Q88.脳と心の関係は?

A.脳は心の場所である

 もし脳だけにすると心はどうなるでしょうか。それは環境からの入力を止める実験を行うということです。五感などの感覚を遮断する感覚遮断実験は、それに近いものです。目を隠し、耳をふさぎ、あらゆる感覚が入力されないようにする。この実験を行うと、被験者はみな幻覚を見るようになりました。
 中世の暴君の残酷な実験の記録もあります。生まれてきた子供に、食事など生命維持だけを行い、言葉をかけるなどの積極的なはたらきかけをしないようにしました。この暴君は、言葉は教えなくとも自然に身につけるものか調べようとしたのです。その結果、赤ん坊はみな死んだといいます。
 この二つ事例は、環境から脳へ入力する部分で波の循環を狭めた結果です。もしも環境の部分でその循環を完全に断つことができれば、心は失われると考えられます。
 それは難しいが環境のすべての破壊する必要はありません。宇宙を消滅させなくともできます。感覚部分と運動部分をはるか遠くに設定し、連絡できないと仮定すればよいのです。自分自身の行動による作用がまったく見えず聞こえず、自身の行動が影響が何も知ることができないようにするのです。
 あなたは日本人で東京にいます。あなたの見るもの感じるものは東京の日本人としての知覚です。東京の風景を見て音を聞いています。ところが、実際の体はニューヨークにあります。あなたの動かすことができる体はニューヨークのアメリカ人なのです。ある東京在住の日本人の感覚を受け取り、あるニューヨーク在住のアメリカ人の体で生活する。これはまさに行為のループが完全に断絶した状態です。
 このような状態においては行動する意義はまったくありません。行動による変化が感じられなければ、行動しなくなるでしょう。成人した人間がこの状態におかれれば発狂して死ぬでしょうし、生まれたばかりの赤ん坊(厳密にいえば神経細胞が発達しはじめたころ)がこの状態におかれれば、自己意識が生まれることなく死ぬでしょう。
 もちろん、成人なら短い断絶には耐えられます。短い時間ならば心は環境なしでも存在可能です。意識には、環境を含む生命意識と、環境から独立した自己意識があるからです。脳の中には自己という宇宙があり、その中で循環することができるからです。
 とはいえ、その自己意識は、生命意識のために、生命意識によって生まれたもので、生命意識との相互作用の中で成長するのですから、長期間の断絶には耐えられないのです。
 後天的に視覚を失うと、その後しばらくは視覚的な夢を見ることができますが、だんだんと失われていきます。視覚に関する意識は、生命意識から分離されたことにより衰退していくのです。もし生命意識がすべて失われれば自己意識そのものも衰退して失われるでしょう。
 心には環境が不可欠であり、脳だけで心ははたらくことができないのです。心にとって、環境は動力源であり、動力源が失われれば心もまた動きを止めることとなるのです。
 脳と心の関係は、野球場と野球の関係に似ています。脳で起こる現象が心であるわけです。脳や野球場は、空間に存在する物質で、位置により決定できる三次元事象です。それに対し心や野球はそれに時間を加える、時間の幅があって成立する四次元事象なのです。
 脳こそ心であるというのは、東京ドーム球場こそ巨人−阪神戦であるというに等しい誤りなのです。