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天才詩人こうやまあきらのブログ

2018-05-09

才能



時間を潰すためにちょっと寄ったドトールで、傑作を一編、さらっと書いてしまった。

ほんと、自分の才能を恐ろしく感じることがあるよ。



(作品は年末の個展で展示するので、よろしく)



2018-03-16

引き算→足し算



作品づくりで、よく「引き算の美学」とか言ってる人がいるけど、引き算にとどまっているようでは、まだ初心者で、その先に「足し算」が待っているんだよなあ。

・・・たまには、まじめに詩論なんか書いてみる。



こころえ―神山倫詩集

こころえ―神山倫詩集

2018-02-16

傑作が・・・



さっき、面白いこと思いついたのに、思い出せない・・・

もしかすると、後世に残る傑作詩が失われたかも・・・



こころえ―神山倫詩集

こころえ―神山倫詩集

2015-08-25

取材拒否の詩人



「取材拒否の詩人」



ラーメン屋の頑固おやじみたいに、そう言って追っ払いたいんだけど、誰も取材に来てくれないんだよ・・・



こころえ―神山倫詩集

こころえ―神山倫詩集

2015-03-26

深い作品とは



深い作品とは、一見、浅い作品のようでいて、実はその裏に深い意味を持つ作品。のようでいて、実は深い意味を持たない作品のこと。



※今日のパソコン君は、機嫌がいいようです



こころえ―神山倫詩集

こころえ―神山倫詩集

2015-02-13

趣味と仕事



お金にも、時間にも、制限があるので、趣味は「パワースポット巡り」と「クワガタ飼育」と「野球観戦」にとどめておこうと思う。えっ、詩を書くことは趣味じゃないのか、だって!?

詩を書くことは趣味じゃなくて、仕事だよ。まったくお金になっていないけど(苦笑)



こころえ―神山倫詩集

こころえ―神山倫詩集

2014-05-27

書けないものはない!



「おれに書けないものはない!」と自負していたけれど、そうじゃなかった。正しくは「おれが書きたいもので、書けないものはない!」だった。「書きたくないもの」は、どうガンバっても書けま千円。



2013-10-16

詩や物語が生まれてくる源泉


新宿線/馬喰横山駅と、浅草線/東日本橋駅と、総武快速線/馬喰町駅は、地下通路でつながっている、ほぼ同じ場所にある駅なのですが、台風が直撃した今朝は三者三様の顔を見せておりました。

ぼくが普段使っている新宿線は、やや遅れてはいたもののほとんど平常運行。なので、ほとんどいつもの時刻に駅に到着し、ほとんどいつもと同じぐらいの乗客にまじって改札を出ることができました。ところがです。改札を出て、それから地下通路に出て、右のほう(浅草線/東日本橋駅側)を見てみたら、ビックリ。「なんだこれ!」って思わず声が出てしまうほど人があふれているのです。浅草線のダイヤが大きく乱れた為に、駅構内に乗客があふれてしまい、入場制限がおこなわれているんだとか。だから、入れなかった人が地下通路にまであふれていたのです。

それから次に、左のほう(総武快速線/馬喰町駅側)を見て、またビックリ。「どうしちゃったの!」って思わず声が出てしまうほど、逆に、人がいないのです。なんでも、総武快速線が全面運休になっているからだとか。駅や通路に人がまったくいなくて、シーンと静まり返っているのです。

「ほぼ同じ場所にありながら、背景にかかえているものによって全く違う顔を見せている」ーああ、それって、詩や物語が生まれてくる源泉なんですよね。



2013-05-28

木村文紀

 


ライオンズの木村文紀が、このあいだのプロ初打席で二塁打を打ち、なんと今日のプロ三打席目でホームランを打ってしまいました。ピッチャーで入って目が出ずに、去年の9月に野手に転向したばかりなのに、この大活躍ですから。まったく、すごいもんです。初打席の映像を見たのですが、ぼくのようなシロウト目にも、構えといい、タイミングのとり方といい、抜群のセンスを感じるほどでした。よく、足が速くて、肩がよくて、当たればホームランになるパワーもあるのに大成しない選手がいます。そういう選手は、けっきょくのところ、野球そのモノの「センス」がないのです。せっかく高い身体能力を備なえていても、それを使いこなすのはセンス。センスがなければ、プレーに生かすことができないんですよね。

 で、それは詩の世界でも同じことがいえるのです。人とは違った貴重な体験をいっぱいしていて、詩論をよく勉強していて、文化芸術などあらゆることに造詣が深くても、詩そのモノの「センス」がなければ、いい詩を書くことはできないんですよ、残念ながら。あー、よかった、天才的なセンスの持ち主で(笑) 




たぶん、これが木村

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2013-05-01

芸術ではない詩

 


メーテルとレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたモナ・リザとを比べると、どちらが美しいでしょうか?すぐれているのでしょうか?ぼくはメーテルのほうだと思うのです。どう見ても、モナ・リザの中にメーテルよりすぐれている点が見つからないのです。でも、みんなは言うんでしょうね。メーテルはアニメの絵だけど、モナ・リザは芸術だからすぐれているのだ、と。では、この場合の芸術の優位性っていったいどういう点なのでしょうか。心に訴える感動があるとか、真善美を追及しているとかでしょうか?でも、そういった点なら、ぼくはメーテルのほうにより強く感じるのです。じゃあ、複製不可能な超人的な技術で描かれた一点モノだということでしょうか?まあ確かにそういった点では、すぐれているかもしれません。しかし、すぐれている点がそんな理由でしかないのなら、芸術とはなんと薄っぺらいものなのでしょう。

 かつて参加していた詩の合評会では、よく詩の芸術性について議論がなされていました。芸術論を語り、自分の詩が芸術と呼ばれることに無上の喜びを感じるタイプの人が多くいました。でも、ぼくはそういう人たちとは一線を画してきました。口論したこともありました。芸術という言葉にはどこか違和感を感じていたからです。

 あえて言わせてもらえば、ぼくの詩は芸術ではないのです。芸術と呼ばれたくないのです。芸術であってはならないのです。ぼくの詩は「メーテルの絵」でいい、「メーテルの絵」でありたいと思うのです。



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