2010-07-30
『借りぐらしのアリエッティ』を観た
監督:米林宏昌
制作:スタジオジブリ
■『借りぐらしのアリエッティ』を観終わった。予想してたより全然良かった。
(宮崎駿が脚本のみの参加で、しかも共同脚本なので、『ゲド戦記』以上、『耳をすませば』未満を想定していた)
■まず、キャラデザや陰の付け方や色指定が、ジブリのパターンを守りつつも、全体的に現代的になっている。
□色指定は新しく森奈緒美が担当している。
アリエッティの服の色は今までのジブリ・キャラの服ではあまり使われてなかったと思う。全体的に地味なジブリ・カラーの中では異質だが、あの赤は草の緑に良く映える。目立ち過ぎるので実用性には難があるが(笑)。
□キャラクターに関して言えば、アリエッティ一家がちゃんと白人らしくデザインされているのも良い。これまでの宮崎アニメでは、白人なのか東洋人なのか判らない描き方だったので。
アリエッティの体型もきちんと白人少女のようになっている(『魔女宅』のキキなどと比較して見れば良いでしょう)。
□お母さん(ホミリー)の、かわいいが少し不安定気味の性格と大竹しのぶの声と演技が合っている。
□前半の見せ場でもあるお父さん(ポッド)の借りが、プロフェッショナリズムを見せてカッコイイ。これはアリエッティの憧れでもあるだろうから、きちんと見せる必要があったのだろう。
□そして、続くアリエッティの初めての借りで、その元気さ・若さ・物怖じのしなさ・運動神経が伝わってくる。
アリエッティの一瞬見せる表情も良い。
□陰の付け方も、今まではもたっとした感じだったのに、結構シュッとしてた。
特にアリエッティの胸の辺り(笑)。白人で13〜14歳であの胸はないと思うが。まあ小人なんだけど(笑)。
□アリエッティの服、途中から夏仕様に変わってましたよね。
翔との関係の進展具合も象徴しているのでしょう。
露出が多くなるのは良いことです(笑)。
□フランス人の若手歌手でハープ奏者のセシル・コルベルによる音楽も、透明感があり良かった。
□終盤のハルの怪演(動き、表情)がツボった。
■何より人間からの借り物で作られた色々な道具とその使い方が良かった。
家の裏側の様々なところに手を加えた改造は、お父さん達のアイデアや職人気質も伝わってくる。
ポッドとアリエッティが上がる機械も、『ラピュタ』の炭鉱のエレベーターを彷彿とさせ、その描写もスピード感がある。
そして、ロープを使って降りたり、テープや針を使って登ったり。
ホミリーとアリエッティの洗濯の道具も面白い。
□ああいうのはいかにも宮崎駿が好きそうなんだけど、宮崎監督作品、あるいは宮崎駿が「場面設定」として参加した作品以外ではなかなか見られない。宮崎駿が鑑賞後、本作を褒めたのも良く解る。
■絵コンテ以降が新人の米林監督と聞き、見る前は宮崎駿でないことに不安を感じたが、これなら結構才能あるのではと思った。下手に作品のスケールを広げなかったのが良かったのだろう。
□ポッドが途中ではんだごてを使って直していた物は、ツイッターで教えていただきましたが、絵コンテによるとこんなスイッチの裏側だそうです。http://www.njy.co.jp/aaa/switchaaa.htm
『カリオストロの城』での宿屋でのルパンの工作のように、後で意外な使われ方で出て来るというのを期待したのですが。
□「アリエッティに生きる勇気をもらった」と言う台詞は宮崎駿らしくないと思った。もう一人の脚本家か監督が付け加えたのだろうか。そういうのは、せいぜい宣伝のキャッチ・コピーでやってほしい。そのような説明台詞よりも、ラストはアリエッティの涙や川に鯰(?)が透けたり光が反射している様が美しく、良かった。
□キッチンを入れ替える場面も、ちょっと意外だった。あの少年はそんな程度なのかなと。宮崎アニメであんなに無神経な主役級の少年は、いなかったのではないか(原作は未読ですが)。
■先ほど「借り物」と書いたが、実質的には「奪い物」なんだよね。
つまり、借り、これは多くの人に指摘されてる通り「狩り」でもある。原始的だが、狩猟そして採集は、人類が約15000年ほど前に農耕を始めるまで、数百万年間もやってきた普遍的な生き方である。
□余談だが、あの角砂糖のやり取りは経済人類学で言う「沈黙交易」*1(共同体の外部に対する「互酬」*2の一形態)だろうか(同じ物のやり取りなので、厳密には違うだろうが)。
□つまり、この作品は、 <狩猟→沈黙交易(互酬)> という「経済の誕生」を描いているんだよ!
ΩΩΩ<な、なんだってー!
□ちなみに、この視点は『新文学02』での、『HUNTER×HUNTER』「ヨークシン編」論でも書きました。
□人間と借りぐらしの関係も、ヨーロッパのキリスト教徒とユダヤ教徒あるいはジプシー、日本の平地民と非平地民を想起させる。
□この映画では様々な境界が設定されていて、それを越えることがドラマになっている。主に家にだが、人と人(そして動物)の間にも。
時間があればその辺も書いてみたい。
■今までの宮崎作品のパロディのようなオマージュのようなシーン、カットが多かったが、それも機会があれば。
■とりあえず、観たばかりの感想はこんなところで。
*1:沈黙交易(ちんもくこうえき、英: Silent Trade, dumb barter, depot trade)
一般的には、交易をする双方が接触をせずに交互に品物を置き、双方ともに相手の品物に満足したときに取引が成立する。交易の行なわれる場は中立地点であるか、中立性を保持するために神聖な場所が選ばれる。言語が異なるもの同士の交易という解釈をされる場合があるが、サンドイッチ諸島での例のように言葉が通じる場合にも行なわれるため、要点は「沈黙」ではなく「物理的接近の忌避」とする解釈もある。
フィリップ・ジェイムズ・ハミルトン・グリァスンは、世界各地の沈黙交易を研究し、人類史における平和が、市場の中立性や、異人(客人)の保護=歓待の仕組みに深くかかわっていると述べた。カール・ポランニーは、沈黙交易について、掠奪による獲得と交易港による平和的な交易の中間に位置する制度とした。
*2:互酬(ごしゅう、英: Reciprocity)
文化人類学、経済学、社会学などにおいて用いられる概念。人類学においては、義務としての贈与関係や相互扶助関係を意味する。日本語では互酬性という表記も見られる。
カール・ポランニーは、社会統合の主要なパターンのひとつとして互酬を位置づけ、非国家レベルにおける主要な経済形態とした。互酬は対称性(symmetry)を特徴とし、2つの配置における財やサービスの運動によってギブ・アンド・テイクを促進する。マーシャル・サーリンズは、近親者に多い「一般化された互酬」、等価交換である「均衡のとれた互酬」、敵対関係に多い「否定的な互酬」に分類して分析を加えた。
互酬の例として、マルセル・モースが研究をした太平洋岸北西部のポトラッチ、ダホメ王国のドックプウェ、ニューギニアのバナロ族やアフリカのティブ族の婚姻制度などがあげられる。ポランニーは、アリストテレスが唱えた相互依存の原理(アンティペポントス)も互酬に含めた。また、ヘシオドスの『仕事と日』は、部族社会の変化によって互酬関係が衰え、孤立した家政が入り込んできた時代を描いているという解釈をしている。
共同体の外部に対する互酬は交易の形をとることがあり、ブロニスワフ・マリノフスキが研究をしたトロブリアンド諸島のクラや、沈黙交易をはじめとする管理交易も含まれる。

どうぞ。こちらこそ、よろしくお願いします。