2010-03-25
bastard
→雑記 |
twitterやめた。
このブログもそうだけど自己顕示欲の発散が目的となってしまうなら続ける意味はない。
インターネット上に薄い情報を発信していたところで、自分の自己顕示欲がしばし和らぐだけだ。
将来のビジョンだのなんだの、確かにそう情報収集することは大切だけど
最近の僕がその情報に対して時間をかけて向き合うことが出来ているかといえば甚だ疑問。
たかだか140字の情報、その「ゆるさ」を理解しつつもついついのめり込み、しまいにはタッチパネルでそれらをスクロールさせることに躍起になっている。
目新しいものに飛びついて本来の自分を見失ってはいまいか。情報収集に躍起になって何かにどっぷりつかることを放棄していないか。
最近mixiとか全然見なくなったなー
iPhoneを買ってからは、たとえばカフェのトイレに並んでいる時など手持無沙汰の時間に出来ることの選択肢が増えた
暇だから○○をしてしまうという状態から抜け出せたのは前進やもしれません
とは前の記事に書いたけど、むしろ「暇さえあればiPhoneを触っている」という状態に陥ってはいないだろうか。
本、映画、音楽、なんだっていい。
ゆるさに踊らされるくらいなら、「作品」として纏まったものを鑑賞すべきだ。
そこには時間をかけただけの魅力があるはずだ。
当り前のことに留意し続けるのは結構大変で、しばしば再確認する必要がある。
2010-02-22
学者の在り方
→雑記 |
「途上国の貧困を謳って先進国が経済援助を図ることは貧困の根本的な解決には繋がらないばかりか、悪化させる可能性すらある。」
というのはまま見受けられる論調ではありますが、実際はどうなっているのかはなかなか素人目には判り難いものです。
例えば
Collier and Gunning(1999)
ではアフリカ諸国の経済成長の低迷要因に関して包括的な考察を行っているが
地理的な要因
国内政策・政治体制
ハード面(交通・通信・エネルギー等)
ソフト面(契約の履行確保等の法整備、競争制限的な経済規制、金融市場の過剰規制、不適切な税制、教育、医療等の人的資源をめぐる環境整備)
などを挙げている*1
ここで挙げただけでも、地理・政治・法律・社会・経済・文化・教育・医療etc等 複雑な事象が絡み合っていて根本的な解決策を見出すことは難しい。
敵は強大だ。
これに関連して
「日本辺境論」の著作でも有名なご存知、内田樹は『貧困を救うのは、社会保障政策か、ベーシック・インカムか』(山森亮・橘木俊詔、人文書院、2009)
の書評を述べているが
学者のもっともたいせつな仕事の一つは「誰にとっても知られにくい論点」を前景化することである。
「知っていること」を列挙する学者を私が嫌うのは、彼がその知的リソースをもっぱら自分の知的威信をショウオフするために使用するからである。
せっかく「いい頭」に生まれついたのなら、それを「世のため、人のため」に使用したらどうかと思う。
「知らないこと」を探求する学者を私が尊敬するのは、彼がその知的リソースをもっぱら「世のため、人のため」に使用するからである。
「私はこのことがわかりません」とカミングアウトすることは、その学者の知的威信にはあまりプラスにならない。
けれども、彼の知性を以てしても「わからないこと」にきちんと「タグ」をつけて、人々に告知するというのは公共性の高い仕事である。
それは「ここに穴があります。足元注意」とか「この先熊が出ます」というアナウンスメントと本質的には同じことである。
学者のあり方について言及している一説が目に留まった。
本来探していたものとは違うものを思いがけず発見したときの喜びは大きい。
これもセレンディピティか。
エイゴリアン
→英語 |
【英語】
2/27にTOEFLiBTを受験する予定やったのですが変更して3/27に受けることにしました。
3/14にTOEICを受けます。
TOEICはTOEFLiBTと比較されるなかで
speakingやwritingが無くreadingとlisteningのsectionだけなので
対策が非常に立てやすく
出題傾向も限られているので
慣れで点数が取れる
と言われることが多く
僕も実際にそうだと思うのですが
凡そ試験は本来的にしかるべき手段でしかるべき対策を立てて望めば
点数は上がり、合格率も上がるものです
勿論
試験は水物ですから準備したことが本番で発揮できない可能性は往々にしてあります
しかしだからといって
これは試験の準備を怠ることの根拠にするのは勿体無い
のです
要はTOEICを馬鹿にするくらいなら点数を上げる努力をする姿勢でありたい
ということです
とまぁ非常に稚拙な文章で餓鬼のぼやきっぽくなってしまったのはご愛嬌(笑)
*1:2001年 通商白書 経済産業省 http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku/h13/
2010-02-01
運命は必然じゃなく偶然でできてる
今回受けた試験は
1月
21日 哲学
25日 債権
26日 物権
27日 法政史概論(前回の日記で紹介したもの)
28日 文学
2月
1日 倫理学
本日漸く試験が終了しました。
凡そ学問とは専門的な探求を以ってこそその本来的な価値に接近可能だと思うのですが、やはり個人的には広く浅くやってるほうが気楽だし、新しいものは単純に知的好奇心を満たしてくれる。
法律という学問自体は嫌いでは無かったのですが、法曹を目指す意志と共に歩んではいない以上、自分の専門を何処に見出せば良いのかという問いは大学生活を送るなかで私の頭の中を常に支配していました。
本日で試験が終了して学校は休みの期間に突入したわけですが、早くも今週木曜日には田村ゼミの春休み中の課題が発表されます。ゼミ合宿を控える3月はその準備に時間を割くことになりそうです。
専門性に関して話題を戻しますが、当面は国際経済法や国際法を中心に学んでみようと考えています。
とはいえ、この世界には好奇を刺激してくれる事象が遍く存在していますから、春休みは沢山脳みそに詰め込めれば振り返って幸せだろう。
おいおい自分の思考を言語化してゆきたいなーと。
YUKIがJOYで歌っていますが、「死ぬまでわくわくしたいわ」といった心境ですか、ね。
2010-01-26
日本の法文化の特徴
→英語 |
大学で「法制史概論」という授業を履修しておるのですが、絵画や銅像などのシンボルにいかなる形で法や正義などの観念と結びついているのかという題は非常に興味深いものでした。
以下、日本の法文化に関する考察
「日本の法文化の特徴とはなにか」
日本の法文化の最大の特徴として挙げられるのは、法や法を絶対的に支配する価値である正義を直接的に語りだすコードが存在しないことである。西洋にせよ極東にせよ本来的に裁判はその性質として、裁く側と裁かれる側という対立する二つの立場を前提とした両義的な解釈の上に成り立っている。西洋においては社会は可能な限り法に服することが要請され、ユスティティアの目隠しに象徴されるように、法の下の平等を達成するために人格が厳密に排除されている。一方で日本では古来より法や正義は刑罰と同様に忌避の対象となってきた。日本の法文化においては法や正義の概念は不可視で変幻自在である。最高裁判所の大法廷にある太陽のタペストリと月のタペストリもまた、世界の二元的な解釈の影響を受けているが、法や正義を明確に連想させる輪郭線は存在しない。これは裁くものと裁かれるものという超えがたい関係を常に人間的な関係を想起することによって中和しようとする姿勢の顕現と捉えることができる。西洋においては法や正義の観念がユスティティアに収斂され再生産されてきた。いっぽう古来からの日本人の心性においては聖徳太子や観音菩薩、或いは神話的世界観のイメージが再生産されてきた。聖徳太子によって図像化された「智」「仁」「勇」の三つの価値は本来社会において達成が期待される「礼」などといった価値とは異なる概念であるが、こういった三つの価値が頑なに守り続けられてきたことが法や正義といった概念すらも図像化が困難になっている原因のひとつと考えることができる。
参考文献
- 作者: 森征一,岩谷十郎
- 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会
- 発売日: 1997/05
- メディア: 単行本
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もう一息、期末試験を乗り切りたいと思います。