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Apr 24, 2010 木村拓也氏追悼試合に寄せて

[]野球小僧に逢ったかい?〜追悼,東京読売巨人軍木村拓也野球小僧に逢ったかい?〜追悼,東京読売巨人軍木村拓也氏を含むブックマーク

多くの野球ファンがご存知のこととは思うが,2010年4月7日午前3時22分,一軍内野守備走塁コーチを務めていた木村拓也氏がくも膜下出血により逝去した.

http://www.giants.jp/G/gnews/news_392610.html

今回は,故人を偲び,彼の功績等を振り返ってみたいと思う.


1972年4月15日生まれの氏は,1990年ドラフト外で県立宮崎南高より日本ハムに入団した.入団当初は捕手だったが,出場機会を得るために内外野あらゆるポジションを守り,球界屈指のユーティリティ・プレイヤーとして知られることになる.特に長く在籍した広島においては,2度のオールスター出場,2004年アテネ五輪での日本代表への選出などの結果を残した.また,選手としての最後の4年,並びにコーチとしての数ヶ月を過ごした巨人では,規定打席にこそ達することはなかったものの,2008年にはキャリアハイとも言える打率.293を記録,現役最終年の2009年に初の日本一を体験するなど,チームに欠かせない脇役として存在感を見せ,原辰徳監督をして「タクがいなかったらと思うとぞっとする」と言わしめる活躍振りであった.


私は巨人ファンなので,故人に対する記憶の大半は,最後の4年間に集中している.それ以前の彼のイメージは,とにかく「嫌らしい」選手であった.足は速い,守備もどこでも守れてしかも上手い,打撃は強烈ではないけれどもねちっこい.そんな彼が,言ってはなんだが十分に活躍できていた訳でもなかった選手とのトレードで巨人に移籍と聞いて,驚くと同時に嬉しく思ったものだ.


巨人入団後の氏の活躍の中で,最も印象的なものを挙げろと言われると,恐らく多くの人が挙げるのは2009年9月4日の対ヤクルト17回戦,延長12回表の守備だろう.

http://www.giants.jp/G/museum/2009/result/200909041index.html


この試合,巨人セス・グライシンガー-鶴岡一成バッテリーで始まり,正捕手阿部慎之助は一塁を守り,その他の捕手としては加藤健が控えていた.一塁を守っていた阿部は,8回の表の守備から投手交代の都合で退いていた.また,捕手の鶴岡は,試合の劣勢もあって9回裏に木村氏を代打に送られ,やはり退いていた.


代打の木村氏は打ち取られたが,その後の攻撃で巨人が同点に追いつき,延長戦にもつれ込んだことがこの試合のある意味ターニングポイントとなった.正捕手,2番手捕手を共に退かせた巨人は,当然のことながら3番手捕手である加藤を10回の表から守備に就かせる.10回,11回を巨人リリーフエースのマーク・クルーンで無失点に防ぎ,一方のヤクルトも10回裏を高木啓充により無失点に凌いだ.


そして,問題は11回裏,巨人の攻撃である.この回先頭の捕手加藤に対し,この回も続投の高木のボールはヘルメットを直撃,ヘルメットの一部が砕けて飛ぶ強烈な死球となってしまった.ここで,高木は当然危険球退場だが,同時に死球を受けた加藤も試合には戻れず交代することになってしまう.この時点で巨人には,捕手の控えはもういない.さらに,高木に代わってマウンドに上がった鎌田祐哉はこの巨人の攻撃を無失点に防ぎ,試合は最終の12回へと突入することとなる.


11回裏の段階で,巨人は控えの野手もすべて使い切っている状況だった.その時点で出場している選手の中で,捕手の経験があると言うと,途中から一塁を守っていた小笠原道大か,代打の後二塁を守っていた木村氏しかいないことになる.原監督の決断は早く,加藤が死球を受けた時点で即座に木村氏を呼び,捕手の準備をさせようとした.しかし,それ以上に木村氏の対応は早く,命じられる前からブルペンに走り,既に準備を始めていた.


かくして12回表,1999年以来10年振りという,捕手木村拓也が登場することとなる.最初に出てきた投手豊田清.直球とフォークのコンビネーションで打者を封じるタイプである.球種は少ないが,持ち球がフォークというのは,急造捕手には難しい投手とも言える.しかし,その心配もよそに,解説の恩師・山本浩二も絶賛するキャッチングで投手を安心させ,ベンチも見ずに堂々と投手をリード,先頭の田中浩康を中飛に打ち取る.


ここで投手交代,左打ちの青木宣親に対しては,左腕の藤田宗一を投入する.豊富な球種が持ち味の技巧派左腕ということで,今度は木村氏の配球が問われることとなる.ここで見せた配球もまた絶妙なものであった.日本を代表するバットマンである青木に対して,内角の変化球を要求するのは普通に考えれば怖いところだが,外角のスライダーを見せておいて内角のスライダーで勝負という自在の配球を見せ,また,その配球に藤田もしっかりと応え,見事三振に打ち取った.


こうなると簡単に終わってくれそうなものだが,そうは問屋が卸さずヤクルトも粘りを見せ,巨人のまずい守備もあって二死ながら1,2塁のピンチを迎えてしまう.


そして,先発要員を除いてベンチに残った最後,8人目の投手として登場したのが野間口貴彦だった.150km/hを超える直球と切れの良いスライダーを武器とする,前二人とはまた違ったタイプだ.打者は左の代打ユウイチ.木村氏は,150km/hを超える直球に対しても安定したキャッチングを見せ,最後は151km/hの内角直球をしっかり受け止め空振りの三振,この回を見事無失点で凌ぎきった.原監督が木村氏を真っ先に出迎え,チームも全員で氏を労う姿にこの回の大きさが確認できる.そして,最後の一球を受け止めたときに一瞬余韻を楽しむ姿,ベンチに戻った氏のマスク越しの笑顔が忘れられない.

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この試合は結局引き分けに終わったが,巨人は引き分けでもマジックが減る状況であり,リーグ三連覇,日本一へと大きく加速することとなった.


また,氏は,選手として,コーチとしての力量のみならず,その明るく気配りの出来るキャラクターでも多くのファン,同僚に愛されていた.それは,「ズームイン・サタデー」等の番組における宮本和知の号泣がすべてを物語っていると思う.前述の試合後のインタビューで,氏にインタビュアーがまた捕手をやりたいか?と聞くと,それに対して「もういいです」と応えた.それについて,広島時代をよく知る解説の達川光男は,他の捕手に対する気配りでそう言ったのだろうと述べている.


私個人的には,仲の良かった大道典嘉とのヒーローインタビュー広島時代の先輩,緒方孝市引退試合におけるセンターフライと,そのときの笑顔が印象的である.まさに「朗らかな 朗らかな 野球小僧」であった.

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結局彼は,2009年,巨人が久しぶりの,そして彼自身初の日本一を達成したその年に現役を引退することとなるが,その野球に対する姿勢,人望を評価されて2010年,いきなり一軍の守備走塁コーチとして抜擢されることとなる.そして,「世界一のノッカー」を目指しての日々が始まった矢先の4月2日に病に倒れ,この世を去ることとなってしまった.


特に監督交代などもあって,貴重な職人にして,若手の見本であった川相昌弘を,よりによって最大のライバル中日に手放すという失態を演じ,ファンから見ても最悪の雰囲気だった2000年代中盤の巨人にあって,それに代わる職人としてチームを支え,ムードメーカーとして外から入ってきた選手の多い巨人を一つにまとめて,後の三連覇への基礎を築き,貢献した.そんな貴重な存在だった氏を失ったのは,チームとしてもそうだろうし,ファンとして痛恨の一語に尽きる.しかし,氏が二遊間を組んだ坂本勇人にかけた言葉「エラーしたときに下を向くな」を私自身の心にも刻み,両チームの気迫を感じる素晴らしい内容となった今日の追悼試合で,気持ちに一段落つけ,前向きに頑張っていきたい.そう思う.


最後になるが,氏がコーチになってすぐの時に,新人選手を対象とした講演を行っている.是非それを,紹介しておきたい.誰もが松坂大輔になれる訳でもなければ,イチローになれる訳でもない.それでも,プロ野球選手として19年間,貴重な存在であり続けられる.そのすべてが伝えられていると思う.氏を講師に選んだNPBの慧眼にに感服する次第だ.

http://www.giants.jp/G/museum/2009/information/info_40309.html

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