2010-03-19 ホームズとルパン
ロバート・ダウニーJr.の『シャーロック・ホームズ』を観ました。
日本では名探偵といえばメガネの小学生が有名ですが、その彼もホームズに憧れています。
12.4が小学校に入学して、生まれて初めて読んだ活字本は『バスカヴィル家の魔犬』(※他にもいろんな邦題があります)です。
以後、子供向けの推理小説を読むようになるのですが、
“バーロー”のせいでなんだかブームにのった子みたいでなんとなく嫌になってやめました笑
子どもながら、ホームズとアルセーヌ・ルパンだったら、昔からルパンの方がかっこいいかなと思っていました。
ホームズは化学実験が好きなヤク中だし、外界への興味がない偏屈な天才といった感じですが、
ルパンは女性に優しくて紳士的、神出鬼没のキザな脱獄魔...、
あれ?どっちもどっちか...。
彼ら二人を始め、探偵小説の主人公たちは、みんなどっかこっか欠落しているような気がします。
これは、世界初の推理小説の主人公である、オーギュスト・ルパン(先のルパンとは別人です)の人物像からきていると言われています。
類まれなる論理的思考の持ち主というのは、パッションで行動することが少ないので、ちょっと人間離れしているんでしょうね。
人間は理性を持つ唯一の生き物だといいますが、動物の一種であることもまた事実なのです。
- 作者: 内田隆三
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2001/01/18
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 4回
- この商品を含むブログ (7件) を見る
2010-03-02 冗談を言う人、冗談の通じる人
読書ガイド本なので飛ばし読みしてる割には、まだ半分ぐらいしか読んでいませんが、
一番ピンときたのは19番目のおススメ『行為と演技』です。
アメリカの社会学者、アーウィング・ゴッフマンが1959年に書いた彼の代表作です。
ゴフマン(ゴッフマンとも言いますが、12.4はこっちで呼んでいます)社会学の中核概念は、
「相互行為」です。社会学小事典によると、
「一定の社会関係を取り結んでいる人びとのあいだでやりとりされている社会的行為のこと」です。
たとえば、コンビニ店員の太郎さんとお客の花子さんは、レジで商品とお金のやりとりをしますが、
そこでは、太郎と花子は固有性を持ついち個人としてではなく、店員とお客としてのやりとりが淡々とおこなわれるわけです。
この場合の太郎と花子の行為が、ここでいう「相互行為」とみなされます。
ゴフマンは『行為と演技』において、相互行為の登場人物を「パフォーマー」(行為者)と「オーディエンス」(観客)、
そして両者が出会う場所を「劇場」と言います。
わかりやすい例が、サッカーの審判です。
大したゴールでもないのに大げさに「ゴオオオオオオオオオオオオオル!ゴール!ゴール!ゴーーーール!」みたいなパフォーマンスをするのは、
それを観ている多くのサポーターがいるからというのももちろんですが、
なによりその場の雰囲気を保つためという理由もあります。
これに関して竹内さんはおもしろいエピソードを補足しました。
ある学会で、ハーヴェイ・サックスの会話分析についての発表を聞いていたところ、
発表者が間違えて「セックスの会話分析」と言ってしまったそうな。
竹内さんはフイタwwwが、聴衆はその場の雰囲気を崩さないためか、笑わなかったそうな。
12.4がこの発表者だったら、こういうときに笑ってくれるオーディエンス、もしくは劇場の雰囲気がむしろイイと思うのですが、どうでしょうか。
ユーモアがわかるというかなんというか。結果的にリラックスして発表できそうな。
ついでに「ただ今不適切な表現が。新婚でアツアツなものですみません」とか返しちゃったりして。コメディ映画的ですが。
学会という真面目な場所でなんという不謹慎な!とかいうのもわかるのはわかるんですが。
真面目な劇場で、不真面目にやらかしてはじめて出る巧さって、あると思うんです。
- 作者: 竹内洋
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/04
- メディア: 新書
- 購入: 3人 クリック: 25回
- この商品を含むブログ (39件) を見る
The Presentation of Self in Everyday Life
- 作者: Erving Goffman
- 出版社/メーカー: Anchor
- 発売日: 1959/05/20
- メディア: ペーパーバック
- 購入: 2人 クリック: 4回
- この商品を含むブログ (7件) を見る
2010-02-25 模型、ジオラマについて
森博嗣さんの新刊『創るセンス 工作の思考』を読んでから、再び模型作りの熱が再燃してしまった。
森さんの場合は飛行機やラジオで、私の場合はミニチュアやプラモデルなので技術的難易度からすると格段に下がるが。
子どもころはガンプラもよく作った(今でもたまに作る)が、屋台のミニチュア模型を買ってもらうのがこの上ない至福だった時期がある。小学校低学年ぐらいだったかな。
ガンプラと違い、接着剤で部品を接着しなくてはならず、指紋やゴミが一緒にくっついたりして結構めんどくさかったことが思い起こされる。
記憶にある中では、蕎麦屋、ラーメン屋、すし屋、おでん屋なんかを作った気がする。
他にも、友達と自宅付近の空き地に落ちている資材とわずかな道具でボーガンが作れないか試したことがある。
うっそうとした森のような空き地で、木の棒の採取には最適の場所だった。
少女たちがなぜこんなサバイバーな遊びに夢中になったかというと、
学校の授業で使う工具セットを買ってもらったからだ。
落ちている棒に満足することができず、のこぎりを用いて枝を切り落としていて、最終的には結局それそのものの方が楽しくなってしまったような気がする。
模型の趣味を持つ女の子が少ないことにをなんでだろうと思ったことがある。
手先の器用さでは場合によっては女性の方が優れていそうなものであるが。
私の兄に言わせると、「男はどこか空からの視点、神さまの視点」みたいなものにあこがれるような気がする、とのことである。そんなものだろうか。
模型作りというのは、一度始めると全てを忘れてそれに没頭してしまい、生活を狂わせる薬物みたいなものであるので、大人になってからは禁欲して始めないようにしていた。
が、これからは精力的に再チャレンジしてみようと思う。手始めにヘリコプターのがいいな。
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2010/02/17
- メディア: 新書
- 購入: 14人 クリック: 581回
- この商品を含むブログ (74件) を見る
- 出版社/メーカー: 河合商会
- メディア: おもちゃ&ホビー
- クリック: 44回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
2010-02-20 社会の厳しさとはなにか
大学に何年もいると毎年恒例のことになってくるが、
そろそろ大学3年生たちの就活が本格化する時期だ。
今ままで子どもらしさを残していた彼彼女たちが、
なんだか大人っぽくなっている気がする。
「(選考に落ちて)社会の厳しさを知りました...」とつぶやいていた学生がいたが、
「社会の厳しさ」とはなんだろう。
自分の稼いだ金銭で自活していくことが一般的な「社会人」の条件であるが、
もっと細かく見ていくと、たとえば行政的に扶養家族でないとかが挙げられる。
金銭を得ることは、多くの人にとってとても厳しいことだ。
しかし、それも愛や情で結ばれた“顔の見える関係”の人たちと生きていくためならば、多くの場合可能になる。
さきほどの、就活における「社会の厳しさ」とは、“顔の見えない関係”によるものである。
星の数ほどいる就活生は、構造的に代替可能な存在とされ、オンリーワンであることを求められない。
あなたの「代わりはいくらでもいるもの」と、代替可能な存在であることを突き付けられると、普通、人はあまり良い気はしない。
広い意味で自分が何者であるとか、どういうことを愛し、どういうことを憎むかとか、そういうプライベートなことをお構いなしに、ふるいにかけられ、選別されるのだ。
「社会の厳しさ」とは、自己の固有性を否定されるようなフィールドに押し込められることではないだろうか。
「社会不適格者」とはそれに過度なアレルギー反応を起こしてしまう人々に他ならない。
- 作者: 大沢仁,石渡嶺司
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2008/11/14
- メディア: 新書
- 購入: 10人 クリック: 284回
- この商品を含むブログ (190件) を見る
2009-08-28 社会学の存在理由について
ある親友は高校生のとき、家族のことで泣きたい思いをした。
また別の親友は今、家族のことで泣きたい思いをしている。
たぶん、
このままあと5年ぐらい何も事件が起こらなければ、
12.4は社会学の博士号を取得する。
法学から一転、
社会学を本格的にはじめてみて1年と半分くらい経ったわけだが、
おそろしく欠点の多い学問だ、と気がついてしまった。
となりの芝生は、青く見えていただけだった。
社会学の、反吐が出るほど嫌いなところは、
社会学者やその院生たちが、
「自分たちだけは社会や他人を評価するに値するすぐれた人種である」、
とでも言いたそうなところだ。
物事に対してなんでも斜に構えた見方しかできず、むしろ、そのことを知的でかっこいいとか思っている。
このことで他人との差異化をはかってアイデンティティ保っている。
社会学者が皮肉屋といわれる所以でもある。
とりあえず「ふぃ〜るど」行って「いんたびゅ〜」してなんかとってつけたような屁理屈こねくりまわせば、はいロン☆ブン、一丁上がり。
卒業するのが目的の大学生ならそれでもいいかもしれないが、仮にも学者を目指しているなら話は違う。
ドヤ街にいそいそと出かけていって、「私は現実を見てきた」「人々の<生>の声を聞いた」、
ふざけるな、と思う。
お前の、私の、たった20数年間しか動いていないこんな小さな脳みそでなにがわかるんだよと思う。
かといって、12.4はドヤ街に馴染んだりする社会学者もなんか嫌だ。
結局、学会で発表するためなんでしょ、今はたまたま汚い作業着着てるだけでしょ、と思う。
「実証主義」の大弊害(っていうか今日、もはやテロの域)だ。
じゃあ、なんのために社会学者は存在しているのだろう? イラネ?
今の12.4なりの答えはこれしかないが、たぶん、間違いではない...だろう、たぶん。
身近な人が不幸にならないために、確かな知識と教養をつけたい。
学問する目的が利他的なところにあるというのはおかしいとかいう先人もいそうだが、今の12.4のスタンスはこれしかないと思う。
- 作者: 高校生のための社会学編集委員会
- 出版社/メーカー: ハーベスト社
- 発売日: 2009/06
- メディア: 単行本
- クリック: 4回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
aoyama
世論(大衆)に対して
おめぇらのやってる(考えてる)ことおかしくねぇ??
と評価する人たちも、固定観念だけにとらわれた世界にならないようにするため必要だと思います。
むしろ世の中は間違いだらけなので、やはりここは絶対神であるキラさまに・・・・というのはネタが古いのですが、ついこないだデスノートを読み返したところなので、一応書いておきます。
世界をショウメンから見るだけでなくナナメから見ることも、物事を三次元でとらえるためには重要だとおもうよ。
社(斜)会学。
akiko12-4
コメントありがとう。
法学部にいたころは、社会学のそういう「ステレオタイプ壊し屋」みたいなのカコイイとか思ってたんだけどなぁ。
いざその世界に入ってみると欠陥だらけ...なんていうのはよくあることで笑
このモヤモヤをいい方向に変えることが目下の課題です。学者とか、政治家とかは、うぬぼれることなく、いつだって内省的でないといけないんだろうね。
私もアニメやマンガの知識は大学4年までで止まってます。今はハルヒじゃなくて「けいおん!」なんだね...。





先日、行き先が決まらないまま、大学院を卒業してしまい、派遣登録に行ったのですが、その“顔の見えない関係”の奇妙さがありました。
派遣会社の方はとてもにこやかなのですが、わたしに笑いかけているようには見えませんでしたし、わたしもにこやかに話そうとするのですが、彼女に話しかけているというより、その場を占める誰か―それは彼女ではあるのですが―に向かって発話しているようでした。
だんだん、誰に向かって話しているのか、そもそも自分がどういう人間なのかが分からなくなってきて、混乱しました。まるでコピーされたかのように同じ姿の、いくつもあるブースの中で話をするので、代替可能なものとしての自分を感じる一方、そのような状況で他者とは違う自分をアピールしなければならないねじれた状況は、とても現実とは思えない雰囲気でした。でも、現実とはそういったものなのかもしれませんが。
ちなみに、社会学についての、雑なところがある、なんでもありでいい加減だ、というようなご意見を読んで、実際に社会学を勉強している方がそのような感触を持ち続けるのは、キツイことだろうなぁと、お察しします。私自身の専攻はアメリカ文学だったのですが、社会学、心理学、精神分析の領域をかじっていて、同じような疑問を感じました。どの学科にも「はやり」はあって、それに乗れればいいのだろうけれど、倫理的に疑問を持ってしまう場合もある。
一度は希望を持ったはずの場所に失望を感じると、身動きが取りづらくなる気がするので。
「身近な人が不幸にならないために、確かな知識と教養を」という部分には、共感します。知識や教養とは、本来そういうものなのだと思います。プラス、ほんのささやかでも楽しいことを増やすため。