2010-02-22
学者の在り方
→雑記 |
「途上国の貧困を謳って先進国が経済援助を図ることは貧困の根本的な解決には繋がらないばかりか、悪化させる可能性すらある。」
というのはまま見受けられる論調ではありますが、実際はどうなっているのかはなかなか素人目には判り難いものです。
例えば
Collier and Gunning(1999)
ではアフリカ諸国の経済成長の低迷要因に関して包括的な考察を行っているが
地理的な要因
国内政策・政治体制
ハード面(交通・通信・エネルギー等)
ソフト面(契約の履行確保等の法整備、競争制限的な経済規制、金融市場の過剰規制、不適切な税制、教育、医療等の人的資源をめぐる環境整備)
などを挙げている*1
ここで挙げただけでも、地理・政治・法律・社会・経済・文化・教育・医療etc等 複雑な事象が絡み合っていて根本的な解決策を見出すことは難しい。
敵は強大だ。
これに関連して
「日本辺境論」の著作でも有名なご存知、内田樹は『貧困を救うのは、社会保障政策か、ベーシック・インカムか』(山森亮・橘木俊詔、人文書院、2009)
の書評を述べているが
学者のもっともたいせつな仕事の一つは「誰にとっても知られにくい論点」を前景化することである。
「知っていること」を列挙する学者を私が嫌うのは、彼がその知的リソースをもっぱら自分の知的威信をショウオフするために使用するからである。
せっかく「いい頭」に生まれついたのなら、それを「世のため、人のため」に使用したらどうかと思う。
「知らないこと」を探求する学者を私が尊敬するのは、彼がその知的リソースをもっぱら「世のため、人のため」に使用するからである。
「私はこのことがわかりません」とカミングアウトすることは、その学者の知的威信にはあまりプラスにならない。
けれども、彼の知性を以てしても「わからないこと」にきちんと「タグ」をつけて、人々に告知するというのは公共性の高い仕事である。
それは「ここに穴があります。足元注意」とか「この先熊が出ます」というアナウンスメントと本質的には同じことである。
学者のあり方について言及している一説が目に留まった。
本来探していたものとは違うものを思いがけず発見したときの喜びは大きい。
これもセレンディピティか。
エイゴリアン
→英語 |
【英語】
2/27にTOEFLiBTを受験する予定やったのですが変更して3/27に受けることにしました。
3/14にTOEICを受けます。
TOEICはTOEFLiBTと比較されるなかで
speakingやwritingが無くreadingとlisteningのsectionだけなので
対策が非常に立てやすく
出題傾向も限られているので
慣れで点数が取れる
と言われることが多く
僕も実際にそうだと思うのですが
凡そ試験は本来的にしかるべき手段でしかるべき対策を立てて望めば
点数は上がり、合格率も上がるものです
勿論
試験は水物ですから準備したことが本番で発揮できない可能性は往々にしてあります
しかしだからといって
これは試験の準備を怠ることの根拠にするのは勿体無い
のです
要はTOEICを馬鹿にするくらいなら点数を上げる努力をする姿勢でありたい
ということです
とまぁ非常に稚拙な文章で餓鬼のぼやきっぽくなってしまったのはご愛嬌(笑)
*1:2001年 通商白書 経済産業省 http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku/h13/