ゴールデンルールを少し読み解く(1)

ネット界隈をふらついてると、たまに「GMの決定は絶対」という発言に出くわす。こういう言動のうちいくらかは、FEARの制作するルールブックに書かれている「ゴールデンルール」あたりに起因しているのかもしれない。

たしかに、GMには強い権限が与えられているように思える。また、そのこと自体はGMが遂行する役割を果たす上で必要な面も大きい。しかしボクは「GMの決定は絶対」という発言に出くわすたびに違和感を覚える。

どうしてこのような違和感が生じるのだろうか。ちょっとそこらへんをあれこれ書いてみよう。異論反論はコメント欄かトラックバックでお願いします。

ゴールデンルールを少し読み解く(2)

まず最初にボードゲームでの話から入ります。

ボクの周囲ではボードゲームを遊んでいて、途中でルール運用がわからなくなると以下の手順を踏んでます。

  1. 付属の説明書を読む
  2. 説明書の解釈を述べる
  3. 「遊んだ事のある人」の意見を参考にしつつ「ゲームの持ち主」の採択で仮裁定する
  4. ゲームをがつがつ遊ぶ
  5. ゲーム終了後に確認作業を行う(時間が無ければ省略)
  6. 次回のルール運用を確定する
  7. 次のゲームに進む

ここで大切なのは三つ目の「仮裁定する」というところでしょう。おもむろにPCを立ち上げて公式サイトをチェックし、それが英語やドイツ語であれば翻訳エンジンを通して……とすれば「正しいルール」を調べることができるはずです。でも、そんなこといちいちやっていたら、ゲームの進行が止まってしまう。だから「仮裁定」をしてもらうんです。

ゲームを正しく遊ぶことは大事です。でもそれと同等以上にゲームを遊ぶことが大事とボクは考えます。

それに、はじめから最後まで通して遊ばないとゲームの全体像がわかりません。
全体像が見えないと、それが「詰まらないゲーム」か「良くできたゲーム」かを見極めることが難しいのです。

ボクは詰まらないゲームを正しく遊ぶために労力を使うよりも、その時間を良くできたゲームを遊ぶのに使いたい。だから「仮決定」してもらう。

これと同様に、ボクはTRPGもずっと「GMに仮決定してもらう」ことで進行をスムーズにする、というスタンスを取ってきてます。

たぶん「ゴールデンルール」もこんな感じなんじゃないかしら。

ゴールデンルールを少し読み解く(3)

(1)で書いた違和感は、その発言を聞くたびに、GMの権力が「神が与えたもうた絶対のもの」と主張しているかのように感じてしまうからかもしれない。いわば「GM権神授説」。

それに対して、ボクは「GM権社会契約説」を支持するわけです。GMの権限は卓の参加者がスムーズに進行するゲームを楽しむために仮託したものである、と。

別にどっちが正しいというわけでもないし、環境によっては有効に機能したりしなかったりだと思うけども。

なにはともあれ「GMの決定は絶対」というのは苦手な文字列なのです。