2007-03-20 [雑記]ボク女を責めないで・女子の奇妙な一人称アドベンチャー
■[雑記]ボク女を責めないで・女子の奇妙な一人称アドベンチャー
「ボク女」と呼ばれる少女群がいる。
一人称に「ボク」「ぼく」「僕」を使う、主に思春期の女性を示す。
特別な自分、「女性性」を引き受けられない/引き受けたくない自分を表現するための1手段として、おもに用いられる。*1「俺女」「わし女」も同カテゴリだ。
かくいう私も、大学の一時期、わかつきめぐみの影響で、友人と喋る時だけ「わし」という一人称を使っていたことがある。なぜ、「わたし」という一人称に戻ったのかというと、1年の秋からサークル代表者として、学外団体との交渉や、パブリックな場で挨拶をすることが多くなったため、いつのまにか使わなくなった。いや、むしろ、大学で執拗につきまとってきた不気味な男が「ナナイさん、『わし』とか言うのみっともないですよ。今度ビデオで撮ってあげますから一緒に観てみっともなさを自覚してください。そして直してください」と執拗に訴えてくるのが嫌だったから、かもしれない。
思い返せば、中学でなぜか私のストーキングをしていた女子は「俺女」、高校で一番仲が良かった友達は「ボク女」だった。クラス替えをしても、たいてい、同じ組に1人は妙な一人称の女子がいた。妙な人称は中学以降に限られ、小学校では皆無だったことから、やはり、女性として扱われること、身体の変化へのとまどいやためらい、反撥から現れる行動だろう。
女性が使うべき/使って当たり前だとされる一人称のバリエーションは少ない。
もっともプレーンなのが「わたし」。多くの成人女性、思春期以降の女性が、この一人称を選択する。男性も女性も、どちらが用いても違和感のないこの一人称は、「男性っぽい一人称を使うほどでもないが、女性性をまるまる引き受けたわけではない」自意識にぴったりはまる。
「あたし」は甘えた/はすっぱな印象がある。「あたい」は論外。死語に等しい。「○○(名字)」は多少硬派だが不思議ちゃんと思われがち、「××(名前)」は愚かさや幼児性、自己愛の表現と受け取られ、「あいつ媚びてる」「かわいこぶってる」など冷たい目で見られやすい。「わたくし、あたくし」も死語。よほどのお嬢様かアホか、である。「自分」は軍隊用語を連想させる不思議ちゃんカテゴリ。ほか、「どの一人称も選びたくないから、一人称をなるべく使わないで喋る」女子もいる。
これらのうち、日常で使用可能なのは「わたし」「あたし」の二つしかない。文字で書けば「私」「わたし」「ワタシ」「あたし」「アタシ」と多少のバリエーションはつけられるが、音は2パターン。「みんなと同じ安全で許された一人称」を使いたくない者に許されているのは、「男性用の一人称をわざわざ使う変な女」扱いされるか「女性性を前面に出した『女』」と思われるか「不思議ちゃん」とみなされるか、マイナス方向の個性をもった一人称しかない。リスクと狭い選択肢の中で、女性は一人称を選ぶ。「この一人称で、自分はどんな人間と思われるのか。どんな人間と思われたいのか」を考え抜いて、一人称を使う。女性たちは一人称ごとにしごく繊細なイメージを持っており、創作物の中のキャラクターイメージでも、一人称を大事にする。*2
対して、男性が日常的に使用可能な一人称は多彩だ。
もっとも一般的な「俺」「僕」「私」のほか、「おいら」や「あっし」「自分」「わし」、「あたし」だってそう珍しいわけではない。*3「拙者」だの「吾輩」だの古い喋り方すら、同じ一人称を女子が使うことに比べれば許容されている。
許容されているがゆえに、多くの男性は、一人称に対して無頓着だ。
身近な例だが、ゲーム制作の現場でも、一人称や喋り口調への男女のこだわりの差がみられる。
通常、登場キャラクターの設定は、「一人称、口調ともに、どのキャラもかぶらないように」決定する。*4テキストだけを追ったとき、誰がどの台詞を喋ったか、明確にわからせるための工夫だ。*5
男性ライターが一人称を決めると、「かっこよく男前で聡明でシリアスなキャラ」の一人称が「オレ」になってしまう。*6女である私の目からすると、「オレ」は「少し軽くてコミカルなキャラ/頭の悪いキャラ」の象徴となる。あえて、「オレ」でかっこいいキャラを作ろう!とする場合を除けば、シリアスな男の一人称には「俺」や「私」を使う。が、男性ライターたちには、このイメージが伝わらない。「俺」も「オレ」も、「おれ」も全て一緒。「僕」は固いカンジ、「ぼく」はナイーブなカンジ、「ボク」は少し甘えた幼いカンジ、と言っても、伝わらない。「りりしく頭のいい女性キャラ」に平気で「あたし」という一人称を喋らせる。「わたし」にしたほうがキャラが出ると思うよ、と意見してみても、やはり理解してくれない。
無数の女や男が登場する、ギャルゲー、乙女ゲーの現場の人ならば、認識は違ってくるのかもしれないが、一般向けゲームを制作する男性ライターの多くは、一人称に、更には語尾に無頓着だ。
一人称や語尾について悩まなくても、セルフイメージを保持できた男性と、「女性」になってしまう自分を引き受けられずいる間に、人称や語尾の壁にあたった女性との差だと私は考えている。
「わたし」「あたし」か、それ以外にはみだすか、という、もともとの選択肢の少なさが、女性を一人称の使いわけに敏感にし、ひいては「ボク女」など、侮蔑の対象ともなる「自分」を生み出してしまったのだ。一見、奇異な存在である少女たちの奥底には、「そうでもしないと、やってられない切実な苦しさ」が隠されている。
*1:ほか、アニメやマンガの男性キャラの真似をしてこうした口調になる場合もある。レアケースでは、自分の地方の方言では当たり前だからという理由もあるようだ
*2:「この一人称のキャラは受け!」という属性の女子もいる。
*3:女言葉のあたし、ではなく、江戸っ子口調のあたしのほう。
*4:ボイス前提のゲームの場合はそれほど厳密でなくてもよい。
*5:少しずれるが、話者の名前表示すらせずに台詞の特異性を徹底させた「MOTHER」1、2のテキストはすばらしかったと思う。
*6:私の体験した一事例です。5人ほどの合議でキャラ設定をする際、男性全員が「オレ」も「俺」も別に変わんねーじゃん、「あたし」の何が悪いの?という反応でした。決定後作業を進め、デバッグや校正部に回した時も「このキャラ性で『オレ』はおかしいのでは?」という指摘がなかったこととあわせて、不可解だったのを覚えています。20日20時追記

上記を初めとして地方によって女性の一人称のバリエーションは若干変わるようです(男性は方言になってもバリエーションはほとんど変わらないみたいです。)
年代でいえばそれこそ一昔前は「わし」だろうが「あたい」だろうが当たり前だった時代があるわけですよ。また特に女性はその社会的なナイーブさから上京と共に方言と付属する一人称は異端扱いされる事が多く(扱われずとも自分が気にする事が多い為)、俗に言う関東語になる際に一人称も「私」型になるケースが多いと思われます。
※6は私の所属していた所とは正反対ですね。ほとんどが男でしたが、男性側の方がその辺りに関しては造詣が深かった記憶があります。
まぁ女性の一人称の縮小化は、文明開化以降急激に女性の都会化:表舞台化が進んだが故に起こった悲劇と呼べますね。
ただ女性とはセンスと価値観が違う。
フィクションならともかく、リアルでは「おいら」だの「わし」だのといった変り種の亜種はまず(特に十代は)使えません。
大人になれば、多くは女性と同じ理由で「私」を選択する事が多いですが、思春期にはまず遣えません。
妙に取り澄まして、フケて見えるからです。
思春期の男ってのは、女子とは逆に「男性性」へ大きく傾倒し、または、しないとナメられるという自意識が強く働いて、とにかく「暴力的に」「雄々しく」振舞って、他の男にスキを見せないように必死です。
故に、小学生も高学年になると、今まで概ね親から押し着せられていた「僕・ボク」を捨て、ほぼ「俺」一択になります。
フィクションでは往々にして「大人しそう」で「ナイーブ」だったり、「フォーマル」だったりする少年には「僕・ボク」を使わせますし、年配の男性や女性はリアルでも遣うと思い込んでいます。
しかも上記のイメージを肯定的に受け取ってです。
しかし、当の少年はまず使いませんし、また、そういうイメージで見られるのを嫌悪します。
思春期の男にとって、「かわいい」「ナイーブ」「大人しい」なんてのは、絶対にそうは見られたくない、弱々しい屈辱的なセルフイメージでしかないのです。
見られた瞬間、同年代の男社会の中では一人前扱いされなくなり、侮られる存在に成り下がってしまうからです。
あの年頃の男の頭の中は、常に「男社会におけるセルフイメージと己の立ち位置」を牽制しあうことで頭が一杯で、妙にギスギスしてたりするんです。
故にティーン男の一人称はほとんど「俺・オレ」一択です。
そして、運動部員の男が遣っている「自分」
ただ頭が悪く野暮ったいだけで、何も考えていないように見えますが
あれもそれなりに考え抜いた末の選択なのですよ。
上記のように普段は「俺」一択。ですが、上下関係の厳しい世界において、目上に人間に「俺」では横柄すぎる。
とは言え、「僕」は絶対に使いたくない。
「横柄でなく、ある程度謙ったニュアンス」があって、しかし「なよなよとしたナイーブさ、行儀の良さを出さない、男らしさの自意識を損ねない」
そんな妥協の産物が「自分」だったりするのです。
そんな男からすると、どんな中性的な少年だろうが「僕・ボク」と言わせるには(逆に相当自信のある人物でもない限り)
違和感を覚えて遣えない・遣いたくない一人称だと思うのですよ。
女性が、今時の少女にベタ女言葉を遣わせるのに抵抗があるぐらいに。
さて、文語において「俺」「オレ」「おれ」のイメージを使い分けないのは
男女の問題でなく、言葉に対する個人的な意識の問題だと思うんですがなあ。
男とは言え、卑しくも文章に関わる人間が、それら一人称の与えるイメージに無頓着というのは
ちょっとありえないというか
失礼ながら、少し言葉に対する意識が足りないのではないかと思えてしまいます。
>うちさん
関東出身なので、関西圏のことは考えに入っていませんでした(「うち」と喋る女性は、はラムちゃんとチエちゃんしか知りません)。関西では「うち」が、リアルに使われているのですね。
方言では多彩だった表現が、標準語に押し込められバリエーションが減っていく、ご指摘の通りだと思います。標準語の一人称と自分の齟齬を感じたとき、年代が下がるにつれ、方言ではなくて男性の一人称へ逃げるしかなくなる、のが、「標準語のほうがよい」という価値観なのか、「男の子っぽさもまだ選択肢に入れておきたい」からなのか、どちらなんでしょうか。
それぞれの制作現場での実体は、私が例に出したサンプルが極端だったかもしれません。一般/ギャルゲと分けるより、キャラクター主体のゲーム/ゲーム性主体のゲームと分類するべきですね。それぞれの現場での意識の差は、「そのゲームの売りが何なのか」によるものでは?と思います。
>通りすがりさん
思春期男子は、「俺」「オレ」「自分」の3択(ほぼ2択)ですか。参考になります。それぞれの一人称を選ぶときの考え方とあわせて、興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。
通りすがりさんのコメントを読んでいて気付いたのですが、一人称の問題、自分のエントリではごたまぜにした「フィクションの中でどう使うか」と「リアルでの自分の一人称をどう選択するか」という問題。この二つは、分けた方がよいですね。
さて。リアルでの一人称について。
「変わり種ながらも同性用の一人称である選択肢がいくつか残されている」のと、「ほぼ、異性が使う一人称しか選択肢がない」場合とでは、選ぶ際の意識が違ってくると思います。また、「自分の意識も肉体も男であり、他者から見ても男である男性」が、男性性をどの程度アピールするか・人間関係で自分をどう位置づけるかで悩むのと、「自分の意識は男か女か選びそこねているが、他者からは女としかみられない女性」が、自分の足場を男性と女性と中性のどこに置けばよいか・他者からマイナスの印象を持たれる覚悟で選びたい足場と一人称を選択するかで悩むのとでは、悩みの種類が違う、とも感じます。
通りすがりさんの文中の、『「かわいい」「ナイーブ」「大人しい」なんてのは、絶対にそうは見られたくない、弱々しい屈辱的なセルフイメージでしかないのです。』という部分、「僕女」たちも、まさに「女性である自分のセルフイメージ」をそう捉えたが故に、異性の一人称を選択しているのではないでしょうか。
面白かったのが、「少年は『僕』は使わない。フィクションの中だけだ」というご指摘。ある程度年齢のいった男性(文系の職業についてる方)に、「ぼく」「僕」を用いる方が多い気がするのですが、これはもう「どっからどう見ても男」で、「年齢が上である=目上である」から、安心して使える、ということなんでしょうか?
そして、フィクションの中での一人称について。
上の、うちさんへのコメントでも書きましたが、キャラクターを主体としたゲーム制作の現場でない場合、「そんな所にこだわってる時間があったら1フレームでも多く台詞書けよ」「一人称なんか一緒でいいじゃん、それよりダンジョンのギミック凝ろうよ」という方向付けがあるのでは、と思います。実際に、トラックバックやブックマークコメントなどで、キャラクター主体のゲームでは、男性女性双方の一人称が大事にされていると書かれてありましたし。
言葉を、「ゲームを進行する上でのヒントにすぎない」と考えるか「ゲーム世界に生きている人間が発した言葉である」と考えるか、の食い違いを、性差にひっつけるのは、いささか乱暴であったかもしれません。一人称の使い分けに、男女でどのぐらいの思い入れの差があるのか。もっといろんな方のご意見が聞いてみたいです。
そう、便利なんです
公私で一人称を変更する必要が無いのがとても
サークル関連でどうしても目上の人と交渉事に狩り出される僕
そして敬語が苦手で頭の悪い僕
当初「俺」だったんですがどうしても目上に話しかけるときに「俺」が出てしまうと失礼になるので強制しました
>そして、運動部員の男が遣っている「自分」
>ただ頭が悪く野暮ったいだけで、何も考えていないように見えますが
>あれもそれなりに考え抜いた末の選択なのですよ。
>上記のように普段は「俺」一択。ですが、上下関係の厳しい世界において、目上に人間に「俺」では横柄すぎる。
>とは言え、「僕」は絶対に使いたくない。
まさにそんな理由で「自分」という一人称を使ってます
親しい友人と話す時は大抵「俺」で済ませますが、大学の研究室なんかで教授やら院生と話す時には使いづらくて…
特に良く使うようになったのは確か就職活動のときに「一人称『俺』はありえん、『僕』はちょっと厳しい、『私』は不自然っつーかボロが出る」って感じで面接なんかで『自分』を多用した気が
>もみあげさん
男性が自分をどう呼ぶか考えるとき、男性同士の上下関係が円滑にゆくかどうかが、大きな要因になるのですね。通りすがりさんのコメントでも、男性は、周囲との関係性を重視して一人称を選ぶという指摘がありました。自分のために一人称を選ぶ女子と、他者との関わりのために一人称を選ぶ男子、の対比がみえたようで、興味深いです。ありがとうございます。
>(´・ω・`)さん
「自分」は思ったより広く、便利に用いられているんですね! 意外でした。「ここに存在したいからこの一人称」というよりも、「ここにいるべきだから、この一人称」という消去法の選び方になるんでしょうか?
女子は目上、目下関係なく「私」「わたし」「あたし」を使っても許容されやすいと思います。(「わたくし」のほうが丁寧とはいえ、そこまで強要される場面は少ないと思います)女性と周囲の社会との関わり方には、上下の階層意識って(少なくとも一人称では)ないのかなあ。自分をどう呼ぶか、について、男女の意識の差がありますね。参考になりました。ありがとうございます。
自分では「わたし」「あたし」などといった使い分けは無駄にこだわっています。
プロの現場でやらないのはやっぱり作業量に対する効果の問題が多いと思います。
「俺」「オレ」「おれ」は同時に出てくると変換でめっちゃになりそうです。
機械にしろ人力にしろ校正にファジイが求められることになると思います。
多分 ATOK とかそれなりの機能を持ったものでも話者を考慮した変換は対応していないかと。
そういえば中学時にボク自称(字を当てるならカナ)の奴がいたけど背の高いのだったな。
10代後半から「私」、というと、高校卒業頃からでしょうか? これまでコメント下さった方々よりも、ちょっと早めに「私」を選択されたのですね。同じ年齢の頃、私の周囲にいた同学年男性を考えると、「私」と喋る方はやはり少なかったと覚えています。
自称「ボク」の方(男性ですよね?)が、背が高い=大人/男であることをアピールしなくて済む外見、をしていたようですね。
一般的な男児/男子がこだわりなく「ボク」「僕」と喋るメディアやフィクションの中だけなのかなあ。みたいだなあ。参考になります。ありがとうございます。
フィクションの中の一人称が精密さを欠く理由に、作業効率を挙げてらっしゃいましたが、マンガでしたら編集者、ゲームの場合は品質管理部や校正部という、チェック担当部署があるはずなのです。「やりたいけど時間がない」のなら、そういったチェック係へ投げればよいことなので、「やる必要を感じない」か「気付かない」ゆえに一人称にこだわりがないのでは……と、思います。
僕は小学校に上がるか上がらないかというころから「俺」という一人称を選び、使い始めました。
もちろん、先輩や先生の前では別でしたが。
理由は多分通りすがりさんが仰っていたようなことだと思います。
今では、僕は「僕」という一人称が好きで、リアルでも時々使っています。
しかし、公的な場所で発言するときや、気のおけない相手と喋っているときなど、
今もって安心できる状況でしか使ってはいません。
「こいつにはナメられたくない」という相手に対しては「僕」という一人称は使いません。
ムカつく態度や仕打ちをされないように、まだ気を張っている部分があるのです。
好きな一人称である「僕」を、まだそんなに自由には使えないのです。
こういうことから考えると、男がボク女に対して辛辣な態度をとる場合というのは、
無論そのボク女の挙動が男にとっていちいちうっとうしいものであるというのも考えられますが、
ある種の羨みが含まれる場合もあると思います。
つまり、「僕」という一人称を選びたいが、「僕」という一人称を選んだときのリスクを考慮し、
そこまでの覚悟を背負えず「俺」という一人称を選ばざるを得なかった男が、
「ボク」という一人称を自主的に選んだ女を羨み、嫉妬してる場合があるのではないかということです。
akioさんの言葉を拝借すると、
「他者との関わりのために一人称を選ぶ男子」が「自分のために一人称を選ぶ女子」に対してルサンチマンを抱いているといったところでしょうか。
全ての男子がこんな具合ではないとは思いますが、ご参考までに。
長文失礼致しました。
ゆきおさんのコメントから、男性にとっての一人称は原則として「他者と交流するためのツールであり、武器」であり、女性にとっては原則として「自己表現のツール」なのだな、と再認識しました。いちがいには言えませんが、公の場所に出ることが多い、また、外へ向けての発言が多い男性(そして社会人となった女性)と、「身内」「女同士」での発言が多い少女、という立場の差があるからこそ、「少年の奇妙な一人称」は少なく、「少女の奇妙な一人称」はある程度ありふれたもの、になったのではないでしょうか。
貴重なご意見、ありがとうございます。「僕」はやはり、一段低く見られがち…なのですね。
東京とかでもよく使っている人がいます。
個人的には嘆かわしいことです。
「うち」、確かに流行っている印象があります。
数年前から、女子高生などが「うちら」(単独で自分を「うち」と言うことはなく、1人が喋っていても必ず複数形の「うちら」だったのが面白かった)を多用していた記憶があるので、その世代から浸透したものかな?と考えています。
ネイティブ以外が方言を使う場合、実際、その言葉が身に付いている人からすると、はがゆく思ったり、背中がムズムズしたりするだろうな、と思います。とはいえ、ハンパな関西弁を喋る子を「どうせウケ狙いだろう」と白い目で見ていたところ、同居している親戚が関西の人で、家庭内で聞いていた関西弁が無意識に出ていた……というケースに遭ったことがあり、一概に「ケッ」とも言えないなーと思います。