から数少ない女友達をゼロにする為にペンを取ったワケではないのだ。
本題は幸せとは何かである。
別の切り口から考えてみよう。自明の事ながら日本人の心の中には神はいない。妖怪のようなアニミズム的神も水木しげるの漫画の中にしか登場しない。
まあ、この妖怪という神的存在も一神教徒の言う全知全能のモノとは性格が違い、沼を守ったり、枕を引っくり返したり、小豆を洗ったり。やたら専門的なワークシェアリングが構成されているのだが。
最近では「妖怪」は水木しげるのオリジナル設定だと思ってるあんぽんたんもチラホラ出て来た。
つまり日本において「神」という存在はとっくの昔に滅びているのだ。
いるとすれば受験の時や片想いの時に突然引っ張り出される便利おじさんとしての神だけだ。
一神教の宗教(キリスト教やイスラム教)を下敷きにした社会秩序を持つ国に住む人は言う。
「宗教無しでどうやって秩序を保つんだよ」
やつらは自らを律する際に「神様が見てる」と考える。
では、まさに宗教が名残り程度しか存在しない日本において秩序は如何にして保たれているのか。
(ここでは創価学会のような巨大カルトの存在には目をつむる)
子供の頃僕は母親に「神様が見てる」と言われた事は無いが、その代わり耳にタコが出来るほど言われたのは「外で笑われる」という事だった。
天から全てを見下ろす神様の代わりに日本人の心の中には常に他者がいると仮定できる。
これが「恥の文化」と称されるもの。
他者の目によって絶えず監視されていると考えるため日本人は日本国内で理性的にふるまえるのだ。
僕は、このダントツに突出した「他者性」というものが、日本人の幸せの実感度をべらぼうに下げる原因になっているんではないかと推測している。
知り合いに旦那の暴力にジッと耐え続けた結果、鬱病になった女がいた。
なぜそんなになるまで我慢するんだ。と僕が聞くと返ってきた返事はこれだ。
「幸せな家庭を壊したくなかった」
まさに本末転倒、自らを幸せと思われる状態に持って行くため結婚したはずの彼女は、いつのまにやら「幸せな家庭」という謎の存在の存続の為に不幸を継続的に我慢していたというのだ。
この場合、幸せな家庭とは誰の為に存在したのか?
彼女は自らを滅してまで他人から見た自分の「幸せ」を守りたかっただけではないだろうか?
馬鹿だとは言わない、それが日本人の素晴らしい秩序維持方法の裏返しに発生する弊害なんだから。
前半、無駄な事ばかりダラダラ書いたせいで長くなってしまったが、私的結論に入りたいと思う。
ズバリ、幸せの実感と幸せの証明は違う!
自らが本当に幸福を実感出来るなら贅沢やアホなマグカップペインティングも好きなだけやれば良い。
だが、一度考えてみるべきではないだろうか。
それらが本当に自分のためにやってる事なのか?
ブログやTwitterには「僕は、私は今充実しています」
というアピールで満ちている。
不特定多数が目にする場所での
「本当に良い友達をたくさんもって幸せです」
という記述はなんだ?
それは他人から見た「幸せな自分」の捏造行為では無いと胸を張って言えるのか?
まあ、あまり「あいつは本当不幸だよな」と思われるのも辛いので僕もよく捏造しますが。
幸せを実感するのは案外容易い。
「俺は毎週末、釣りに出かけられたら幸せなんだ」
こう自分で定義した男が幸せになる事はそれ程難しい事だろうか?
日本の幸福実感度調査がいつも世界で低水準に甘んじる理由は幸福の実感と幸福の証明をはき違えている事が原因ではなかろうか。
他者から見た「幸せな自分」をまだ確立出来てないという理由で「幸福ではない」と答えているやつがたくさんいるに違いあるまい。
幸せとは「個々人が定義し達成したあかつきに実感できるなんか良い感じの気分」という主観型と「他者に対して幸せな自分という型を認知させ承認を受ける」という第三者型の複合体からなる自己の肯定感情だと推論した所でいい加減やめておく。
ただし、第三者型の方に主たるウエイトをかけて定義してしまえば、この世のほとんどの人間が不幸であるという事だけは覚えておこうと思う。